第八話 鎮魂之鐘
――そして王子様と王女様は幸せに暮らしましたとさ。めでたし、めでたし。
◆◇◆◇
王都カルディアには鎮魂の鐘が鳴り響いていた。
人々は、老いも若きも俯いて悲しみに浸り、時たま王宮の方角を向いて、彼らが敬愛したその魂が、安らかに天上へと導かれんことを切に願った。
また、王宮前に設えられた献花台には、国内外から集った多くの弔問客が長蛇の列を作り、各自が持参した花束を供えていた。
涙を流す者、静かに瞑目する者、自らの信ずる神に祈る者、その行いは様々だが、死者を悼むその気持ちは全員が一緒だった。
◆◇◆◇
「お伽噺のラストみたいにはいかなかったみたいだねえ。――まったく。
それにしても、こういう辛気臭いのは苦手だねぇ。だいたいなんなのかなアレは、人が黙って瞑目している隣で『イーオン神よこの穢れなき魂を御御許に…』とかゴチャゴチャ唱えるのは。そんなありがたい神がいるなら、この世に悲劇なんて起こらないはずじゃないかい?」
「さあ? 我々が信奉する唯一の神は姫――緋雪様だけですから」
「……うっ。そーいえば、ある意味、うちもカルト集団と変わらないんだったけ」
献花を終えたらしい、ネックラインに白のクレープを用いた黒のモーニングドレス、そして胸元に一輪の赤薔薇を差した少女と、それよりも年上らしい薄墨色のドレスを着た女性が、連れ立って――というか主従の関係なのだろう、少女が先に立ち、女性が後に侍る形で歩いていた。
どちらもベールハットに隠されて素顔は覗えないが、素肌の白さ、瑞々しさ、その全体から発せられる凛としたたたずまいが、ただ者でない気品と隠された美貌を漂わせていた。
「とはいえなんだね、実際問題こうなると馬鹿王子のいってた改革を差す時計の針もずいぶんと後退しただろうし、こちらもある程度方針を変更しておいたほうがいいかも知れないねぇ」
「滅ぼしますか?」
晩のおかずでも決めるような軽い侍女の口調に、少女は軽く肩をすくめて答えた。
「滅ぼすのは簡単なんだけどね。うちは基本的に君臨すれども統治せずの方針だろう? そうなると後々、この国は周辺国に掠め取られるのが目に見えてるし、トンビに油揚げはちょいと業腹だからね。できれば使えそうな人材に任せたいねぇ」
「あの王子のような人物ですか?」
「ああ、あれは駄目だね。あれならまだコラードギルド長のほうが百倍ましだよ。少なくともギルド長は自分の物差しを持って、常に周囲を推し量っていたけれど、あの王子は自分の物差しと周囲の目盛りが合わないことすら気付いてなかったからねぇ」
だから足元に注意しろっていったのにねぇ、と付け加えた少女の足がふと止まった。
彼女たちの前方、街路樹にひっそりと隠れるようにして、黒髪の青年貴族――カルロ卿が片膝をついて、二人を出迎えていた。
◆◇◆◇
「おや、意外と元気そうじゃないかい」
開口一番そう言われて、アミティア王国三王子アシル・クロード・アミティアは、久方ぶりに口が笑いの形になるのを心地よく思った。
「・・・そう言ってくださるのはヒユキ姫だけですよ。誰も彼も腫れ物にでも触るように慰めの言葉ばかりですからね」
「そりゃそんだけひどい顔――は、まあ元々あまり変わらないけど――やつれて死にそうな顔をしてれば、慰めの言葉のひとつも言いたくなるさ」
「・・・やれやれ、もともとそんなひどい顔でしたか?」
「たいていヘラヘラ笑ってるか、スケベな目で人の体を嘗め回すように見るかのどちらかしか記憶にないからねぇ。――ああ、失礼させてもらうよ」
軽く肩をすくめながら、アシル王子が座っている対面のソファーに腰を下ろす緋雪。
各々の背後には、当然のようにカルロ卿と命都が従っている。
その言葉に苦笑の色をより強くしたアシル王子だが、ふと、緋雪が身にまとっている衣装に気がついて、知らず尋ねていた。
「そのモーニングドレスは・・・?」
通常、モーニングドレスは葬儀で近親者がまとう衣装である。
「ああ、勝手なことをして申し訳ないけど。仮にも私を『お姉さま』と呼んでくれた『妹』の弔問なのでね、はばかりながら着させてもらったよ。迷惑だったかい?」
ゆっくりと万感の想いを込めて、首を振るアシル王子。
「とんでもありません。それを聞いたらアンジェリカがどれほど喜ぶことか」
その名が出たことで初めて緋雪の顔から笑みが消えた。
「このたびは気の毒だったね」
ただそれだけ。弔いの言葉とも言えぬ言葉だが、そこには百万言を連ねても足りない深いいたわりの心が宿っていた。
その背後で、命都が主に代わり深々と頭を下げていた。
「いえ……すべて俺の責任です。俺が警備の人間の確認をしてれば防げたことです。……なにしろ、犯人は俺が保養所の警備を依頼した青年会の連中だったんですから!」
血を吐くようなその言葉に、緋雪は眉をひそめた。
「裏で貴族派が手を引いた襲撃ではなかったのかい?」
「・・・だったらまだ、この怒りのぶつけようがあったんですけどね。手を下したのは、我々の政治運動に賛同する青年会に所属する15~18歳の若者4人です。裏もとりましたがシロです。単純な金目的の犯行でした」
「それはまた、なんとも遣る瀬ないねぇ・・・」
「奴らは保養所の中の警備を担当していたんですが、『お前ら王族、貴族が贅沢三昧をしているから!』『俺たちの苦労を知れ!』『これは正当な報復だ!』と言って保養所の家財を略奪し、さらにアンジェリカに暴行を加え……。ようやく外を警備していた者どもが騒ぎに気付いて、連中を取り押さえた時には、妹は護身用の毒を服毒していたそうです」
緋雪は沈痛な表情で無言のまま首を振った。
「王家としてもこうした不祥事は表沙汰にできませんから、幸い――と言うべきか、アンジェリカは表向き病気療養のためフルビア湖の保養所に行ったことになっていましたので、そこで容態が急変した…という形で公式には発表されています」
「ふーん、まあそれはいいけどさ。そのアンジェリカを襲った外道連中は、当然始末したんだろうね?」
「・・・いえ、非公式に裁判を行い、おそらく近日中に処刑されるでしょう」
その言葉に緋雪の目が剣呑な光をたたえた。
「――ずいぶんと悠長だねぇ。なんで君が処罰しなかったのさ?」
その言葉に、何かに耐えるように黙って俯いたアシル王子は、やがて怒りと悲しみがない交ぜになった顔を上げた。
「正直、奴らを八つ裂きにしても飽き足らない!! この手で始末してやりたいと、何度剣に手をかけたか! ……でも、奴らを殺してもアンジェリカは帰ってこない。それに、血で血を洗うなって連中に言ってたのは俺なんですよ。復讐はなにも生まないって――」
「何も産まなくてもいいじゃないか。少なくとも君の気は多少は晴れるよ」
そう言われてぐっと唇を噛み締めるアシル王子。
「まあ、あくまで君の気持ちの問題だからね、これ以上は言わないけど、民主運動のほうはまだ続けるのかい? より良い世界を見せる妹さんはいなくなったわけだけど」
「………続けます。アンジェリカには、天上でそれを見てもらいます」
その言葉に緋雪は肩をすくめた。
「あまり意固地になるのもどうかと思うよ。前にも言ったけど、足元をおろそかにしないようにね」
「・・・はい。今度こそ肝に銘じますよ」
頷いたアシル王子の顔を見て、緋雪はソファーから腰を上げた。
「もうお帰りですか? そういえば再会の時は再戦の時の約束でしたけど、そちらはよろしいのですか?」
「やめとくよ。チャンバラする雰囲気じゃないしね。第一、自殺の片棒を担がされるなんて真っ平だよ」
『自殺』という言葉に、アシル王子ははっとした顔になった。
気が付かないフリをしていたが、自分が求めていた答えを指摘された顔であった。
「そういえば、アンジェリカの遺体には逢えるのかな?」
「いえ、すでに王家の墓所に移されたので、王族以外は会うことはできませんが、綺麗な顔でしたよ」
妹姫の綺麗にされた遺体を思い出して、アシル王子は泣き笑いのような表情を浮かべた。
「そうかい。直接お別れが言えるかと思って、カルロ卿について来たんだけど残念だね」
言いつつ胸に差している一輪の赤薔薇を取って差し出す。
「邪魔でなければ、次に君がアンジェリカに会いに行く時にこれも一緒にあげてくれないかい?」
そう言った緋雪の目が一瞬、紅い光を放った気がした。
「――わかりました。きっと」
頷いて受け取るアシル王子。
◆◇◆◇
帰りはここ――王宮内の別棟である自室――から外にお連れするようにと侍女に命じて、二人を送り出した後、アシル王子は緋雪から手渡された薔薇を手の中でクルクルともてあそびながら、塞がっていた心がずいぶんと軽くなっていることに気が付いた。
――どうやら自分は本気であの風変わりなお姫様に心引かれているらしい。
愛する者を失い凍りついたと思っていたが、まだ自分には誰かを愛せる心が残っていた。
そのことが素直に嬉しかった。
「――さて、カルロ。また明日から忙しくなるぞ!」
背後に立つカルロ卿にそう言って立ち上がったアシル王子の胸から、ずぶっと鈍い音を立てて剣の先端が生えた。
「……カ、カルロ…?」
驚いたというより信じられないという顔で振り向いたアシル王子の目に、どこか途方に暮れた子供のような顔で、自分を刺したままその場に立つ、乳兄弟であり、腹心であり、親友でもある青年の顔が映った。
「……なぜ……?」
「・・・なぜと問いたいのは私です殿下。なぜアンジェリカ様がお亡くなりになったというのに、政治ごっこを続けるのですか?! こうならないよう、殿下が諦められるよう手を回したというのにっ!」
「…ま、まさか…アンジェリカもお前が……」
絶望を伴う質問にカルロは頷いた。
「直接私が手を下したわけではありませんが、段取りは整えました」
「……なぜだ? お前は……貴族派に……?」
その質問には首を振る。
「いいえ、私は生まれた時から王家に忠誠を誓った身です」
「………」怪訝そうな顔をしていたアシル王子だが、はっと気が付いて目を見開いた。「……そうか、父上か」
「………」
その質問には答えないカルロだったが、沈黙が雄弁に物語っていた。
あの毒にも薬にもならない父王は、貴族院に尻尾を振って邪魔な息子を亡き者とすることにしたのだろう。
おそらくそれを命じられたカルロも苦悩したのだろう、そしてその妥協点としてアンジェリカの襲撃を手配し、その痛手から自分が政治運動から手を引くことを願っていたのだろう。
だが、その意に反して自分は運動を続けることを宣言してしまった。
だからもう、こうするしかなかったのだろう。
『足元をおろそかにしないようにね』
さきほど別れたばかりの緋雪の言葉が甦った。
ああ。自分はちゃんと足元を見なかったのだな・・・。
だんだんと霞む目の中、アシル王子は手の中の赤い薔薇に語りかけた。
「……すみません姫。約束2つとも…守れそうにあり…ませ……」
意識が暗闇に融ける間際、アシル王子は遠くから聞こえる鎮魂の鐘の音を聴いた。
◆◇◆◇
アミティア王国第三王子アシル・クロード・アミティア暗殺される。
現場に残された遺留品である魔剣と薔薇の花から、犯人は人間ではなく魔物と断定。
――同日、アミティア王国は魔王国インペリアル・クリムゾンへ宣戦布告を行なった。
なお、王家の墓所に安置されたアシル王子の遺体が、その3日後、忽然と消えていることに気が付いた者は誰もいなかった。
次回からついに戦争となります。




