第十八話 釜中之魚
オリアーナ皇女は衛兵に任せて、ボクは全力で抜き身の『薔薇の罪人』を握ったまま螺旋階段を駆け上った。
さすがに付いてこられる者はいないくて――レヴァンが一番がんばってるけどまだこちらの半分も来ていない――数秒で最上階まで登ったところで、突き当りの重厚な造りの扉が開きっ放しになっているのを見て、そのまま姿勢を低くして、転がるように部屋の中へと飛び込んだ。
そこでボクが目にしたのは――
「きゃーっ! お嬢さんのエッチ!!」
パンツ一丁で因業そうな中年男の背後に抱き付いている影郎さんの、あられもない姿だった。
「――なにを……やってるの! 貴方は!?」
反射的に『薔薇の罪人』で斬りかかったけど、ひょいと部屋の奥の方へ下がって躱された。
その拍子に、ばたん、と崩れ落ちた中年男――これが話題のナントカ主席だろう――の顔色は土色で、どう見ても息をしていなかった。
だけどまだ死んで間がないようなら蘇生も可能な筈。
「ああ、もう殺してから30分経ってますから、蘇生は不可能ですわ。だいたいこの塔の中ではスキルは使えませんし」
ちらりと死体に視線を走らせただけど、それだけでこちらの意図に気が付いたのだろう、「どーぞどーぞ、お好きなように」と促された。
シャクだけど影郎さんを置いて、この死体を抱えて塔の外まででて確認するわけにもいかないので、蘇生は断念して影郎さんに集中した。
「これはどういうことかな? 最初からこのつもりで私をハメたって解釈でいいのかな? まさか、このおっさんと痴情のもつれで反射的に殺しましたってオチじゃないだろうしね」
そう言うと影郎さんは困ったように頭を掻いた。
「……お嬢さん、先に考えとった言い訳言われると、ネタに詰まるんですけど」
「依頼主は誰!? いまさらこのバッテン主席を殺して得する人間なんているの?!」
まともに話す気がないのはわかっているので、とにかく相手にペースに嵌らないように一方的に話しかける。
「お嬢さん、バッテンやなくてバルデムですわ……バしか当たっとらんですよ」
「どーせ死んだ人間なんだから、名前なんてどーでもいいでしょ!」
「……なにげにお嬢さんも鬼畜ですなぁ」
暗殺者のペテン師にはだけは言われたくないわ!
「まあ、取りあえずヒントとしては、確かに得をする人間は居ないかもしれませんが、獄死だか客死だかしたことになれば、損をしない人間がいるってとこですなぁ」
「……それは、現在身代金交渉を行っているユース大公国のことですか?」
ふと気が付くと、レヴァンや衛兵に守られる形で、入り口のところに息を切らしたオリアーナやアスミナ、侍女のリィーナまでが立っていた。
――あちゃあ、なんで付いて来ちゃうかな。余計な足手まといになるのに!
やむなく影郎さんと入り口との軸線上に重なる位置に体を移動させた。
そんなボクの意図には当然気がついているのだろう。『ごくろうさんですなぁ』という顔で影郎さんが苦笑した。
「まあその辺は守秘義務がありますんで、明かすわけにはいきませんなぁ」
皇女のほうを向いて、肩をすくめる影郎さん。
「宰相の指示で行ったレヴァンたちの襲撃が上手く行かなかったので、途中で契約を打ち切られて、それでバイトしてるってのも当然ウソだったわけだね?」
確認を込めてのボクの質問に、影郎さんは心外そうな顔で、パタパタを顔の前で手を振った。
同時に、はっとした顔でオリアーナ皇女が胸のブローチに手をやった。
「いやいや、自分がお嬢さんにウソをつくわけないですわ。クレス同盟の特使一行を襲ったのはいいんですけど、その坊ちゃんを逃がした責任でウォーレンのおっさんから途中解雇されたのは本当でっせ……そんなわけで、いまさら義理はないんで話しますけど。お陰で大損ですわ。んで、他のバイト探してたら今回の仕事を頼まれましてチャンスを窺ってたんですわ」
「それで宮殿への隠し通路とか知ってたわけね。――だけどそれなら別に一人でも襲撃できたんじゃないの?」
口を挟んできたアスミナの問いかけに、渋い顔をする。
「それなんですが、最初は見回りや食事の時に『隠身』で同行する予定が、この塔の消魔術の効果が結構半端ないもんで、5メートルも近づくとうっすら透けて見えるので断念しました」
「……だったら鍵を持ってる衛兵を殺して奪えば?」
どうにも腑に落ちない、という顔のアスミナを若干咎めるような声で窘める影郎さん。
「貴女、人の命をなんだと思ってるんです? かけがえのないものなんですよ。それを簡単に殺すとか言わないでください」
「――お前がそれを言うか!!」
レヴァンの叫びに大真面目に頷く。
「ええ言います。言わせていただきます。それは確かに自分は商売で人を殺します。尊い命を踏みにじります。ですが快楽や憎しみ、突発的な怒りなどで軽はずみに命を奪ったことも、名誉だ誇りだと美辞麗句を並べ立てて殺したこともありません。自分に道徳を語る資格はないのはわかりますけどな、主目的の為の手段として人を殺すなんぞ、本末転倒ですわ」
う……ウソくさ――――――っ!!!
全員がそう思ったけど、言ってることはしごくまともで顔つきも真剣なので、ツッコミを入れづらい雰囲気になった。
こーいう人なんだよねぇ。言ってることはウソかホントかわからないけど、妙なポリシーがあって憎みきれないというか……。
「……まあ、だいたいの流れはわかったかな。それで迂遠だけど私たちと行動をともにして、わざわざ収監されるようにした、と」
「そういうことですな。ケツの穴まで調べてからパンツ一丁で、放り込まれるとは思いませんでしたけど」
それでよく脱獄できたねぇ。
「なるほどねぇ。じゃあそろそろ覚悟してもらおうかな」
ボクは『薔薇の罪人』を一振りした。
「それとも改心して黒幕のこと全部話してくれるかな?」
まあ無理だろうね――と思った通り、影郎さんは首を横に振った。
「前にも言いましたけど、今度の旦那さんのことは喋れません。堪忍してください、お嬢さん」
「そうかい。じゃあ敵同士ということで、遠慮はしないよ」
「へい。こんなんなっても気にかけて下さって、本当に涙が出るほどありがたいですわ」
暗に『いまから情を捨てて殺し合いをするよ』といった、ボクの言葉の真意を正確に汲み取って、影郎さんは軽く頭を下げた。
それからお互いに真剣な表情で向き合う。
影郎さんの背後は壁で、脱出しようとするならボクを斃すか出し抜くかして、この牢獄唯一の出入り口に向かうしかない。
ちらりと背後を見たけど、さすがにオリアーナ皇女とリィーナは下がらせて、その前に衛兵が立ち、出入り口のところにはレヴァンが守る形で構えをとっていた。その2歩後ろにアスミナがいる。
この態勢ならば背後を気にせず影郎さんの相手をできる。スキルは使えないけど、それはお互い様。正面からのぶつかり合いなら、ほぼ互角のはず。
と、先手を取ったのはやはり影郎さんだった。
一瞬、背後に注意を向けた瞬間、ジャンプした影郎さんを空中で迎え撃とうとしたところで、その足のつま先が部屋にあった重厚なテーブルの上のテーブルクロスを抓んで、足首の動きだけで投擲してきた。
ばっと広がり目の前を塞ぐ白い布地を、斜めに断ち切った――そこには、すでに影郎さんの姿がなく、代わりに手裏剣のように直進してくる数本のペンがあった。
反射的に躱したところで、
「――足元です!」
レヴァンの注意が飛び、はっと見ると蜘蛛のように這った姿勢で駆け抜けて行こうとする影郎さんがいた。
「このっ」
空中で一回転する勢いで『薔薇の罪人』を袈裟懸けに切り落とした。
それを倒立する形で躱した影郎さん。さらに腕の力だけで一気にその場から出入り口まで飛び跳ねる。
「ちぃ!」
体勢を崩したボクが一瞬出遅れる間に、レヴァンがそれを迎え撃とうと、ふわりと空中に舞い上がった。
その蹴りが影郎さんに当たる直前、
「鉄鼠っ!」
その胸から光の粒子が飛び出し、鋼鉄色をしたハリネズミのようなモンスターになった。
――影郎さんの従魔!?
しまった、こんな手が! そう思ってボクとレヴァンが唇を噛み締め、影郎さんが勝利を確信したその刹那、
「ハリちゃん、お願い!」
アスミナの叫びに応えて、飛び出したオコジョのような霊獣ハリが、影郎さんの従魔、鉄鼠を空中で捕らえ、即座に喉笛を噛み切った。
「んなアホな!?」
唖然とする影郎さんの脇腹にレヴァンの蹴りが決まり、床に叩き付けられて転がった。
軽く呻きながら起き上がった瞬間、『ズブッ』という鈍い音とともに影郎さんの胸元から剣の切っ先が生えた。
言うまでもなく背後から貫いたボクの『薔薇の罪人』の刀身である。
「やれやれ……」
仕方ないなぁという顔で背後を振り返ろうとした影郎さんの心臓部に、真正面からレヴァンの全力の肘がめり込み、肋骨を粉砕して止めを刺した。
全身血塗れで倒れ伏した影郎さんの凄惨な様子に、離れて見ていた侍女のリィーナが蒼白な顔で口元を押さえて螺旋階段を早足で降りていった。
まあ、普通の神経ならそうなるだろうね。
顔色が悪いながらも震えもしないで、その場に留まっているオリアーナ皇女の豪胆さが特別なんだろう。
ボクはため息をついて影郎さんの死体を確認してみた。
HPは0になっている。状態も『死亡』と表示されている。完全に死んでるね。
「……終わったのですか?」
衛兵に守られながら、恐る恐る部屋の様子を窺うオリアーナに頷いて見せた。
「そうだね。……結局、さっきの自供だけで、宰相がクレスの密使を襲わせたって証言がとれなくなったけど」
「それならばご安心ください。このブローチは記録装置になってますので、先ほどの証言は記録されているはずです。これがあれば充分です」
自信有りげに胸元のブローチに手をやる皇女。
そういえば魔導具なら塔内でも使えるんだったね。なるほど、抜け目がないねぇ。
「それとバルデムについては獄中で病死したことにいたしますので、皆様もご内密にお願いできますか?」
気ぜわしそうにその場にいた全員の顔を見て念を押すオリアーナ。
まさか王宮内に隔離していた他国の人質が暗殺されました、とは口が裂けても言えないだろうからね。当然の配慮だろう。
その上、宰相派から預けられたお荷物とはいえ、それを死亡させました、ということで汚点を作ったわけだから彼女としては二重の苦難ってところだろうね。
当然、全員が頷いた。
「それとこの暗殺者の方の遺体ですが、先ほどの証言と併せて証拠物件――首から上だけになりますが――として扱いたいのですが、こちらについては無理強いはできませんので、姫陛下の判断に委ねます」
まあ妥当な判断だね。画像と音声記録だけじゃ弱いからねぇ。処断した首も揃ってワンセットだろう。
「構わないよ。死んでもそれで何か役に立つなら使えばいいさ。まあ、できれば体の方は野ざらしではなく、どこかにお墓でも作ってくれればありがたいかな」
ボクの提案に、オリアーナ皇女はしっかりと頷いて約束してくれた。
「わかりました。さすがに公にはできませんが、遺体を葬った後にご連絡いたします」
「ああ、頼むよ」
まあ、お墓に花ぐらいは供えてあげたいからねぇ。
……そういえば、ボクが死んだ後ってどっかに葬られたのかなぁ。
ま、事故直後は現場に花一つくらいはあげられたと信じたいところだけどさ…いや、今更どーでもいいか。
「――後の始末はこちらで行います。皆様は一度離宮の方へお戻り願えますか?」
「そうだね。こんな血生臭い場所には長居したくはないだろうしね」
頷いて、皇女の後に続いてボクも部屋を後にした。
レヴァンも自分の手で仲間の仇を討ったことで満足したのか、瞳を閉じ大きくため息をついてアスミナともども歩き出した。
部屋を出る直前、影郎さんの遺体になにか声をかけようか迷ったけど、なにも思い浮かばなかったので無言でその場を後にした。
◆◇◆◇
全員が塔の外へと出てから程なく、影郎が最初に入っていた牢の扉がゆっくりと開き、そこから侍女姿の一人の女性が出てきた。
着ているものは先ほどまでいたリィーナと同じものだが、中身はまるで別人――というか人間ですらない、長い耳、金緑の髪をしたエルフの娘である。
そのエルフは周囲の様子を再度窺い、完全に人気がないのを確認して足早に螺旋階段を上って行った。
最上階の特別隔離室の中の様子を確認して、嘲笑混じりの冷笑を浮かべながら影郎の死体を汚らわしそうに、爪先で蹴って仰向けにして、精緻な彫刻のある瓶をどこからともなく取り出し、陥没した心臓部分にその中身を無造作に振りかけた。
途端、映像の逆戻しのように影郎の体が修復され、
「――ふう……」
蘇生した影郎が大きく深呼吸をして、むくりと上半身を起こした。
「さすがは高額な課金アイテムの蘇生薬ね。たいした効き目ね」
中身が無くなると同時に本体の瓶も消え、空になった両手を広げて肩をすくめるエルフの娘。
「アチャの姐さんですか。どーもお手数をかけまして、すんません」
「まったくだわね。あんたがトロトロしてるから、途中で『物まねカード』の効果がきれそうになって、誤魔化すのにたいへんだったわ」
「そうなんですか。ところで、その衣装からしてアチャの姐さんが化けてたのは、あの皇女様の侍女だと思うんですけど、どこで入れ替わったんですか?」
「ああ、途中で衛兵を呼びに行くのに一人になったから、その時にさくっとね」
それを聞いて、影郎の表情がかすかに暗くなった。
「……殺ったんですか?」
「まあね。死体の方は骨も残さず従魔に食べさせたから、しばらくは誤魔化せると思うわ。なんなら今日のことがショックで退職したって形にしてもいいし。そういうのってあんた得意でしょう? ……ん。なによ、さっきの演説まさか本気だったわけじゃないわよね。暗殺者さんが」
「…………。現場確認に衛兵が来る前に急いで逃げましょ。例のものは場所もわかりましたし、鍵も手に入れました」
「上々ね。それじゃあ、あと緋雪ちゃんに気付かれないように工作しておかないと」
スカートの下から取り出した収納バックから、影郎の着替えと、影郎に良く似た男の死体らしきものを取り出すアチャと呼ばれたエルフ。
「そんなモンまで用意してたんですか?」
いつもの格好に着替えながら、どことなく不機嫌な表情で尋ねる影郎。
「勿論よ。やるからには徹底しないと」
そう言いながら、「こんなものだったかしらね」と平然とした顔で死体に刺し傷やら打撃痕やらを作るエルフ娘。
一通り満足した状況になったところで、
「それじゃあ、さっさと戻りましょ、次の仕事があるんだから」
バックを背負って影郎を促した。
「……へい」
さっさと部屋を後にする彼女に続いて、出入り口に足をかけた影郎は、先ほどの緋雪と良く似た表情で部屋の中を振り返り、ため息をついて走り出した。
2014 1/3 誤字の修正をしました。
×まあその辺は守秘義務がありますんで→○まあその辺は守秘義務がありますんで