1. 異邦人の邂逅
日差しが眩しくて、目を覚ます。けれど俺はまだ、重たい瞼を開けられずにいられた。
もう朝か。昨日の夜、寝る前にカーテンを閉め忘れたかな。そう思いながら起き上がることに少し嫌気がさして、時間を確認しようと枕元に置いていたスマホを手探りで探し始めた。
「……ん?」
いくら探しても見つからない。
それどころか、いつものベッドの質感じゃなかった。手に触れるものはチクチクとして、擽ったい。さっきから頭も、何かにつつかれているような感覚がある。
もしかして――。
そう思って目を開け、勢いよく体を起こした。
すると、すぐそばにいた小さな鳥が驚いたように羽ばたいていく。
鳴き声を聞き、周囲を見渡して、ようやく状況を理解した。
「……どこだよ、ここ……」
俺は、背の高い木々が生い茂る森の中にいた。
――――――――
状況を整理しよう。
体についた土や草を払いながら立ち上がり、辺りを見渡す。
木々の合間には、木の実のようなものや見たことのない花があり、蝶に似た綺麗な羽を持つ生き物がふわふわと飛び回っていた。
さっきの鳥も、少し離れた枝にとまり、こちらの様子を伺っている。
木の幹に近づき、そっと触れる。
冷たくて、ゴツゴツしていて、妙に現実感のある感触だった。
夢にしては出来すぎている。
――これはきっと、本物だ。
存在する、俺の知らないどこか。
理由は分からないのに、俺はここにいる。
「ますます分かんないな……」
そう呟いて、頭を抱えた。
これ以上考えたら、頭がパンクしてしまいそうだ。ひとまず、この場所のことは後回しにして昨日の自分の行動を思いだそう。
部活が終わって家に帰り、疲れてベッドに倒れ込んで、そのまま眠ってしまった。
…それだけだ。たったそれだけなのだ。
いつもと違ったことといえば…少し気分が落ち込んでいたからだろうか。
うーん……何が何やら。
もしかして、転生ってやつか?
そう思って自分の体を確認するが、服は学校の制服のまま、髪型も髪の色も変わっていない。声を出してみても、違和感はなかった。
なら、転生じゃない。
そもそも、死にかけた覚えも、追い詰められていた記憶もない。漫画やアニメで見る条件とは、どう考えても違う。
森の中を歩きながら、考える。
動いていた方が、立ち止まっているよりも気が楽だったから。
そして、出た結論はひとつ。
「……転移、かな」
それなら、いくつか辻褄は合う。
なぜここに来たのかは分からないが、何か原因があったのだろう。
考えられるとしたら、誰かの魔法陣――そういうものに巻き込まれた、という可能性だ。
だが、俺が眠っていた場所に魔法陣らしきものはなかった。
この世界に引きずられた感覚も、落ちた記憶もない。
ただ眠って、目を覚ましたら、ここにいた。
それがひどく気味が悪くて、異様な孤独感が胸の奥から込み上げてくる。
俺はその感情に気づかないふりをした。
そうしないと、どうにかなってしまいそうだったから。
その直後だった。
――ぐしゃ。
どこかで、湿った音がした。
土を踏みしめるような、枝を折るような、曖昧な音。
俺は反射的に顔を上げる。
耳を澄ますと、森は相変わらず静かだった。
「……気のせい、か?」
冷や汗が頬を伝う。そう呟いた瞬間。
――ぐしゃ、ぐしゃ。
今度は、はっきりと聞こえた。
さっきよりも近い。気のせいじゃない。
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
無意識のうちに息を殺し、周囲を見回した。
生き物が、いない。
さっきまでひらひらと綺麗な羽を羽ばたかせていた生き物の姿が、どこにもなかった。
その代わり、森の奥で何かが動く気配がする。
木々の隙間が、ゆっくりと揺れた。
――近づいてきている。
理由は分からない。けれど、はっきりと分かった。
嫌な予感がする。それは確実で、喉がひくりと鳴る。
足音がどんどん近づいてくる。その音と同時に、地面が揺れる。
逃げたいのに、隠れたいのに。俺の足は固まって、動かなかった。
「_____!!!」
一際大きい鳴き声が聞こえる。
喉の奥を削るような、異質な声。
思わず目を瞑る。肩を竦ませ、俺は耳を抑えた。
そして、うっすらと開けた視界の正面には――
「__っ!?」
見たこともないくらい大きい、異型の生き物がいた。
鳥のようにゴツゴツとしていて鋭い爪をもつ足。首から繋がっている頭は2つある。
横長で猫のような動向した瞳にギロリと睨まれ、体が固まる。
――このままじゃ、死ぬ。
そう率直に感じた。
立っていられなくなり、俺は尻もちを着く。一際大きい声でその生き物が鳴くと、地響きがした。
逃げたいのに、体が全然動かない。声を出すことさえできない。
ゆっくりと生き物がこちらに近づいてくる度に、今まで感じたことのない恐怖心が体を襲う。
死にたくない。
まだ、あいつと仲直り出来ていない。
走馬灯のように、頭の中で映像が流れる。
滅多に喧嘩しない妹と、ほんのささいな事で言い争いをしてしまったこと。
妹とは1週間ほど口を聞けないままでいること。
泣いていた妹の顔を見た時、心に釘が刺さったみたいに辛く苦しかったこと。
まだ仲直り出来ていない。謝ることもできていない。
こんなところで死ぬなんて、嫌だ。
生き物の前足が、ゆっくりと持ち上がる。
俺は歯を食いしばり、なんとか逃げようとした。
けれど、恐怖で体が強張り、思うように動かなかった。
攻撃が、当たる。
その瞬間――
鋭い音が、一度だけ鳴った。
鼓膜が震え、遅れて風が頬を叩く。
次に見えた時、生き物は地面に崩れ落ちていた。
まるで、糸を切られた操り人形みたいに。
遅れて、重たい音が森に響く。
生き物の体は砂が舞うようにパラパラと崩壊していって、次第に消えてしまった。
俺は、呆然としていた。
何が起きたのか、理解が追いつかない。
「……大丈夫?」
不意に、すぐ後ろから声がした。
思ったよりも近くて、思わず肩が跳ねる。
生き物の姿が消えた途端、張りつめていた体から力が抜けた。
強張っていた足が、ようやく地面を踏みしめる。
立ち上がり、ゆっくり振り返ると、そこにいたのは同い年くらいの男だった。
彼は柔らかく微笑み、俺に声を掛けてくる。
その笑顔が、この森では異様なほど優しく見えた。




