殺戮機械が思い出に浸るとき 151
「さすがですね。他人事ですか」
嵯峨の言葉に菱川は表情を曇らせた。
「まあそれが処世術という奴ですか……さすがは売国王の子孫だけのことはある」
「かつて東和の王権を放棄した恵王のことか?庇うわけじゃないがそのおかげでこの国は独立を守り続けてきたんじゃないかね?」
静かに葉巻を灰皿に押し付けると不機嫌そうにそれだけ言って菱川は嵯峨を睨みつけた。
「確かに先祖の悪口を言われるのは気分のいい話じゃないですね。まあ私も恵王は名君だと思いますよ。それまで遼州系でタブーとされてきた金属器の製造やその後の地球人の受け入れもどちらも今のこの国の反映には必要だった」
「必要なことをした人物が売国奴と呼ばれるとは皮肉なものだな」
菱川の言葉に嵯峨は曖昧な笑みを浮かべる。
「まあ世の中の人間はシンプルなものを求めますから。まあ私は複雑な方が好きなんですがね。まあこれ以上お忙しい身を引き止めるのもなんですから」
それだけ言うと嵯峨は一回思い切りタバコを吸いきると灰皿に吸殻を放り込んで喫煙所をあとにした。
「複雑なのが好きか……」
「御前……あの男は御前のことをどこまで知っているんでしょうか?」
菱川の隣に立つ長身のガッシリとしたサングラスの男が絞り出すような低い声でそう言った。
「なに……今のところは私の素性をどれほど知っていようが関係無い」
「しかし……御前の前で恵王、御前の諡を口にしました」
三百年の間、聞かなかったかつての名を口にされても菱川はただ静かに佇むだけだった。
「今のところは敵に回す人物じゃないな。味方にならないのはわかってはいるが、わざわざ付け入らせる好日を作る必要などないだろう……ルドルフ・カーンよりは切れる男だ」
菱川はそう言うと右手をサングラスの護衛に差し出した。サングラスの護衛は手にしたアタッシュケースから葉巻の入った筒を渡す。菱川はそれを受け取ると葉巻を取り出し、再び手を出す。
その手に今度は葉巻用のハサミを手渡す。菱川はそれで葉巻に吸い口を切り取るとポケットから取り出したガスライターで葉巻を丹念に炙って火をつける。
「廃帝ハドの復活だけでも頭が痛いが……均衡を守るというのは疲れる作業さ」
「ご心中お察しします」
護衛の言葉にようやく笑らしいものを浮かべた菱川は静かに葉巻の煙を吸い込んだ。
「そう言えば遼南の太宗の息子はあの嵯峨の部下だったはずだな」
「はい、神前誠とか名乗っているそうです」
護衛の言葉に菱川はニンマリと笑う。
「世の中面白いものだな。私もしばらく死ねないな」
白い煙が菱川の口元から立ち上る。微かに春の風が喫煙所に流れた。