第十二話 宰相受難
その日、いつものように王宮から(物理的にも精神的にも)離れた別館で執務を執り行っていた、グラウィオール帝国宰相ウォーレンは、ふと慌しく廊下を行き交う使用人たちの足音と、屋敷全体を取り巻く気ぜわしげな雰囲気に、神経質そうな眉をひそめた。
執務中は余人が傍にいると邪魔になるので常に一人でいるのだが、さすがにたまらなくなって執務机の隅に置いてある呼び鈴(魔道具で隣室に控えている秘書の呼び鈴と連動している)を鳴らした。
即座に飛んできた秘書官に向かい、ウォーレンは唸るように問いかけた。
「何事だ、この騒ぎは?!」
「それが、その……閣下に逢わせろと、娘が二人やってきて門前で押し問答をしているそうでして……」
言いにくそうに答える秘書をじろりと射すくめるように睨みつける。
「なんだそれは。アポイントメントはあるのか?」
「いいえ。それどころか、片方の娘は獣人のようで……」
『獣人』という言葉に、先日始末したクレス自由同盟国の密使のことが脳裏に浮かんだ。
同時に、連中の代表者のみが生死不明ということで、仕事を任せた自称フリーの暗殺者――実態は聖王国の二重スパイだろうと睨んでいる男――を、さんざん罵倒して追い出したことも続けて思い出した。
おそらくは跳ね上がり者の獣人が、連中の安否を確認に押しかけてきたのだろう……それにしては二人、それも娘だけというのも不可解だが、あるいは単に身内を心配してやってきた家族の者なのかも知れない。
「くだらん。そのような者どもはさっさと追い返せ。そんな子供でもできる仕事ができんのか、貴様らは?」
「も、申し訳ございません。ただ、もう一人の娘が身支度からして明らかに貴人でございまして、手荒な真似をしてよいか、門番も迷っているようで」
『貴人』という言葉に、なぜかぞくりと嫌な予感を覚え、居なくなった暗殺者の存在が急に大きく感じられたが、表面上は平然と聞き返した。
「名前は名乗っているのか?」
「いえ、尋ねても『知らないほうがお互いの為』と訳のわからぬ答えが返って来るだけとか」
「名前も名乗らん相手と面会する必要はないな。多少手荒な真似をしても構わん。さっさとお引取り願え」
「はっ。わかりました」
慌てて退室する秘書官の後姿を眺めながら、「この程度の判断もできんのか。無能め!」と発作的に叫び出しそうになるのを押さえる。
つくづくこの国は腐っている。国の中枢を担う官僚――当然、貴族である――でさえこの程度なのだから。
血脈こそが人間の資質のすべてであると考え、だからこそ生まれつき優れた存在だと驕り、そこから一歩も踏み出せずに居る者ども。
やはり改革が必要だ。その為には綿密な下準備をして、手回しを行い、腐った患部を一気に摘出するための時間と手間隙を怠るわけにはいかない。
そう決意を新たに、次の書類に取り掛かった――数分後、先ほどの騒ぎを忘れかけたところで、執務室の扉が廊下側から轟音を立てて吹き飛ばされた。
「な――っ!?」
さすがに顔色を変えて立ち上がったところへ、壊れた扉の向こうから、ひょっこりと小柄な影が顔を出した。
「神経質そうな中年、鷲鼻、目つき悪い、アッシュブロンド……ああ、ここで間違いないようだね。突然だけどお邪魔するよ」
ウォーレンの特徴を指折り数えながら、納得いった顔で少女が入ってきた。
年齢は12~13歳ほど。腰まで届く長い黒髪を流し、緋色の瞳をした凍えつくほどの美貌の少女。
黒を貴重とした豪奢なドレスに見事な赤薔薇のコサージュを施した衣装をまとった、彼女の姿をひと目見てウォーレンは驚愕に目を剥いた。
「真紅帝国の――!? 馬鹿な、なぜここに?!」
「なんのことやら。私はちょっと焼肉を食べに来た観光客だよ」
わざとらしく肩をすくめる緋雪。
ごくりと唾を飲み込んだウォーレンは、それでも表面上は平静な顔を取り繕い、椅子に再度腰を下ろした。
「その観光客がなんの御用ですかな? 生憎とここは観光コースからは外れていると思いますが」
「ん~~、まあ、実のところ探し人がいてさ。その行方を聞こうかと思って来たんだけど、途中で目的はだいたい果たせたかな。さっきの秘書が必要な情報を教えてくれたし」
内心で秘書官の男を罵倒しながら、「ほう」と鷹揚な態度で聞き返すウォーレン。
「拷問でもなさいましたか?」
「まっさかぁ! 邪魔する連中は――まあ、彼らもそれが仕事なんだから仕方ないけど、警告の上で排除…じゃなくて、『不幸な事故で消えてなくなった』んだっけ?――でお引取り願って、彼の場合はそれを見て、魔眼使うまでもなく勝手にぺらぺらしゃべってくれたよ。ああ、あと残っていたほとんどの職員も逃げ出したね。……いやはや君って、つくづく人に好かれていないんだねぇ」
本気で同情しているらしい口調の緋雪に、苛立たしげにウォーレンが反駁する。
「好き嫌いで仕事はやっておれませんからな。そうした屑どもを指揮監督する立場の者が、迎合しては意味がないでしょう。兎に角、目的が果たせたのならお帰り願いたいのですが?」
「そーかな、屑の親分はやっぱし屑だと思うけど? ――まあ、所詮は他人事なのでどーでもいいといえばいいんだけどさ、やっぱ、うちの身内をだまし討ちしてくれたお礼はさせてもらうよ」
「……私を殺すつもりですか? お国と帝国、聖王国との世界戦争が起きますぞ?」
「そこで自力でなんとかしようと思わないところが、もう終わってるねぇ。――ああ、別に殺しはしないよ、私は平和主義者だからね。まあ都合のいい平和じゃないと嫌だけど」
自嘲するように軽く肩をすくめて続ける。
「そんなわけで、私は2~3百発殴るくらいで我慢するけど。――アスミナ、君はどうする?」
その言葉に応えて、廊下側から獣人族らしい民族衣装をまとった女の子が現れた。
「レヴァン義兄様の敵なんですから、あたしは八つ裂きにしても飽き足らないですけど…」
「――ん。じゃあ八つ裂きにする?」
晩御飯の買い物に一品追加する感覚で軽く言い放つ緋雪。
「いいえ、こんなのに時間をかけている暇はありません。さっさと壊して晒し者にでもして放置しておけばいいと思いますっ」
「晒して放置って……んじゃあ、全裸で大門の前にでも逆さ吊りにでもする?」
「ああ、いいですね。あと全身を永久脱毛にして、股間に『短小』って張り紙でもしておいて、あと下半身に○○でも突っ込んで、男に生まれたことを後悔させておけば完璧ですね」
「……君もなにげにえげつないねぇ」
最後のはさすがにいろいろ同情を禁じえないねぇ、とぼやきつつも止める気はまったくなさそうである。
そんな、軽いノリで話す二人の少女の姿をした悪魔を前に、ウォーレンは今日まで自分の築き上げてきた全てが、ガラガラと足元から崩れ去ろうとしているのを理解して戦慄した。
◆◇◆◇
その後、一仕事終えて、まったく爽やかでない汗を拭いながら、大門を背に宮殿の方へ向かうボクとアスミナ――大門の騒ぎを聞きつけて、物見高い連中が大挙して押し寄せるので人の流れと逆行して歩くのはちょっと骨――だったけど、正直、レヴァンの行方について目立った進展がなくてがっかりしていた。
ひょっとしたら宰相の方でなにか掴んでないかと思ったんだけど、こちらでも実質空振りだったし――まあ、個人的に制裁したのは半分八つ当たりだね――こうなると、アスミナの勘を信じて王宮に乗り込むしかないんだけど、ボクが行くのはかなり難しいんだよねぇ。
国交がないどころか、現在紛争地帯を抱えている国同士なんだから、公式訪問は難しそうだし、かといってこっそり忍び込もうとしても、絶対に防御結界が張ってあるから感知されると思うし、アミティアの王宮みたいに秘密の抜け穴があって、その存在を宰相が知ってるんじゃないかと、拳でのお話し合いの途中で魔眼を使って確認してみたけど、知らない――というか、ほとんど皇族と疎遠になっていて、そうしたものにはタッチしていないことがわかった。
「それで、これからどうやって宮殿に乗り込むんですか?」
アスミナが鼻息荒く尋ねてきた。
――これは止めようがないねぇ。
「正面から乗り込むのは、戦争覚悟だけど……まあ、宰相の情報が確かなら、はりぼての軍隊らしいから問題なさげなんだけど、皇帝一派は今回の件に無関係らしいので、できれば回避したいところだねぇ」
「それじゃあ裏から忍び込んだらどうでしょうか?」
当然のように言われたけど、それが出来ないから悩んでるんだけどね。
と言うボクの懸念を理解してか、アスミナは大きく胸を叩いた。
「大丈夫ですよ。この都に来たときから、宮殿への潜入ルートはハリちゃんに探らせておきましたので」
そう言うアスミナの胸元からオコジョに似た霊獣――ハリが顔を出した。
「この子の案内があれば、義兄の元へたどり着けるはずです。たとえ途中にどんな障害があろうとも!」
自信満々に言い放つアスミナだけど、前にも似たようなシチュエーションを経験して逆さ吊りとなった身としては、大いに不安を覚えるところなんだけどねぇ……。
「――いやいや、さすがに素人さんにはキツイんじゃないですかね」
と、不意に横合いから聞き覚えのある声がした。
「――っ!!」
咄嗟にアスミナを抱えてその場から飛び退いて、即座に収納スペースから『薔薇の罪人』を呼び出して構えた。
その声の主――いかにも単なる露天商という風に、通りの隅で細々とした雑貨や安物の指輪、装飾品を広げていた影郎さんは、被っていた帽子を軽く持ち上げた。
「どーも、お久しぶり……というか、先日ぶりですかね? なんにせよ奇遇ですね、お嬢さん」
親しげな彼の態度に、
「……お知り合いなんですか?」
アスミナが義兄のレヴァンと似たような反応をする。
「例のレヴァンたちを襲った暗殺者が彼だよ」
「なっ――!?」
顔色を変えるアスミナに向け、細い目をさらに細める影郎さん。
「どーもー。本業は商人ですが、副業に暗殺者もやってます。先日はバイトでお兄さんとも顔合わせもしました。まあ、お嬢さんともどもよろしゅうに」
悪びれることなく自己紹介する影郎さんの一挙一動に注意しながら、ボクはアスミナを守る形で前に出た。
「まだこの街にいたんだね。てっきりもう移動してるかと思ったけど、目的は宰相の復讐?」
「まさかまさか。こっちは途中で仕事を乾されてカツカツなんですよ~。そんで少しでも稼ごうと思って、本業の方でがんばってたところで、いまさらあのオッサンがどうなろうと知ったことじゃありませんわ。――つーか、見てて面白かったですわ」
……つまり、こちらの動きはマークしてたってことだね。
「バイトってことは、やっぱり宰相が黒幕ってわけじゃなかんだね。それじゃあ、いまは真の黒幕の指示で動いているってわけ?」
「いやいや。ホントに今回は偶然なんですよ~。ついつい愛しいお嬢さんの姿が見えたもんで、こっそり伺っていただけで」
いちいちリアクションがわざとらしい彼の態度をアスミナも不快に思ったのか、ボクの背中越しに聞いてきた。
「ストーカーですか?」
「うん」
間髪入れないボクの返事に、これ見よがしに右手を瞼に押し当て「そないな殺生な…」と肩を振るわせる影郎さん。
「ウソ泣きですね」
「この人、基本ウソしかつかないからね」
ボクたちの冷めた感想に、
「まあ、それはそれとして……」
変わり身も早く、まったく濡れていない顔を上げて話題を変えてきた。
「お二人のお話を小耳に挟んだんですが、なんや、宮殿にあのお坊ちゃんがいるとか。――緋雪お嬢さんの仕業ですか?」
「……そのあたりは企業秘密だね」
ボクの答えに、「そら仕方ないですなぁ」と両手を上げて降参のポーズをとる影郎さん。
「それを知ってどうするつもり! まさか、これ以上レヴァン義兄様に危害を加えるつもりなら…!」
興奮した猫みたいに敵意を剥き出しにするアスミナ。――って言うか、レヴァンが宮殿にいるのって君の山勘だけが根拠なんだから、そこら辺が確定事項みたいに話をするのもどーかと思うんだけどねぇ。
「いや~、もうその仕事は終わったことですし。自分はプロじゃないんで、別に最後まで始末つけないと沽券に関わるとか、そういう意識はないので、いまさらどーでもいいことですね~。銭にもならんし」
本気でどうでもいいという顔で、パタパタを手を振る影郎さんを、多少毒気を抜かれた表情で胡散臭そうに眺めてから、言葉の真贋を確認するような顔でボクを見るアスミナ。
う~~ん、この人の場合、言ってることは基本ウソなんだけど、ウソと本当の境目が曖昧というかコロコロ変わるので判断がつきかねるってとこなんだよねぇ。
そんなボクの困惑を楽しみように、影郎さんは揉み手しながら続けた。
「そんなわけで、いまいろいろと物入りでして、ちょうど手も空いていることですし、ひとつ王宮に忍び込むのに、自分を雇っちゃくれませんかね? 確実に送り届けてみせますよ。あ、罠とかじゃないですよ」
その言葉に、ボクとアスミナは顔を見合わせた。
「……ぜったい罠だね」
「……どう考えても罠ですね」
期せずして二人の意見が一致した。
ちなみに凹るのはアスミナと二人で行い、その後の羞恥プレイは天涯と刻耀の男性陣に任せました。