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我々が書いているものはネット上での閲覧が大前提であるゆえ、何人もの手を経て完成品となる『書籍』とは異なる部分が表紙にあたる……そう、タイトルだ。
まあ、つけなきゃ投稿もできないんだけどね。必須項目だし。
ここに何を書き込むかで大多数の人物は悩むであろう。タイトルである以上、内容を端的に表し、尚且つ人目を引く『言葉』を選ばなくてはならないと。実に正しいが、一面記事的な発想ですな。
ならばちょっとひねってやろう、と。内容をきちんと留めつつ、言葉遊びなど盛り込んだ、こじゃれたタイトルをつけてやろうと? いいねえ。三面記事的だ。
アザとーのはさらにずるいやり方。う~ん『駅売りスポーツ新聞的発想』かな。も、もちろん、内容もあわせて考慮したうえでですよ?
スポーツ新聞だって、スタンドに立っているときは見出しの全文が見えないゆえに「激しいH」に見えたのが「激しいHERO魂」だったりとか……内容を曲げたわけじゃないけれど、やってやりましたぜ感が大好きなのです。面白ければOKと思っているので、むちゃくちゃやらかすことも平気。
でも内容との統一感を考えると、そうそうに冒険はできませんなあ。そう、タイトルで一番大事なのは内容との統一感なのです。
例えば新聞で言えば、人死にが出た事件なんかにあまり奇抜な見出しはつけられない。どんなに面白おかしく、例えばバナナの皮に滑った勢いで女性のスカートに顔を突っ込んでしまい、「いやぁ!」と突き飛ばされた先で中年おっさんとハプニング・キッスをしてしまいそうになり、回避すべく体をひねったところにトラックが突っ込んできて死亡したとしても、最終結論が『死亡』であるというだけで実に手狭いことになる。
遺族への配慮、社会的批判を考えたら、このドラマチックの全てを書き記すことさえ許されないだろう。おそらく見出し屋たちは思うはずである。「助かってくれれば、面白く書けたのに……」
これは小説で言うところの『主題』が死亡であると言うことに起因する。死は現実世界では最も重いテーマだ。同じように政治や経済の話も、あんまりおちゃらけた見出しをつけるのは、社会派作家の作品にラノベタイトルをつけるような違和感が拭えないだろう。
だからむしろ、三面記事のヒマネタの見出しが大好きで、妙に全精力を注ぐおっさんが多いのだが、まあそれはおいておいて……。
例えば真面目な話題に『新しい法律が幼女好きの僕を縛ろうとしているんだが、それってナニ?』と見出しをつけたなら「ああ、あれね」と一目瞭然。だが、その内容は一面記事にはならないだろう。
たぶん、特集。それもお子様にもわかりやすく解説しますよ系の。
ならば無難に、『児ポ法―愛を返して―』とかつけるか? ぬあ、ちょっと重たいルポ小説っぽいな。暗い感じの。
やっぱり、『篭女』にしよう。うん、この場合のカゴメはね、規制された二次元の幼女たち、そしてそれによって筆を奪われた創作者たち、さらには結局は法では守りきれなかった現実の子供たちをも表す、実に含蓄の深い言葉なのだよ。当然内容は社会に切り込んだ、重厚かつ真面目な文学作品さ。
かようにタイトルは作品全体の『雰囲気』を表すものである。
まあアザとーは不真面目なんで、それを逆手に取ったりもするけどね。例えばこのシリーズ、堅苦しそうなタイトルをつけておきながら内容はネタネタしてるじゃん?