第十六話 轟姫参戦
幅だけでも60メートルはある巨大かつ壮麗な廊下は静謐に包まれ、外の喧騒が一切聞こえない別世界のような幽玄さを、いまも醸し出していた。
等間隔に天井から吊り下がった水晶製のシャンデリア――比較対象がないので判別し辛いが、枝を伸ばした1000年以上の樹齢の巨木ほどのサイズがある――が放つ煌々たる輝きと、白銀の柱に取り付けられた黄金の飾り燭台の上でまたたく青白い魔法の炎が織り成す幻想的な光と影の狭間で、2対6の男達による戦いの幕が切って下ろされようとしていた。
「こいつの相手は俺がしますので、老師は周りの雑魚をお願いします!」
騎士団長ベルナルドの交差させた二刀と打ち合った瞬間、鍔迫り合いの姿勢から即座に後方に跳ねた稀人の胸元近くを、ベルナルドの二刀が通り過ぎる。
「気楽に言ってくれる。年寄りをあまり働かせるなよ」
5人一体となって襲ってくる聖騎士の包囲の輪につかまらないよう、巨体にも関わらず流れるような足運びで距離を保ちながら、隙があれば即座に神速の踏み込みから距離をゼロにして、掌底や肘を放つ獣王。
自分で「年寄り」を公言する年寄りほど、自分のこと年寄りだと思ってないんだよなぁ、と苦笑しながら、10メートル程の距離まで下がり、再び大剣を構える稀人。
青を基調とした聖唱鎧の上に、青いサーコートを羽織ったベルナルドの右手に握られているのは十字をかたどった柄の細身の長剣、そして左手には他の聖堂騎士たちとは違って盾を装備しておらず、代わって両刃の中剣が握られていた。
リーチ的には大剣を持った自分の方が有利だが、取り回しと手数では相手の方が上だな――と、相対す稀人は素早く判断した。
一合打ち合った感触では、あちらの武器もおそらくは伝説級武器、ただし鎧に関しては、こちらが同じく伝説級の水竜王の鎧なのに対して、2~3歩劣る装備と見た。
――ただしあちらは二刀。総合的な武装では互角……ならば後は純粋な腕の差が勝敗を決めるな。
そう肚をくくった稀人に向け、ベルナルドの鈍色の瞳が圧倒的な気合を放つ。
僅かに浮かべていた笑みを消して、正面からそれを受け止めた稀人の口元から、力強い声が迸った。
『我は無類無敵、我が剣に敵うものなしっ。――我が剣技は眼前の敵を討ち滅ぼす!!』
同時にほとんど万能とも思えるほど全身に力が漲り、全感覚が100パーセント開放された。僅かな躊躇も命取りになる。最初から全力で当たらねば、到底勝てる相手ではない。
「……魔術言語による、フルブーストか。緋雪ちゃんも面白い眷属飼ってるなぁ」
すっかり観客モードで、廊下に座って寛いでいるシルクハットにスーツ、蝶ネクタイを締めた白い仮面の男――どういう仕組みになっているのか、その仮面の上に『(; ・`ω・´)』という表示がでた。
二刀流を相手にしたことはないが、右手を前に半身になったその姿勢には、まったく無理がない。1手先を読む程度ならともかく、このレベルの相手と2手3手先の読み合いをしても迷いを産む。ならば、常に先手を打ち込むのみ。そう覚悟を決めた瞬間、稀人の右足が床を蹴っていた。
「――はっ」
床ギリギリの高さを滑空するように一瞬にして駆け抜け、剣を捻りながら突き上げる。
一条の光とも見まごう剣閃を、ベルナルドは不動の表情で見切り、交差させた剣でこれを受ける。激しい火花が散り、強化された稀人の筋力と勢いに押されて僅かに相手が後退した。
稀人は衝撃をそのままにくるりと身体を捻り、二撃目をほぼ真下から切り上げる。
「はああーっ!!」
ベルナルドの全身から霊光――かつては黄金色だったそれだが、現在は赤黒い血の色に染まり斑になっている――が放たれ、稀人の追撃を軽々と右手の真・十字剣のみでさばく。
さらにお返しとばかり、左の剣が稀人の胸元に滑り込む。
咄嗟に戻した剣の鍔元でこれを受け、その勢いで距離を置く稀人。
そこへベルナルドが突進してきた。十字剣が霊光をまとって神速の突きとなる。
「くっ」
受けるのは危険と判断して稀人はその外側、相手の右手側へ死角へと回避を試みる。
それに対して、ベルナルドの十字剣が翻り、錆びた黄金の霊光が刀身から放たれた。
「くおっ!!」
咄嗟に大剣でカバーした稀人の長身が、激しい衝撃に翻弄され軽々と吹き飛ばされる。
「このっ!」
空中で一回転してどうにか着地を決める稀人。
息継ぐ暇もなく、距離を縮めたベルナルドの右手が霞み5連続の突きが稀人の全身へと叩き込まれる。
これを両手で握った大剣で可能な限り捌くが、勢いを殺しきれずに鎧のあちこちを掠めた剣先が火花を散らしす。
右の5連続突きを捌かれたベルナルドの左手が、袈裟懸けの姿勢から、右の切り上げ、水平切りへと移行する。その合間を縫って、右の3連続突きが襲い掛かる。
「花霞――白波之太刀!」
そのすべてを捌きながら、僅かに無防備になった手首を狙ってのカウンターが、霊光を切り裂き本体へと通った。
「くっ!」
左手首の内側をざくりと切られたベルナルドが、咄嗟に距離を置こうとバックしたのに併せて、稀人の全力の突きがこれを追尾する。
「鐘楼砕きっ!」
爆発したかのような踏み込みとともに、一条の砲弾と化したかの勢いで大剣の先端が、ベルナルドの心臓目掛けて放たれた。回避し切れないと判断したベルナルドが、これを十字に交差させた二刀を盾にして受け止める。
「いけーっ!!」
鋼鉄の塊のような手応えを無視して、そのまま全開で撃ち抜く。
貫通こそしなかったが、これまでにない確かな手応えを感じた稀人。
ベルナルドの身体が、ガガン!!という金属音とともに跳ね飛ばされた。
「――ダーク・インパルス」
「ぐああああっ!!!」
剣を構えなおして距離を詰めようとした稀人の身体が、次の瞬間、暗黒色の雷に撃たれて跳ね飛ばされた。
「――いかん!」
これまで傍観していた敵首魁の参戦に、さすがに獣王にも焦りが浮かんだ。
素早く翻ったその左手から、先端を尖らせた太い鉄釘のようなもの(「手裏剣」「鏢」などと呼ばれる投擲武器)が数本放たれる。
「ダーク・シールド」
白仮面の周囲に展開された半透明の障壁が、それを弾き返す。
「――余計な真似を!」
火を吹くような形相で、主人に当たる男を睨むベルナルド。
男の方は、『のヮの』という表示を浮かべて明後日の方を向いていた。
大剣を支えに立ち上がった稀人。
かすかに焦げ臭い臭いが漂うが、幸い鎧の防御力と吸血鬼としての回復力のお陰で、致命傷には程遠いようだ。だが――。
「……いまので強化が切れたか。再度使えるまで魔力の回復を待たねばならんな」
明らかに重くなった――精神的な消耗も含めれば傷は深い――身体に鞭打って、稀人は再び剣を構えた。
併せてベルナルドも剣を構えたが、鋼鉄のような顔立ちには深い憤りと悲哀があった。
「……惜しい。おぬしのような男と、このような無粋かつ公正さに欠ける死合いをせねばならんとは。慙愧の念に耐えん」
「しょうがないさ。そもそも戦争に尋常な勝負を求めてもしかたなかろう」
飄々とした稀人の言葉に、ベルナルドは最後の躊躇いを捨てた。
「その通りだ。マロードよ、黄泉路で逢おう」
前傾姿勢から一気に間合いを詰めようとするベルナルド――その半瞬前、
「い――――やっほーーーうっ!!」
陽気な掛け声とともに、銀色の帯のようなものがベルナルドに向かって、ランダムな機動で襲い掛かってきた。
同時に巨大な斧槍が、回転しながら向かってくる。
その軌道上から咄嗟に横に避けた稀人と、前進に使用する予定の運動のベクトルをすべて後退に回したベルナルドの目前の廊下に、巨大な斧槍が突き刺さり、続いて銀色の帯が廊下に溝を作り、戻るついでとばかり斧槍の柄に巻きつき、一気に引き抜いて行った。
「……やっときたか、馬鹿弟子どもが」
ガードした盾越しに剄を放って聖堂騎士を弾き飛ばしながら、獣王がちらりとその方向を向いた。
見ればともに身長2メートルを越える、引き締まった体格の【妖鬼族】の男女が二人その場に立っていた。
片方の狩衣に似た衣装を身にまとい、左胸のところにプロテクターを着けた3本角で黒髪、ワイルドかつ秀麗な顔立ちの青年鬼の手にはドリルに似た螺旋状の剣が握られ、もう片方の胸鎧に動きやすい短衣、手甲足甲を装備しただけの茶褐色の長い髪をした5本角の美貌の女鬼は、両手に巨大な斧槍を装備している。
「申し訳ありません、師匠。この馬鹿がゴネやがって」
伝法な口調で女鬼が頭を下げながら、黒髪の鬼を横目で睨む。
「しょうがないだろう。緋雪様の前で良い格好できるって聞いたのに、肝心の緋雪様がいないんじゃ意味ないだろう」
無理やり散歩に連れて来られた子供みたいな顔で、そっぽを向く青年鬼。
「――あの、老師。この二人って老師の弟子ですか?」
なんとなく毒気を抜かれた格好で尋ねる稀人。
新たな敵の出現に、聖堂騎士達も警戒してベルナルドの元に集まった。
奇妙な小康状態を保つ場の中で、自然体のまま獣王は頷いた。
「うむ。姫から鍛えてくれるように依頼されてな。二人ともなかなか筋が良い。人間の武芸者のように、余計な癖がついていない分、素直に吸収する上、ちょっとやそっとでは死なんからな。血塗れになりながらも向かってくるところなど、実に有望じゃわい。最近では熱が入って180時間ぶっ通しで稽古をつけておる」
嬉しげになんかとんでもない修行内容をさらりと口に出す獣王。
俺直接この爺から指導されなくて良かったなぁと思いつつ、重ねて尋ねる稀人。
「姫を知っているようですが、不覚にも俺は二人とも知らないんですが……?」
「こっちの男――九印は直接、姫が才覚を見込んで本国に連れて来た後、ずっと儂のところで稽古していたから知らんのは無理もないが、琥珀の方はおぬしも何度か会っておるぞ? いや、もっとも進化して以後は会っておらんか」
そう言って、ちらりと弟子だという女鬼の方を向く獣王。
「あ――」
『進化』『鬼』『女性』『五本角』これらの単語が稀人の中で、かちりと組み合わさった。
「……もしかして、大鬼姫のソフィアさんですか?」
恐る恐る尋ねると、当の本人から肯定の笑みが返ってきた。
「いまじゃ『轟鬼姫・琥珀』だけどね。この馬鹿弟弟子ともども、姫様から正式にお名前を頂戴したんで、よろしく頼むよ」
かつての面影がどこにも(まあ逞しい筋肉とか角の数とかにはあるが)ない、美女化したソフィア改め琥珀にウインクされ、どういう反応をしていいのか咄嗟に思いつかず、曖昧に頷く稀人。
「あ、ああ。よろしく」
それから、不貞腐れたような顔をしている九印の方にも、いちおう挨拶をする。
「君もよろしく、九印。お互いに姫のために頑張ろう」
あくまでこの国に生きる者としての社交辞令的な挨拶だったのだが、九印はジロリと胡散臭そうな目で、稀人を見た。
「姫様のためェ? まさかお前もあの方と交尾するのが目的なのか? だったら敵だぞ」
「はあああ?!」
いきなりとんでもないことを言われて、稀人の口から素っ頓狂な声が漏れた。
そんな彼の前に、すたすたと九印が歩いてきて、念を押すように凄んだ。
「いいか。俺が働くのはあくまであの方と将来的に交尾して、俺の子供を産んでもらうためだ。邪魔するならお前も敵だ、わかったな」
「ちょっと待て。ちょっと待て!」
そこへ敵味方から完全にボッチ状態にされていた、白仮面が割り込んできた。
「勝手なこと言わんでください。緋雪ちゃんは俺の嫁ですが、なにか」
「なんだと!」
手にしたドリル剣――螺旋剣を構えて気色ばむ九印と、こちらもどこから取り出したのか蛇腹剣を出して、『(`・ω・´)』顔で対抗する白仮面。
おかしな成り行きに稀人が、口元を思いっきり歪めた。
「……あのな。貴様もややこしくなるから、余計な口を挟むなよ。あとお前ら、本人の意思を無視して、勝手に家族計画とか嫁とか言うな。そういうのは手順を踏め。――言っとくが、俺はちゃんと口頭で本人に結婚を申し込んだぞ」
言いながらハワルタ-ト・ブレードを構える。
「………」
「………」
「………」
1呼吸置いて、3人が3人とも同時叫んだ。
「「「お前ら二人とも敵だ!!」」」
わけのわからん三つ巴の戦いが勃発した瞬間であった。
◆◇◆◇
「あははははははは…やめ……あはははっ…放して……あは、あは……はーなーせー……ひゃああああ…きゃははは……やめ、やめ、らめぇ……」
その頃――。
廃龍が空中庭園に到達したのを知った緋雪は、即座にプレーヤースキルの【帰還】で、セーブPである空中庭園に戻ろうとしたのだが、単独での帰還を断固反対する天涯らの手により、身動きの取れない状況に拘束されていた。
具体的には、天涯の背中の上に押さえつけられる形で、命都以下、親衛隊の四季姉妹ら天使の女の子たちにより、腹ばいの形で四肢すべてを取り押さえられていた。
もともとカンストプレーヤーとしては非力な緋雪のこと、当然抜け出せるわけもなく、そうした素振りを見せるだけで脇腹をくすぐられるなど、女子達によって言い様に玩ばれていた。
「あら、姫様。御髪が乱れておりますわ。すぐに直さないと」
「あら、姫様。少し肩が凝ってらっしゃるようですわ。マッサージしたします」
「あら、姫様。日に近い場所にいるせいか、少々お肌が乾いているようですわ。すぐに全身にクリームをお塗りいたします」
「あら、姫様。この下着はどうかと思いますわ。せっかくの晴れ舞台ですのに、こんな縞々の色気のないものではあんまりですわ。すぐに透けるような絹の下着とお取替えいたします」
「あははは、は……やめ、やめて……放し…ああん……やーめーてー……!!」
これはこれで本人にとっては大惨事なのかも知れなかった。
自分でも意外な展開になりました。
それにしても、緋雪が本気で出番がないですね。




