第二十四話 緋蒼神戦
闇の向こうに四角い出口のような光が見えた。
反射的にそこを抜けた瞬間、身体の芯――いや、魂すら震えるような痛みとも快感ともつかない衝撃が全身を駆け巡り、刹那の瞬間に身体を構成する素粒子まで分解され、その場で再生されるのを、ボクの意識はどこか遠くからぼんやりと俯瞰し、そして新たに構成された肉体へと受肉を果たしたのだった。
再誕。もしくは覚醒。
多くの宗教で通過儀礼と呼ばれる形而上的概念を、実際に知覚しながら通過した――誰に教わらなくても本能的に理解した――ボクは、ゆっくりと閉じていた瞼を上げて、いまいるその場所を確認した。
印象としては『蒼き神の塔』の螺旋階段を登り切った神殿に近いだろうか。
高い天井と並んだ柱、磨かれた石畳の床。ただし大きさ的にはあれよりも一回り小さく、四方に窓が開いていて――夜なのだろうか?――そこから暗黒の空が覗き見える。
がらんとした室内にはこれといった装飾品はないけれど、見覚えのある水晶球に似た球体――命珠が、等間隔で丸い室内を囲む形で配置されていた。
そのほとんどはひび割れ、粉々に砕け、白濁して無残な姿を晒していたけれど……。
そして部屋の一番奥、神殿では祭壇のあった場所に、これだけは生活観を感じさせる巨木をそのまま削り出して作り上げたような、継ぎ目のない執務机に座った半人半龍のこの部屋の主、蒼神が瞑目して座っていた。
気配に気が付いたのだろう。爬虫類の目をゆっくり開いた彼は、ボクを一瞥すると安堵か失望か、あるは両方なのか、深々とため息をついた。
「……そちらを選んだか」
「――?」
言われた意味がわからず瞬きをするボクの顔を、嘲笑と諦観混じりの表情で見詰める蒼神。
「自分の姿を確認してみろ」
なんのことやらと思いながら、鏡のように磨かれた床を覗き込んで自分の顔を見る。長い黒髪、緋色の瞳、小ぶりの顔、華奢な身体に黒色に赤薔薇のミニのドレス。パンツに付いたリボンの色も特に変わっていない。
「別に普段と変わりないけど?」
何かのハッタリかと思って、手にした『薔薇の罪人』を構える。
蒼神の方は座ったまま、面倒臭そうに人差し指を突き出した。
「それだ。お前の言う『変わらない』というのが、すでに変わってしまったのだ」
「……別に禅問答しにきたわけじゃないんだけどねぇ」
「ふん。まあ付き合え。どうせもう結果は確定したんだ。なら、つじつま合わせを聞いておいた方が、多少なりともお前も納得できるだろう……いや、別にどうでもいいのだが、俺も退屈なのでな、単なる暇つぶしだが、まあ聞く気がないなら始めるが?」
右手で頬杖をついた蒼神が、ランチの主食をパンにするかライスにするかレベルの気軽さで、戦いを始めるかどうか訊いてきた。
「………」
こちらの無言を会話を続ける意思ありと取ったのか、あるいは額面通りどうでもいいと思っているのか、蒼神はその姿勢のまま無感動に続けた。
「この場所は本来、物質世界とは隔絶した半ば精神世界に属している。らぽっくたち人形は『蒼き神の塔』の最上階だと思っていたようだが、事実は若干違う、最上階のさらに上の次元に存在する隠し部屋のようなものだ」
そこで言葉を切った蒼神に、「外を見てみろ」と促されて、窓際に近寄ってみてみると、夜空だと思っていたのは、本当の意味で何もない漆黒の宇宙であり、その場にこの部屋がぽっかりと浮かんでいるだけだった。
「さすがに普段、連中が出入りする場合には、通常空間にある塔の最上階と入れ替えをしていたが、本来のこの状態であれば、いくら塔を登ったところで永遠にこの場にはたどり着けない。――仮にたどり着いたところで、連中の観測能力では自己を定義できず、その場で消滅するのがオチだしな」
「言っている意味が不明なんだけど?」
「ふむ……そうだな、『シュレーディンガーの猫』というのを聞いたことがあるか?」
「え~と、確か箱の中に半殺しの猫を入れて蓋をして、次に開けた時に生きてるか死んでるか当てるゲームのことでしょう」
「……別な例えにしよう」
ボクの答えになぜか話を変える蒼神。
「ここにパソコンがあるとする。ネットからゲームをDLしてプレイしようとしたが、データ量が多すぎてパソコン自体がフリーズしてしまう。仕方がないので、基本データだけで、グラフィック等を大幅に削った廉価版どころかお試し以前のデータで動かしている、これがあの世界の住人の容量や処理能力の限界だ、俺達とはスパコンとゲーム機ほどもレベルに差がある。俺は簡単にこれを『魂の差』『カルマ値の限界』と呼んでいる」
「魂ねぇ……」
いきなりオカルトな話になったねぇ。まあ、今更だけど。どーにも胡散臭いんだよねぇ。
「まあ信じようと信じまいとお前の勝手だが、この領域に来られる人間はそれだけのキャパと処理速度を持っているということだ。そして、その上で『自己』というキャラクターをエディットして、ゲームに参加することができる」
「ほうほう」
なるほど、まったくわからん。
「この場での『自己』というのは、『自分がこうである』と認識した姿に準じる。つまりお前は自分を男の『綾瀬奏』としてではなく、女の『緋雪』として認識しているということだ」
蒼神の説明にボクは首を捻った。
「いや、別に自分のことを男だとか女だとか、人間だとか吸血姫だとか、いまさら明確に線引きしたことないけど? 私は“緋雪”なんだし、“緋雪”は私なんだからさ。適当なレッテル貼られて理解した気になられても迷惑だねぇ」
正直なボクの感想に、蒼神は棒を飲んだような顔になり、続いてなぜだか軽く肩を震わせ、含み笑いを漏らした。
一瞬、むっとしたけれど、その笑いに含まれた生の感情を感じて、不意にいまはじめてデーブータさん本人と話をしている気がして、瞠目した。
正直、直接間接的に接した彼の言動や態度は、かつての情緒豊かな彼の人間性からあまりにも乖離した――というか、どこか作り物めいた気がしていた。言うなれば、人間とは根本的に喜怒哀楽の違う存在が、人間の皮を被って、人間の感情を模倣しているような、気持ちの悪さを感じていたのだ。
だけど、今現在の姿を見るに、完全にかつての人間性を捨ててしまったわけではないらしい。まあ、かなり歪んで希薄にはなってはいるけれど。
「その姿で現れた時点で、お前のことは見限ったつもりだったのだが。どうしてどうして、お前はいつも俺の意表を突いてくれる」
なんでこう上から目線なんだろうねぇ、と思いながら一応ツッコミを入れる。
「見た目がどうこういうなら、自分だって気持ち悪い爬虫類のままじゃない?」
「ああ、これか」
右手を頬から離して、鱗の生えた腕を一振りする。すると一瞬にして、それは滑らかな人間の腕に変わった。
「初心者のお前は無意識にその姿を保っているが、慣れれば意図してこのように変化させることも容易い。まあ、あまりにも自己の認識から乖離し過ぎると、自他の境界線が曖昧になるが……まあ、人間を堕落させるのは『蛇』と決まっているからな。この姿でいる方がなかなかエスプリが効いているだろう?」
「へえ、自覚があったんだ。人間を堕落させる存在だって」
ボクの憎まれ口にも特に動じた様子もなく、蒼神は気怠げな態度のまま再びため息をついた。
「さて、俺が堕落させるのか、人間が堕落するのに俺という存在が必要なのか。因果律などというが、原因と結果、果たしてどちらが先にあるのかは、俺にもわからん。だが、運命と言うものがあるのなら、俺はそれを構成する空虚な歯車にしか過ぎん」
そうこぼした彼の姿は、まるで疲れ切った老人のようにも見えた。
「そして、それはお前にも当て嵌まる。――お前は選択した。俺とお前の戦いの結末を。ならば約束された結果へと、運命は収束される」
「生憎と運命論とか宿命論とかは嫌いなんだよ」
全身の無駄な力を抜いて、自然体でボクは『薔薇の罪人』を構えた。
それに応じるかのように立ち上がった蒼神の手には、どこから取り出したのか小山のような、透明の刀身を持つ両刃の巨剣が握られていた。
「運命などではない、確定した未来だ。俺と戦うということは、お前は俺に打ち倒され、犯され、蹂躙される。抗う術はない」
「いや、理屈つけてゴチャゴチャ言ってるけど、結局は君の意思なんじゃないの? ここで剣を引けば私も君を飽きるまでぶん殴るだけで、あとは問題なく終わるんだけど?」
「それが無駄な考えだというのだよ。お前は過去・現在・未来は直線的なものだと思っているだろうが、実際は円環的構造であり、虚数空間で過去に遡ろうと、三次元空間で未来へ向かおうと、基本的に行き着く場所は同じだ。ならば、お前が選択し、垣間見た未来は観測した以上、ほぼ確定している。どのような抵抗を行っても、結局は辻褄が合う……個人の意思とは無関係にな。ならば、既定された未来に即した行動を取ったほうが効率が良いというものだ。だが、それでも抵抗するのか?」
「確定された未来って、さっき私が選んだ『赤い扉』で最初に見た幻覚のこと? それなら安心していいよ。全然信じていないから」
瞬間、ダッシュと同時にほぼ最高速に乗ったボクの突きが、蒼神の肩を掠めた。
「――ふん!」
追撃の刃が振るわれ、爆発的な衝撃波となって背後に迫るけど、壁と天井を使ってジグザグに走り、それを躱す。
「それといまの話を聞いて、なおさら腹が立ったからね!」
背後を取って袈裟懸け――着ていたトーガは裂けたけれど、鱗には傷ひとつ付いていない。
「ほう。理由は何だ? 俺が運命や未来やらを語ったことかな?」
問い掛けながら巨剣――『神威剣』とかいうチート武器――を振るう蒼神。
この剣、確かに威力は絶大だけど、バカみたいな大きさのせいで軌道が見え見えだし、そもそも蒼神の剣技そのものが力押しで一本調子なために、ある程度の広さと足場のあるこの場所では、逃げ回るには都合がよかった。
だから、縦横無尽に跳ね回りながら、ボクは攻撃の合間に答えた。
「それもあるけどね。一番頭に来たのは――」
剣聖スキル発動――と見せかけて、光術、それも極限まで圧縮した『光芒』を、蒼神の目前で解放する。
刹那、眩い閃光が炸裂して、一瞬全てが白に覆われた。
反射的に目をかばった蒼神の喉元目掛け、渾身の突きを放った。
「義務だの、効率だので、好きでもない相手を抱こうとするな――っ!!!」
スキルもなにもない(どうせ無効化されるんだから)、力任せの攻撃が蒼神の身体を弾き飛ばした。
氷のリンクのような床を滑った蒼神の身体が、後方にあった執務机と椅子を巻き込んで破壊する。
反撃を警戒して、素早く位置を変えたところで、案の定と言うか……机の成れの果ての中から、無傷の蒼神が立ち上がった。
さすがにズタボロになって素肌にぶら下がるようになっていたトーガを、無造作に片手で破いて取り除く。
たちまちその場で全裸になった蒼神は、少しだけ感心した様子でこちらを見た。
「驚いたぞ。まさかここまで食い下がるとはな。事によるとらぽっくよりも戦闘力は上かも知れん」
「あー、はいはい。なんでもいいから、さっさと代わりの服を着てくれないかな」
露出狂と戦うのは嫌だなぁ……。
「――ふむ。どうせ俺にとっては服など飾りに過ぎん。すべては空虚に過ぎん。ゆえにこのままでも問題はないが?」
「こっちが嫌なんだよっ!」
次の瞬間の行動は、自分でもまったく無意識のものだった。
ほとんど瞬間移動とも言える速度で蒼神に肉薄したかと思うと、『薔薇の罪人』の切っ先を下にして床に突き刺し、開いた右手が大きくバックスイング。フルスイングのパンチが蒼神の頬骨を深く抉る。
残像を残しながら身体ごと転がる勢いで仰け反った蒼神の顔が、瞬間、今度は反対側から殴られ、辛うじて原型を残していた机の部品を粉砕しながら、床の上を二転三転した。
「さっさと服を着て!」
「……面倒な奴だ」
ブツブツ言いながら立ち上がると、どこから取り出したのか軍服のような濃紺の衣装を手に取り、その場で着替え始める蒼神。
どーでもいいけど、なんで下半身を最期まで剥き出しにしてるんだろうねえ。
序盤から最終決戦とは思えない戦いに。なぜでしょう……?
11/24 誤字修正しました。
×入れ替えをしたいたが→○入れ替えをしていたが