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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
連続扼殺事件
32/37

情報

 午前三時。

 ようやく街が眠りに就く頃、ロコウの一日が始まる。

 材料の下処理、メニューの仕込み、更には野菜や肉の仕入れ。やるべきことは山積みで、仕事は増えることはあっても減ることは無い。

 それに。

「ロコウ」

 思わぬ来客の訪問すらある。

 灰色の男、グレイ。

 店の雨戸を外していたロコウの背後から、彼が声を掛ける。

「今日は普段より早いな」

 夜明け前の一番濃い闇。背後に視線を遣るように、横目で睨み付けるロコウ。

「先に中に入っていてくれ」

 開店準備の手を止めぬまま、ロコウはそう呟いた。


 店内は静かだった。

 鍋の煮える音、薪の爆ぜる音、野菜を刻む音。普段ならばしているはずの音は一切存在していない。

 まだ、厨房は眠っているのだ。

「で、何があった」

 綿状の火種を釜戸に入れると、擦ったマッチを放り込む。

 火種が燃え上がり、細い薪へと熱が伝わっていく。

 木が燃える、独特のにおい。

「半年前から今日まで、この街に滞在し続けているAランク冒険者の数は?」

 カウンターに金貨を一枚置くグレイ。

 ロコウの問いには答えない。

「五十八人、だな」

 金貨を指先で引き寄せると、ロコウはそれをエプロンのポケットに仕舞う。

 洗い場の桶に張られた水が、微かに揺れる。

「その中で、俺より頭一つ分以上背が高い者は?」

 細い薪から太い薪へと、火が燃え移っていく。

 表面が焦げていく臭い。

「十四人だ」

 ランプを灯すロコウ。

 ネズミか何かだろうか、小さな生物が駆けていくような音がした。

「男は?」

 ランプの光に照らし出されたグレイの顔。

 普段通りの無表情ではあるが、何処となく真剣味を帯びているように感じられる。

「十二人だな」

 ロコウは釜戸の火加減を見ながら答える。

 釜戸に置かれている、水で満たされた巨大な鍋。

 香草、香辛料、牛の骨を砕いたもの。まだ生ぬるいそれへ、次々に放り込んでいく。

「では──その中に神職者は何人居る?」

 不意に高まる緊張感。回答の拒絶を許さない、グレイの視線。

 隙間風が湯気を攫い、生暖かい空気の流れが通り抜けていく。

「……一人だ」

 ロコウの答えに、グレイは目を細める。

「もっとも、ここ数年は冒険者として活動していないようだがな」

 布袋の中の玉ねぎが、一つ転げて音を立てた。

「そうか」

 一言だけ残して、席を立とうとするグレイ。

「スープは良いのか?」

 床に転がった玉ねぎを拾いながら、ロコウは声を掛ける。

「冷たいスープを飲む趣味は無い。次の機会に頼む」

 チラリと、一瞬だけ振り返る。灰色の男は、そのまま通りの闇の中へと消えていった。

 後に残ったのは、野菜を刻む音と、鍋が煮え始めた音。

 ロコウは小さく息を吐く。

 眠りから覚めた厨房は、徐々に温度に染まっていくのだった。


 昼下がり。グレイは再び、昨夜の事件の場所を訪れていた。

 貧民街の通りから一本入った路地裏。粗末な家屋が両側に立ち並ぶ狭い道。それを更に進んだ先にある、円形の小さな広場。

 饐えた泥の臭い。湿り気を帯びた空気。日当たりは悪く、生えた雑草の先端が変色している。

 少ない人気。だが、そこには先客が居た。

『早く、早く医者を呼んでおくれよぉ! 憲兵も! 早くぅ!』

 被害者である街娼・カレンの傍で泣き叫んでいた女だ。

「何をしている」

 グレイは女に問う。女は一瞬体を震わせるが、彼の姿を見て胸を撫で下ろしたようだった。

「花を、供えてたんだよ。カレンに」

 しゃがみ込む女。左手に持った花を、剥がれた石畳に一本ずつ置いていく。

 五枚の白い花弁を持つ花。ちょうど今の時期に咲く、野草だ。

「だって、可哀想過ぎるじゃないか。殺された所で誰も気にも留めない。殺されたら、死体袋に入れられて、共同の墓に捨てられちまうんだ」

 女の声が、湿り気を帯びる。

「あの子だって生きてたんだ。カレンって名前で、あたしらみたいな娼婦崩れでも、必死で生きてるんだよ」

 女の肩が、震える。

「あたしだって見世物じゃない。あの子だって見世物何かじゃない。なのに野次馬共に話の種にされちまうんだから」

 グレイは女の隣にしゃがみ込む。

「泣くな。また、化粧が崩れるぞ」

 同情でもなければ励ますでもない、無機質だからこそ温度のある言葉。

「だって……悔しいじゃないか」

 女は手で顔を拭う。橙色の染料を塗った爪が、涙を纏って艶めきを帯びる。

 グレイは女の言葉を聞きながらも、“現場”を注視していた。昨晩、“白布の殺人鬼”の犠牲となったカレンの姿を思い起こしながら。

 当然ながら片付けられ、死体も物品も残ってはいない。だが、目を凝らせば、痕跡を薄く見つけることは出来る。

 露出した湿った地面に残る凹凸。恐らくは体の跡だろう。

 石畳の破片に引っ掛かった赤い糸屑。確かあの時、カレンは扇情的な赤い服を着ていたはず。

 窪みに残る、青い粉状の破片。これは、例の青い花のブローチが割れたものだろうか。

「カレンが言ってたのって、たぶん、あんただよね?」

 真剣に現場を見据えるグレイの横顔に、女は言葉を投げ掛ける。

「あの子、言ってたんだよ。灰色の髪の、少し怖そうな男の人が、ブローチを拾ってくれた、って」

 グレイは視線だけを横にずらす。

 女は、自分が備えた花を見つめている。

「あのブローチね、あの子の大事な、お守りみたいなものなんだってさ。母親か誰だかに買ってもらったって、そう言ってた」

 グレイは視線を戻す。

 少しだけ萎れている供えられた花が、石畳に寄りかかりながら微かに揺れる。

「……お前、名前は?」

「え? あ、あたしは、アガタだけど……」

 唐突に名前を尋ねられ、困惑するアガタ。

 そんなことはお構い無しに、グレイはコートのポケットに手を突っ込む。

「アガタ。これで改めて花を供えてやってくれ。余りは手間賃だ」

 銀貨七枚。花を買ったとしても、十分過ぎる程に釣りが来る金額だ。

 有無を言わせぬ態度で、グレイはアガタに銀貨を握らせる。

 一瞬の逡巡。だが、アガタは突き返しはしなかった。

「は、はん! あたしが丸々使い込むとか、あんたはそう思わないのかい?」

「友人のために涙を流せる人間に、そんなことは出来んだろうな」

 即答だった。

 アガタは一瞬、呆気に取られた表情を浮かべて──微かに笑った。

 対照的に、喪に服すように目を閉じるグレイ。

 数秒の沈黙。そして、立ち上がろうとした時。

 道の先の家の前に、一団が集まっているのが見えた。

「……あれは何だ?」

「さ、さあねえ……。確かあの家、兄弟が住んでたような気がするけど」

 誰に尋ねるでもなく出たグレイの疑問と、それに答えるアガタ。

 しばらくして、家の中から何かが運び出されていくのが見えた。

 簡素な担架に載せられた、白い布に包まれた“何か”が。

 その傍に居る、黒い法衣を纏った体格の良い背の高い男。彼は白い布に包まれた“何か”に向け、何やら祈りの言葉を唱えている。

「お前さん達、知らないのかい?」

 いつの間にか外に出てきていた、近くの家の住人らしき老人。

 老人は指を差しながらも、声を潜めて言う。

「あの家に住んでた兄弟の兄が、こないだ例の殺人鬼に殺されたんだよ。で、病気持ちだった弟も、今朝家の中で死んでたのが見つかったらしい。全く、救いが無いにも程があるねえ……」

 耳を傾けながらも、グレイは黒い法衣を纏った男を見つめている。

 法衣に刺繍された意匠に、祈りの言葉。どうやら極星教の神官らしい。

 白い布に包まれた“それ”を何度も撫でるように、右手を動かす神官。袖口に縫い付けられている三つ並んだ白いボタンが、まるで星座を成すように白く輝く。

 左手に持った豪奢な教典。魂の安寧を願う一節が、神官の低く野太い声で読み上げられていく。

 左の袖口に煌めく、二つの白いボタン。

 二つ。

 三つあるべきはずのものが、その神官の法衣の左袖口に、欠けていたのだった。


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