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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
連続扼殺事件
31/37

犠牲

 午後十一時。

 グレイは普段よりも少しだけ鋭い目付きで、通りを行き交う人々を見つめていた。

 冒険者ギルドの支部がある通りと、歓楽街へと向かう通り。その中程にある泉。

 石灰石の泥で固められた泉の縁に腰を下ろしながら、グレイはただ、人を待っている。

 昼間ならば人々の憩いの場、そして待ち合わせ場所として賑わう泉の前の広場も、今は石畳が冷たいだけだった。

 人々の流れは歓楽街へと吸い込まれていき、立ち止まる者はほとんど居ない。

 待ち合わせは午後十時のはずだったのだが、一時間経った今でも、相手の姿どころか気配すらない。

 グレイの背後で、噴水がちょろちょろと音を立てながら流れ落ちていく。

 噴水の中央に鎮座する竜の彫刻も、夜は涎程度の水を吐き出すばかりだ。

 闇の広がる空を水面が写し取り、波紋に弄ばれるように星々の輝きが揺れる。

 肩を下げながらグレイは大きく息を吐くが、その音は雑踏の靴音に掻き消された。

──流石に、もう来ないか。

 立ち上がろうとしたとき、彼の目に、こちらに向かって走って来る人影が映った。

「遅くなり過ぎた、本当にごめん!」

 声を投げ掛けながら、人影はグレイの元へと駆け寄ってくる。

 聞き馴染みまでは行かない、聞き覚えのある声。ラウズルだ。

 時は遡り同日の午後、何処から探し当てたのか、グレイが普段通りに噂の収集を行っている現場に出向き、半ば無理矢理飲みに行く約束を取り付けた……のだが。

 視線を上げ、ラウズルの顔に目を向けたとき、グレイは思わず顔をしかめた。

 彼の顔は所々腫れ上がり、赤みを帯びているどころか青痣や黒痣になっている部分もある。

 独特のにおいを放つ薬液を染み込ませたガーゼが貼り付けられ、顔の半分近くが包帯やガーゼに覆われていた。

 グレイは呆れたように、右のこめかみに人差し指を当てる。

 大方の事情を察したらしい。

「本当にごめんね、遅くなって。今日の相手は中々骨があったから、ちょっと……愉しみ過ぎてしまって」

 照れたような、恥じらいを含んだ口調で言葉を紡ぐラウズル。

 腫れて切れた額には、止血用の油性軟膏が塗りたくられている。

「……遅れたのは、まあいい。そして、少なくともそれは照れながら言うようなことではない」

──この男は、拳闘を性行為か何かと思っているのか?

 グレイは何とかギリギリで、突っ込みを心に留め置いた。

「念のために聞いておくが、まさか、その状態で飲みに行くつもりか?」

 顔でこの状態なのだ。衣服で隠れてはいるが、手足や胴体も満身創痍に近いのは容易に想像出来る。

「遅れたけど来た、ってことが答えだよ。酒は“命の水”だからね」

 にっこりと笑みを浮かべるラウズル。

「……長生きは出来そうにないな、お前は」

 呆れて物も言えないが、何とかその言葉だけは吐き出すグレイ。

「よく言われるよ」

 ラウズルは笑顔で返す。

 笑顔で言うようなことでもないのだが。

「それで、何処に飲みに行くつもりだ?」

 ようやく立ち上がったグレイ。

 ラウズルに近寄れば、ガーゼに染み込ませてある薬液のにおいが一段と強くなる。

「えっと、前に一緒に飲んだ所に行こうと思っているんだけど」

──“白布の殺人鬼”かどうかを訊ねた時に行った、あそこか。

「あの店は今日は休みだ」

 グレイの一言に、露骨に顔色を変えるラウズル。

「うわ、どうしよう……代わりの店、考えてなかった……」

 彼は思わず頭を抱えてしまう。

 泉に映る夜空にはいつしか、厚い雲が入り込んでいた。

「仕方が無い。別の店を教えてやる。一つ貸しにしておくからな」

 複数ある馴染みの店それぞれの定休日を把握しておくのも、酒飲みとしての初歩の初歩らしい。

「遅れたのも含めて、二つ借りだね。今夜は僕が御馳走するからさ」

 体の状態とは裏腹に、ラウズルは何処と無く上機嫌な様子だ。

 骨のある相手と戦えた悦びと、恐らくは金銭的な理由もあるのだろう。

「……行くぞ。酒まで待たせる訳にはいかんのでな」

 言いながら、グレイは人の流れとは違う方向に歩き始める。

 ラウズルもそれに続こうとしたとき、不意に彼の足が止まった。

「どうした?」

 ラウズルの様子に気付いたグレイが、振り返りながら尋ねる。

「……聞こえた」

 独りごちるように、彼は小さく呟く。

「何がだ」

「女性の悲鳴。こっちの方角から」

 言うが早いか、ラウズルは走り出す。

「俺には何も聞こえなかったが」

 彼の少し後ろに続くグレイ。

「僕は人より耳が良いんでね。嫌でも聞こえてしまうんだよ。あんな悲鳴なら、特に」

 先程までの柔和な表情は消え失せ、瞳には真剣さが宿っている。

──どうやら、ハッタリの類ではないようだな。

 冷静にラウズルを観察しながらも、グレイは足を止めない。

 ラウズルの耳に届いた悲鳴。それに誘われるように、二人は貧民街がある地区の方角へと向かっていた。


 現場には既に、野次馬が集まっていた。

「あああ、カレン、何で、何でぇ……!」

 人だかりの中心から聞こえてくるのは、叫び声とも泣き声ともつかぬ女の嘆き。

 「例の殺人鬼か、これで何人目だ?」「噂じゃなかったのか」「またかよ……今度は女か」「現場を見たって、これで自慢できるな」

 野次馬達は口々に好き勝手なことを言いながら、現場を見物している。

「済みません、通して下さい!」

 人々の隙間を無理矢理潜り抜けながら、ラウズルは最前に到達した。

 数秒遅れて、グレイも最前に辿り着く。

 二人が目にした光景は、奇妙ささえ覚える光景だった。

 両手足を投げ出したまま、倒れてぴくりとも動かない、顔に白い布を被せられた女。その傍らで、大きな声で泣き叫びながら倒れた女の名を呼ぶ女。

 そして、それらを見世物のように遠巻きに見ている群衆。

「早く、早く医者を呼んでおくれよぉ! 憲兵も! 早くぅ!」

 傍らの女は化粧が崩れるのも構わず、周囲に懇願しながらすすり泣く。

 だが、彼女の頼みに応じる者は誰も居ない。

 グレイは野次馬の囲いから一歩踏み出し、屈み込む。

 泥と、安物の香水の匂い。

 静かに、倒れた女の顔に被せられた布を捲る。

 見たことのある顔。

 グレイがブローチを拾い、返した女。

 半開きになった、紅の引かれた唇。

 赤みを帯びている顔は、窒息した証。

 呼吸は、既に止まっている。

「……駄目だな。もう、死んでいる」

 小声。だが、傍らの女にはそれで十分だった。

「あああああ! カレン! カレン!」

 嗚咽が響く中、グレイは冷徹に息絶えた女を観察していく。

 首元に残る、赤黒く変色した扼痕。

──相当な力で締め上げたようだな。手の大きさから察するに、体格は大きいようだ。

 そして、扼痕の中に混じる奇妙な模様のようなものにも気付く。

 複雑で幾何学的な紋様。

──首の右側面下部に、指とは違う跡がある。恐らくは、指輪か? 指輪と仮定した場合、この紋様は何処かで見た覚えが……。

「お前達、さっさと散れ!!」

 グレイの思案は、乱暴な大声に断ち切られた。

 珍しく、憲兵が仕事をしているらしい。

 公権力の発動を前にして、野次馬達は一人、また一人と群衆から剥がれていく。

 グレイは冷ややかな視線を憲兵に送った後、ようやく立ち上がった。

「……何か分かったことでも?」

 ラウズルは小声で聞いてくるが、グレイは何も言わない。

 グレイとラウズル。二人に対して、如何にも不審者を見るような視線を送る憲兵。

「今日はもう解散だ。また今度、改めて誘ってくれ」

 それだけを返し、グレイはその場を後にする。

 ラウズルもまた、それに続く。

──確かめなければならないことが出来た。

 グレイは小さく呟いた。

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