第十五話 炎乃女帝
暴風に吹き飛ばされる藁小屋のように、太い柱と石壁、そして恒常的な魔法障壁まで張ってあった離宮が一撃の下に吹き飛ばされた。
咄嗟に覆い被さった父皇帝によって、床に這い蹲った形で難を逃れたオリアーナ皇女が、恐る恐る顔を上げると自分達を守るように、8本の剣が空中に浮かんで壁になっているのが見えた。
「大丈夫かい、我が愛娘よ」
「はい、お父様のお陰で」
「我と言うよりも彼らのお陰であろうな」
この期に及んでもなお柔らかな笑みを崩さず、『虚霧』の方向を向く皇帝。
つられて見れば――その手前。自分達と虚霧とを塞ぐ形で、いつの間に取り出したのか、中央に女性の顔が掘り込まれたカイトシールド(彼女は知らないが、超レアドロップ装備『無敵』と呼ばれるものである)を左手に持ち、険しい顔で片膝を立てた青年騎士と、その背後に隠れる形で、魔法使いの少女が、手にした杖と帽子とを押さえて屈み込んでいた。
青年の影になった部分から放射状に床板が残る他は、300年以上の歴史のあった離宮が影も形も無いほど無残に破壊されている。
青年とこの剣が守ってくれなかったら、いまの一撃で痛みすら感じることなく死んでいたことだろう。
「やれやれ……せっかくの秀作だったのだが、消し飛んでしまったな」
そう呟きながら立ち上がった父に手を借りて、同じく立ち上がるオリアーナ。
一瞬、何のことかと思ったが、すぐにあの描きかけの絵だと思いついて、複雑な表情になる。
「絵の心配より命の心配をした方が良いと思いますよぉ?」
呆れたように言うのは、魔法使いらしい少女であった。室内でなおかつ皇帝陛下の目前と言うことで、手に持っていたツバ広のトンガリ帽子を被る。
だが、その目は前方――虚霧の方を向いたまま片時も離さない。
青年も、そして自分を抱き寄せる父も、その方向を向いていた。
途端、先ほど少女が叫んだ言葉を思い出して、愕然としながらその視線の先を追う。
いつの間にそこにいたのか、虚霧を背後に黒い影が佇んでいた。姿の見えないまま攻撃を仕掛けてきた“敵”なのは間違いないだろう。
黒いローブ付きのマントを目深に被り、手袋をした長身の人影に見える。素顔はまったく見えないので断言はできないけれど、シルエットは人型のようだ。
ただし、いつどこから現れたのか、まるで気配が感じられなかった。こうして間近に接していても生身の人間を相手にしている気がまったくしなかった。本当に実体としてそこに存在しているのかどうか――そう疑いたくなるほど躍動感に乏しい相手だった。
「……ほう。これはこれは。『神』というものが、まさか我の同類とはなんとも皮肉なこと。いや、いまだ中途半端な分、逆にたちが悪いとも言えるか」
皇帝ヴァルファングⅦ世が皮肉とも、憐憫ともとれない眼差しを、蒼神らしい黒マントに向けた。
『――?』
怪訝そうな視線が飄々とした皇帝の端正な容貌に突き刺さるが、本人にはそれ以上話すつもりはないらしい、同病相哀れむ目で黒マントを見据えるだけだった。
「……小賢しい。俺を理解したつもりか皇帝よ。その愚かしさと増長の報いを受けるがよい」
フードの奥から陰陰滅滅たる声が流れてきた。
その視線が皇帝から、自身の配下だという騎士と魔法使いに向く。
「らぽっく、タメゴロー、即座に皇女を始末せよ。これに従わなければ背信と見なす」
ピクリとオリアーナを抱くヴァルファングⅦ世の手が震えた。
「ふん。皇帝よ、貴様は自分が死ぬことには拘泥していないだろうが、娘の命に対しては許容できまい? 愚かだな、俺が中途半端なら貴様は出来損ないだ。愛だ情などというくだらん精神錯乱に耽溺するとは」
あからさまな嘲笑に対しても怒ることなく、ますます哀憐の眼差しを深くする皇帝。
「なるほど、それほど愛や情を信じていたのか」
「たわけたことを!」
皇帝の透明な眼差しを前にして、蒼神はフードの下、苛立ちを隠せない口調で吐き捨てた。
そんな彼の様子を目の当たりにして、オリアーナは卒然と理解した。彼に具体的な何があったのかはわからない。けれどきっと彼は裏切られ続けてきたのだろう。だから否定したいのだろう、『愛』『情』『信頼』という人の持つ優しさを。
――けれど、それは虚しい一人芝居にしか過ぎない。なぜなら否定したいと思うこと自体が、それを信じている証拠なのだから。
「あんたさあ、なんだかんだご大層なこと言ってるけど、聞いてるよ。緋雪さんのこと、『俺の嫁』だとか『伴侶』だとか、ストーカーよか気持ちの悪いこと言ってるって。あたしとしては犬の糞よか気持ち悪いけど、それって愛情と違うの?」
蒼神に『タメゴロー』と呼ばれた魔法使いの少女が、一気呵成に食って掛かった。
「――ふん、緋雪か」
思いがけなく話題に出てきた友人の名前に、目を瞬かせるオリアーナ。
「……確かにな。俺は緋雪を愛している。どんな女よりもなぁ」
その瞬間、置物のように生命の息吹が伝わってこなかった蒼神が全身から、凄まじいばかりの生気が迸った。
「そうともっ! 緋雪をこの俺の手で鷲掴みにして嬲り尽くし、全身全霊で屈服させる・・・! そして、犯し!! 壊す!! 想像するだけで、なんという愉悦っ! そうだ、忘れていたぞ、この感情――これはエクスタシーだ!!!」
「!! あんた……あんたって、マジ最悪だ――――っ! ざけんな! 緋雪さんも皇女様も、あたしが守るっ!!!」
その瞬間、激高した魔法使いの少女が、金髪騎士の背中から飛び出した。
「いかん! タメゴローっ!!」
らぽっくの静止の声も無視して、一直線に立ち向かうタメゴロー。
「――ふン」
その姿を鼻で嗤って、ローブの下から水晶球――赤々と内部で炎が揺れている――を左手で取り出した。
「動くなっっ!!」
と、いつの間に集まっていたのか、自分達を取り囲むようにして近衛騎士達がずらりと完全武装で整列していた。
まあこれだけの騒ぎである。王宮内にいまだ残っていた騎士達が異変を察知して、この場に急行してくるのは当然と言えば当然である。
「皇帝陛下、皇女殿下、この場から直ちに避難してください! 曲者ども。貴様らは武装を解除して、その場から動くな!」
近衛騎士総長の言う『曲者』には、金髪騎士と魔法使いの少女も含まれている。
飛んできた騎士達に守られながら、皇帝は2人を指して警戒を解くように促した。
「ああ、彼らは我の個人的な知人だ。心配はいらない。それよりも、あちらの賊を全力で排除したまえ」
気軽な調子で近衛騎士を蒼神に嗾ける。
「――はっ。勅命承りました!」
近衛騎士総長の指示を受けて、騎士達が一斉に蒼神に向かい武器や魔術の詠唱を始めた。
「……お父様、幾らなんでも無茶です。彼らではむざむざ犬死するようなものです」
父皇帝に肩を抱かれながら、彼らの身を案じてこっそりと囁きかけるオリアーナ。
「その通りだが、時間稼ぎ程度はできるだろう。ならば職務を全うした事で無駄死にではないさ」
さらりと受け流され、なんともいえない表情になる娘を好ましげに見つめ、皇帝は相変わらず剣と杖とを蒼神に向かって構えたまま、臨戦態勢を解いていないらぽっくとタメゴローの2人に呼びかけた。
「彼らが時間を稼ぐので、その間にオリアーナを薔薇の姫君の御座所へ避難させてもらえるかな」
「ごめん。無理」
張り詰めた表情で端的に答えるタメゴロー。
「奴が握っている命珠を潰されたら、それで俺たちの命も一巻の終わりだ。申し訳ないが、この状態では皇女を連れて逃げる余裕はない」
らぽっくも余裕のない表情で、それに付け加える。
「成るほど。それは確かに難しい状況であるな。とは言え、あの者が現在手にしている命珠とやらは1つだけ、ならば可能な限り時間稼ぎをするので、2個目を潰す間に娘を連れて逃避することは不可能かな?」
「「なっ……?!」」
つまりオリアーナを助けるために、タメゴローと近衛騎士達をこの場で見殺しにして、さらにらぽっくも使い潰すと言っているのだ。
あまりにも非情な提案に、オリアーナとらぽっくが絶句するが、逆にタメゴローと近衛騎士達はにやりと獲物を見つけた猛獣の笑みを浮かべた。
「オッケー! いいじゃない。どっちにせよ一泡吹かせるつもりだったんだから、皇女様を守ることもできて一石二鳥じゃない」
「我ら近衛騎士団、すべては帝国と皇家の為に身命を捧げた者。姫様の御身をお守りするためとあれば、無上の喜びにございます」
「それでは任せるとしようか」
穏やかな皇帝の声に押されて、『はっ!!』騎士団が一斉に黒ローブの蒼神へと殺到した。
さらに人間レベルとしては“達人級”の宮廷魔術師達が、渾身の魔法でそれを援護する。
「……浪花節か。くだらんな」
左手にタメゴローの命珠を握ったまま、右手をローブの下に這わせ、ズルリと無造作に取り出したのは、あり得ないサイズの一振りの剣であった。
黄金色に輝く握りと刀身までのサイズはざっと2メートル。さらにその刀身を芯にして最大で幅1メートル、全長3メートルあまりの水晶のような材質の透明な第二の刃が取り囲んでいる。
「――神威剣」
ぞくり、とその剣の姿と呟きにらぽっくが総毛立ったのは、仮にも『E・H・O』中最強などと言われていた男の天分からだろうか。
「いかん! 離れろ!!」
必死の静止も虚しく、蒼神の持つ巨剣のひと薙ぎで精鋭の近衛騎士達が、まるでゴミクズのように粉砕された。さらにその余波で王宮のガラスがことごとく破裂し、歴史と伝統に彩られた建築の一部も、無残な瓦礫と化した。
「くっ!」「うぐっ!?」「きゃあっ?!」「これはこれは」
咄嗟にらぽっくの『無敵』と9剣、さらにタメゴローのファイアーシールドで威力を減衰させたが、それでも完全に防ぎきれずに4人が大きく跳ね飛ばされる。
「なんだ、その剣は……? 公式には見たことも聞いたこともないぞ?!」
特にダメージが大きかったのが前衛で壁になっていたらぽっくであった。大きく亀裂の入った『無敵』を見て目を剥く。
「あいつの得体の知れなさにいちいち驚いてちゃ、やってらんないわよ! どっちみちやるしかないんだから!」
混乱するらぽっくを尻目に、勢いよく飛び出したタメゴローの周囲に燃え盛る火の玉が無数に浮かんでいた。
「『プロミネンス・バースト』か、確かに威力は火炎系魔術でも随一だが、発動までに時間が掛かるのが難点だな」
無感動に評する蒼神は、左手に握った命珠に軽く力を込めた。
「――ぐっ…!」
大きく一条のひび割れが走るのに併せて、胸を押さえたタメゴローだが、闘志はそのままに新たな魔術を完成させる。
「ウインド・トルネード!」
その瞬間、プロミネンス・バーストの炎が到達するのとほぼ同時に、蒼神の身体をすっぽりと覆う形で竜巻が巻き起こり、極温に熱せられた火柱と化した。
「さらに、フレア・バスター!」
続いて炎のドームがそれを覆い、完全に外界から密閉された空間とする。
「へへん。どーよ! あたしを炎だけの火炎馬鹿と思ったか! まさかこれが来るとは思ってなかったでしょう? あんたにどれだけのヒットポイントがあるんだかわからないけど、生物である以上、酸素を呼吸しなきゃ生きていけない……少なくとも意識は保てない。なら、一瞬で内部の酸素を燃やし尽くすこれを喰らって無事で済む訳が――」
「……なるほど出来損ないにしては考えた方か」
得意げなタメゴローの台詞に覆い被さるようにして、多少なりと感情のこもった声が火柱の中から響いてきた。
同時に何かをパリパリと握り潰す音が続き、蒼白な顔色になったタメゴローが、片手で胸を押さえてその場に両膝を付いて前屈みに倒れ込んだ。
「タメゴローっ!?!」
「……だから…あたしの名前は・・・『タメゴロー』じゃなく…て『皐月・五郎八』だっつーの……」
その背中が苦笑しているようにオリアーナの目には映った。同時に、気のせいか片手で何かをポケットから出して、口元に運んだようにも。
一際澄んだ音が響いた――その瞬間、あれほど活発だった彼女の全身から、あらゆる生気が抜け落ちた。
他が頑張りすぎて、緋雪ちゃんの出番がないですw