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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
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服飾用品店店主・ヴィオレッタ

 “職人通り”。


 その名の通り、多種多様な職人の店や工房が軒を連ねている地区である。


 刃物職人一つ取っても、魔物との戦闘を主とする冒険者などを対象としている者、家庭で用いる刃物を取り扱っている者、料理人に向け調理に特化したものを注文に応じて製作する者など、内容は様々だ。


 当然ながら、職人通りに軒を連ねているのは刃物職人だけではない。


 金属加工職人、細工職人、皮革加工職人等、業種も種別も多岐に渡る。


 勿論、それらの職人や工房を相手に商売をする者も存在している。


 いわゆる、問屋等の卸売業者だ。


 それらの中には職人のみならず、一般人や貴族付きの職人にも門戸を開いているものも少なくない。


 『この場所に来れば、違法なもの以外の大抵のものは揃う』


 職人通りはいつしかそう呼ばれるようになり、自らの望むものを求める客で、日中は常に人通りが絶えない場所となった。




 職人通りから脇道に入り、細い路地を幾度か曲がった場所に、その店はある。


 壁に沿って左右に置かれた、小さな引き出しが大量にある箪笥。その中には、様々な素材で作られたボタンや、色とりどりに染め上げられたリボン、色も種類も豊富な革紐、ガラス製や貴石製のビーズなどが収められている。


 中央部に置かれた大きな棚には、細かい間隔で棚板が挿し込まれており、多種多様な布地が収納されている。


 やや埃っぽい空気の中に漂う、染料と布のにおい。


 店の奥のカウンターでは、ランプの灯りを頼りに、黒紫に染められた絹布に刺繍を施している女性の姿があった。


 年齢は二十代前半から半ばといったところだろうか。長い髪を後ろで二つに分け、三つ編みに仕立てて垂らしている。


 特徴的なのはその服装だろう。青みを帯びた黒の上質なベルベット地の、貴族の女児が着ていてもおかしくないような、ドレス風の長袖ロングワンピース。袖口や襟元には、白いレースが二重三重に縫い付けられている。


 彼女の名前はヴィオレッタ。まだ若い女性ながら、この店の主である。


 ヴィオレッタは熱を帯びた瞼の裏を解すように、固く目を閉じる。


 刺繍というものは目と指と神経を酷使する、意外な重労働だ。


 特に眼精疲労から来る肩凝りと仲良くやっていくつもりが無ければ、刺繍を生業にするのはお奨めできない。


「んんッ……!……」


 どこか悩ましげな響きの声を上げながら、ヴィオレッタは眼鏡のレンズ越しに店の外を見る。


 午前中の早い時間。路地の人通りはまだ少なく、職人通りから聞こえてくる喧騒も、昼間から午後にかけての時間よりは遥かに小さい頃。


 灰色の髪の男──グレイが、店に入ってくるのが見えた。


「あら、いらっしゃい。今日は何の用事?」


 明らかに営業用の声色で、ヴィオレッタは目の前の男に問う。


「……これを」


 グレイが差し出したのは、革袋だった。


 中に何かが入っているのだろう、小さく音がする。


「ああ……、奥にどうぞ」


 完全に営業用の声色を捨て、少し気だるい様子で、グレイを店の奥へと促す。


 箱に詰められた布地などが所狭しと並ぶ通路を抜け、グレイが案内されたのは、二人掛けの机があるだけの狭い一室だった。


 普段は商談用として使われているらしい。


「はい、じゃあ、中身出して」


 机の下から陶器製の四角い受け皿を持ち出すと、ヴィオレッタはやる気なさげに言う。


 グレイは黙って、革袋の中身を受け皿に広げる。


 革紐の切れ端、黒いボタン、白い木の破片、薄い布切れの断片、そして黒い布の断片。全て、棘の森で見つけてきたものだ。


「んーと……これは……」


 木製のピンセットで革紐の切れ端をつまみ上げながら、虫眼鏡で丹念に検分していく。


「鎧の継ぎ目に使われるやつね。おそらく野牛の革。うちでも取り扱ってるやつだわ」


 見終えたものを受け皿の端によせながら、ヴィオレッタは言う。


「特徴はあるか?」


 グレイは視線を送るが、ヴィオレッタは首を振る。


「無茶言わないで。染めも加工も色も、思い切り一般流通品よ。これで何かしら分かる方が、むしろ不自然だわ」


 ため息混じりに言いながら、ヴィオレッタは次の物品の検分に取り掛かる。


 小指の先端ほどの大きさの、黒いボタン。


「材質は……金属かしらね。たぶん鉄か銅。成形した後に(いぶ)して、錆止め加工したものかしら。たぶんだけど、戦士かそれ系が身に着けていた衣服の一部、かな」


「何故分かる」


 グレイの問い。


「理由は簡単よ。一般人なら、金属製のボタンを使うことはほとんどない。冒険者が使っていたものと仮定した場合、僧侶は小物に黒を避けがち。魔術師は事故防止のために金属製ボタンは禁忌。盗賊の場合は音が出やすいからダメ。じゃあ、あと残るのは何って話。それだけよ」


 ──確かに、僧侶は神に仕えるという職業の性質上、白を基調にした格好をしがちだ。同じく魔術師も、様々な属性の魔法を行使する以上、熱伝導率の高い金属をボタンに使うのは避ける。盗賊に至っては音が出る装飾品を嫌う。


 ヴィオレッタの分析に、グレイは異論を挟む余地を見出だせなかった。


「こっちの木の破片は……これもボタンかな。木の種類までは判別できないけど、丸く切り抜かれた後に、油で磨き加工されたものね」


 言いながらヴィオレッタは、白い木の破片を端に寄せる。


「こっちの薄い布の切れ端は、たぶんローブか何かかな」


 ピンセットでつまみ上げながらランプに(かざ)せば、オレンジ色の灯りが透けて見える。


「お前の所でも取り扱っているものか?」


「いいえ。この生地とこっちの木のボタン、両方ともうちでは取り扱ってないものよ。私の記憶が確かならね」


 ヴィオレッタは口元に人差し指を当て、考える素振りを見せるが、先に口を開いたのはグレイだった。


「ならば……“教会”か」


「そうね、そうだと思う」


 極稀な例外を除き、僧侶や神官は冒険者ギルドとは別に、何処かしらの教会に所属している。


 装備している服やローブなどは、教会を通じて販売や供給され、一般流通することはほとんどない。


「で、最後は……これね」


 滑らかな質感の、黒い厚手の布地の断片。端からは糸がほつれ、内部に織り込まれた銀糸が顔を出している。


 虫眼鏡で断面をしばらく観察したかと思いきや、ヴィオレッタは考え込んでしまった。


「…………これ、どこかで見た覚えが……」


 独りごちるように呟くヴィオレッタ。


「……ちょっと待ってて」


 不意に立ち上がったかと思えば、彼女はそのまま部屋を出て行ってしまった。


 戻ってきたのは数分後。今度は、両手で冊子のようなものを幾つも抱えながら。


「それは何だ?」


「これはね、見本帳」


 机の上に置いたそれをパラパラとめくり、グレイに見せる。


 中にはページ毎に、いくつもの短冊状の布が貼り付けられていた。


「何ヶ月かに一度、織物工房が置いていくのよ。ま、自分の所の商品を売り出すための履歴書みたいなものね。作らない工房もあったりするけど」


 言いながら、見本帳を(めく)ってはページに視線を走らせるヴィオレッタ。


「……あった。これね。バタヴィア織物工房の魔術師向けローブ用の布地」


 彼女が指し示したページには、棘の森で採取した断片とほぼ同じと思われる布が貼り付けてあった。


「色は多少褪せてるけど、厚手の生地に、織り込まれた銀糸。間違いないわ」


 確信を持ってグレイを見上げるヴィオレッタ。グレイの瞳には、僅かな思考の断片すら漏れ出ていない。


「……この店での取扱いは?」


「“今は”無いわよ。こんな馬鹿みたいに高い超高級生地、盗まれでもしたら大変だし。でも──」


 ヴィオレッタは少しだけ、躊躇の色を滲ませながら続ける。


「以前に一度、納品したことならあるわね。この見本帳は一ヶ月前に来たものだから……布地自体、まだそれほど流通はしてないはず」


「納品先は?」


 グレイの問いに、彼女は思わずため息を吐く。


「そう来ると思ったから、あまり言いたくなかったのよね。こっちにも一応、守秘義務はあるんだから」


 グレイは懐から金貨を一枚取り出すと、黙って受け皿に置いた。


「何でも金で解決しようとしないでよね? まあ、でも、あそこの店主には色々と“世話”になってるから別に良いか。職人通りから三つ目の脇道を入って左に曲がって、路地を進んだ突き当たりのローブ専門工房よ。私の紹介で来たと言ったら問題無いわ」


 再び盛大にため息を吐きながらも、ヴィオレッタは情報を提供する。


「それともう一つ、お前に頼みがある」


「もう、今度は何?」


 まるで子どものように口を尖らせながら、彼女は言う。


「服を用意してくれ。適度に使い込まれた、冒険者用の服装だ。なるべく印象に残らないものを頼む」


「あー、来たわね。あなたが来ると毎回そう。ほんっと、性格悪い。無茶振りして楽しい? 印象に残るものより、印象に残らないものの方が難しいのに」


 どうせ文句を言っても無駄なら、できる限り吐き出そう。そんなヴィオレッタの心情が透けて見える。


「……分かったわ。明後日の昼までに用意しておくから、それ以降に取りに来て頂戴」


「頼んだ」


 言いながらグレイは、受け皿に広げた金貨以外の品々を革袋に戻していく。


「……邪魔したな」


 その一言だけ言い残し、彼は足早に去って行った。


「はーあ、もう」


 とりあえず、刺繍の続きに取り掛かろう。


 そう思いつつヴィオレッタが店の表に戻ると、今度は一人の青年が店に入ってくる所だった。


「あらアルス君、おはよう。今日は遅刻しなかったわね」


 アルスと呼ばれた十代後半と思しき青年は、少しだけバツが悪そうに頭を掻く。


「いやぁ、流石に三日連続で遅刻はマズいかな、と思ったんで」


 肩に掛けた鞄を下ろしながら、苦笑いを浮かべるアルス。


「ところで店長、さっき出てった人って誰なんです? もしかして……」


 彼は所謂“アルバイト店員”というものである。その割には、やや距離が近い気もするが。


「そんな訳ないでしょ? ただのお客さんよ、お客さん」


 何かを期待していた十代後半男子の想像をあっさりと裏切りながら、ヴィオレッタは指定席に着く。


「まあ、一応、上客ではあるんだけど」


 微かに意地の悪い表情を浮かべながら呟いたその言葉は、誰の耳にも届かなかった。


「それよりアルス君、あなた今日中に仮縫い仕上げなさいよ? 納期も締切も、待ってはくれないんだからね?」


 すっかり仕事人の顔に戻ったヴィオレッタが、眼鏡の奥から柔らかくも鋭い視線を送る。


「わ、わかってますって! 流石にこれ以上、店長の仕上げ縫いを待たせる訳にはいかないんで……死ぬ気でやりますから!」


「いや、死んじゃダメでしょ」


 すかさず、ヴィオレッタのツッコミが入る。


 店内はすっかり、普段通りの雰囲気に戻っていた。


 つい数分前まで、一人の“掃除人”が居たことすら忘れ去ったように。



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