第四話 狂花狂爛
「すげえ……」
兄丸の暴風のような剛の動きに対して、体さばきとフェイントを織り交ぜた柔の動きで対応する獣王。
目まぐるしく位置を変え、手足が交差し、再び距離を取る。
互いに一瞬の停滞もない、氷の上で演舞でも踊っているかのようなその動きに、ジョーイが我知らず感嘆の声をあげた。
と、その声で気が付いたのか、或いは兄丸の放った『寸勁』の状態異常が切れたのか、ジョーイにかばわれる形で意識を失っていた緋雪が、「ん……っ」と小さくうめいて、ゆっくりと瞳を開いた。
「ヒユキ! 気が付いたのか!? 痛いところとか、苦しいところとかないか?」
まだ意識がしっかりしないのか、喜色もあらわに呼びかけるジョーイを、ぼんやりと見つめていた緋雪だが、
「――!?」
はっとした顔で顔色を変え、次の瞬間、何かの発作のように一度だけ大きく背を仰け反らせた後、何かに耐えかねるような様子で体を丸めた。その拍子に長い黒髪が流れ、あらわになった真っ白い背中が小刻みに震える。
「ど、どうしたんだ?! 痛いのか!?」
おろおろと心配そうに呼びかけるジョーイの耳が、緋雪の小さく途切れ途切れで――だが、切迫した焦りと必死さを伴った囁きをとらえた。
「…………に…逃げ……押さえられない……ジョーイ、すぐに…ボクから逃げ…………」
髪に隠れ、下を向いていたためジョーイの目には入らなかったが、緋雪の瞳が爛々と赤みを増し、その口元からは2本の長い牙がぞろりと姿を覗かせていた。
最後の気力を振り絞って、収納スペースから1本のポーションを取り出したところで、緋雪の意識は真紅に染まったのだった。
◆◇◆◇
右手を掴まれた、と思った瞬間天地が逆転して、回転しながら地面に叩きつけられる。目の奥に火花が飛び散り意識が乱れながらも、本能的にはっと飛びのいたのと同時に、自分の頭のあった位置が震脚で踏み抜かれる。
地面をハンマーで殴りつけたかのような衝撃と瓦礫が飛び散り――その中に紛れて投擲された鉄釘のような暗器が、無防備な兄丸の左目に突き刺さった。
「があああああああああああああっ!!!」
左目を押さえて絶叫する兄丸の様子を淡々と見据え、
「――ほう。丈夫なものだな。脳まで貫通するかと思ったが」
獣王はゆっくりと歩みを進めた。
その足元を兄丸の拳士系スキル『気斬』が襲い掛かるも、悠々とかわす。
力任せに暗器を引っこ抜いた兄丸は、閉じた左目からだらだらと血を流し、また残った右目に狂気の相を浮かべ、凄惨な面持ちで獣王を睨み据えた。
「ジジイ!! 殺す殺す殺す! 本当の本気で殺すっ!!」
「本気とやらがあるなら出し惜しみせず、さっさと使えば良いものを」
小馬鹿にするような獣王に応えて、口を開きかけた兄丸の隻眼が丸くなり、ふと――獣王の背中越しに流れた。
一瞬、痛みも怒りも忘れて驚愕の色を浮かべるその目と、背中のほうから聞こえる、「じゅる――!」という粘質な何かを啜る不吉な音に、獣王は警戒しながらそちらに視線をやった。
緋雪が立っていた。
薄汚れボロボロになった姿でうつむき加減に、しかし自分の足でしっかりと立っている。
表情は長い黒髪に隠れて見えない。だがその口元には、蒼白を通り越して紙のように白くなったジョーイの首筋がしっかりと咥えられていた。
生きているのか死んでいるのか、人形のように四肢を投げ出しピクリとも動かないジョーイの様子に、獣王の表情が厳しさを増した。
「くそっ、ジジイに時間をかけすぎた。吸血姫の狂化・・・いや、剣士系スキルの狂乱もか。――ちィ、ステータスが読み切れねえ!」
全身に赤黒い燐光をまとわり付かせた緋雪の姿を目にし、事態を理解した兄丸は忌々しげに吐き捨てた。
HPが1割を切った際に発動する剣士系スキルの狂乱――爆発的にステータスを増加させる代わりに、敵味方の区別が付かなくなり、自身が死亡するか、一定時間経過するまで止まることない狂戦士と化す。
吸血姫の狂化――一定期間血液を摂取しないか、自身の生命に関わる事態に直面した際に発動する種族特性。理性が消え、全能力のリミッターが外れ、自己防衛本能の塊となり、見境なく周囲の者に襲いかかる。
「両方同時に発動した状態なんざ聞いたこともねえが・・・」
そもそも希少種族である吸血鬼(姫)の中でも、剣士系職業を習得している物好きなど、緋雪くらいしかいないだろう。
そして兄丸が記録している限り、緋雪が狂化、狂乱したことはなかったはずだ(そこまでHPを削られたことがないか、紙装甲で即死してるかのどちらかのため)。
「……どっちにしろ、止まらねえか」
その時、獣王が兄丸を無視して緋雪の方へと走り出した。
「よさんか!」
止めに入る獣王へ向かって、口に咥えたジョーイを顎と首の力だけで無造作に放り投げる緋雪。
砲弾のように飛んできた少年の体を、
「――ぐっ!」
体全体で抱き止めた獣王の巨体が衝撃を殺しきれず、地面に溝を掘りつつその場から1mほど後退した。
同時に、ドン!!と地面を揺るがすような踏み込みとともに、緋雪が跳んだ。その部分の土が爆ぜて土柱があがる。
「どこへ行った?!」
きょろきょろと辺りを見回す兄丸。周囲を見回しても緋雪の姿は見えない。どこに――その瞬間、猛烈な殺気を感じて頭上を見上げる。
――いた!
倒壊しかかった民家の壁面に両手両足の指を食い込ませて、蜘蛛のように止まっていた。
兄丸が息を呑んだ瞬間、壁面が爆ぜて再度緋雪の姿が消えた。
違う、気が付いた時には兄丸の頭の真上にいた。ズタズタに裂けたスカートがひるがえる。そこから伸ばされた右足の踵が迫る。
咄嗟に両手を交差させた十字受けで受ける兄丸。信じられない速度だが、それにギリギリとはいえ反応できる兄丸も、さすがは『E・H・O』のTOPランカーだけのことはある。
緋雪は素足、対する自分はLv99の拳士専用装備を+9まで強化した手甲『干将』を装備している。ほぼ絶対に等しいこの盾を貫けるわけがない。受け止めた瞬間に拳士系スキル『発勁』で押し返す!
そう確信した兄丸の思考が次の瞬間猛烈な衝撃とともに途絶え、気が付いた時には前のめりになる姿勢で、顔面から地面に叩きつけられていた。
……な……なにが?!………どういうわけだ……?
口の中にある土と泥、そして折れた牙と歯とを吐き出す。
兄丸は隻眼を巡らせ、投げ出された自分の両手を見る。手甲『干将』には歪み一つない。ならなぜ自分は倒れているんだ?
起き上がろうとしたところで、両手がピクリとも動かないことに気が付いた。そこで初めて自分が倒れた理由に気が付いた。両手の筋肉が残らず破裂して、さらに内側から皮膚を食い破って砕けた骨が覗いている。
確かに手甲『干将』は緋雪の攻撃を受け止めた。だが、受け止めた自分の肉体の方が、その衝撃を受け止められず両腕の骨、筋肉、関節を砕かれたのだ。
つまり単純に力負けしたということだ。
愕然とする兄丸の脳裏に、先ほど獣王を名乗る老人と交わした会話が甦った。
『お主の戦い方は圧倒的な力で相手を押し潰すやり方だ』
『より強い相手と命がけで戦った経験がないため、自分より強者と対峙した時にどう戦えばいいのかわからず、ゆえに戦い方に創意工夫がない』
ああ、その通りだ。自分にはその戦い方しかなかった。いや、正確にはそれしか知らないと言える。そうした生き方を強要された。その結果がこれだ。だが、仕方ない所詮俺は・・・。
兄丸の髪の毛が無造作に掴まれ、風船のように持ち上げられた。
目の前にあるのは爛々と朱色に輝く緋雪の瞳と、真っ白な牙。
喰いにきたつもりが逆に喰われるのか。まったく皮肉が効いている。
まあいいさ、このクソッタレな生が、アイツ以外の手で終わらせられるなら――急速に消えていく意識の底で、兄丸は奇妙な安らぎと充足感を覚えながら残った片目を閉じた。
◆◇◆◇
「ぬう……」
受け止めたジョーイは辛うじて生きてはいたが、失われた血が多すぎる。
ぞっとするほど冷たい体に気功による治療を施しているが、所詮は焼け石に水。根本的な生命力が不足しているのだ。
かといって手持ちの丸薬や薬草程度では役に立たないだろう。なにか方法はないか。
藁にもすがる思いで辺りを見回した獣王の目の端に、先ほどまであの少女が立っていた辺りに転がる一つのガラスに似た瓶が映った。
もしや薬か?
両手でジョーイを抱えたままその場所まで移動し、素早く拾った瓶の蓋を開け臭いを嗅ぐ。
無臭。
瓶にも特になにも書いていない。薄黄色い液体は毒とも薬ともとれるが、錬金術師が作る霊薬に似ている気がする。
「……どちらにせよこのままでは確実に死ぬ。ならば一か八か使うしかないか」
覚悟を決めた獣王は、手にした瓶を一息で呷り、意識のないジョーイに口移しで飲ませた。
結果は――劇的な程効果があり、真っ白だったジョーイの肌にたちまち赤みが差し、体温、脈拍、呼吸とも通常と変わらないレベルに快癒し、死相が浮いていた顔も、ただ午睡をしているだけと言われても問題ない穏やかさになった。
ほっと安堵のため息をついた獣王の耳に、再度「じゅる――!」というおぞましい音が聞こえてきた。
はっと顔を上げてみれば、さきほどまで争そっていた兄丸が完全に打ち倒され、その喉元に牙を立てた緋雪により、いままさに最後の血の一滴まで吸い尽くされたところであった。
ぽい、と飲んだジュースの空き缶を捨てるように、完全に息の根が絶えた兄丸を投げ捨てた緋雪は、微妙に焦点の合っていない瞳で獣王を見た。
――来るか!?
ジョーイをその場に横にして身構えた獣王だが、緋雪の方は先ほどまでの狂騒状態がウソのような凪いだ雰囲気で、その場にじっとしていた――が、次の瞬間操り人形の糸が切れたように、意識を失いくたりとその場に崩れ落ちた。
どうやら戦いは避けられたらしい。そう判断して肩の力を抜いた獣王。
同時に、おっとり刀で駆けつけてきた警備兵たちの気配を感じて、やれやれとため息をついた。
◆◇◆◇
イーオン聖王国聖都ファクシミレ。
中心部『蒼き神の塔』最上階で、報告書を読んでいた青い髪に青銅色の鱗状の肌を持った男は、パリンッと硬い音をたてて壁際に並んでいた水晶球のひとつ――中心部に黒と金の斑が入っていたそれ――が砕けたのを一瞥して、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「死んだか。昔から口だけで役に立たん男だったが」
それから報告書の続きに目を通した。
ということで、今回はついに非常食を使用しました。
緋雪の狂化についてはいただいた感想を元にさせていただきました。ありがとうございます。
あと初めてのキスシーンが老人と少年というものですが、なんでこうなったんでしょうね。
ちなみに使ったのは万能薬(HPとMPを大幅に戻す)で、別に口移ししなくても直接振り掛ければ効果はありました。
もともとは緋雪が自分にかけて狂化を止めようとしたものですけど。