殺戮機械が思い出に浸るとき 35
「旦那……ずいぶんらしくない言葉を吐くじゃないか」
「らしくないか……確かに感情で動く人間を信用するなと以前講釈をたれたことがあったな」
要の言葉にクエンは素直に笑った。その素直さが逆に誠には気に掛かった。先ほどから数秒に一度、サングラスの下の目は誠に向けられていることが分かっていた。それは嫉妬と言うよりも純粋に興味から発した視線であることは鈍い誠でも分かることだった。そして裏社会の人間が自分に興味を持つことは常にその能力を知ってのことだと分かっていたのでただ黙って注文をするアイシャの言葉に頷いてそのままクエンを見つめていた。
「利だけで動ける人間は尊敬に値するよ。俺はどうやらそう言う人間にはなりきれないらしい。それでもおかげでこうして今をときめく遼州同盟の直系組織と接触を持てたんだ。多少はそう言う自分の人間らしさに感謝したいこともあるさ」
「私達は同盟司法局の局員としてでなく……」
クエンに明らかに敵意を抱いているカウラの言葉を遮ると要は静かにバッグから札束を取り出そうとする。だがクエンは皮肉めいた笑みを浮かべると首を横に振った。
「さっきも言ったはずだ。俺は……俺達は人捜しに協力するつもりは毛頭無い」
そうつぶやいたクエンの表情はこれまでの穏やかな面影はすでに消え去っていた。合法、非合法を問わず絶えず利潤のみを追求するマフィアの幹部の姿がそこにあった。去っていくウエイターを見送っていたアイシャも真剣な表情でクエンを睨み付ける。
「じゃあ旦那はアタシと一緒にダンスでも踊るつもりで来たんですか? 」
「それはいい話だな。いい女とは撃ち合いをするよりはダンスでも踊る方をどんな男でも選ぶものさ。まあそこの兄さんが許してくれればの話だけどな」
再びバーで佇む優男の表情に戻ったクエンが口元に最上級の笑みを浮かべながら誠を見つめてきた。誠は慣れない雰囲気にただ戸惑って要に目をやった。
「この馬鹿の許し? 旦那も冗談が過ぎるぜ。アタシはアタシだ。踊りたくなったら踊る。いつだってそうしてきたことは旦那も知ってるだろ? 」
どこか挑発的な要の言葉にクエンは膝を打った。すぐに爆発的な笑いがフロアーにこだまする。誠から正面に見えるカウンター席のカップルがどうしたかと確認するように振り向いて怪訝そうな顔をしていた。
「それでこそ租界の名花と呼ばれたお前さんだよ。兄ちゃん……いや、神前誠曹長。君の上司はなかなか気まぐれだからな……苦労は察するがその甲斐がある上司だと俺が保証するよ」
そう言うとクエンは立ち上がる。
「旦那、もう帰るんですか? 」
突然立ち上がったクエンに要は驚いたように声をかけた。その声はどこか悲しげで、誠には二人の間の自分の立ち入ることの出来ない関係を思い描きながらただ黙ってクエンを見上げていた。
「ああ、俺も忙しい身でね。これから朝まで難しい仕事をこなすことになりそうな。その前にお前さんと仲間達の顔を見れたのは僥倖と言うところかな」
にやりと笑ってウエイターが持ってきたコートの袖に手を通しながらクエンは余裕のある笑みでつぶやいた。
「あなたのような忙しい人に気まぐれで旧友に挨拶をする余裕があるとは……東都警察もたるんでいるんですかね? 」
カウラの皮肉。黒いコートに白く長いマフラーをかけたクエンはそのカウラの様子を相変わらずの余裕を持った態度で聞き流しながらそのまま背を向けて歩き出した。
「ああ、そうだ」
数歩歩いたところでクエンが立ち止まる。誠達は軽く振り返るクエンのサングラスを凝視する。
「菱川財閥の幹部連が君達を煙たがっているそうだ。大事にならないうちに処理しておくのをお勧めするよ」
捨て台詞のようにそう言うとそのまま大きなクエンの後ろ姿は観葉植物の影に消えていった。