独白①
母は、事ある毎に私を打った。
「この出来損ないが!」
そう言って、私を打った。
顔が気に入らないとか。
髪が気に入らないとか。
食べ方が気に入らないとか、喋り方が気に入らないとか。
そんな些細な理由を付けては、私を打った。
頬を、頭を、背中を、お腹を。
腫れ上がるまで殴られて。
骨が軋んで体がバラバラになりそうなくらい、痛くて。
でも、泣けば余計に殴られて。
その度に、青あざが増えていって。
妹は、そんな私を見て、愉快そうに笑ってるだけだった。
父は、何も言わなかった。言えなかったのかもしれない。
一度だけ、抵抗してみたことがあった。
母は怒り狂って、刃物を持ち出してきた。
本気で命の危険を感じた。
だから私は、抵抗することも止めた。
そんな私を、母は容赦なく何度も打った。
私を罵りながら、何度も、何度も。
食事だって、満足に食べさせてはくれなかった。
スープの残り、パンの切れ端、野菜の皮、肉が少しだけこびり付いた骨。
そんなものでもあるだけましで、それすら食べられないことの方が多かった。
いい匂いだけが残っているテーブルの上に、私の食事なんて最初から無かった。
匂いだけじゃ、お腹なんていっぱいにならない。むしろ、余計にお腹が空くだけで。
あまりにも惨めで、家の外で隠れて泣いたこともあった。
空腹で、倒れそうになったことも数え切れないくらい。
どうして、私だけ。
何度も何度も、毎日毎日そう思ったけど、答えなんて出る訳がなかった。
服だって、綺麗なものを着させてはくれなかった。
擦り切れて、ボロボロで、汚れて黒くなったままの服。
替えなんてない。
暑い夏も、寒い冬も、雨に濡れても。季節も天気も関係なく同じ服を着るしかなかった。
背が伸びて、小さくなっても、同じ服。
妹はいつでも、洗いたての綺麗な服を着ていた。
羨ましいとは思ったけれど、私の願いを叶えてくれる人なんて、誰もいない。
周りの子供は、いつも汚れた服を着ている私を指差して、笑ってるだけだった。
周りの大人は、私を遠巻きに、可哀想なものを見るような目で見ているだけだった。
水汲みと、洗濯と、掃除。
妹が大きくなってからは、それらは全て、私の仕事だった。
毎日、毎日。
水の入った重たい桶。
暑くて、お腹が空いて、フラフラして転んでしまうこともたくさんあった。
水をこぼしてしまえば、また最初からやり直し。
泣きそうになる気持ちをこらえて、太陽が照り付ける中を何度も往復したりした。
井戸のそばで、大きな桶に水を張っての洗濯。
汚れがちゃんと落ちていないと、怒り狂った母に何度も打たれる。
爪が割れそうなくらいに冷たい水。体の芯まで凍えそうな冷たい風。
あかぎれとひび割れだらけの手で、水がしみる痛みを我慢して、寒さに震えながら洗濯をしていた。
誰も、助けてはくれなかった。
風邪をひいても、熱を出しても、休むことなんて許してくれなかった。
私が身を削りながら家事をしていた間ずっと、妹は、友達と遊んでいた。
花を摘んだり、友達とおしゃべりしたり、本を読んだり。
私には、遊ぶ時間なんて無かった。
遊んでくれる友達も、話しかけてくれる人も、手を差し伸べてくれる人も、居なかった。
きっと母は、私のことが嫌いだったんだろう。
嫌いで、嫌いで、仕方なかったんだろう。
だから、こんな仕打ちが出来たんだと思う。
こんな扱いが嫌で、家出をしようとしたこともあった。
だけど、出来なかった。
子供が一人で家出したところで、生きていける訳がない。
それに、まだ母を信じていたい気持ちがどこかにあった。
妹が小さかった頃、母はまだ、私に優しかった。
綺麗な服も着せてくれた。
本だって読んでくれた。
誕生日には、お祝いだってしてくれた。
いつかきっと、あの頃のように、母はもう一度私のことを好きになってくれると信じてた。
だから、私は我慢した。
泣きたい気持ちも、反抗したい気持ちも、必死で必死で我慢した。
心を擦り減らしながら我慢し続けていたある日、そんな日々に終わりが来た。
その日は、珍しく母が優しかった。
あの頃のように綺麗な服を着せてくれて、私が好きな鶏肉と野菜のスープと柔らかいパンを食べさせてくれて。
でも、母がそうしてくれた理由を、私はすぐに知った。
見知らぬ男の人が、家に来た。
そして、私を指差して、こう言った。
「その娘が、商品なんだな?」
母が、私を人買いに売った。
私が、十一歳のときだった。
銀貨十一枚。
私の歳と、同じ枚数の銀貨。それが、私の価値だった。
母の手の中で、銀貨の擦れる音がした。
母は、私を睨み付けた。
まるで、人ではなく、物を見るみたいに。
「これっぽっちにしかならないなんて、アンタは本当に愚図で役立たずな穀潰しだよ!」
母は、そう言っていた。
あまりにも心を抉られすぎて、涙すらも出なかった。
私が信じたかったものなんて、最初からどこにも無かったんだ。
「ねえねえ、お母さん。私、白い花の髪飾りが欲しいなあ」
妹がにっこりと微笑みながら、甘えるように、そう言った。
お使いで店の前を通ったときに見かけたことがある、白い花の髪飾り。
確か、銀貨三枚だったはず。
妹にとって私は、家族ですらない、髪飾り以下の存在なんだ。
父は、何も言わなかった。
何かを言いかけて、テーブルを立とうとして、立てなかった。
「……お前は売られたんだ。さあ、行くぞ」
優しい、だけど有無を言わせない力加減で、人買いが私の腕を引いていく。
父はただ、辛そうな、済まなそうな顔で、人買いに連れられていく私を見ていた。
虫に食われた茶色い落ち葉が、風に吹かれて舞っていた。
冬も近付いた、ある秋の日のことだった。




