第七話 若獅子王
なかなか展開が進みません(≡ε≡;A)…
近くの山、とは言うもののそれは獣人族の脚力があってのことで、普通の人間の足では2~3時間かかっただろう。
夜の闇の中、そこを1時間もかからずに走り抜けたアスミナは、山の麓のところで一度立ち止まり振り返ってボクを見た。
「すごいですね、陛下。この距離を休みなしで走って息一つ乱さないなんて」
「まあこの程度ならどうということはないけど。……この臭いには閉口するねぇ。ああ、あと私のことは『緋雪』で構わないよ」
おそらくは火山ガスと硫黄の臭いなのだろう、夜間で特に空気がクリアなせいで鼻が曲がりそうな周囲の臭いに、ボクは取り出したハンカチで鼻と口を覆いながら答えた。
「じゃあヒユキ様って呼びますね。わたしのことも気軽にアスミナって呼んでください。なんならアスミンでも、アスポンでもいです!」
……どーにもハイテンションな巫女さんだねぇ。基本ダウナー系なボクとしては一緒に居て気疲れするなぁ、このタイプは。
「あ、ここから登りになります。砂利道で危ないので歩いて行きますけど、すぐに着きますから大丈夫ですよ」
指差す方向には禿山しかないんだけど、本当に人が住んでるのかなぁ、相当変わり者なのかも知れないね、その『獣王の後継者』は。
「あと臭いの方は、これは慣れてもらうしかないですね。――あ、でもここで湧き出すお湯を浴びると肌がツルツルになるので重宝してるんですよ」
苦笑しながら、そう取り成すように付け加えるアスミナ。
ふむ、天然の火山性温泉が湧出してるってことか。
と、そう言った後で、アスミナがボクの顔――というか、露出している胸の辺りまで、下心満載の視線で、じっと見ているのに気が付いた。
「――な、なにかな……?」
なんとなく両手で胸の辺りを隠して、2~3歩下がる。
誰も居ない夜の月明かりの下、肉食獣系少女と二人きり、熱い視線と舌なめずりする口元……あれ、なにげにピンチ?
「いや~っ、ヒユキ様ってお肌が綺麗ですね。なにか秘訣でもあるんですか?」
ああ、そっちの下心ね・・・。
「いや、秘訣と言うか。基本的にあまり太陽の下を出歩かないようにしてるくらいかな」
耐性があるとはいえ、やっぱり太陽の下は本調子には及ばないし、けっこう肌荒れもするんだよね、これが(なので普段から日傘を使っている)。
「う~~ん、それは難しいですね。うちの部族の場合は、日中どうしても外で働かないといけませんから。他になにかありますか?」
「・・・あとは植物性の精油をつけるとか。――私の場合はローズだけど」
「ほうほう、それならなんとかなりそうですね。精油ならなんでもいいですか?」
目を輝かせて食いついてくるアスミナ。
あれ? なんかガールズトークになってないかい、これ?
なにしにここに来たんだっけ?
「基本的にはなんでもいいけど、匂いに好みがあるからねぇ。あと、柑橘系のものはつけてすぐ陽に当たると刺激が強いとも言われてるけど。……あの、そろそろ出発しない?」
「――ああ、そうですね。行きましょう!」
ふんふん興味深げに聞いていたアスミナもようやく我に返ったようで、ボクの前に立って山道を登り始めた。
後について歩きながら、ほっとため息をついたところで、再び朗らかな声が掛かってきた。
「――で、精油の他になにかありますか?」
ま、まだ続くんかい、この話題!?
なんでこんな話しながら山登りするんだろう、と疑問符いっぱい浮かべながら、ボクらは延々手作りの基礎化粧品の作り方とか、蜂蜜パックでの後始末の仕方とかお喋りしながら、この霊山とかいう禿山をてくてく登っていったのだった・・・。
あと、なんでボクにそんな知識があったかについては、半年以上女やると舞台裏でいろいろ苦労したというか、なんというか……まあ察してもらうしかないね。
◆◇◆◇
さて、登り始めて40分あまり。
「それにしても、その次期族長の――」
「レヴァン義兄様です、集落の者は『若長』と呼んでおります。ヒユキ様」
「そのレヴァン若長はなんだってこんな辺鄙な山奥に一人で住んでるの?」
ボクの質問にアスミナも、難しい顔つきで首を捻った。
「さあ……。1年ほど前に義妹であるわたしにも何も言わず、突然集落を出てここに篭りきりで、理由を聞いても頑として答えてくれないもので、わたしにもわかりません。集落の者は霊山で修行を行ってると思っているようですが、あの義兄がそんな殊勝なタマのはずないと思います」
……なにげに辛辣だね。
「そーなんだ。でも意外だね、アスミナはずいぶんとレヴァン若長のことを好きみたいだから、もっと高評価なのかと思ってたんだけど」
そう言うと、アスミナは恋する少女特有のうっとりとした目で、その場に妄想上の義兄が居るような感じで話し出した。
「勿論、義兄のことは好きです、愛してます。一緒に暮らしていた時には、ご飯をあーんしましたし、朝起こしに行く時は布団の中にもぐり込みましたし、義兄の洗濯物はクンクン堪能してから洗いました」
ああ、レヴァン君、耐えられなくなって出て行ったんだね……。
だが、そこでアスミナは冷静な顔に戻って続けた。
「ですが、個人の嗜好と客観的に見た義兄の性格は別です。あれは基本的に戦う以外に何も出来ない駄目人間ですから。――まあ個人的にはその駄目さも含めて可愛いところなので、夜討ち朝駆けでストレスでハゲができるまで可愛がっていたのですが」
再びへにゃとだらしない顔になるアスミナ。
――レヴァン君頑張れ、超頑張れ!
ボクはまだ見ぬ獣王の後継者に密かに声援を送った。
あと、この子は本当に義兄のことが好きなんだろうか?!
と、そこで我に返ったのか、アスミナは急にしょんぼりした。
「……最近はわたしがこうして会いに行っても、迷惑そうな顔をされる始末で――ひょっとして嫌われているんでしょうか?」
う~~む、判断に迷うところだね。でもまあ、女の子が落ち込んでたら、まずは慰めないとね。
「そんなこともないと思うよ。本当に嫌いなら、毎日届けてもらうお弁当も食べないと思うし、とっくにどこかに雲隠れしてると思うからね。それが1年も同じところに居るってことは、口では何と言ってもアスミナの来訪を待ってる証拠じゃないかな? まあ、素直になれないオトコゴコロと言う奴だよ」
「なるほど、言われてみれば確かにそうですね」
ほっと安堵した顔で、アスミナは頷いた。無茶苦茶打たれ強いなこの子。
「それにしても、ヒユキ様はずいぶんと男性心理にお詳しいようですね。やはりご自分の経験から・・・?」
「まーね、男性心理は有無を言わさず長年味わったからねぇ」
実感を込めてしみじみ頷くと、アスミナがきゃーきゃーひゅーひゅーと、嬌声を上げ口笛を鳴らして囃し立てた。
……いちいち俗っぽい巫女だねホント。
と、そんなきゃぴきゃぴした雰囲気から一転して、不意に立ち止まったアスミナは片手でボクを制して、もう片方の手の人差し指を自分の口元に当てた。
「――しっ! ここから先は義兄の領域です。お静かにお願いします」
いや、騒いでたのはアンタ一人だけなんだけど。あと領域ってなに?
質問するよりも先に、アスミナは手近な石を拾って、砂利道の先――少し離れた場所に転がっていたY字型の小枝に向かって放り投げた。
ガシャン!! 盛大な音を立ててトラバサミの罠が口を閉じた。
「・・・やはり罠がありましたか。ここから先は慎重に進まないと危険です」
・・・・・・。
「……なっ…なっ…な……?」
なにが起きたの?とか、なんで罠があるの?とか、なんで知ってたの?とか、いろいろ聞きたいけど咄嗟に声が出ず、トラバサミを指差した姿勢で硬直するボク。
とは言え、なにを言いたいのか、だいたいわかったのだろう。
一つ頷いたアスミナは説明を添えてくれた。
「義兄の用意した罠です。ここから先は義妹が近づけないよう、無数の罠が仕掛けられているので、決して余計なモノに触ったり、わたしが歩いた場所以外は歩かないようにしてください」
「え?! なにそれ……?」
「さっきのヒユキ様がおっしゃられた、素直になれないオトコゴコロと言う奴です」
と言いつつ、復活したらしい霊獣を懐から出して、その後を付いて歩くアスミナ。
その後姿を見ながらボクは心の中で断固として思った。
――違う! 断じて違う! これは素直な拒絶の気持ちのあらわれだ!!
◆◇◆◇
その後も、落とし穴とか、痩せた潅木の間から飛び出してくる丸太とか、落ちてくる岩とか、飛び出す竹槍とか……数々の罠をくぐり抜けて、ボクらはようやくレヴァン若長が一人暮らすという、小型の天幕の傍までやって来た。
なんでこんな苦労してるんだろうと、苦労の元凶――アスミナ――の後をついて歩きながら、心の底から後悔してたんだけど、ようやくゴールが見えたところでほっとした。
が、アスミナはなぜか直接天幕へ向かわずに、ここで脇道へ逸れた。
「・・・? 天幕へ向かわないの?」
「この時間、義兄は天幕に居ません」
なぜか微妙に鼻息荒く答えるアスミナ。
「なぜなら、いまは入浴時間。この下の温泉で入浴しているはずです。ちょうど絶好のポイントがあるので、十分堪能してから天幕に向かうことにしましょう!」
「……。いや、別に男の裸とか興味ないので、天幕で待ってるってわけには――」
「興味ない!! 義兄に魅力がないとおっしゃるんですか!?」
声を押し殺したまま怒鳴るという器用な真似をしながら詰め寄るアスミナ。瞳孔が完全に開いていた。
「・・・スミマセン。興味シンシンデス」
「この泥棒猫っ! わたしから義兄を奪うつもり!?」
思いっきり瞳孔が肉食獣と化していた。
わー、めんどくさー、恋する女めんどくさー。
そう思いながら、なんとか宥めつつ、揃って手掘りの温泉から7~8m離れた場所にある、絶好の(覗き)ポイントという、高さ1.5m、縦横3m四方の大岩のところまでやってきた。
……結局、覗かないといけないのか。
「この上からの眺めが絶景です。……ヒユキ様お先にどうぞ」
一瞬考え込んで先方を譲ってくれたアスミナ。
とことんどうでもいいと思いつつ、片手を岩にかけてジャンプしてその上に足を乗せた途端――。
なにか薄い布を踏んだような感触がして、次の瞬間足首のところが輪になったロープで完全に絞められ、同時にびょーんと地面に横倒しになっていた潅木が元に戻る張力を利用して、一瞬で木に逆さ吊りになってしまった。
飛ばされる途中で、「やはり、新しい罠が仕掛けられてたわね」というアスミナの呟きが聞こえた気がしたけど、この時は訳がわからず、目を白黒させながらボクは必死にスカートを押さえるしかなかった。
と、その音で気が付いたのだろう、湯煙の中から褐色の肌にアスミナよりも濃い茶色い髪をした、15~16歳くらいの少年が、腰にタオルを巻いただけの格好で出てきた。
背はそこそこ高いけど、まだ成長途中らしく全体的な線が細い、ただ体はかなり鍛えているらしく贅肉の一片もない細マッチョ体型の彼は、ワイルドな面立ちに似合わない、面倒臭そうな顔でボクのほうを見た。
「また覗きにきたのか。お前いくら乳兄妹だからって言っても、ちっとは恥じらいを――」
その視線がボクと合う。
「……誰だ、お前?」一瞬考えて付け足した。「――痴女?」
ボクはぶるんぶるん思いっきり頭を振った。
明日は夜のみの1回の更新となります。
あと中世レベルの文化だと現代の化粧水(ただの水90~95%+グリセリン5~10%)すら作れないので(ゼロからグリセリンの抽出がクリアできそうにないですね)手作り化粧品については適当にぼかして書きました。