第十八話 黒幕黒子
緋雪と音丸、二人の間には10歩ほどの距離が開いていたが、お互いに一瞬で間合いを詰められる距離である。
身動ぎもせずに、剣と三日月刀を構えて対峙する二人――通常であれば、ぴりぴりと張り詰めた空気が限界まで膨らんだ風船のようにあるはずだが――そうした緊張感は微塵もなかった。
八相で『薔薇の罪人』を構える緋雪の方は自然体から。
二刀の三日月刀を中段に構える音丸の方は余裕と侮りから。
「……いっとくけど、僕のステータスはあの方のお陰で、いまのお前とほぼ同じになっている。条件は互角、つまり、地力で劣るお前には勝ち目がないってことだよ」
不意に口を開いた音丸の挑発に、訝しげな目で相手のステータスを確認した緋雪の目が、軽く瞠られた。
その言葉通り、音丸のステータスは現在、神獣である白面金毛九尾の狐・空穂と従魔合身中の自分とほぼ同じ――MPでは勝るものの、HPは相手が上回る――であり、なおかつ緋雪を驚愕させたのが、『従魔合身:神滅狼』という項目であった。
「神滅狼?! あれは確かティム不能のイベント・ボスだったはず…!?」
いや、仮に何らかの裏技で従魔にできたとしても、通常であれば――根性で限界突破した真紅帝国の住人ならいざ知らず――所有者であるプレーヤーのレベルを逸脱したステータスを持てるはずがない。
事実、先ほど音丸が呼び出した移動要塞から出てきた従魔たちは、それ相応のステータスしか持っていなかった。だとすれば、この異常なステータスの原因は――。
「『あの方』って言ったけど。それって、らぽっくさんが言っていた『この世界の神様』と同一人物なわけ?」
「そうさっ。あの方こそ神! 全ての始まりさ」
「……そのあたりを詳しく教えてもらいたいんだけど?」
「はン! 僕を倒せたらなんでも喋ってやるよ。まあ、そんなこと天地が引っくり返ってもありっこないけど――ね!」
その嘲笑とともに音丸が地を蹴り、同時に緋雪も前に出た。
ガキン!と、ほぼ中間地点で剣と刀が激突し、互いの斬撃が火花を散らす。
「ふん!」
力と力のぶつかり合いで趨勢を傾けたのは、やはりというか体重とSTR(筋力)に勝る音丸であった。
突き飛ばされた緋雪を追撃する音丸の双刀が螺旋を描く――刀スキル・旋風刀に、さらに刀自体が持つ雷撃が付加された。
剣圧は竜巻となり、体の浮いていた緋雪に襲いかかる。
緋雪のスカートがはためき、その小柄な体が宙に浮く。さらに四方から鎌首をもたげたスパークが迫る。
「はああっ!」
気合とともに空中で回転しながら、『薔薇の罪人』を一閃させた緋雪の斬撃が、一刀両断で雷撃もろとも竜巻を二分した。
束縛から解放された緋雪が足をつける前に、カタパルトから発射された砲弾のように、音丸が一直線に突進する。
剣士系基本スキル・刺突。
勢いのままに繰り出される直線的な攻撃に対して、横薙ぎの剣閃で迎撃する緋雪。
着地の衝撃に上乗せして、静止した状態から全身の筋肉を急加速させる動き――獣王から学んだ剄の動きを取り入れたそれが、緋雪本来の爆発力によって、凄まじい螺旋力へと変換された。
足元の地面が爆発する。
剣と刀、2回目の激突。
だが、今度は剣が力負けしない、速度で相手を遥かに上回った結果である。
「!?」
予想外の結果に、音丸の顔に一瞬焦りが浮かんだ。
「ちっ!」
その弱気を自ら糊塗すべく、再度スキルを発動させようとする音丸の鳩尾に、鍔迫り合いの体勢から、緋雪の蹴りが飛んだ。
蹴られた勢いはそのままに、吐き気をこらえて慌てて距離を置き、追撃に備える音丸。だが予想に反して、緋雪は『薔薇の罪人』を肩に乗せた姿勢で、「う~~ん」となにやら思案し出した。
「……やっぱり同じだねぇ」
「あン? なにがだ?」
「君の攻撃パターンだよ。兄丸さんと同じだね。基本的にスキルの連発で、通常の攻撃はその中継ぎか、スキルが間に合わない場合に力技で行うかのどちらかだねぇ」
「それがどうした! ちんたら斬ってたらいつまで立っても相手のHPを削れないだろう!」
その言葉に緋雪は首を傾げた。
「それは痛みも何もないゲーム内のことじゃない? 現実の世界では通用しないと思うよ。急所を打たれれば痛みがあり、視界を塞がれれば距離感が狂う。実際、それで兄丸さんも負けてるしね。まあ、相手に合わせてスキルを連発した私が負けたのは自業自得だけど、基礎も応用もできてないそのやり方は、早い段階で破綻すると思うよ」
「馬鹿言うな、そんなのは力のない負け犬のいい訳だ! 絶対的な力の差があれば、そんなものは関係ない」
「そうかい。じゃあ私はいまからスキルを使わないで、君を倒して見せるよ。次で雌雄を決しようじゃないか」
「できるもんならやってみろ、このハッタリ野郎!」
雄叫びと共に縦横に振るわれる音丸の二刀――刀スキル・連続斬りを、緋雪は後退しながら躱し、いなし、弾き飛ばす。
「はン! 逃げるだけが!? この男女!」
牙を剥いて罵声を浴びせる音丸の態度にも、特に動じた様子もなく隙――スキルの終了直後の硬直を狙う緋雪の意図を察して、スキルが終わる直前に足をとめた音丸。
そこへ緋雪の突きが流星となって襲いかかる。
「くそっ――」
最短距離で自分の喉元を狙ってくる緋雪の剣を外すには、一瞬の硬直が致命的な遅延となって響いている。いまからでは躱すのは不可能。
音丸は咄嗟にその刺突を外そうと、剣を打ち払うべく右手の三日月刀の軌道を変えた。
刀スキル奥義・打壊。
自らの武器を相手の武器にぶつけた瞬間、相手の武器を払い除けるか、破壊する技。
その代わり自分の武器にもそれ相応の負担をかける。
だが、緋雪の持つ武器はサーバ内でも知らないものがいない、ほぼ最高級の長剣を奇跡の10回連続強化に成功した神剣ともいうべき『薔薇の罪人』。それに比較して、自分の持つ三日月刀は、同じLv99武器としてもかなり格は落ちる。
結果、澄んだ金属音とともに三日月刀の刀身が砕け散り、無傷の『薔薇の罪人』が残った。だがスキルの効果で、緋雪の手からすっぽ抜けた剣が、クルクルと回転しながら音丸の後方に落ちる。
反射的な行動なのだろう、飛んでいった『薔薇の罪人』の方へ、左手を延ばした緋雪。だが、まだこれで終わりではない。こちらは二刀、つまり左手の三日月刀は健在である。
勝利を確信した音丸は、口角を吊り上げ、緋雪のその白い肌の鎖骨目掛けて、左手を振った。
「……なーんちゃって」
体勢を崩しかけていたかに見えた緋雪は、すぐさま姿勢を正すと、迫り来る白刃目掛けて無手の両手を差し伸べた。
パン!と乾いた拍手のような音がして、音丸の刀身が止められた。
剣聖技『白刃取り』。
かつて兄丸が使い、緋雪が敗れた原因になった技である。
「――て、てめーっ、スキルは使わないって…!?」
音丸の抗議をにっこり笑って返す緋雪。
「うん、ごめんね。あれ、ウ・ソ。――で、こんな小細工もしてみました」
その姿勢のまま、ぐいと刀身を捻る。と、その拍子に音丸の目に、緋雪の左手装備『薔薇なる鋼鉄』の表面に装飾された薔薇の蔦先が開放され、自分の背中の方へと伸びているのが見えた。
はっと背後を振り返った音丸の胴体に、蔦の先に絡み取られた『薔薇の罪人』が飛んできて、躱す間もなく突き刺さった。
「がはあっ!!」
喀血し力の緩んだ音丸の手から、楽々と三日月刀を奪い取る緋雪。
先ほど飛んでいった『薔薇の罪人』の方へ左手を伸ばしたのは、隙を見せて音丸の攻撃パターンを特定するためと、もう一つ、密かに開放した『薔薇なる鋼鉄』の蔦を、絡ませて手元に引き寄せる目的の一石二鳥であったのだ。
「やっぱり、君ら基礎も応用もできてないと思うよ」
苦しむ音丸の首筋に、奪い取った三日月刀を押し当てて、しみじみ感想を述べる緋雪であった。
◆◇◆◇
「……どうやらあっちも勝負は決まったようだねぇ」
遥か彼方で炎上崩壊する移動要塞『百足』の最後から視線を戻し、ボクは再度、苦悶の声をあげる音丸に三日月刀を押し当てた。
まだHPは危険領域どころか注意領域にも突入していないけど、痛みと大量の出血に戦意を喪失しているようだった。
だからゲームと現実の感覚は違うというのに……。
「じゃあ、雌雄も決したわけだし…まあ、いちおういまは私も女なわけなんだから、雌で私の勝ちだねぇ。そんなわけで、約束どおり、君に神滅狼を植え付けた、『あの方』とやらの正体を洗いざらい喋ってもらおうかな」
そんなボクの質問に、恨みがましい視線で答える音丸。
「誰が、手前みたいな……卑怯者に教えるか…」
まあ、予想通りの反応だね。
てか、卑怯者って・・・移動要塞に1,000匹以上のモンスター軍団を用意して、なおかつこちらの増援が来ないよう、デュエルスペースとやらの特殊空間に閉じ込め、さらにティム不可能のボスモンスターまで繰り出してきた相手には言われたくないなぁ。
まあ、そう言っても無駄だろうね。この手の輩は、自分の意に沿わないことは、全部相手のせいなんだろうからねぇ。
「まあ、話したくないというなら、話したくなるよう、こちらとしてはがんばるだけだよ」
言いつつ、素早く『薔薇の罪人』を抜き取って、代わりに相手の三日月刀を突き刺す。ついでに軽く刀身を捻る。
うん、これでHPがイエローへ突入かな。
でも、こうしてみると、やっぱいくらHPが増えても所詮は生身の人間。打たれ弱いね。ボクも気をつけないといけないねぇ。
「ぎゃあああああっ!!」
で、痛みでのた打ち回ろうとする、音丸を右足で押さえ込む。
「悪いけど、『薔薇の罪人』は返してもらうよ。お気に入りなんで、君の血で汚したくないからねぇ。代わりに三日月刀は返すよ。それと後は――」
ボクは素早く収納スペースから予備の剣を5本ばかり引き出した。
空中に現れた剣が、剣先を下にして、ボクの周りに突き立つ。
「生憎と拷問とか心得がないんでね。取りあえず、喋るまで全身滅多刺しにして、リアル黒○でもやることにするよ。――ああ、死んでも生き返らせて続きをするので、ご心配なく」
「なっ――」
痛みも忘れて目を剥く音丸に、有無を言わせず1本目の剣を突き立てる。
「ぐあああああああああああっ!!」
「さすがに神滅狼と従魔合身してるだけのことはあるねぇ。HPが、まだレッドにすら落ちないんだから」
感心しながら2本目を手に取る。
「……ところで、このデュエルスペースっていつになったら開放されるの? やっぱり相手を殺さないとダメなのかな?」
「や、やめろ! 負けだ、僕の負けだ。なんでも話す!」
刹那、音丸の『Give up』の声を合図に、デュエルスペースが開放され、独特の閉塞感がなくなった。
「――なーるほど、こういう仕組みなわけね」
要するに、どちらかが負けを宣告すれば終了する仕組みってことだね。
だったら、とっとと『わたしまけましたわ』とでも言って空間を解いて、天涯を呼んでボコらせれば良かった。
いまさらだけどそう思いつつ、ボクは音丸に2本目の剣を向けた。
「んで、黒幕の正体って?」
「そ、それは…」
キョドりつつも、音丸が何かを口にしかけた、その瞬間――
『姫、お気をつけて!』
空穂の警告の声に、はっと飛び退いたのと同時に、飛来したスローイン・ダガーが音丸の喉に突き刺さった。
だけどその程度、神滅狼と従魔合身中の音丸にとっては、ダメージ的にはまだ数%くらいで、問題になるレベルとは言えない。目に見える変化としては、わずかにHPが減って、危険領域に突入したかな、といったところだったんだけど……。
刹那、いままでとは比較にならない様子で、胸を掻き毟り声にならない断末魔のような叫びを放つ音丸。
『いけませぬ。神滅狼が暴走しておるようです。離れてくだされ、姫』
空穂がそう言った瞬間、絶叫と共に音丸の胸から飛び出した神滅狼が炎に包まれ、音丸ともども一瞬にして燃え尽きてしまった。
あまりの高温ですり鉢状に解けて固まった大地に呆然としていると、聞き慣れない第三者の、苦々しい声が背中から聞こえてきた。
「だめですね。HPがレッドになると暴走するようでは、まだまだ改良の余地がありますなぁ」
慌てて振り返りながら、手にした予備の剣を捨てて、『薔薇の罪人』を構えたボクの視界に、ありえない人物の姿が飛び込んできた。
見た目は人間族の18歳程度の青年だろう。細い目に短い黒髪、膨らんだリュックを背負って、だぶだぶのコートに前掛けを下げた、どこから見ても『商人』というスタイルをしたこの男性、こんな場所に居るには不釣合いな姿だけど、ボクには非常に馴染みのある姿かたちだった。
「……影郎さん?」
確認の問いかけに、少しだけ嬉しそうな顔で頷く影郎さん――かつての仲間であり、いるかいないんだか素で存在感のないその容貌と、極限まで追求したその暗殺術の凄さから『姿なき行商人』とも恐れられ、【滅死彷徨】の二つ名を持つ伝説のスーパー商人その人だった。
「はい、お久しぶりです。お嬢さん。またこうしてお会いできるのは涙が出るほど嬉しいんですけど、いまの自分は他の旦那さんのところで使われる身、愛しいお嬢さんとひと時の逢瀬を楽しむこともできません……」
最後は哀しげに顔を振る影郎さん。
つーか、ギルドでやってた『お嬢様と奉公人の秘められた恋』ごっこの設定、まだひっぱてるのか……。
「他の旦那ってことは、さっきの音丸と同じ雇い主ってこと?」
「もうしわけありませんが、いくらお嬢さんでもそれは教えられません」
ふむ、見かけはこんなでも筋を通すところはきっちり通すのは相変わらずだねぇ。
と、ふと思いついたことを訊いてみた。
「そういえば、クロエ・・・獣人の兎人族のおねーさんが、如意棒を流しの武器商人から買ったって言ってたそうだけど」
「ああ。あのごっつい姐さんですか、確かに自分が売りました」
ふむ、間接的に同類だって認めたようなもんだね。
「――とりあえず、旧交を温めるためにも、いろいろ話を聞きたいんだけど?」
「すんません、すぐ帰るように旦那さんからきつく言われてるもので。本当に、すみませんお嬢さん」
心底申し訳なさそうに謝る影郎さんの姿が、ゆっくりと背後の景色に溶けて行った。
影郎さんの十八番の『完全隠蔽』だ。
「待――」
引き止める間もなく、完全にその姿を消した。
意気揚々と戻ってくる命都たちの姿を眺めながら、もう少しで手に入りそうで、スルリと手の中から抜けていった手がかりの感触に、ボクはため息をついた。
ということで、新キャラ(緋雪の昔の彼?)登場です。
9/12
黒子の設定について、某有名作品とモロかぶりとわかりましたので、職業・風体・名前を変更しました。
12/18 脱字修正いたしました。
×神滅狼が暴走しておうようです→神滅狼が暴走しておるようです