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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
連続扼殺事件
24/37

拳士・ラウズル

──人々を最も興奮させ、熱狂の渦に巻き込むもの。それは、自身が傍観者たることが確定している“暴力”である。──


 歓声と怒号。

 血と汗と酒のにおい。

 その空間は、一種異様な雰囲気で満たされていた。

「おい、そこだ! 行けっ!」

「避けろ! 殴れっ!」

 幾重にも壁のように連なった人々が、口々に怒鳴るような声で叫ぶ。

 ざわめき。轟き。うねり。

 興奮と熱狂が音となり、温度となり、振動となって空間全体を包む。

 スマルトからの“依頼”を受けた翌日、午後九時。

 グレイは壁に背を預けながら、入口付近から凝視していた。

 彼の視線の先、そして人々の視線の先にあるもの。

 熱狂の根源。

 この空間て唯一の照明に映し出されている、二人の男の姿。

 角刈りの男が放った鋭い拳。

 ブンッという音。

 無造作な短髪の男はそれをギリギリで躱す。

 飛び散る汗。

 揺れる金髪。

 短髪の男は素早く半歩踏み込む。

 相手の死角を狙う横からの拳。

 反射的に飛び退く角刈りの男。

 空を切る拳。

 湧き上がる歓声と罵声。

 場の温度が上昇していく。

──ただの見世物か。下らんな。だが……あの男、やはり只者ではない。

 グレイは冷ややかに、人だかりの中心にある戦場(いくさば)を見つめている。

 非合法の賭け試合。このような興行が催される場は、ある程度の規模の街ならばどこにでもあるものだ。

 今度は短髪の男が攻める。

 素早い踏み込み。

 そこから真っ直ぐに繰り出される右の拳。

 拳撃を左手で弾く角刈りの男。

 小気味の良い音。

 逸らされ空にめり込む拳。

 露わになる無防備な胴体。

 角刈りの男の爪先が腹に食い込む。

 衝撃。

 声と共に空気を吐く短髪の男。

 一瞬、体が前方に傾く。

 汗が床に滴る。

 角刈りの男の、左頬を狙った渾身の一撃。

──終わったな。

 グレイは確信し、目を閉じる。

 最早勝利を確信して疑わない角刈りの男。

 だが、グレイが確信したのは“そうではない“結末”。

 短髪の男は体を傾けたまま一歩踏み込む。

 そして、頭を思い切り振り上げた。

 角刈りの男の顎の先端へと。

 ゴッッッ!

 鈍い音。

 刹那、静まり返る場。

 痛みに、僅かに顔を歪める短髪の男。

 緑色の瞳がギラギラと輝く。

 笑っている。短髪の男が口元だけで。

 相手からすれば予期せぬ反撃。

 顎から頭へ抜ける衝撃。

 激しく揺さぶられ、平衡感覚を一瞬失う。

 よたよたと足踏みする角刈りの男。

 視線が定まらない。

 動揺。

 その隙を見逃すはずが無かった。

 短髪の男が伸ばした右腕。

 大蛇が噛み付くが如く、角刈りの男の首を掴む。

 そのまま地面に引き倒される。

 短髪の男が馬乗りになる。

 彼の拳が角刈りの男の顔を捉えようとした瞬間。

「そこまでだ!!」

 審判による制止が掛けられた。

──あの男、悪趣味だな。自分の命を餌にして、楽しんでいる。

 グレイの視線が再び、短髪の男に向けられる。

 勝利を祝福するかのように、男は審判に右腕を高く掲げられる。

「勝者、ラウズル!!」

 宣言と共に、吹雪のように賭け札が乱れ舞った。

「ああクソッ! 負けちまった!」

「次もお前に賭けるからな! また頼むぜ!」

「これで八連勝か。アイツやるなぁ」

「今日の稼ぎがパーだ……とほほ……」

「流石に次は負けるだろ。たまたまだよ、たまたま」

 称賛と罵声。失意と僥倖。様々な色の声。

 数段下がった試合領域に立つ者に、再び観衆の注目が集まる。

 視界を埋め尽くすような紙片の隙間で、グレイは──ラウズルと目が合った。

 彼がどんな表情をしていたのか、グレイには確認することが出来なかった。

 笑っているのか、睨んでいるのかさえも。


 元々黒かったのか、それとも黒くなっていったのか。僅かに凹凸(おうとつ)のある石造りの床はぬめりを纏っている。

 幾度も踏みつけられたであろう紙片に、散らかったままの瓶の欠片。

 熱狂の痕跡は既に腐り果て、まだ微かに残る人熱(ひといき)れの湿り気と混じり合い、淀んだ臭いを発している。

 すっかり人気(ひとけ)が無くなったその場所は、先程までの興奮が嘘のように、冷たい静寂に包まれていた。

「貴方だったのか。試合中も、その後も、ずっと感じていた視線は」

 短髪の男──ラウズルは、濃い闇に向かって問い掛ける。

 試合中の上半身裸からは打って変わった普通の服装。

 艷やかな金髪が、まだ汗で濡れている。

「……随分と、派手な活躍をしているようだな。八連勝か」

 ぬるりと現れた人型の影。グレイだ。

「もっとも、派手に財布を痩せさせた客も居るようだが」

 皮肉混じりに拳士に向けられる、鼠色の瞳。

「専属の護衛になれという話なら、先日丁重にお断りしたはずだけど……どうやら、それとは違うみたいだね。貴方が一般人ではないのだけは判る」

 柔和な雰囲気の中に張り詰めた殺気を隠しながら、ラウズルはグレイに改めて顔を向ける。

 “丁重”という言葉は、果たして額面通りの意味なのだろうか。

「…………呼び出しに応じてくれるとは思っていなかった。それは感謝する」

 グレイは軽く頭を下げた。

「果たし状や決闘の予告なら、完全に無視するつもりだった。ただ、それにしては少し違和感が、ね」

 言いながら、ラウズルは小さく折り畳まれた紙をポケットから取り出す。

 多少の真剣味を帯びた視線が、グレイに刺さる。和やかな表情を崩してはいないものの、目は明らかに笑っていない。

「改めて確認するけど、これは貴方からのもので間違いないのかな?」

『賭け試合終了後の午後十時三十分に、再びこの場所に来て欲しい。話がある』

 広げられた紙には、流暢な筆跡でそう書かれていた。

「ああ、そうだ。俺が、控え室に置いたものだ」

 グレイは深く探るように、ラウズルを観察する。

 身長は──グレイよりは高いが、肉弾戦を主とする者としては低い方だろう。

 着ている上下がやや大きめのものなのも、関節や腕、足の可動域を考えてのものか。

「それで、僕に話とは一体何かな?」

 和やかな表情を浮かべてはいるが、その裏には牙を研いでいる獣が見え隠れする。

 樹上に潜む豹のようにグレイを見据えている、明るい緑色の瞳。

「“白布の殺人鬼”。聞いたことはあるか?」

 グレイの言葉に、心底解せないといった表情のラウズル。

 全力の肩透かしを喰らった人間は、存外に間抜けな顔をするものだ。

「あ、まあ、噂……くらいなら、聞いたことはあるけれど……?」

 唐突ささえ感じる脈絡の無い質問に、ラウズルはグレイが何を言いたいのか、全く理解出来ていないようだ。

 彼の端正な顔が困惑の色に染まる。

 頭の上に疑問符が浮かんでいるのが目に見えるように判る。

 その反応を目の当たりにして、グレイは小さくため息を吐いた。

──やはりこの男、無関係だ。スマルトの言った通りだな。

 用は終えたと言いたげな雰囲気を微かに醸し出しているグレイ。そんな彼を、ラウズルは引き留めるように呼び止める。

 相手の隙を窺う能力が高い者は、相手の醸し出す空気を読む能力も高いらしい。

「ちょ、ちょっと待って。呼び出されたと思ったらそんな質問をされて、しかもその反応。もう少し、詳しい説明があっても良いんじゃないかな?」

 すっかり殺気を削がれたラウズル。

 完全に毒気が抜けた様子で、彼はグレイに小さく抗議する。もっともな言い分である。

「分かった。場所を変えるとしよう。酒くらいなら飲ませてやる。迷惑料は、それで十分だな?」


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