第二十一話 聖都混迷
ジョニーの先導で聖都の中心部へと向かうボクだったけど、塔に近づくにつれて妙に空気がざわついている気がして首を捻った。
ちらりと見れば、ジョニーも怪訝な表情で『蒼き神の塔』の方角――もうすでに塔の土台くらいしか視界に入らないけど――を見て、目を細めている。
「なんだ……? なんか雰囲気がおかしいな」
その瞬間、爆発音のような音と振動が、塔に隣接する通りの向こうから響いてきた。空気や歩道を伝って身体がビリビリと揺れる。
「――じ、地震か?!」
「じゃないね。事故か爆発か……なんらかのトラブルが原因だろうね」
2本ほど通りを隔てた向こう側から立ち上る黒い煙と、微かな悲鳴にボクは即座に腰のリボン型拡張ポシェットから、愛剣『薔薇の罪人』と背中装備『薔薇色の幸運』を取り出して装備した。
「ちょっと見てくるよ。危ないと思うので、君はここで待ってた方がいいと思うけどね」
「――えっ?! いや、待てよ。危ないんだったら俺も行くぜ!」
「ご随意に。先に行くんで、勝手について来ればいいさ」
返事は待たずに、ボクはその場から騒ぎの現場目指してダッシュした。
当然、一瞬でジョニーは置いてきぼりを食らう。
舗装されている道路なんだし、一気にトップスピードに乗りたいところだけれど、すでに通りという通りは大騒ぎになっていて、悲鳴と逃げ惑う人波で揉みくちゃになっていた。
「――仕方ない」
道沿いに行くのは諦めて、ショートカットをすることにし、その場から三角跳びの要領で、高層建築の壁や街路樹、さらに空中回廊の手すりなどを利用して、三次元的な移動方法へと移行する。
幸いと言うべきか、逃げ惑う人々は他を見る余裕はないみたいで、余計な騒ぎや邪魔をされることなく、目的地へとたどり着くことができた。
騒ぎの中心部――そこはほとんど『蒼き神の塔』のお膝的といった場所だった。
聖職者や教徒、巡礼者向けの商店が立ち並ぶ通りのそこかしこに、明らかに人間と異なる異形の人影が蠢いている。
「化物だーっ!」
「蒼神様、お助けください!」
「助けてっ。蒼神様!」
恐怖に駆られ、慌てふためく人々を嬲るように、愉悦の昏い笑みを浮かべた半人半獣達――豚鬼や犬精鬼、大鬼や単眼巨人など――が、我が物顔で狼藉の限りを尽くしていた。
「この――ッ!!」
5階建てくらいの高さの建物から落下しながら、見た感じ一番脅威度が高そうな単眼巨人を袈裟斬りにして、ほぼゼロ距離から『ホーリー・ディスクラプション』をお見舞いする。
「早く、逃げて!」
ほぼ一撃で上半身が消し飛んだ単眼巨人から距離をおき、次のモンスターに立ち向かいながら、逃げ遅れた人たちに声を掛けた――けど、
「お助けください、お助けください!」
「蒼神様、どうぞ助けてください」
逃げるのはまだしもましな部類で、腰を抜かしたのか、現実から逃避しているのか、そうブツブツ唱えながら蹲っている人々が大半だった。しかも、服装を見るにどうやら大半が聖職者臭い。
「祈る前に行動して!」
そう叫んでも、行動に移る様子はなく、見ている間にもどんどんと喰われ、斬られ、嬲られて行く。
目前に明確な生命の危機が迫っているというのに、戦うことも逃げることもしないで、ただただ「お助けください」と、蒼神にすがるだけというのは……なんて言うか、情けないを通り越して、抑え切れない殺意の波動すら湧いてくる不甲斐なさだ。
こいつら命をなんだと思ってるんだろうねぇ。
どんな平和な国に生まれ生活していても、人間誰しも明日の来ない可能性はあるし、いつか死ぬって意味じゃ命は等価だろう。そこには子供も老人も金持ちも貧乏人も差はない。
そりゃ環境に応じて、生きられるだけのリソースに差はあるだろうけど、生きるか死ぬかのボーダーラインなんてのは案外簡単にそこらに転がっているものだし、その選択が迫られた状況で、あっさりと自分の命を他人任せにできるなんて狂ってるとしか思えない。
「皆の者、抵抗してはいかん! これらの異形の者は全て『蒼き神の塔』より現れた。すなわち蒼神様の思し召しである。抵抗せずに受け入れるのじゃ!!」
と、いかにも高位聖職者らしい老人が、やたら大きな声で周囲を煽動し始めた。
「あ、阿呆ですか?! 死にたいの!?」
思わずツッコミを入れるけど、老人は傲岸な態度で堂々と言い放った。
「それが蒼神様のご意思であれば、従うのみである! 蒼神様を信じる全ての者達よ、さすれば天上楽土は約束されたも同じであるぞ!」
その叫びを耳にした逃げ遅れの人々はもとより、どうやら話が伝播したか、他でも同じような世迷言を主張している馬鹿がいるのかは知らないけれど、一度逃げた人々が続々とこちらへと戻ってきて、その場に蹲り祈りの姿勢になった。
当然、格好のエサを前にしたモンスターたちは、なんら躊躇なくそうした“敬虔な信徒”たちをその手に掛ける。
「アホらしい、バカらしい、やってらんねー、コンチクショー」
思いっきりテンションを駄々下げにしながら、発情して向かってくる豚鬼や小鬼を斬りまくる。
「緋雪!……はあ、はあ、やっと追いついた。はあ、足はやいな……」
荒い呼吸を繰り返しながら、そこへジョニーが人の群れを縫うようにしてやって来た。
「あら、逃げればよかったのに。それとも他の信者同様に、ここで自殺するつもりできたの?」
「――なんだそりゃ? つーか、この化物ってなんなんだ?」
周囲の惨状――雲霞のように続々と塔から溢れ出てくるモンスターと、粛々とその場に留まって餌食にされている信者たち――を見渡し、目を白黒させるジョニー。
「なにって魔物だよ。一部、亜人もいるみたいだけど……ひょっとして、知らないの?」
「魔物って――蒼神様が、煉獄に封じたって聖典にある化物のことか?!」
「ほほう。そういう扱いなんだ。――うん。多分それで間違いないと思うよ」
「ど、どうすればいいんだ……?」
「どうって言われてもねえ」
天涯とか他の魔将がいれば一気に殲滅することもできただろうけど、ボクの場合は火力がないし、そもそも従魔合身してない素の状態では、いくら相手が雑魚で、こちらがほぼ永久機関のHP・MP自動回復スキルを使っても、基本紙装甲なボクでは囲まれてダメージを受けては、確実にアウトになる。
そして、魔物の湧く速度は、見た感じ確実にボクの殲滅速度を上回っている。
「どーしようもないねぇ。せめて塔の中に入って、魔物の出てくる原因を掴めれば、対抗策も出てくるかも知れないけど」
どう考えてもこの魔物の流れに逆らって、塔の中に入るのは自殺行為だろう。
「……蒼神様の塔に入れればいいんだな?」
難しい顔で考え込むジョニー。
しつこく向かってくる魔物を叩きのめしながら、
「いや、入ってもどーなるものでもない可能性が高いけど」
正直な感想を口に出した。
「それでも可能性があるなら、俺に心当たりがある。付いて来い!」
自信有りげに頷いて、踵を返すジョニー。
「………。――ま、しゃあないか」
やむなくボクもこの惨劇の現場を後にすることにした。
◆◇◆◇
みかん箱みたいな粗雑な作りの屋根付きゴンドラが、ゆっくりと『蒼き神の塔』目掛けて進んでいた。
「こちらスネーク、性欲をもてあます」
「欲求不満か?」
洒落に真顔で聞き返されて、ボクはとりあえずため息をついた。
「……単なるお約束なので気にしないで」
「そうか? 我慢できないようなら、いつでも協力するから言ってくれ」
『なにを』『どう』協力してくれるのか、ツッコミは入れないことにして、ボクは遥か下、地上の様子を申し訳程度に付いているガラスの入った丸穴から見下ろした。
距離がありすぎて流石に個別に確認はできないけれど、かなり大型の魔物も出現したみたいで、聖都のそこかしこを右往左往しているみたいだ。
「……これってもう少し早く移動できないの?」
「無茶言うな。この専用リフトは、とっくに使わなくなって廃棄されたものだ。前に何でも屋の仕事で、偶然動かす機会があったから使えるのは知ってたけど、実際に動かしたのは俺だって初めてだし」
「――ちょっと待った! まさか途中でワイヤーが切れたりしないだろうね?!」
この距離から落ちたら流石に死ぬよ!
「……落ちないことを祈るしかないな」
ボクの問い掛けに、困った顔で肩をすくめるジョニー。
そんなこんなで、もの凄く心臓に悪いゴンドラでの空中散歩もどうにか終了。
関係ないけど、あの空飛ぶ翅の付いた機械での移動はできなかったのか聞いたところ、「免許持ってない」「そもそも塔の周辺は飛行禁止」と制約があるので無理とのこと。
「いや、無免許でも見よう見まねで動かすくらいはできるけど……オーニソプターを探してくるから、やってみるか?」
「こんなクリティカルな状況で、そんな危ない橋渡るわけないでしょう!」
と言うことで、こっちの移動手段を採ったんだけど、こっちはこっちで文字通りの『危ない橋』だったりする。
それでも小一時間かけて、どうにか無事に到着した場所は、塔の最上階から20~30階下の場所だった。
「ここからは階段しかないけど大丈夫か?」
主に精神的な疲れから、げんなりしているボクの様子を見て、ジョニーが心配そうに聞いてくる。
「大丈夫、体力的には問題ないから、さっさと行こう。――上がればいいわけ?」
ため息をついて、ボクは塔の中心にあるもの――螺旋階段を見上げた。
この螺旋階段を中心にして、放射状に小部屋が区切られているみたいだけど、まったくと言っていいほど人気はなかった。
「ああ。蒼神様にお会いするには、最上階の神殿にある祭壇に向かえばいいって聞いている」
「――ふん。なんとかと煙は高いところを好むって言うからねぇ」
ジョニーが頷くのを確認して、ボクは螺旋階段に足を掛けた。なにか言いたげな顔でジョニーが付いてきた。
大方、蒼神の奴はワイングラス片手に毎夜、地上を見下ろして「くくく、愚民どもが」とかやって悦に耽っているんだろう。
そう想像を逞しくする私――『天嬢典雅』こと、空中庭園の主がここにいた。
◆◇◆◇
螺旋階段を上りきると、そこは広い空間になっていた。
天井が高く、飾り付けられた石の柱が等間隔に並び、磨き抜かれた石畳の青い床は鏡のようで、見下ろせば髪の毛の先まで映って――って!?
バッ!とスカートを押さえるのと同時に振り返ると、もの凄い勢いでジョニーが明後日の方を向いた。
「……見た?」
返答によっては、この場で目玉くり抜こうと思って、『薔薇の罪人』の剣先を頬の辺りに当てる。
「見てない! 俺はなんにも見てない! ずっと前を見ていただけだ――未来永劫!」
ダラダラと脂汗を流しながら言い切る彼の目は、きっちり床と平行になっていた。
「だったらいいんだけどね」
なかなか賢明な態度に、こちらとしても矛を収めざるを得なかった。
さて、視線を転じて見れば、一段高くなったところに祭壇らしきものがあった。そこからうっすらと白い霧のようなモノが流れ、床の上を這い円形の神殿に点々と配置されている、丸いマンホールの蓋のようなものの中へと吸い込まれていっていた。
ボクにとっては、どちらも見覚えのあるシロモノだ。
「転移門……それに虚霧? ひょっとしてあの魔物って、虚霧から発生して、地上に送られているの?」
「お、おい。どうなんだ、これ止められるのか?!」
祭壇から際限なく湧き出す虚霧を見て、不安げな様子で周囲を見回すジョニー。いつの間に準備したのか、小剣と鉈の中間くらいの長さの剣を握っていた。
「さて、ね。単純に祭壇をぶっ壊せばいいのかなぁ。それやって、逆に一気に虚霧が噴出したら、ここの世界も終わりそうだけど……まあ、現状でもほとんど全滅っぽいので、一か八かやってみようか?」
「気楽に言うなよ! なんとかならないのか?!」
「なんとかと言われてもねえ……肝心の蒼神がねぇ」
ボクはガランと人気のない祭壇を一瞥してから、ジョニーを振り返った。
「ところで、その剣は鋼鉄製なのかな?」
「ん? ああ、護身用に一応持ってきたんだけど、それがどうかしたか?」
「いや、どうかしたかというか。これからどうかするんだけど――ね!」
「はァ――なに……が?!」
刹那、不意を打って叩き込んだボクの横斬り――距離が詰まっていたので、左手を刀身に添えて圧力を増した技――が、ジョニーの短剣に阻まれて、彼の身体を弾き飛ばすだけに止まった。
「――なっ?! 何の真似だよ緋雪!?!」
ジョニーはどうにか転倒だけは避けた姿勢で、驚愕の表情を浮かべている。
「何の……って、いい加減、お芝居は辞めたいんだけどさ」
「何言ってるんだ……おかしくなったのか?!」
「おかしいのは君の方だと思うよ、ジョニー――いや、蒼神さん」
「はあ?? なにがどうすれば、俺が蒼神様になるんだ?!」
「なかなか迫真の演技だけど、本気の私の攻撃を防げる腕があるのがおかしいし――まあ、攻撃を受けちゃったら『破壊不能』属性がバレるので、咄嗟に防御したんだろうけど……そもそも、たかが鉄剣でこの『薔薇の罪人』を防ぐなんてあり得ないよ」
困惑した表情のジョニーが、下を向いて黙りこくった。
まだ猿芝居を続けるつもりかな――と思ったんだけど、顔を上げたジョニーの表情は、これまでの人の良さそうな少年のものから、顔形こそ変わらないものの、老獪な大人のものに変わっていた。
「まさかバレているとはな。いつからわかっていた?」
同じ声でありながら、底冷えのする響きを伴った問い掛けが、その口から流れた。
「割と最初からかな。この世界、良く出来てるけど明らかに変だったからねぇ」
「ほう。どこがだ?」
余裕の表情で、短剣を下ろした蒼神に対して、こちらは最大限の警戒をしながら、思い出したところを口に出す。
「綺麗過ぎるんだよ。例えば最初に出たところの草原だけどさ。普通、ああいう場所に居たら、蝿や蚊、虻なんかがもの凄い勢いでたかるものだよ。
それと君を含めて街の人間にも、ほとんど体臭や垢の臭いがなかっただろう。――あり得ないんだよ、毎日お風呂に入って石鹸と化学洗剤で、身体や衣類を洗いでもしない限りはね」
実際にあちらの世界で街へ行って、一番閉口したのが臭いだね。
殺菌については魔法の『洗浄』があるので大丈夫とは言え、お風呂に入らないから汚れて臭いのはどうにもならない。それと香辛料は高価なので、料理には主に大蒜が使われるので、誰もが口臭が途轍もない。そしてトドメに洗濯する場合、漂白剤に人間や動物の○○を使ってるから、服が臭いの何のって!
「要するに、君はこの上から眺めた地上世界しか知らないから、そうしたケアレスミスをするんだよ。ちょっとは市井の人間に混じれば、違うものも見えただろうし、間違うこともなかったろうにね。――ああ、確信したのは君が私を『緋雪』と呼んだ時かな、私は君に自己紹介してなかったからねぇ」
慨嘆混じりのボクの答えに、どうにも掴みどころのない笑みを浮かべて、蒼神は大きく両手を広げた。
「こいつは一本取られたな。わざわざお前の油断を誘うために、この姿を選んだんだが……無駄だったか」
「ふーん。やっぱり、ジョーイをモデルにしたわけだ」
「まあ、そういうことだ。スキミングの結果、お前が一番気を許している相手だと判断したんだが」
苦笑する蒼神。
「スキミングねえ。やっぱり、あの霧の魔物とか、クマが分析器だったわけかな?」
「さて、それはどうかな……」
にやりと嗤った蒼神の姿が一瞬、ノイズのような歪みに覆われ、次の瞬間、その場に立っていたのは、上半身金属鎧に腰に魔法剣を下げた冒険者――ジョーイとまったく同じ姿と装備に替わっていた。
「とっくの昔に入れ替わって……いや、ひょっとすると初めて会った時から、俺はこの姿で、お前の傍に居たのかも知れないぞ――なあ、ヒユキ」
「――っ!?」
蒼神の口三味線だと理性では理解しているんだけれど、ジョーイそのモノの笑顔と声とで呼び掛けられ、僅かな瞬間だったけれど、ボクの心に疑念と戸惑いが生じた。
蒼神はその笑顔のまま、祭壇に向かって一気に走り込んだ。
「まっ――!」
即座に追い駆けようとしたところへ、見覚えのある光の魔法剣が正面から飛んできた。
後から考えれば躱せば良かったんだけど、感情的になっていたんだろう。ボクはそれを即座に叩き落した。
はっと気が付いた時には、蒼神の姿は虚霧の中へと消えていくところだった。
「追って来い、緋雪! この先で俺は待っているぞ。お前がどんな選択をして、どんな姿で現れるのか楽しみにしている!」
哄笑を最後に、蒼神の姿が完全に虚霧に消えた。
「どこへだって行ってやるさ。ここまでコケにしてくれたんだ、1発殴るだけじゃ足りないからね!」
勢いに任せて、ボクもその後を追う。
虚霧に近づくにつれて、再び青い防御膜が周囲を覆い、それを確認してボクは祭壇の奥へと飛び込んだ。
○○は近代ヨーロッパまで実際に使われていました。
大蒜は地域によって使うところと使わないところがあったそうですが、食堂とかだと慣れない人間は(当時でも)閉口していたそうです。