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吸血姫は薔薇色の夢をみる  作者: 佐崎 一路
第三章 辺境の獣王
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第十一話 心驕慢心

やっとですが、緋雪VSレヴァンです。

「このあたりでよかろう」

 一際大きな影――濃紺のローブを着た獣王が、周囲を見回してひとつ頷いた。


「問題ないよ。てか、3分以内に片をつければいいんでしょ? 別にここまで来ることなかったのに」

 そう気楽な口調で応じたのは、膝上までの薔薇をあしらったショートラインの黒いドレス――『戦火の薔薇アン・オブ・ガイアスタイン』を着た緋雪であった。


「まあ、面子が面子ですからな。どこに人の目があるかわかりませんので」


 その視線が緋雪と、その後ろにつき従う九尾を持った白面の獣人――人の姿をとった神獣である空穂(うつほ)を捕らえて、珍しく苦笑の形になる。

 もっとも、目立つ目立たないで言えば獣人族の頂点ともいえる獣王自身も、人に見つかれば騒ぎになること請け合いだが。


「あのぉ、神獣様……」

 獅子族の巫女であるアスミナが、珍しくも殊勝な態度でおずおずと空穂へ呼びかけた。


「なんじゃな、獅子の巫女よ?」


「この大会が終わったら、ぜひ、わたしの部族のところへお立ち寄り願えないでしょうか。部族をあげて御奉りいたしますので」


「――ふむ。獲れたての馳走と美味い神酒があれば、妾は問題ないのじゃが・・・」


 閉じた扇子を口元にあて、面白そうな目でアスミナを見て――ちなみに彼女のことは結構気に入っていて「小気味良い女子でありますなぁ」と目を細め話していた――続ける空穂。


「妾は姫様の臣下、姫様の許可なく勝手はできぬのぉ」


 ――ストン、とアスミナの視線が、自動で緋雪の美貌へと(身長差の関係で)落ちる。

「3分もてばね。もたなかったり無様な真似をすれば、正直知ったこっちゃないねぇ」


 緋雪の返答に、血相を変えたアスミナが、隣でいまだ事態に付いていけず、呆然としている義兄(レヴァン)の胸元を掴んでガクガク揺さぶる。


「ちょっとっ。レヴァン義兄(にい)様、わかってるの!? いまって一族存亡の危機どころか、獣人族としての存在意義までかかってるのよっ!! ヒユキ様に見捨てられたら一族はお終い。神獣様に見捨てられたら子々孫々に渡るまで背徳者のレッテルが張られるのが!! 本当にわかってる!?」


「わかってるよ。勝てばいいんだろう、勝てば」

 その手を強引に振り放して、面倒臭そうに答えるレヴァン。


 あ、この義兄(ボケ)わかってない。この期に及んで勝てる気でいやがる!?――そう瞬時に理解したアスミナは、絶望感からその場にふらふらと崩れ落ちた。


 少し離れて一連のやり取りを見ていた緋雪が、どことなく不愉快そうな口調で獣王へと話しかけた。

「しかし、なんだねぇ。何も考えない阿呆(ジョーイ)とか、足元を見ない馬鹿(アシル王子)とか、あれはあれで愛すべき美点もあったけど、ここまで徹底して相手を見ない愚者は初めてだねぇ。――これって環境が作った後天的な性格なのかな?」


「・・・いや、誠にもってお恥ずかしい」

 苦虫を噛み潰したような顔で軽く頭を下げる獣王。


「少し痛い目にあわせる程度のつもりだったけど、これは徹底的に壊さないと駄目っぽいね。――そういえば、一応同じ師についた同門ってことになるんだけど、兄弟子をケチョンケチョンにしても問題ないわけ?」


「私闘というわけではなく、師匠の前でお互いの力量を見せ合う。手加減するなど逆に儂の面目を潰すようなものですな」


「――えっ、ヒユキ様も大伯父様の弟子、兄と兄妹弟子に当たるんですか!?」

 その会話が耳に入ったのか、素っ頓狂な声をあげ立ち上がるアスミナ。


 レヴァンもそれで多少は警戒する目つきになった。


「まあ最近教わり始めたばかりだから、弟弟子とか名乗るのはおこがましいけどね」

 軽く肩をすくめる緋雪。


「そうなんですか。――あと、弟弟子じゃなくて妹弟子ですよ」


 アスミナの指摘に軽く目を泳がせる緋雪。

「……ああ、そうだね。妹弟子、だね」


「そういうことだ。お互いに遠慮はいらんぞ」


 獣王の重々しい声に、「わかりました」と同意して拳を握って構えを取ったレヴァンだが、やはりどこか相手を舐めている――妹弟子だとはいえ始めたばかりの所詮、女子供だという――雰囲気が如実に伝わってきた。


「それじゃあ、私も」

 同じく無手のまま――こちらは拳を作らずに開手の――構えを取る緋雪。


「『薔薇の罪人(ジル・ド・レエ)』は使われないのですか、姫?」

 訝しげに首を傾げる空穂。


「まあ今日はご挨拶ということで。――じゃあ行っくよ~っ」


「来い!」


 刹那、緋雪の超脚力が大地をえぐり、5mの距離をほとんど0秒でゼロにした。

 同時にその右手が翻り、唖然とするレヴァンの頬を、離れて見ていたアスミナの目にも残像すら残さない速度で、瞬時に8往復した。


 一瞬遅れて「ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴーん!!!」という、景気の良いビンタの音がして、

「はっ」

 次の瞬間、裂帛の気合と共に、緋雪は右の下段蹴りを、棒立ちになっているレヴァンの右足――膝裏の靭帯のあたりへ、斜め上から叩き込んだ。


 ガクッと体勢が崩れたレヴァンの顔の側面に向け、スカートを翻してその右足が軽々と跳ね上がり、

「しゅっ」

 上段回し蹴りへと変化させて、そのまま振り抜いた。


 ガン!と重い音とともにレヴァンの顔が弾かれたように明後日の方を向き、あまりの勢いに足が地面から離れる。


「はああっ!」

 緋雪はさらにそのまま右足を畳んだ姿勢で、左足を軸にコマのように回転をつけ、勢いを殺すことなく、空中のレヴァンの腹部に向け、遠心力を加算した回し蹴りを瞬時に叩き込んだ。


 ドンっ!!


 太鼓でも叩いたかのような、重く痺れるような打撃音が響き、レヴァンの体が爆発に巻き込まれたかのように、ほとんど地面と水平に10m以上も吹き飛び、ようやく地面に接触したものの、勢いを殺しきれずに数メートル地面に溝を掘り、最後にボロ雑巾のようにコロコロと転がって止まった。



「・・・決まり、ですのぉ」

 退屈そうに、扇で隠した口元で欠伸をしながら空穂が呟いた。


「3分どころか、10秒ももたなかったか」

 獣王も淡々と事実を告げる口調で同意した。


「まあ、こんなもんかなぁ――?」

 イマイチ消化不良という顔で嘆息する緋雪。


 やれやれ、つまらん結果だったなぁ、と3人の顔に大文字で書かれていた。


 と――。

『ガラッ』と、もうもうと立ち込める土煙の向こうで、何かが動く気配がした。


 見れば、完全に意識を失ったかに思えたレヴァンが、どうにか立ち上がろうとしているところであった。


 意外な闘志と打たれ強さ――ではなく、3人の視線はそこから大きく横に流れた。


 視線の先――義兄(あに)に向かって両手を広げたアスミナの、その掌の先から淡い光の靄が流れ、レヴァンへと流れ込んでいる。


「・・・あはは、実は試合前にはいつもわたしが強化の術をかけるのですが、今回はうっかり忘れてまして、途中からになっちゃったんですけど。……まずかった、でしょうか?」

 アスミナが困った顔で言い訳をする。


 誰が見ても、いま使っているのは強化ではなく治癒の魔法だとわかるものだが、空穂は興味なさげに無言を通し、獣王は軽く肩をすくめ、そして緋雪は――


「そっか、まあ過失じゃしかたないねぇ。いいよ、取りあえず1回はね」


 2回目はないよ、と暗にほのめかした言い方に、アスミナは固い顔で頷いた。


「……ちィ。油断した……!」

 アスミナの治癒魔法のお陰でダメージが回復したらしいレヴァンが、口元の血を拭いながら立ち上がった。


「油断とか、まだそんなこと言ってるのレヴァン義兄(にい)様!」


 アスミナの叱責にも耳を貸す様子がないレヴァンの態度に、半眼になった緋雪が、ちょいちょいと自分の方を指差した。


「どうも裏表、満遍なく叩きのめさないと無駄みたいだねぇ。さっきは私から攻撃したんだし、今度はそっちからどうぞ」


「調子に乗るなっ――!」

 震脚(しんきゃく)とか踏鳴(ふみなり)とも呼ばれる、足で地面を強く踏み付ける動作から、地面を滑るような独特の歩法でレヴァンは緋雪の懐へと入った。


 ――ふざけるなっ! オレは5歳の時から10年以上修行してるんだ。昨日今日始めた素人に負けるはずがない!


 心の中で叫びながら、獣王直伝の剄を使った右正拳突きを、緋雪目掛けて全力で放った。


「無駄の多い動きだねぇ」


 その打突を軽く評しながら、体に触れるギリギリ一瞬で側面に回り、躱した緋雪の右手がレヴァンの右手首をがっちり掴み、

「な…?!」

 驚愕の声をあげる間もなく、足を払うと同時に右手一本だけで、一本背負いのように地面に叩き付けた。


「がはああああああっ……!?!」


 地面に転がってのた打ち回るレヴァンから、緋雪は視線を獣王へと移した。


「この技の欠点だけどさ。インパクトの瞬間に打点を固定するか、ズラすと単純な打撃技になるってことだよね。――まあ、いまのは相手が未熟だったから、並列思考使うまでもなくできたんだけどさ」


「そうだな。若いうちは下手に小さくまとまろうとせず、パワーとスピード任せのほうがよほど有効であり、基礎を磨く上でも必要なのだが。・・・しかし、ここまで腕を鈍らせておるとは」


「まったく、身の程を知らぬ負け犬とは惨めなものよのぉ」


 緋雪ののんびりした声と、獣王の心底呆れたという響きの受け答え、空穂の嘲笑を受けて、

「貴様・・・っ!」

 憤怒の表情で無理やり立ち上がった、レヴァンの行き場のない感情、その全てが緋雪へと向けられた。


「許せんっ!!」

 一声叫んで緋雪へと踊りかかる。

 その姿はお世辞にも洗練された動きとは言えず、自信と誇りを粉々に砕かれ、感情のままに襲いかかる手負いの獣だった。


 それでも半ば反射的に放たれた中段突きを、反時計回りに回転して躱した緋雪の左肘――充分に回転力をつけたそれが、レヴァンの鳩尾目掛け放たれた。


「よっ――と」


「ぐはっ……」


 数メートル吹き飛ばされるのと併せて、レヴァンの肺の中の空気は全て体外に排出され、急速に意識が薄い闇色のベールに包まれようとしていた。

  ・

  ・

  ・

「さま」

  ・

義兄(にい)様!」

  ・

「しっかりして、レヴァン義兄(にい)様!」


 完全な闇に落ちる寸前、レヴァンは聞き慣れた義妹(いもうと)の声と、頬を濡らす熱い滴りを感じ、かすむ目を開いた。


 どうやら自分は大の字になって倒れているらしい。その自分に覆いかぶさるようにしてアスミナが泣きながら呼びかけている。


 わずか数秒にも満たない意識の消失であったが、それが怒りの感情をリセットして、白紙の状態で立ち上げる結果となったらしい。


 ――泣いている。オレのために……。オレが泣かせたんだ。


 心の底から自分を案じてくれる義妹(アスミナ)。その姿に気が付いた時、レヴァンは胸が掻き毟られる気がした。


 そして、それと同時に、レヴァンは、師匠である獣王の自分を叱責し、同時にいまでも見捨てずにいてくれる厳しい視線。また、自分を打ち倒した緋雪の瞳の中にある気遣いと心配の感情に気が付いて、身の置き所のない羞恥心に身悶えしそうになった。


 ――オレは、なにをやってたんだろう……。


『獣王の後継者』などと呼ばれ天狗になり、自分は強い、その気になれば何でも出来る、そんな驕りから、いつしか周りのことを考えず自分勝手に生きてきた。

 その結果、周りどころか自分自身すら省みなくなっていた。


 そして、自分は強い、負けないという自信を、自分より遥かに小さな女の子に突き崩された瞬間、その慢心は自分自身の未熟を見据えるのではなく、相手に対する恨みとなった。

 なんと無様なことか。


 他人を恨んでも自分自身は一歩も前進しない。それどころか待つのは自滅だけだろう。

 それに気が付いた瞬間、レヴァンの全身に火が点いた。


 ――このまま終わるわけにはいかん!


 かっと(まなじり)を開いたレヴァン。その瞳にはいまは一片の曇りもなかった。


「だいじょうぶだ、アスミナ。心配するな」

 そう微笑んで、子供の頃のように義妹(アスミナ)の頭をポンポンと優しく撫でる。


「……レヴァン義兄(にい)様?」


 そのまま全身の痛みと吐き気に耐えつつ、脂汗を流しならどうにか起き上がったレヴァンは、緋雪に向かって頭を下げた。


「陛下、いま一手、勝負をお願いしてもよろしいでしょうか?」


「はい。よろこんで」


 嬉しそうに微笑んだ緋雪に向かい、再度礼をして構えをとる。


「ン・ゲルブ族次期頭首レヴァン、参ります」


真紅帝国インペリアル・クリムゾン国主、緋雪。受けて立ちます」


 互いの挨拶が終わると同時に、レヴァンが踏み込んだ。正直なところ到底戦える状態ではなかったが、それでも残った気力を振り絞り、緋雪に向かって直突きを放つ。

 いままでと違い、スピードこそ格段に落ちているが、だが、そこには無駄な動きがない基本に忠実な技だった。


 微笑んで緋雪も同じ突きで応酬する。


 互いの技が交差した瞬間、レヴァンと緋雪の間に、パンッと乾いた音がした。


 そして……息を詰めて見守るアスミナの目前で、ゆっくりとレヴァンの体が崩れ落ちた。

 精神と体が限界を越えたのだろう、だがその顔は深い満足感に彩られていた。


 慌てて駆け寄ってきたアスミナに後を任せ、緋雪は最後のレヴァンの突きを受け止めた左手に残る痺れに苦笑した。


「さて、トータルではどうにか3分はもったかな?」


「ずいぶんと下駄を履かせてだが、ぎりぎり及第点というところですな」

 緋雪の問いかけに、厳つい顔を崩さず無表情に答える獣王。


「――ふん。まあ多少は気概があったというところでしょうな」

 空穂も多少は見直した、という目でちらりとレヴァンを見た。


「取りあえず予選前に棄権にならずに済んで良かったってところだねぇ」

 やれやれと緋雪が首を振った。

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