鑑定
「それじゃあアルス君、お願いね」
昼下がり。職人通りの路地裏にある、服飾用品店。
店の前には店主のヴィオレッタと、アルバイト店員の青年の姿。
アルスと呼ばれた青年は、厚手の紙に包まれた大きな荷物を背負っている。
「一応梱包はしてあるけど、汚さないように注意してね。くれぐれも濡らしたりなんかしないように。それと必ず、相手方から受領証を貰ってくること」
「大丈夫ですよ、分かってますって」
何度も念押しするヴィオレッタに、アルスは苦笑しながら答える。
「いやいやアルス君、あなた、前々回受領証貰うの忘れて二度手間だったじゃないの。もう記憶の彼方?」
「あ、ああー……そういやそんなこともありましたっけ……ははは」
頭を掻きながら目を泳がせるアルスを前に、少しだけ心配そうなヴィオレッタ。
「まあ、良いわ。今日は届け終わったらそのまま帰っても大丈夫よ。今日の分のお給料は、定時扱いで計算しておくからね」
「マジっすか! 流石店長、優しい!」
思いがけない僥倖に、アルスは思わず飛び上がる。
「じゃあ、行ってきまーす!!」
「もう、気を付けなさいよー!」
見る間に遠ざかっていく背中に、ヴィオレッタは声を投げ掛けた。
「……成程。あれが最近入った臨時雇いとやらか」
「そうなのよ。こちらとしては助かってるんだけど慌てん坊なのが珠に瑕でね……ってうわあ!!」
極々自然に会話に加わった抑揚の無い声。
それに相槌を打ったかと思えば、数拍遅れてヴィオレッタが飛び退る。
「もう! 気配消して隣に立つの止めて! 心臓が止まるかと思っちゃったじゃないの!!」
眼鏡の奥から睨みつけるように見上げながら、グレイに抗議する。
「その程度で心臓が止まるようなひ弱な女ではないだろう、お前は」
「はあ!? 仮にも女性に向かってその言い草は何なのよ? ほんっと腹立つ……」
眼鏡の位置を直しながら、不機嫌さを隠そうともせずに言うヴィオレッタ。
一方のグレイは、彼女の機嫌など何処吹く風の様子だ。
──自ら命を絶とうとしていた女が強くなったものだ。いや、これが“素”なのかもしれんな。
むしろ、何処か感慨すら覚えている様子である。決して表には出さないようにしているが。
「で、あなたが来たと言うことは、例の“アレ”よね?」
まだ若干ご機嫌斜めではあるものの、ヴィオレッタの表情は既に職人兼商売人のそれになっていた。
「話が早くて助かるな」
いつもの部屋に、いつものテーブル。
いつもの椅子に、いつもの陶器製受け皿。
室内は相変わらず、ほんの少しだけ薄暗い。
「で、今回は何を鑑て欲しいの?」
一足先に着席したヴィオレッタ。
グレイは黙って、コートのポケットから“それ”を取り出し、皿の上に載せた。
昨晩──実質的には今日だが──貧民街で拾った、泥に塗れたボタンのようなもの。
「うわっ、汚っ!!」
開口一番、ヴィオレッタの率直な感想が炸裂する。
「もう! こういうのは、ちょっとは綺麗にしてから持ってきてって言ってるじゃないの」
勢い良く立ち上がると、店の更に奥へと消えていく。
数分して戻って来たときには、彼女は水を張った小さな桶と布を手にしていた。
「あなたもしかして、掃除や洗濯は相手に任せっきりにするタイプでしょう? 嫌われるわよ、そういう男って」
憎まれ口を叩きながらも、桶の中でボタンに付着している泥を雪いでいくヴィオレッタ。
当のグレイはと言えば、完全にノーコメントを決め込んでいる。
「っと……これで、綺麗になったわね。後はちゃんと拭いて……」
乾いた布で水気を拭き取れば、白くなった表面に艷やかな光沢が浮き出てくる。
改めて受け皿の上に置いた“それ”を、ヴィオレッタは虫眼鏡で観察していく。
丹念に、念入りに。
角度を変え、時にランプの光に透かしながら。
数分の沈黙の後、再び彼女が口を開いた。
「うーん……、分かんないな……何これ……」
思わず眉間に皺を寄せながら、口元に人差し指を当てる。
少しだけ思案した後、ヴィオレッタはグレイに向き直る。
「私には分からないものであるのは確かだけど、“分かってること”は幾つかあるわ。聞きたい?」
黙って頷くグレイ。
「じゃあまず、これが何かっていうことだけど、これは見た目通りボタンね。ただし留め具としての用途じゃなくて、所謂“飾りボタン”っていうやつ」
「……袖口に付いていたりするものか」
「そうね。袖口とか、襟元とか。まあ、職人によっては意味もなく変な所に付けたりすることもあるけど」
ヴィオレッタは、受け皿に置いたボタンを慎重に摘み上げる。
「それに……ほら、よく見て。表面に細かい彫刻が施されてる」
目を凝らせば、光沢を帯びた表面には幾何学的な細かな紋様が刻まれている。
ギルドの発行するリングに施された紋様も中々に細かいが、これはそれ以上のようだ。
「これ、とんでもない手間が掛かってるわよ。かなりの逸品じゃないかしら。こんなのを服に付けてるなんて、貴族とかみたいな地位の高い人しか考えられないわ」
──確かに、地位の高い連中の服は細かな刺繍がされていることが多い。小物もその流れを組んでいるか。
服飾用品店を営むヴィオレッタらしい視点だろう。
「似たものを取り扱ったことはあるのか?」
「無いわよ。ある訳ないじゃない。むしろ、こんな物はここで“取り扱いたくない”わ。絶対にね」
「成程な」
彼女の言葉の裏側にある意図を、グレイは瞬時に見抜いた。
高価なものを敢えて取り扱わないことが、結果的に防犯対策にもなる得るのだ。
「で、材質なんだけど、ごめんなさい、ちょっと私には分からないわ。ただ、明らかに違うと断言出来るものはあるのよ」
言いながら立ち上がり、背後の棚に置いてある、蓋付きの丸い平たい缶に手を伸ばす。
中には色も形も材質も様々なボタンが無造作に詰め込まれている。
どうやら、見本品らしい。
「まず、木は明らかに違うわね。年輪も無いし、硬さも違うし。そもそも色ツヤも違うしね」
缶の中から木製のボタンを幾つか取り出し、並べるヴィオレッタ。
茶色からクリーム色、更には黒や紫がかった茶色をしたもの等の種類があるが、どれも件のものとは似ても似つかない。
「動物の骨や歯、角なんかを使ったものとも違う。質感は似てるんだけど、骨とか角って、伸びて成長するものでしょう? 痕跡があるのよ。必ずね」
次に取り出したのは、象牙や野牛の角で作られたものだ。
──確かに、質感や光沢は近いものがある。だがこの女の言う通り、縞模様や色の違う層がこのボタンには無いな。
「で、ガラス製も違うわね。透明感は似てるけど、重さが全然違う。こっちの方が圧倒的に軽いわ」
言いながら、缶から色ガラスや透明なガラスで作られたボタンを取り出す。
硬質な音が、受け皿の上に響く。
「おまけにガラスでこんなに薄いボタン作ったら、割れ防止のために縁を金属で補強しないと、とてもじゃないけど使えないわね」
平たいが全体的に丸みを帯びている形状は、件のものとは似て非なるものだ。
子供が遊ぶおはじきのようだ。グレイはそう思った。
「石から作られたものとも違うっぽいのよね。水晶とか瑪瑙とか、彫刻のあるボタンの材料としては主流なんだけど、手触りが明らかに違うわ」
透明なボタンと白いボタン。彫刻が施されてはいるものの、緻密さでは劣っているようにも見える。
──夜の女や貴族の女が着る服に、この類のものはよく付いているな。小物から地位を推測出来る、よく言ったものだ。
「一番近いのは貝ボタンなんだけど……横から観察すれば、必ず層があるはずなのよ。でも、それが無かった。つまり貝ボタンでもないってこと」
言いながら、ヴィオレッタは虫眼鏡を置いた。
「宝石という可能性は?」
「考えたけど、真っ先に外したわ。宝石を使ったやつは普通、糸を通して縫い付けるための台座に嵌め込んでボタンにするから」
指輪のようなものかと、グレイは一人で納得する。
「そういうことだから、私にはこのボタンが何で出来てるかは、全くのお手上げって感じ。悔しいわね……」
「お前でも分からんものがあるとは、意外だな」
「それは買い被り過ぎよ。私にだって分からないものや知らないものはあるわ。取り扱ったことがないものなら、特にね」
取り出したボタンを缶に戻しながら、ヴィオレッタは答える。
四角い受け皿の中で、件のボタンだけが妖艶に光沢を放っている。
「でも……材質は分からないけど、この仕事の丁寧さと緻密さ。私だったら、最低でも銀貨五枚で売るわね、これ」
──事件現場に遺された、やたらと細工の細かい謎のボタン、か。きな臭い匂いしかせんな。
「……手間を取らせて済まなかったな」
言いながらグレイは、ポケットから取り出した貨幣を受け皿に置く。
金貨一枚。
「ん? ちょっと待って。今回は服の調達は無しなのよね? これは多過ぎるんじゃない?」
眼鏡に右手を添えながら、金貨を拾い上げる。
「噂は聞いているぞ」
不意を突くような一言に、ヴィオレッタは怪訝な表情になる。
「祝いだ。釣りはいらん。取っておけ」
貴族の令嬢がヴィオレッタの服を気に入り、彼女に製作を依頼したという噂。
「あ、そ、そう。それなら、貰っておくけど……」
困惑しつつも、ヴィオレッタはベルベット製の袋財布に金貨を放り込む。
「それが──お前のやり方なのだろう? お前の、復讐の」
服の上から、グレイは胸元に触れる。
指先に触れる、革紐に通された二個のリング。
Sランク冒険者の証である、白金製のリング。
「ええ、そうよ。絶対に見返してやるんだから、あのクソ男をね!」
強気な笑みを浮かべるヴィオレッタ。
橋の上で身を投げようとして泣き崩れていた面影は、今の彼女には見当たらない。
「……期待しているぞ」
とうに擦り切れたはずの感情の残滓。
グレイの顔に、ほんの少しだけ柔らかい表情が生まれた気がした。
自覚は……恐らく無いだろう。
「あ、そうそう」
去ろうとするグレイに、言葉を付け加えるヴィオレッタ。
「もし材質が何なのか分かったら、絶対に教えてよね。絶対よ?」
これも服飾用品店店主の矜持というものなのだろうか。
店の入り口へと歩き始めたグレイ。
その顔には、僅かに苦笑が浮かんでいた。




