第十六話 忘他利己
最近、影が薄いとか、負け癖がついているとか言われている緋雪ちゃんのターンですw
蛇人族の天幕の奥、集中の邪魔になるから絶対に入るなと厳命されたその一角に、二人の男が向き合っていた。
頭の天辺から足先まで鱗に覆われ、動き易い革鎧を着て、両方の腰に2本の三日月刀を佩いた一方の男は、いま予選会第2試合を終えたばかりの傭兵キリルである。
そして、向かい合っている――というか、両手足に枷を付けられ地面に転がされている――のは、同じ蛇人族の男。…いや、他種族の者には区別はつかないだろうが、蛇人族の者が見れば目を疑っただろう。なぜなら、転がされているのもまた、間違いなくキリルその人であったのだから。
まったく同じ姿をした男が二人、片方は立ち上がって侮蔑の視線を見下ろし、もう片方が地面の上から憎憎しげな視線で見上げるという、本来ならあり得ない構図ではあるが、幸か不幸かこの場には当事者たるこの2名しかいなかった。
「馬鹿だねお前も。最初から僕に協力していれば、そんな目に合わずに獣王になれたってものを」
立ち上がっているキリルの口から、まだ少年のような声が漏れた。
「ふざけるな! 替玉で優勝だと?! 貴様、戦士の誇りを侮辱しているのか!!」
転がされている方から、こちらは30歳前後と思われる外見相応の声が、血を吐くような口調で叩きつけられた。
「はン。理解できないねぇ。自分の手を汚さないで安全な場所から結果だけ手に入れられるんだ。僕ならスキップして喜ぶけどねえ」
「……貴様には戦士の心がわからん。誇りを捨てるくらいなら俺は死を選ぶ」
その慟哭を鼻で笑う少年の声をしたキリル。
「まったくこれだから原始人は。……まあ、死ぬのは勝手だけど、大会が終わるまでは嫌でも付き合ってもらわないと。――おっと、『スタン・ブロウ』」
「ぐっ」
自分の毒牙を自分自身に突きたてようとしたキリルの動きを察知して、一瞬早く繰り出されたスキルが、その意識を刈り取る。
素早く猿轡を噛ませて、舌打ちしたもう一人のキリルの姿が、不意に水にぼやける絵画のように不鮮明になり、瞬きの間にそこにいるのはキリルに比べ頭一つ背が低く、線も細い、水色の髪をした狼人族の少年に変わっていた。
少年の方も自分の変化に気付いてため息をついた。
「効果切れか。一度記憶させても使えるのは24時間以内、変身できるのは30分だけ。『物まねカード』のこの縛りさえなければ、こんな蛇さっさと殺しておいたのに」
ぶつぶつ言いながら、どこからともなく取り出した金属製のカード。その鏡のように磨き上げられた表面に、転がっている本物のキリルの姿を映し込むこと30秒あまり、チーンと完了の音がして、少年は面倒臭そうにそれをまたしまい込んだ。
さて、取りあえず明日の予選決勝までは、誰もここには来ないように言ってはあるけど、万一があるとまずいからな、この馬鹿――本物のキリル――を、その辺の箱にでも閉まっておくか。
そう考えて周囲を見回した少年の視線が、乱雑に積み上げられた荷物の上にちょこんと座っている人形のそれと正面からぶつかり、ぎょっとした顔で慄いた。
等身大の幼女を模したと思しき、2.5頭身ほどのその人形は、真っ直ぐな黒髪を腰まで伸ばし、緋色の瞳に、薔薇をあしらった黒のドレスを着込んだ、どう見ても真紅帝国国主、緋雪をデフォルメしたものであった。
なんでこんなものがここに!?
と、唖然とする少年の前で、あろうことかその人形は人間のようなスムーズな動作で動き出し、腕組みすると、その口から銀の鈴のような声を出した。
「……なるほどねぇ、『物まねカード』という手があったんだね。確かそれって『E・H・O』初期の頃にでた課金ガチャの景品だったかな? その頃は私はプレイしてなかったんで、直接手にする機会がなかったので思い出さなかったよ」
「――お前、緋雪か? なんだいその姿は?」
猛獣の唸りのような問いかけに、ひょいとオーバーに肩をすくめて(等身が小さいのでいちいちジェスチャーを大きくしないと伝わらない。また、なにげにその仕草が可愛らしい)答える緋雪人形。
「うちの技師がお遊びで作った、魔導人形№3『ちびちび緋雪ちゃん』というものらしいね。なかなか便利だよ、こうして諜報にも使えるしね」
ちなみにこの『ちびちび緋雪ちゃん』は一部に熱狂的なファンがいるらしく、製作途中で数体が何者かに盗まれ紛失したとか、それと同時期に天涯や稀人他数人が、自室に客を入れるのを嫌がるようになったとか、いわく有りげな逸品なのであった(この一件が片付き次第、命都及び親衛隊により抜き打ち検査予定あり)。
「くそっ、相変わらずふざけた野郎だな」
憎憎しげに吐き捨てる少年に対して、首を捻るちびちび緋雪ちゃん。
「まあ、もとが野郎なのは確かだけどさ。……ところで、『相変わらず』とか言われて申し訳ないんだけどさ、そもそも、君、だれ? 見たことあるような気もするけど?」
その台詞に、少年の顔が怒りと屈辱で赤くなった。
「僕を忘れただって!? お前なんかより、ずっと早く爵位を受けた、この僕を!!」
「爵位持ちねえ。えーと…うちのギルドの他の4人は除外して、あとは……」
指折り数えだすのだが、どーしても思い出せないという雰囲気で、少年の顔を見てコテンと首を横にした。
「――せめて所属ギルドだけでも教えてもらえないかな?」
「ふざけるな!! さんざん兄貴と一緒に顔を合わせていたろう! 馬鹿にしてるのか、お前!?」
怒りの咆哮と共に、一瞬の抜き打ち――刀スキル『居合い』――で、ちびちび緋雪ちゃんをバラバラにする少年。
それでもまだ怒りが収まらない、という風に転がってきた胴体を蹴飛ばすと、その拍子に人形のポケットから地図がこぼれ落ちた。
訝しげに拾い上げてみると、この予選会場から少し離れた場所に『×』印が描かれていた。
「ここで待ってるってことか。ふざけやがって……」
◆◇◆◇
待つほどなく、その場所――以前、レヴァンと闘った人気のない荒野――に、キリルに化けていたプレーヤーの少年は現れた。
「ここに居たのか、ネカマ野郎!」
「ネカマねぇ。…私は『E・H・O』でも、普通に性別は名乗ってたし、別段姫プレイをしたこともないけど?」
そのくせ、なんでか男女問わず『緋雪ちゃん』とか『姫様』とか呼ばれたんだよねぇ。オフ会でさえそうだったし。解せぬ。
「男の癖に女キャラ使ってるのは、全員ネカマに決まってるだろう!」
うわーっ、暴論だねぇ。ボクの知る限りほとんどの男性が女性キャラのアカウント持ってたし、女性の男キャラ使用率もかなり高かったけど、それ言ったらネトゲやってるほぼ全員が、ネカマ・ネナベってことになるよ。
「……まあ、なんでもいいけどさ」馬鹿と議論をするだけ無駄なので、ボクはとっとと本題に入ることにした。「君の目的と背後関係について教えてもらえるかな? えーと……兄丸さんのところの名前は思い出せない、金魚のフンさん」
いや、これ挑発とかではなくて、素でいまだに名前が出てこないんだよねぇ。『兄貴』って言葉でなんとなく、兄丸さんのところのギルドのサブマスターだったのは思い出したんだけど、いつも兄丸さんの後に付いていた印象しかなくて、まともに会話した覚えがないんだよね、これが。
「音丸だ! お情けで爵位を貰ったお前と違って、僕は兄貴同様に実力で爵位を貰ったんだ。つまり、お前とは格が違うんだよ、格が!」
その叫びとともに、少年の大きく振りかぶられた右手の三日月刀が、真下の地面に向け、振り落とされた。
刀スキル『ライトニング・ソード』――深々と地面に突き刺さった刀身から、乾いた雷鳴が轟き、そこから青白い紫電が、四方八方にほとばしった。
ボクの方へ来た電撃は、躱すほどのこともなく、一瞬で影の中から現れた刻耀が大盾でガードしてくれる。それと同時に、あちこちの岩陰とかに潜んでいた、熾天使の命都とその直属で、ボクの親衛隊隊員である権天使4名が翼をはためかせ、ボクの背後に降り立った。
そして、上空からゆっくりと、身体の各所から触手を生やし、中心部に巨大な単眼を持った光り輝く多面結晶体――十三魔将軍の筆頭、ヨグ=ソトースの斑鳩が、そしてそこに掴まっていたのだろう。
「お待たせしやした、姫!」巨大なオークキングの凱陣が。
「おおおっ、姫様! また同じ戦場にたてるとは!!」ボクの最初の従魔にして魔剣犬の壱岐が。
「これぞまことに誉れにございます、姫」二番目の従魔、緑葉人の双樹が。
呼んだ覚えはないんだけど、なぜか彼らまで意気揚々と数十メートルの距離を飛び降りてきた。
「はん、従魔をゾロゾロ連れて、やっぱりネカマ野郎は一人じゃ怖くて戦えないってところか」
「それは君のことだろう? いまの電撃で思い出したよ。雷系の魔剣を使う双剣士【不破雷童】。兄丸さんのレべリングのお陰で、TOPランカーに入れた『金魚のフン』を公式に認められた二つ名じゃなかったかい?」
「ふざけるな、ネカマ野郎! 僕の爵位は実力だ!!」
激高する音丸――名前を聞いても、そうだっけ?という印象しかないけど――の様子に、ボクは妙な引っ掛かりを覚えて内心首を捻った。
怒るってのは、内心認める部分があるからこそ、そこを指摘されて、その気持ちを否定するために行う行為だと思うんだけど、普通ここまで感情を剥き出しにするかなぁ?
いや、それが行われた直後ならまだわかるよ。
だけどボクより先に爵位を受けたっていうなら、このくらいの悪口雑言は日常茶飯事だったと思うんだけど、怒りってそんな持続するもんだろうか?
違うっていうなら確かに否定はするよ。さっき『ネカマ』って言われた自分みたいに。けど時間の経過と共に怒りの感情ってのは、普通は磨耗していくと思うんだけどねぇ。
なーんか違和感があるんだよね。あの兄丸さんみたいに。
まるで、『こう言われたら、こう返すのが当然だ』って形で演技してるみたいに感じられて。
「――まあ、詳しくは捕まえた後で尋問することにするよ。おとなしくしていれば痛い目には合わないけど、無駄な抵抗をするかい?」
刻耀が一歩前に出て、命都以下、親衛隊がボクの周囲を守る形で配置に付いた。後方にいる凱陣たちも、いつでも相手に飛びかかれる姿勢をとっている。
いずれも実力はボス級のモンスターに取り囲まれたプレーヤーが一人。
普通に考えれば絶望的な状況に、音丸が下を向いて、そのまま肩を震わせ…………爆笑をした。
「おめでたいな。こんなんで僕を罠に嵌めたつもりかい。さっきなんで僕が『ライトニング・ソード』を打ったのか、全然気が付いていないんだから!」
その刹那、地面が地震のように揺れた。
「これは、地面の下……?」
「姫、北東方面です。お気をつけください」
斑鳩の警告の声と同時に、彼方の砂漠地帯が突然爆発したかのように、数百――ことによると数キロメートルの範囲で、火山の爆発のように砂煙を吹き上げ、そこから巨大な何かが這い出してきた。
「あれは……兄丸さんのギルド・ホーム・移動要塞『百足』?」
小型――と言っても1つの区画が100メートルを超える――ブロックで構成されたそれに各々移動用の脚が取り付けられた、全長で数キロメートルあるであろうその特徴的な姿に、さすがに唖然とする。
あれもあそこまで馬鹿でかくなかったと思うんだけど、実体化するとあそこまで非常識な大きさになるんだねぇ。
「その通り! いまはボクの管理下だけどね。そして――」
収納スペースから取り出したのだろう、音丸の手には紫色の結晶があった。
「これで決まりだ! ――デュエルスペース・オープン!」
そのキーワードとともに手にした結晶が砕け散り、同時に周囲の空気が変わった気がした。
「――これは?」
「はははははっ、対人戦をしたことがない腰抜けのお前は知らないだろう。これでこの周辺は別空間になった! プレーヤーのうちどちらかの勝敗がつくまでは誰にも解く事はできない。つまり、お前には増援は来ないってことだ! だけど僕には」
パチンと指を弾いて合図をすると、移動要塞『百足』の側面が開いて、そこからゾロゾロと従魔があふれ出てきた。ボス級もけっこういるね。
「1,000匹近い従魔がいる。どうする? 抵抗しないなら殺さないくらいで我慢してやるぞ」
さっきのボクの台詞を真似してるんだろう、嘲笑混じりの言葉。
「……ふーん、どうでもいいけど、君のところの従魔って名前がついてないみたいだねぇ」
「あ…?」なにを馬鹿なこと言ってるんだという顔をする音丸。「あたりまえだろう、名前をつけて能力が上がるわけでもないのに」
完全に従魔を道具としか見ていない発言に、ボクと他の仲間たちが顔を合わせて、やれやれという顔で両掌の上にあげ、ヒョイと一斉に肩をすくめる。
これでお互いに意思疎通が図れた。
「じゃあ取りあえず、あの僕ちゃんは私が相手をするということで」
「それでは、私たちはあの下郎どもを征伐して参ります」
命都が頭を下げ、他の従魔たちを連れて、百足の方へと向かっていく。
移動要塞1基+モンスター1,000匹対9名。普通に考えればあり得ない戦力差だけど、全然彼らには気負いはなかった。というか、戦を前に足取りが弾んでいた。
「……なに考えてるんだ、お前のところの従魔は、馬鹿なのか?」
「まあ、馬鹿には違いないけどね」
苦笑しつつ、ボクも愛剣『薔薇の罪人』を始め、本気装備を呼び出す。
「最近は結構気に入ってるんだよ、あの馬鹿な連中が――」
そう言ってボクは『薔薇の罪人』の剣先を、音丸に向けた。
「さて、始めようか」
ちなみに、今回ついてきた命都配下の親衛隊の権天使(1対2翼の天使としては最高位)の4名は全員女の子で、それぞれ『椿』『榎』『楸』『柊』の四姉妹です。
あと、タイトルの『忘他利己』は本来『忘己利他』で、「自分のことを忘れて、他人に尽くす」の意味ですけど反対にしました。誰を指してるかはお察しですね。