番外編 冒険者は新婚を夢みる10
気が付いて目を開けると、森の中。そこだけ木も起伏もないテニスコートくらいの広場――芝生のような草が一面に生えた草地――に寝転がっていた。
見上げれば、どこまでも青天の空が広がっている。
とりあえず上半身を起こそうとしたのだけれど、全身に粘液質の液体が付着していて、草に張り付いてほとんど身動きが取れない。
「トリモチに引っかかった小動物かい!?」
そう自分の状態にツッコミを入れて、無理やり立ち上がろうとしたのだけど、普通だったらステータスにモノを言わせて引き千切れるはずのトリモチも草もビクともしない。
これ以上無理をすればただの布製であるウエディングドレスは破れ、下手をしたら髪の毛もダメになりそうだ(こういう時に無駄に長い髪は邪魔だよねぇ)。
そもそも手足の素肌部分だけでも動かない。なんというか……感覚的に腕力が、見た目通りのか弱い女の子になった感じだ。
「……このあたりもジョーイの主観というか、願望が入っているんだろうねぇ」
理想は可憐な乙女か!?! どんだけボクに夢を見ているんだろうね、アレは。
なら切り離そうにも、いつの間にか《薔薇の罪人》も手から離れて所在不明である。
あとジョーイもミーアさんもフィオレも、ついでに陸鯨本体も目の届く範囲にはいない。
あの後、どこから排泄されたのか、この液体がなんなのか、ボクはあえて考えないようにして空を見上げた。
「……乾いたら取れるかなぁ」
つーか、この世界で結構な時間が経ったような気がするけれど、いつまで経っても蒼穹が広がる春の陽気のままなのは、やはりジョーイの夢の中だからだろう。
「脳天気な奴だからねぇ」
わかりやすいっちゃわかりやすい。
「けど、生理現象とかどーなってるんだろうねぇ……?」
気のせいかそこそこ空腹を感じてきたんだけれど、ただボクの感覚でそう感じるだけなのかも知れない。
とりあえず状況が変化するまでここでじっとしているしかないのかなぁ……と思った瞬間、不意に汗と垢と獣臭が混じった不快な臭いが近くの森の中から漂ってきた。
「――んんっ……?」
どっかで嗅いだことがあるような……と、記憶をまさぐるよりも早く、小枝をへし折り、下草をかき分けて、
「――ブウ?」
「ブウブウ!!?」
「ブモ~~~!!!」
なぜか各々頭に黒いチューリップ(現実の黒いチューリップだと、深い紫色だけど、これはマジで墨を塗ったように真っ黒な色であった)を一輪ずつ咲かせた、胡散臭い腰蓑一丁の豚鬼が現れたのだった。
「……あぁ、下界にいる野生の豚鬼かぁ」
真紅帝国にいる豚鬼は、基本的に理知的で清潔好きなので(ついでに服も着ている)失念していたけれど、この世界の豚鬼って基本的に裸族で、知能の方もチンパンジーに毛の生えた程度なんだよねぇ。
「「「ブホッブホッブホホ♡!!」」」
地面に張り付けられているボクを見つけて盛り上がっているチューリップ豚鬼たち。ついでに腰蓑の前面も大いに盛り上がっていた。
野生の豚鬼は基本的に性欲と食欲の権化だからねぇ。だけどあのチューリップは何なんだろう???
「――ま、でも。奇しくも性欲と食欲はこの世界でも健在だということはわかった」
ため息をついたボクに向かって、涎をダラダラと流しながら豚鬼たちが小走りに向かってくる。
「止まれっ」
そんな奴らに向かって寝たまま視線を向けたボクは、『魔眼』(対象に使用することで攻撃の意思をなくすことが出来る吸血姫の固有スキル)を放った。
ボクよりもレベルの高い相手には通用しないけれど、いまとなってはこの世界においてボクよりもレベルの高い相手などいない。まして下級の豚鬼ごとき。
と思ったのは早計で、まったく気にした風もなく豚鬼たちは色欲に狂った表情のまま、ボクのところまで走り寄ってきた!
「ちょ……なんでぇ!?!」
そりゃ確かにここはジョーイの夢の中で、ボクの能力も制限がかかっているのはわかっているけど、ジョーイが見たことがあるボクのスキルはある程度再現できるはずだよ?! 『魔眼』はジョーイの前でも結構、頻繁に見せていたじゃないか!
覚えてないのか、それともスキルの内容を理解してないのか、ジョ~~イ!?!
「あほんだら~~~っ!!!」
悪態を放ったのと同時に、身動きが取れないボクの周りを、鼻息も荒く囲んだ豚鬼たちが屈み込んで、一匹がボクの右手を押さえ、もう一匹が左手を押さえ、一匹が膝で両足を押さえた。
「ウボウボ♪」
「グハギャハ♪」
「ハアハア♪♪」
そのまま辛抱堪らんとばかり、
「ぎゃああああああああああああああああっ!!」
ボクの着ているウエディングドレスを、お菓子の包装を剥ぐみたいに、三匹がかりで剥ぎ取り始める。
思わず悲鳴をあげた刹那――。
「てやーーっ!!」
どこからともかく響いてきた裂帛の気合とともに、一陣の疾風のように現れた剣士――身の丈ほどもある大剣を構え、伝説の勇者のような装備とマントを纏ったジョーイが、一足飛びでこの場へと走り寄ってくると、状況が掴めず唖然としている三匹の豚鬼の首を、横一線の一撃でまとめて切り飛ばすのだった。
「「「ブモーッ?!」」」
訳が分からずに首ちょんぱされた豚鬼たちが、驚愕の表情のまま絶命する。
地面に転がった豚鬼たちの頭に咲いていた黒いチューリップの花びらが、その衝撃(?)で一斉に散った。
残った体がピュウピュウ血を吹き出して頽れるのを確認したジョーイは、血と変な液体塗れになった全裸のボクを見下ろし、
「大丈夫だったかい、ヒユキ? 俺がきたからもう安心だ」
そう爽やかに言いながら、自分のマントを外して、ボクにふわりとかけるのだった。
「…………」
「ん? どうしたんだい、ヒユキ? ――ああ、怖かったんだね。可哀想に。まずは俺の拠点へ行こう。そこで体を洗って……ああ、そうそう、ミーアさんとフィオレも保護しているから安心してくれ」
乾いたのか、豚鬼に服を剥ぎ取られ、舐められたおかげのか、自然と起き上がれるようになっていたボク。
受け取ったマントで体を隠しながら顔を伏せ、ブルブル震えるボクの姿にジョーイは爽やかスマイルから一転、痛まし気な表情を浮かべ、そう言ってボクの手を取ってどこかへ案内しようとする。
「……タイミングが良すぎるよねぇ……」
「――ん?」
「ヒロインが絶体絶命のピンチの時に、颯爽と現れるとか、どう考えても出来過ぎだよねぇ……」
「んん? 何のことだ、ヒユキ?」
本気でわからない風に首を傾げるジョーイの、わざとらしい態度にさっきまでの恐怖と屈辱が一気に甦って、ボクは怒りのあまり、
「全部君の仕込み! マッチポンプだろうこの野郎ーーーっ!!!」
ジョーイの顔面に一秒間に十七連撃を放つのだった。
4/1 否定的なご意見が見られましたので、若干、表現をマイルドにいたしました。
4/16 一部表現を変更しました。