独白②
人買いの男の人は、優しかった。
それはきっと、私が大切な“商品”だったからという理由だとは思う。
でも、私には、そんな偽りの優しさですら温かかった。
豪華じゃない、むしろ質素だったけど、ちゃんとご飯を食べさせてくれた。
新品じゃない、古着だけど、暖かくて清潔な服を着させてくれた。
掃除も。
洗濯も。
水汲みだって、しなくて良かった。
野宿することも多かったけど、私が寒くないようにしてくれた。
自然と、笑顔が増えた。
辛いことだらけの世界の中に、本当は綺麗なものもあるんだって、思えたから。
でも、人買いの男の人は、そんな私を憐れむような目で見てた。
同情。
たぶん、そうだったのかもしれない。
私が笑顔を見せた。
あの人は、辛そうな表情を浮かべる。
私が幸せそうにご飯を食べていれば。
あの人の顔に、暗い影が差す。
私がありがとうと言うたび、あの人は無口になって。
どうしてと聞いても、理由は教えてくれなかった。
今なら分かる。
罪悪感。
でも、あの頃の私には、そんなことなんて分からなかった。
罪の意識を紛らわせるためなのか、それとも、私の境遇を本気で憐れんだのか。
それは今でも分からないけれど、あの人は私に、一つだけ贈り物をしてくれた。
陶器でできた、青い花のブローチ。
雑貨屋だったらどこにでも置いているような、安物の、子供のおもちゃのようなアクセサリー。
でも、私にとっては本当に、本当に嬉しくて。
母は妹を着飾ることに夢中で、私にそういうものは何一つ買ってくれなかったから。
服も、靴も、何もかも、妹が生まれてからは私のために新品を買ってくれるなんてこと、無かったから。
私は涙を流しながら、何度もありがとうって言った。
私だけのために買ってくれた、初めての私だけの物。
あの人は、ただただ黙ってた。少しだけ、辛そうな顔をしながら。
その日から、この青い花のブローチは、私の宝物になった。
ずっと、こんな幸せな日々が続けばいいのに。でもそれは、叶う訳がない願いだった。
冬も終わりに近付いたある日、“商品”である私は、買い取られた。
銀貨五十五枚だった。
私は泣かなかった。
泣かないようにした。
必死でこらえた。
最初から分かっていたはずだったから。
売られた以上、他の誰かに買われるのは、当たり前なんだって。
あの人はこれが“お仕事”なんだから仕方がないんだって、何度も自分に言い聞かせた。
代金と交換に私を引き渡すとき、あの人は小さい声で私にこう言った。
「達者でな」
私はただ、涙に滲んだ視界の中で、遠ざかっていくあの人の背中を見送ることしか出来なかった。
買われた先で私に与えられたのは、小さな部屋だった。
古びたベッドと、小さなテーブルがあるだけの、どこからかすきま風が入ってくるような、寒い部屋。
ここで私は眠りながら、買われた先で色々なことを教えられつつ、時々……“仕事”もした。
“仕事”。決して、他人には言えないような仕事。
“仕事”が入れば、私が寝ていても叩き起こされて。
だから、名前を呼ばれるたびに、体がすくんで。
そんな“仕事”をするのなんて、本当は、本当に……。
でも、やらなければ怒られた。
打たれた。
殴られた。
だから、やるしかなかった。
“仕事”の相手は毎回違う人で。当たり前だけど、私の知らない人ばかりで。
恐怖心と抵抗感。その二つを必死で抑えながら、私は“仕事”をこなした。
“仕事”をした後はお湯のお風呂に入ることが許されていたけど、私はお風呂の中で何度も泣いた。
“仕事”をすればするほど、私の中に見えない汚れがこびりついていくような、そんな気がした。
何度洗っても、いい香りのする石鹸を使っても、決して取れない汚れ。
私自身が、どんどん真っ黒になっていくように思えて。
逃げ出すことだって考えた。でも私には、無責任に希望を信じることなんて、出来なかった。
何とかなる、きっと大丈夫。そんな希望を信じて逃げ出した子は、みんな連れ戻されて、酷い目に遭わされて、そして。
子供の足で逃げ切れる訳がない。そもそも私には、行く当てなんてどこにもない。だって、母に売られたんだから。
もう何も信じられなくなった私が、すがることが出来たもの。私には、二つだけしかなかった。
一つは、あの人が私に買ってくれた、青い花のブローチ。
見せかけだけの、偽物の優しさだったのかもしれない。
だけど、誰も優しくはしてくれないこの場所で、私がすがれる優しさなんて、あの人に連れられて街を巡った思い出と、このブローチしか無かった。
それに、“仕事”をするときに身に着けていれば、お守りになってくれている、そんな気がしたから。
もう一つは……神様。
毎日祈り続けていれば、神様は必ず願いを聞き届けてくれる。偉い司祭様が、そう言っていたから。
だから私は、毎日祈り続けた。
どうか、こんな“仕事”をしなくても済むようになる日が来ますように。
毎日、毎日、毎日。
それだけを、祈ってた。
──神様、もしそんなささやかな願いすら聞き届けられず、叶わないのなら、いっそのこと……。




