エピローグ
「……死んだのですか?」
ようやく声が出せるようになったロゼが、それでも微かな声で訊ねてくる。
スヴェンは、床に仰向けに倒れたまま動かない。
「麻痺させただけだ。狩りバチの一種から抽出した特殊な毒……それはまあいい」
鞭を巻き取りながら、静かに答えるグレイ。
つい先刻まで死闘があったとは思えないほどに、その声には熱が無かった。
「解毒をするまでは効き続ける。ただそれだけのことだ」
ため息混じりに立ち上がり、スヴェンの元へと近付いていく。
神官は体を細かく震わせながら、声にならないような声を漏らしている。
左手の薬指に嵌められている金製の指輪。それを乱暴に指から引き剥がすように外す。
「……これで俺の用事は済んだ。後はお前の管轄だ。煮るなり焼くなり好きにすれば良い」
その言葉を残し、グレイは裏口から教会を後にした。
静寂に包まれた空間には、ロゼと、“白布の殺人鬼”である神官スヴェン。
薔薇色の瞳の審問官は、一度だけ、安堵するように大きく息を吐いた。
グレイがスマルトの私室に戻ったのは、日付も変わった頃だった。
机に片肘を立てて微睡んでいまギルドマスターは、窓からの気配に目を覚ます。
若干の汗の臭いがする金の指輪を、グレイはスマルトに投げて寄越す。
受け止めたスマルトの手の中で、色褪せた輝きを放つAランク冒険者の証。それがこの場にあることは、持ち主が秘すべき行いをしたことの証左でもある。
「アスワドに報告するのか?」
珍しくグレイが尋ねる。
「する訳ないだろう。俺はこいつの持ち主が誰なのかは“知らない”からな」
スマルトは鼻で笑う。
「ラウズルは“白布の殺人鬼”じゃなかった。だが、もう二度と同じような事件が起きることはない。それで十分だろう」
受け取った指輪を、懐から取り出した革袋に放り込む。
「どうせ一年も経てば、この事件を口にする奴なんて居なくなる。世間なんて、そういうものだ」
スマルトは自嘲しながらグレイを見遣る。
「その割には、誰かの汚点はいつまでも引き合いに出され続ける。だから」
眼帯で覆われているはずの左目が、グレイをじっと見ている気がした。
「俺達みたいなのが居るんだ。そうだろう?」
グレイは何も言わなかった。
スマルトもそれきり、何も言葉を発さなかった。
二人の間に、夜だけが流れていく。
それから数日後の、昼下がりの酒場。
ピークの時間帯は過ぎているが、その日は客が多かった。
依頼の話。最近の金回り。魔物の状況。新しく発見された遺跡。
個々が好きずきに喋る話題はうねりとなって、雑然とした空間に渦を生み出している。
グレイは相変わらず、隅のテーブルに突っ伏しながら話に耳を傾けていた。
「この席、よろしいですか?」
女、というよりは少女の声。しかしグレイには聞き覚えがあった。
トレイを置く音。食器同士が触れ合う音。
「先日はありがとうございました。お陰で審問官としての責務も完遂出来ましたので、まずはお礼をば」
顔を上げなくても判る。ロゼだ。
声のポリュームを絞ってはいるが、この喧騒の中では、普段通りでも他者の耳には届かないだろう。
「先日の件では、私の未熟さを思い知らされました。ですので研鑽のために、冒険者としても経験を積むことに致しました」
薄目を開ければ、目の前に座る少女の手元が見える。
黒檀製の指輪。駆け出し冒険者──Fランクの証だ。
「機会があれば、よろしくお願いしますね」
慇懃無礼。グレイからは彼女の顔は見えなかったが、恐らくは微笑んでいる気がした。
それも、不自然に優しい笑顔で。
──もしかすると、いつか、私の“願い”を叶えてくれるかもしれませんね、貴方は。




