武将 古田織部 第77話 織部の点前
黄金の茶室のまばゆい光を背に、
織部は本堂へと戻った。
北野の森の喧騒が遠ざかるにつれ、
耳に戻ってきたのは──
利休の席から聞こえる、
湯の静かな音だけだった。
席の前に立つと、
利休がこちらを振り返った。
「……織部殿。
しばし、席をお任せしてもよろしいか。」
利休の声は低く、しかし揺るぎがなかった。
織部は深く頭を下げ、
そのまま席に入った。
利休が立ち上がると、
そこに自然と“空白”が生まれた。
織部はその空白を埋めるように、
炉の前に座した。
客は一人。
津田宗及の嫡男──津田宗凡。
宗凡はまだ若いが、
父譲りの鋭い目をしていた。
しかしその目は、
織部が茶杓を取ると同時に、
わずかに揺れた。
「……織部殿が亭主を?」
宗凡は驚きを隠せない様子だった。
利休の席で、利休以外が亭主を務めるなど、
滅多にない。
織部は静かに微笑んだ。
「利休殿より、しばしの代わりを仰せつかりました。
どうぞ、おくつろぎくだされ。」
湯の音が、ふっと強くなった。
織部は柄杓を取り、
湯を茶碗に落とす。
その所作は、
利休のように削ぎ落とされてはいない。
静かで、しかしどこかに“動”の気配がある。
宗凡は、その一挙手一投足に
目を奪われていた。
茶を点て終え、
織部は茶碗を宗凡の前に置いた。
「どうぞ。」
宗凡は両手で茶碗を受け取り、
一口、口に含んだ。
その瞬間、
宗凡の表情が変わった。
驚き、
戸惑い、
そして──
深い感嘆。
「……これは……。
利休殿の茶とも、父の茶とも違う……。
静かで……しかし、どこか……強い。」
織部は答えず、
ただ静かに宗凡を見つめた。
宗凡は茶碗を置き、
深く頭を下げた。
「織部殿。
私は……あなたの茶に、心を奪われました。」
その言葉は、
利休の席の静寂に吸い込まれるように響いた。
この日──
利休の席で、利休の代わりに亭主を務め、
堺の若き商人・宗凡の心を掴んだ織部は、
“次の時代”の扉を静かに開いたのである。




