幕間 薔薇羨望
“彼”の一人称です。
通路の向こう側からオープンチャットでの会話が流れてきた。
「うわっ、猛熊がリンクした!」
「オレもうHPレッドだよ。こりゃ、死に戻りするしかねーや」
「待て待て、いま戻ったら絶対他のプレーヤーに鬼熊掻っ攫われるぞ。
相手のHPまだ注意領域も行ってないんだ、タゲ取られたらこれまでの苦労がパーだろが」
「・・・なこと言っても、もう2人も死んでるんだし、3人じゃ無理ゲーだっての」
「殴られ役がいないのが致命的だよなー。せっかく初のボス戦だっていうのに」
会話の内容からして5人PTが、現在、この『灼熱の迷宮』のダンジョンボスたる『鬼熊』と交戦中のようだ。そして、そのうちの2人がすでに死亡中で、残り3人で支えている――けれど、全滅は時間の問題なのだろう。
図らずも会話を盗み聞きする形になってしまった僕は、どうしたものかと思案した。
この『灼熱の迷宮』は『E・H・O』に山ほどあるダンジョン(現在77箇所発見されているけれど、まだ未発見のダンジョンが少なくとも20箇所以上はあると運営から発表されている)の中でも、中級レベルのプレーヤーがPTを組んで攻略する、さほど難易度は高くないダンジョンだ。
ただレアドロップの『鬼斬丸』(無属性武器で鬼系のMobにプラス補正が付く)は、このレベル帯の武器としてはかなり高性能で、上級になってもしばらくは重宝するほどなので、中級から上級にあがった位のプレーヤーが定期的にPTを組んだり、転売目的の高レベルプレーヤーが単身で、鬼熊を斃すために籠もっていたりする――所謂『ボス張り付き』と言われる行為で、マナー的にはあまり良い顔をされないが、システムやルール的には、許容されている(処罰の対象にならない)――ので、彼らのような見るからに初心者臭いプレーヤーがBOSSと遭遇できたのは、僥倖以外のナニモノでもないだろう。
とは言え、このままだと全滅は必至に思える。
そうして全滅した場合、限られたリソースを奪い合うMMORPGで、彼らがセーブPから死に戻りするまでの間、手負いのBOSSをわざわざ放置しておくお人好しはいないだろう。
なにしろゲームシステムによって、与えたダメージ量/総HP 50パーセント以上でなおかつ、最後にダメージを与えたものにドロップ物の所有権が移行することになっているのだから。
そして、いまの会話を聞いた限りでは、まだHPの半分を削ってイエローにも達していない様子なので、ここで彼らが全滅すれば、せっかくの幸運も、その後から来たプレーヤー(もしくはPT)に奪われることになる。また、得てしてそういう場合に、レアアイテムがドロップされたりするのが世の常だったりするので泣くに泣けない。
また、仮にHPが半分以上削られた状態で彼らが全滅し、鬼熊が放置されていたとしても、BOSSが時間湧きである以上、まずはコイツを斃さないことには新しい鬼熊が湧かないので、見つけたプレーヤーは、コイツをさっさと斃してしまって、次に備えるのが効率的というものだろう。
つまり普通のプレーヤーであれば、彼らが全滅したとしても「ま、これも経験だ」と割り切って、生暖かく見守るのが常……というか、下手に関わると『横殴り』――先に戦っている人がいるモンスターに後からつっこみ、攻撃する先の『ボス張り付き』同様に一般的にマナーの悪い行為とされる――と、受け取られて面倒なことに巻き込まれる可能性があるので、避けたほうが無難なのだ。
(とは言え、どこで誰が見ているかわからないからな。黙って見ているわけにもいかないか)
良くも悪くも悪目立ちする、自分の分身を見て、僕はモニターの前でため息をついた。
世間的には『温厚で優しく、面倒見の良い頼れる上級者』で通っている自分のイメージ――たとえそれが、仮想現実の中で初心者から感謝されチープな自尊心を満足させることで、ニートでヒキコモリという現実から目を逸らすだけの欺瞞だとしても――いや、だからこそ、なおさらそういう自分を演じ切らなければならない。
僕(の分身)は小走りに洞窟のようになっているダンジョンの角を抜け、溶岩が流れる川に掛かった岩の橋を通って、目標――小学校の体育館ほどの広間にいる、ちょっとした二階建ての家ほどもある、棹立ちした角の生えた巨大な熊と、その周りに5~6頭いる眷属の黒熊、そして向かい側の通路に半ば隠れるようにして、攻撃を凌いでいる3人のプレーヤーを確認した。
広場の中には他に2人のプレーヤーが倒れて、その上に死亡を示すアイコンが浮かんでいる。
僕は部屋の反対側から、こちらに背を向ける鬼熊越しに、彼らに話しかけた。
「あー、すみません。助けが要るようなら、手伝いますけど?」
突然言われた彼らも面食らったのだろう、数秒沈黙した後、どことなく破れかぶれの調子で、PTのリーダーらしい人間の剣士が、返事をよこした。
「――頼む。周りの雑魚でいいのでタゲを取ってくれ!」
「いや、取りあえずしばらく壁になってますので、皆さんその間に回復してください」
言いながら愛用のソードブレイカーを抜いて、ヒーターシールドを構えながら躍り出る。
完全にタゲ(ターゲット)が、あちらのPTにあるので、悠々と背後に回りながら、素早く連続突きを鬼熊の背中に入れる。
ガクリとHPバーが下がって、一気に注意領域になった鬼熊は、さっさとタゲをPTからこちらに変えて、重機ほどもある両方の爪を振るってきた。
これを手にしたヒーターシールドでガードする。
はっきり言って鬼熊ごときなら秒殺できるけど、これ以上、余計なダメージを与えると横殴りと見なされる恐れがあるので、以降は一切手出しをしないようにして、ひたすらタゲを取ることに専念することになる。
一方、窮地を脱したかに見えた初心者PTの方だけど、リンクした猛熊の相手をするのに手一杯で、肝心の回復を後回しにしているようだ。
「まずは回復に専念して! 攻撃は後回しだ!」
手際の悪い彼らに指示を飛ばしたところ、信じられない答えが返ってきた。
「ヒールポーション持ってないんですよ」
「俺も5個しかなかったから、もう使い切って」
「すんませんポーション持ってたら分けてもらえませんか。できれば死んだ連中用に蘇生薬2個あれば助かるんですけど」
あんまりと言えばあんまりな答えに絶句する。
この『E・H・O』は往年のUO程ではないにしても、いまどきのゲームとしては死亡ペナルティがかなり高い。特に蘇生薬は高額課金アイテムで、見知らぬ他人においそれと渡せるものではない。
初心者にしても、あまりに厚かましいお願いに、内心キレそうになるのを我慢して、どう角が立たないように断ろうか考えていたところへ、また第三者のオープンチャットが入った。
「あれ? なにしてるの、こんなところで。しかもソロなんて珍しいねぇ」
見れば優美な半透明の長剣を握り、薔薇の花の咲き乱れる黒いドレスを着た黒髪の小柄な少女型分身が、僕の入ってきた入り口から、のこのこ入って来たところだった。
頭の上に表示されている名前を見るまでもなく、見覚えのあるそのプレーヤーの姿に、思わず唇が綻んだ。
「緋雪さん。ちょうど良いところへ。すみませんけど、そこら辺に転がっているプレーヤーの蘇生と、奥の彼らの回復をお願いできませんか?」
「いいけど。……なに、ギルドの新人育成?」
言いながら冷凍マグロみたいに転がっている連中に、手際よく完全蘇生をかける――吸血姫という種族以上に、『E・H・O』ではレア職業の『聖女』である――彼女(彼?)。
「いえ、今度の龍狩り用にハイヒールPを多めに用意しておこうと思いまして、ここの『炎花』を採りにきただけです。で偶然ピンチに通りがかったので、壁役になってるだけですよ。――緋雪さんこそ、どうしてまたここへ?」
「へえ、相変わらず人が良いね~。私は今度の月末のギルドイベントの『ドキ☆男だらけの水着大会 (ポロリもあるかも)』の会場にここのダンジョンがどうかと思って、下見に来ただけだよ。ちなみに男性キャラ限定で水着で、革の鞭だけで熊狩りをする予定。私はいざと言う時の回復役だねぇ」
「……最弱武器で熊狩りですか。そちらも変わらず珍クエ好きですね」
話している間にも、すっかりHP・MPともに満タンに回復したPT全員に、これでもかと補助魔法を重ね掛けする緋雪さん。
「すげー」
「聖女とかオレ初めて見たぞ」
「こんなにアイコン並んだの見たのも初めてだ」
唖然としている連中に声を掛ける。
「これでバックアップは充分でしょう。いまのうちに皆さんで斃してください」
それで我に返ったらしい5人組が、一斉に鬼熊に、各々の武器を構えて立ち向かっていった。
◆◇◆◇
いつの間にか、椅子に座ったまま軽く居眠りしていたらしい。
男は夢の中で追走した、在りし日のなんと言うこともない出来事を思い出して、自嘲気味の笑みを浮かべた。
(……結局あの後、案の定BOSSドロップで『鬼斬丸』がでて、あの初心者PTが大モメにモメたんだったな)
所有権が誰にあるかでグダグダになったところで、緋雪がオークション価格より随分と高めに買取を提案して、その場で買い取って5人全員に均等に代金を払ったことで、どうにか丸く収まったものだが。緋雪はいまもあの時の『鬼斬丸』を持っているんだろうか。それともとっくに転売したかも知れんな。……まあどうでもいい事だが。
そういえば、その後が面倒臭かったな。
聖女である緋雪がギルマスと知って、連中、彼女のギルドに入れてもらおうと、何度断ってもしつこく頼み込んで辟易させていたっけ。
ちょっとでも『E・H・O』ギルド事情を知っている人間なら、そんな無謀なことなど口に出さないものだが――なにしろ『三毛猫の足音』は30人程度の中規模ギルドながら、ほとんどがカンスト組で構成されていて、しかも爵位持ちが5人もいるという超有名ギルドだ。
緋雪本人はどう思ってたか知らんが、初心者が冷やかしで入れるような敷居の低い所じゃなかった。その上、ほぼ全員が最後までギルドを退会しなかったくらい結び付きが強かった。
基本的に来るものは拒まずで、いつの間にか最大ギルドなんて呼ばれたウチとは対照的だったな。でかいだけで団結なんてものはなかったし、いくつかの集団に分かれて揉め事は始終あったし、毎日誰かしらが退会してたし……正直、緋雪のところが羨ましかったな。
いや、羨ましかったのは緋雪本人に対してかも知れんな。
あの当事の俺は、就職に失敗してその後何年も家でだらだらとゲームばかりして、現実を見ないで……だけど、アイツは俺と正反対だった。俺なんかより余程辛い人生を送ってきたのに、ずっと前向きで明るかった。だから俺は……。
ふっ……と、夢のせいか、いつにもなく感傷的になっていることを自覚した男は、一つため息をつくと、手に持っていた二つの水晶球(内側に『白銀』と『紫』の炎のような光が揺れている)を、しばし凝視してから、壁に向かって軽く放り投げた。
水晶は空中にレールがあるかのように、そのまま真っ直ぐに壁際に設置してある燭台のような、台の上にピタリと乗った。
「……緋雪に対して、連中が人質になるかはわからんが、とりあえずは生かしておくか」
呟いた男の言葉が、誰も居ない無機質な部屋の中で溶けて消えた。
とりあえずは新章に入る前に、ちょっとだけ彼のバックボーンを出しました。