表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
19/37

エピローグ

 冒険者ギルドの酒場。そこはギルドマスターの城でもある。


 厨房を他の者に任せていたとしても、酒の管理だけはギルドマスターに委ねられる。それが冒険者ギルドの慣例であり不文律なのだ。


 酒瓶が隙間無く並べられた棚の裏側、隠し棚に収納されたグラスを磨きながら、スマルトは大きく息を吐く。


 カウンターに置かれたランプの周辺以外は、群青色の闇に覆われている酒場。


 厨房担当のジャーロはとうに帰り、最後まで残っていた一団も別の店に移動した。


 普段の騒がしさとは真逆の、静か過ぎる空間。


 夜の静謐さに包まれながら、収集しているグラスを磨く。その時間は、スマルトにとって小さな安らぎの時間でもある。


 美しいカッティングが施されたロックグラス。


 透明度の高いガラスで作られたストレートグラス。


 不透明な乳白色の色付けがなされたゴブレット。


 緑色のガラスで作られたショットグラス。


 希少性や値段などは関係無く、全て彼自身が気に入ったものを、吟味した上で集めているのだ。


 グラスに映り込む、スマルトの顔。少しだけ、疲労が滲む目元。


 七つ目のグラスを磨こうと手を伸ばした時、酒場の扉が静かに開いた。


 そして、影のように音も無く入ってくる人物。


 グレイだ。


「よう、お帰り」


 普通の冒険者にするように、労いの言葉を掛けるスマルト。


 彼が戻ってきたということは、“仕事”が完了したことに他ならない。


 普通の冒険者は知る由もない、冒険者ギルドの裏側にある仕事を。


「……これを」


 スマルトの前に座るなり、グレイはカウンターに革袋を置く。


 じゃり、と、金属音がする。


「確認するぞ?」


 言うが早いか、スマルトは革袋の中身をカウンターの上に開けた。


 黄金製の指輪が六個。表面に複雑な装飾が施されたそれらは、冒険者ギルドが発行しているもので間違いない。


 Aランク冒険者の証。


 再び、革袋の中に仕舞われる六個の指輪。


「……ご苦労だったな」


 一度だけ大きくため息を吐くと、スマルトは隠し棚から一本の酒を取り出す。


 二十年熟成物の蒸留酒。細長い長方形の瓶の中で、琥珀色の液体がランプの光を吸い込みながら、静かに揺蕩(たゆた)っている。


 磨いたばかりのグラスに琥珀色の酒を注ぎ、スマルトは労うようにグレイの前に置いた。


 血色の悪い乾いた唇が、グラスの厚い縁に触れる。


 見た目よりも重さのあるグラスを僅かに傾け、グレイはほんの少し、酒を口に含んだ。


 苦み。辛み。抉み。甘み。それら全てを内包したスモーキーな香りが、口から鼻へと抜けていく。


「……相変わらず、不味い酒だ」


 腹の底に溜まった感情の残滓。それを吐き出すように呟く。


 彼の生気の無い鼠色の瞳が琥珀色の水面に映り、ゆらゆらと揺れている。


「不味い酒ほど、現実を忘れるにはうってつけだろう?」


 意味深な笑みを微かに浮かべながら、スマルトはグレイを見遣る。


 スマルトの前にも一つ、グレイに出したものと同じ酒が注がれたグラスが置かれていた。


 酒の香りが、虚しく立ち上る。


「……皮肉か?」


 大して興味も無さげに、グレイは頬杖を突きながら視線を外した。


「そんなことを皮肉で言えるほど、無知じゃねぇだろうが。お互いにな」


 革袋をポケットの中に仕舞いながら、スマルトは言う。


 革袋の中の指輪が擦れ合う音が、まるで何かを訴えているようで。


「……また、次も頼んだぞ。明日かも知れんし、一年先かも知れんが」


「それが、お前と結んだ“契約”だからな」


 今更当たり前のことを言うな。そう言いたげに、グレイは席を立った。


 カウンターには、まだ半分以上酒が入ったままのグラスが残されている。


「……言い忘れていた」


 扉の前で、グレイは振り返らずに立ち止まる。


「金貨三十枚だ」


 一瞬、何のことか分からず、スマルトの動きが止まった。


「あのメダリオンの買い取り費用だ。経費として請求しておいてくれ」


「……あ、ああ。上には話を通しておく」


 スマルトが返したときにはもう、グレイの姿はそこには無かった




 外に出ると、季節外れに寒さを感じる風が吹いていた。


 このような風が吹いた翌日は、例外無く雨が降る。


 夜もそれなりに遅い時間ではあるものの、まだ開いている店もこの街には多い。


 冒険者ギルドの支部がある通りも、それなりに人が行き交っている。


 職人の師弟らしき年の離れた二人組。


 千鳥足で歩く若者。


 顔を赤くしながら酔いを醒ましているらしい、戦士らしき体格の大きな男。


 そんな中、前から歩いてくる一団に、グレイは見覚えがあった。


──確か……“モグラ団”、とか言ったな。


 “モグラ団”。最近Cランクに昇格した、冒険者の一団だ。


 一瞬、グレイは立ち止まってしまうが、すぐに再び歩き出す。


 ただし、歩く速度を大幅に落として。


「ちょ、ちょっと、まだ飲み歩くつもり!? いい加減、宿に戻った方が良いんじゃないの?」


 盗賊らしき軽装の女が、後方から声を張り上げている。


「もぉー、メリッサってば真面目ちゃんなんだからぁ! そんなんで盗賊なんてやっていけるのぉ? こういうときくらい、気楽に行きましょうよぉ、き・ら・く・に、ね」


 妙に色っぽい声を出している、僧侶らしき女。


「お、おれはへたれなんかりゃないのかりゃなぁー! みひぇろよー! うひぇ、うひぇ、うひぇひぇひぇ」


 完全に出来上がっているどころか、若干テンションが怪しい重戦士らしき男もいる。


「ちょっとエリク、どうすんのよこれ。ギリアムがかなりヤバい感じになってるんだけど」


「こうなったギリアムは止められないんだよな……。酔い潰して寝させるしかない」


 魔術師らしき男はため息を吐きながら、明らかにうんざりした様子を見せている。


「トープ、あなた仮にもリーダーなんでしょ? だったら少しは何とかしなさいよこの惨状」


 惨状とは言いつつも、周囲から好奇の目で見られている現状は、約二名によって引き起こされているようだ。


「あー、まあ、良いんじゃねぇの?」


 盗賊らしき女から振られた戦士らしき青年は、指先で頬を掻きながら答える。


「ギリアムのヤツ、自分は足手まといなんじゃないかって、ちょっと悩んでたみたいだからな。発散させるって意味で」


「いや、発散させるにも程度ってものがあるでしょ程度ってものが」


 話に上がっている当の本人は、怪しい笑い声を上げながら大股で歩いている。


「俺さ、仲間を誰も離脱なんてさせたくねぇんだよ。で、みんなでBランクに上がりてぇんだよ。前に俺達を助けてくれた、“翠の鷹”みたいにさ」


 聞き覚えのある単語に、グレイは思わず足を止めた。


「まあ、確かに、仲の良い幼馴染みて言ってたわね、あの人達」


「だろ? 仲が良いってだけじゃやってけねぇかも知んねぇけどさ、それでも、みんなでBに上がりたいって夢は捨てたくねぇんだよな」


 リーダーと呼ばれた戦士らしき青年──トープは、少しだけ困ったような表情を浮かべながら笑う。


「……まあ、あんたの言いたいことは分かったけど」


 メリッサと呼ばれた盗賊らしき女は、少しだけ表情を柔らかくした。


「とりあえず、アレ、どうすんの?」


 視線の指し示した先には、笑いながら鎧と服を脱ぎ始めた重戦士の男──ギリアムの姿。


「わーーーッッッ!!! ギリアム待て! 鎧は良いけど服は脱ぐな! お前こないだ全裸になって憲兵に捕まっただろうがーっ!!!」


 大慌てで駆け寄るトープとメリッサ。


 グレイは目を閉じると、足早にその場から遠ざかる。


──前に俺達を助けてくれた、“翠の鷹”みたいにさ。


 耳の奥に蘇る、トープの言葉。


 グレイは何かを言おうとして、しかし口を閉じた。


──彼らは“翠の鷹”がもうこの世に居ないことを知らない。だが、それを知ったところで……言ったところで何になる。


 グレイは唇を固く結ぶ。


 彼の瞳は鋭さを増しながらも、その顔からは何も感情を読み取ることは出来ない。


 三度(みたび)、グレイは立ち止まる。


 そして、コートの裾を翻しながら、路地裏へと続く闇の中に消えていった。


 雲一つ無い夜空から、一滴だけ、雨粒が落ちた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ