殺戮機械が思い出に浸るとき 106
「風がないのが幸いと言えば幸いかねえ……」
黙っていることが苦手というように苦笑いを浮かべながらオンドラは早足のネネの後に続いた。事実、続く道の中央の地面の岩が露出して見える事実はこの島が冬には北からの強い季節風に煽られる日々を重ねることを示していた。
「幸運は訪れるときは立て続けに訪れるものです。そして不幸もまた同じ……」
「妙に悟った発言だねえ……ただそれはアタシも知っている話だ」
ネネはオンドラの仏頂面を確認するために振り返りにこりと笑うとそのまま道を進む。波の音だけが響いている文明社会から隔絶された北方の島。
「全く……吉田俊平……何者なのかどんどん興味が出る光景だよ」
オンドラの軽口が続く。ネネはただ静かにそれを聞き流しながらまるで来たことがある道とでも言うように迷うことなく真っ直ぐ続く海沿いの小道から笹藪に覆われた獣道に足を踏み入れる。
木々は凍り付き、微かに吹く風に遙か高い梢が揺れているのが目に入ってくる。
「ここは本当に東和かねえ……人が入った気配がまるでねえや」
「山の向こう側に行けば空港も街もありますよ」
ネネはそれだけ言うとそのまま獣道を進む。足下を遮る笹の葉は凍り付き、ネネのブーツに当たる度に金属のような音を発してくだけて落ちる。オンドラは傾斜が急になるに従って肩からずり落ちそうになる大きなバッグを気にしながら珍しく黙ってネネに続いた。
道は緩やかな左右への蛇行を繰り返しながら続いた。しばらく行くと道の左脇に沢の流れのようなものが見えた。沢の中央はちょろちょろと凍結を免れた僅かな水が積もった雪に遮られて勢いを殺されながらも静かに流れ続けていた。
「熊とか……いるんじゃないかねえ……」
「いるかも知れませんよ」
立ち止まりオンドラを振り返りにやりと笑うとまたネネは前を向いて歩き出す。オンドラは思わずバッグに手を伸ばすがすぐに思い直して黙ってネネの後に続いた。
急に道は終わりを告げた。正面には崖が壁のように立ちはだかっている。森も途切れ、そこから先は完全に岩と氷ばかりの世界であることが黒いつやのある崖の石が語っていた。
「もうすぐですね」
ネネはそう言うとそのまま迷うことなく岩の一つに手を伸ばした。確実に手を置く場所を押さえて小さな体を片腕で持ち上げる。足もまた的確に今にも滑りそうに見える岩と岩の隙間に置かれるとネネは次の動作へと移って切り立った崖を登り続けた。
「やっぱりあんたは登山の才能があるよ」
「褒める暇があったら付いてきてください……ただし落ちないでくださいよ」
さすがに振り返って振り向く余裕はネネには無いようでそれだけ言うとそのまま崖を登る動作を繰り返す。オンドラは一瞬躊躇した後、ネネが手をかけた岩と足をかけた石の隙間を確認しながら慎重に崖を登りはじめた。