殺戮機械が思い出に浸るとき 98
「駄目です! 本当に困ります! 」
女子職員のすがりつくのを無視して安城秀美はかつての職場である東和国防軍保安部の部室を横切るように歩き続けた。周りで呆然と見守るのはかつての彼女の部下達。安城の強情さを知っている屈強な戦闘用のサイボーグ達は安城が同盟司法局に出向してから総務担当として配属になった小柄な女子職員がいくら騒いだところで安城を止められないことは分かっていたので黙ってその様子を眺めていた。
「昔の部下に挨拶するのがそんなに困ることなのかしら? 」
一枚の明らかに他の扉とは違う防弾措置の施された頑丈な扉の前までたどり着いた安城の一言にただ泣きそうな顔で女子職員は頭を下げる。
「大丈夫よ。私は岡田捜査官のお招きでここに居るんだから……嘘だと思うなら……ほら……」
安城の言葉と共に重そうな黒い扉が触れることもなく開いた。女子職員はただあっけにとられて中に入っていく安城を見送るばかりだった。
「来るとは思いましたが……新人の事務官を虐めて楽しいですか? 」
薄暗い室内。十畳ほどの部屋にはモニターと計器を接続するジャック、そしてサイボーグが直接ネットに接続するための装置が並んでいる。その中央には中背の禿頭の中年男が笑いながら椅子に腰掛けて慣れた調子で歩いてくる安城を眺めていた。
「ちょっとした社会勉強になったんじゃないの? 世の中いろんな人がいるんだから。それより……その様子だと何もつかめていないみたいね……上から言われてるんでしょ、吉田俊平に関するデータを揃えろって」
小憎たらしい笑み。かつて自分の上司として働いていたときはあまり見ることの無かった人間的な笑みに岡田は自然と苦笑いを浮かべて頭を掻いた。
「まあ分かったことと言えば……吉田って男が相当東和国防軍を嫌っているってことくらいですよ。公安には顔を出しましたか? 」
「いいえ……その様子だと公安は国防軍のサーバを使って吉田の身元を洗おうとしたわね……」
安城の表情が厳しくなるのを見ると岡田はそのまま彼女に背を向けて自分用の端末のキーボードに手を伸ばした。目の前の画面と安城の手元の小さなモニターに大手のネット検索会社のサイトが表示される。
「こうして世の堅気の人々のサイトで吉田俊平と検索をかけると……当然ながらまあ会社の社長やら大学教授やらの名前が表示されることになりますよねえ。当然、あの男も東和で住民登録をして仕事をしているわけですから、何件かあの男のデータも検索に引っかかる……」
岡田がキーボードを操作するとファンシーな壁紙のホームページが表示され、安城も見慣れたナンバルゲニア・シャムラード中尉の間抜け面とその隣で渋い表情を浮かべる吉田の写真が映し出された。
「だがちょっと深く探ろうとすると……」
そう言いながら岡田がキーボードを数回叩いた瞬間だった。室内の電源が完全に落ちた。そして同時に安城の上半身が糸が切れたマリオネットのように床に転がった。