6. 和音
そのざわつきの正体が、恐怖なのか、違和感なのか。俺には分からない。
けれど、今確実に分かることが、一つだけある。それは、フィユが俺を守ろうとしてくれているということ。
この張り詰めた空気の中でも、フィユの優しさは消えず、そこにあり続けていた。
フィユの視線は、ゆっくりと下に落ちていき、やがて男の喉元で止まる。
慣れた所作であるかのように、彼は腰の剣に手をかけた。
「……お前」
男の喉がひくりと鳴り、声が僅かに震える。
彼はフィユの剣を見て、信じられないとでも言うように目を見開いた。
血の気が引いたような顔をした男は、じり、と後ろに後退る。
男の思考に遅れて気づいたのか、周囲もざわつく。そして、一人、また一人と席を立ち、冒険者教会から去っていった。
どうしたのだろう。もしかして、剣を抜かれると思ったのか?
そうだとしたら、ハッタリだろう。フィユはそう易々と人を傷つけることなんてしないはずだからだ。
それだけの威圧が、彼にあるということなのだろうか。
男は青ざめた表情のまま、負けじとこちらを睨みつけた。しかし、先程までの威勢はない。
そして、吐き捨てるように呟く。
「剣聖……っ」
フィユは、静かに瞼を閉じた。
肯定するわけでもなく、否定するわけでもない。そこには、ただの沈黙が流れた。
――剣聖って、なんだろう。
そんな俺の純粋な質問を口にすれば、きっとバカにされるのだろう。
今、その言葉の意味を知らないのは、この場でただ俺一人なのだから。
いつの間にか、冒険者教会の中には俺たちと男の仲間が二人だけになっていた。
その二人も、怯えるように顔を青くしている。
剣聖って、なにか凄い人なのかな。でも、そんな凄い人がフィユって……。
今までの彼の雰囲気からは、想像もできないことだった。
「…ちっ……」
舌打ちがひとつ。「行くぞ」と仲間に声をかけ、彼らは外へと出ていった。
フィユの横顔を見つめる。俺の視線に気づいた彼は、こちらを見ると微笑んだ。
よかった、いつものフィユの笑顔だ。
そのことに、少しだけ肩の力が抜けた。
「厄介なのに絡まれちゃって大変だったね。でも、れんれん。次からあーいう挑発はしちゃダメだよ?」
ぺち、と彼は俺の額に軽くでこぴんをする。
思わず「痛っ!」と額を抑えると、フィユはくすくすと笑みをこぼした。
彼の表情に安心する。そんなに怒ってはいないみたいだ。
ごめんと謝りながら、俺はへらりと笑い返す。
そして、『剣聖』について聞き出すことにした。
「ねぇ、フィユ。剣聖ってなに?」
フィユは少しだけ目線を落とす。その後、すぐにクエストの看板を見つめて呟いた。
「……名前だけは、有名なんだ」
「有名?」
「みんなが恐れてる剣士の呼び名……って感じかな?」
冗談みたいに、軽く笑う。
呼び名……呼び名か。きっと、役職とは違うものなんだろう。
でも、フィユはどうなんだろう。さっき男が言っていたみたいに、彼は『剣聖』なのだろうか。
けど、聞いていいのかな。本当だったら、聞かれたくないんじゃないのかな。
そう悩み、しばらく俯く。ちらりと上目で彼を見ると、フィユは「大丈夫」と呟いた。
「俺じゃないよ。きっと、誰かと間違えたんだろう」
そう言いながら、彼の指先が、わずかに剣の柄をなぞった。
「…そっか。フィユがそういうなら、そうだよね!」
心の奥に残った小さな引っかかりを、俺は無理やり飲み込んで彼に笑いかけた。
「あら、皆さん勢揃いで、どこかへ行かれたんですか?」
カウンターからそんな声が聞こえ、俺たちは振り返る。
そこには、先程受付をしてくれていた女性が、目をしぱしぱと瞬かせ、驚いたようにしていた。
俺たちは顔を見合わせて苦笑した後、彼女の元へと駆け寄った。
「広場が賑やかだから、皆さんそれを見に行かれたみたいです」
「そうなんですね。今日は一段と広場が大盛り上がりみたいで何よりです」
彼女はにこりと笑う。
フィユは先程のことを隠した。きっと、あまり話を広まらせたくないからだろう。
なら、俺もこの事は口外しないようにしよう。
俺がそんなことを考えていると、どうやらフィユが彼女と話を進めてくれていたらしく、今から俺の冒険者登録をすることになっていた。
彼女はひとつのトレイをカウンターへと置く。そこには、1枚の紙と、烙印が置かれていた。
これが例の烙印か……。
幅が2センチ程の小さな烙印だ。思っていたよりも小さい。
確か、フィユはここに血を垂らせば、って言ってたな。
烙印をまじまじと眺め観察していると、それに、誰かの手が伸びた。
顔をあげると、彼女は微笑み、説明をはじめてくれる。
「今からこの烙印を使って、レン様の役職を決めさせていただきます。今からやり方を説明しますね」
「はい、お願いします!」
彼女は烙印を持ち、手本を見せるかのように説明を始めてくれた。
「まず、血を一滴、刻印に垂らしていただきます。その際、烙印の形状の変化により光が溢れるので、お気をつけください」
「光?」
首を傾げる。気をつけてってことは、結構眩しいのかな。
すると、隣に居たフィユがくすりと笑って、話し始めた。
「冒険者には、属性っていうのがあるんだ。白奏、幽奏、翠奏、雷奏。あと…」
「紅奏、蒼奏、根奏。属性は、この七つで構成されています。フィユキー様は白奏でしたよね」
「はい」
白奏?幽奏…??
難しそうな単語が続けて脳に叩き込まれたせいか、頭が痛みを発する。
俺が頭を抱えていると、2人はその様子を見て楽しそうに笑っていた。
「すみません、混乱させてしまいましたね。ともあれ、レン様の属性が判明された後、その属性について詳しいご説明を致します」
「あ、は、はい!お願いします!」
俺の返答に彼女は頷くと、烙印の説明を再開し始めた。
「光が収まりましたら、この紙に判を押していただきます。判を離し、紙にしっかりとマークが刻まれていましたら、役職の登録は完了です」
「なるほど…結構簡単なんだな…」
「ええ、すぐに終わりますよ。それでは、早速始めましょうか」
彼女から烙印を手渡される。
それを掌に乗せて、少しだけ眺めた。
そういえば、血ってどうやって出せばいいんだろう。切り傷でも作ればでるかな。
「フィユ、なんかナイフ持ってる?」
「え?いや、持ってないけど…」
…うーん。どうしよう。
俺が悩んでいることを察したのか、彼女はああ。と呟き、カウンター奥へと駆け足で向かった。
暫くすると、彼女は両手に小さなコンパクトナイフを乗せ、俺たちの前に立った。
「どうぞ。血は少しだけでいいので、深く切りすぎないようにお気をつけください」
「ありがとうございます、助かります!」
彼女の手からそれを取り、親指に少しだけ刃を当てる。
このくらいでいいかな。と刃を離して切り傷を確認すると、ぷつりと赤い血が流れてきた。
えっと、これを烙印に―――
光が来るぞ。来るぞ。と何度も唱え、心の準備をする。
眩しすぎたらすぐに目を閉じなきゃ。焼かれちゃったりでもしたら笑えない。
目を閉じてひとつ深呼吸をしたあと、ゆっくりと目を開ける。
───ポタリ。
一滴、血が落ちる。
それと同時に、ふわりと光が烙印から溢れ始めた。
紫色の、静かな光だ。不思議と眩しさは感じず、むしろ周囲の色が薄れていく。
音が遠のき、鼓動だけがやけに大きく響いた。
―――綺麗だ。
思わずその光景に見とれてしまった。
その光は呼吸をするように、ゆらりと揺れる。
「……幽奏」
小さく、彼女が呟いた。
幽奏…これが、俺の属性……。
俺の心の声に共鳴するかのように、どこからともなく、低い音が響いた。
深く、重く、胸の奥に落ちてくるような響き。
なんだろう…♭が着いたような、少しだけ奇妙な音だ。
「…光が収まりましたら、紙へ」
彼女の声に、俺ははっとする。
フィユは、何も言わずにその光を見つめていた。
やがて、紫の輝きはすうっと小さくなり烙印の中心へと吸い込まれていく。
今だ。
俺はまた深呼吸をして、紙へと烙印を押し当てた。
───じわり。
紙に触れた瞬間、再び光が溢れた。
今度は、烙印の中ではなく、紙の上から。
それは先程の光よりも、少しだけ淡く、暖かさを感じた。
紫の光は旋律を奏でるように広がり、まるで水面に落ちた雫のように波紋を作る。
「……っ」
その中心に、白が混ざる。
それはほんの刹那。けれど、確かに見えた。
紫の紋様が浮かび上がる。複雑で、絡み合うような線。そしてその中心には――
空白。
完全には塗りつぶされていない、余白の円。
「……これは…」
「…え、えっと、どう、しましたか?」
彼女が目を見開く。
このマークがきっと、俺の役職を表すものなのだろう。
少しだけ不安になる。俺は肩を竦めながら、彼女へ尋ねた。
「いえ……属性は幽奏で間違いないのですが…初めて見る、マークです」
彼女は言葉を選ぶように、マークを見つめた。
見たことがない…それって、少なくともたくさんの人がなる役職じゃ無いって事だろう。
…え待って。なにそれ、ちょーかっこいいじゃん。
俺は目を輝かせた。
俺も普通の男子高生だ。こういうのにわくわくするのも、憧れるのも、年相応ということにしておこう。
「少しだけお待ちください!このマークの役職が記されてないか、探してみます!」
「あ、はい!お願いします!」
彼女もどこか興奮するように声を弾ませ、また、カウンター奥へと消えていった。
そんな彼女の後ろ姿を見送り、俺はフィユの顔を伺った。
「フィユ」
「…見たことない役職だって。なんだか、ワクワクするね、れんれん」
フィユはマークを見つめ、楽しそうに頬を緩ませていた。小さい子が欲しいおもちゃを見つめるような、そんなきらきらした瞳。
――ああ、フィユも普通の男の子なんだな。
大人びているような彼だが、年はきっと俺と同じくらいだろう。
フィユが喜んでくれているのが、楽しんでくれているのが嬉しくて、俺も自然と頬が緩んでしまう。
「へへっ、そーだね…ちょー楽しみ!」
「…あ、そうだ!幽奏のこと、少しだけ話すね」
フィユは俺の笑みを見てはっとし、俺に背を向け緩んだ頬を抑えている。その後、すぐにこちらへ向き直り、幽奏の話を切り出した。
その表情は、いつもの表情と同じだった。
あ、隠した。別に隠さなくていーのに。
そんな不器用な姿に笑いつつ、彼の説明を聞いた。
「まず、属性には相性があるんだ。その相性を、この世界では和音って呼んでる。例えば…俺の白奏と、れんれんの幽奏」
フィユは紙のマークを指先でなぞる。
「白奏は『基音』。世界を整える音。幽奏は……」
一瞬、間が空いた。言葉を選んでいたようだ。
彼は瞼を閉じ、呟く。
「幽奏は、響きを歪める音、って言われてる」
「歪める…」
そう言われた瞬間、あの時の音が脳内で流れた。
俺だけにしか聴こえていなかっただろう、深く、重い音。
それが、響きを歪める……
でも、それってなんかやな感じだ。
要するに、綺麗なピアノを弾いてたら、横から悪戯に他の鍵盤を押されるみたいなことだろう。
そう考えると、なんかすごい嫌な属性…
「あ、悪い意味じゃないよ!」
すぐにフォローが入る。俺が悩んでいたのを察してくれたようだ。
「音楽でさ、不協和音ってあるでしょ?」
「あー、なんかモヤっとするやつ?」
「そう。それ。でもね、不協和音って、別に『間違い』じゃないんだ」
フィユの声が、少しだけ真面目になる。じっとマークを見て、説明を続けてくれた。
「解決するためにある音。次の和音を強くするための音なんだ」
俺は、紙の中央の『空白』見る。
紫のマークの中心。ぽっかりと空いた円。
俺は顔を上げ、フィユを見た。
「じゃあ、幽奏は不協和音?」
「単体だと、ね」
単体。その言葉に、胸が少しだけざわつく。
「でも、白奏と重なると――」
フィユは、俺の指にそっと触れる。そして、ふわりと花が咲くような、安心させるような笑顔で笑った。
「ちゃんと、和音になる」
その瞬間。
紙のマークが、ほんの一瞬だけ淡く光った。
白が、紫に溶ける。
「だからさ、俺らいいコンビってことだよ」
和音。いいコンビ。
その言葉に、胸が暖かくなった。
「――あった!」
カウンターの奥からそんな声が聞こえて、俺らは驚いて肩を揺らす。
バタバタと慌てる足音と共に、彼女はカウンター奥から顔を出し、1冊の本を見せてきた。
「ありました!レン様の役職!」
「ほんとに!?なんて言う役職?」
彼女は切らしていた息を整えるように深呼吸をした後、あるページを見せて、こちらへ微笑みかけた。
「『Breaker』。記録上、世界でたった一人だけ確認されていた役職です!」
たった一人。
マークの紫が、淡く揺れる。
胸の奥で、低い音が鳴った。




