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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
18/37

処理③

 彼が──リヒターが生まれたのは、山奥の、所謂(いわゆる)“開拓集落”と呼ばれる場所だった。


 最も近い街までは山道を歩いて一昼夜。近くには村も集落も無い、完全に孤立した場所だ。


 父と母、それにリヒター自身と妹。家族は四人だけだったが、ある意味、集落の住人全員が家族のようなものだった。


 開拓されたばかりの森に囲まれた畑は収穫量が少なく、住人が互いに協力し合わなければ、一冬を越すことすら困難だったからだ。


 森を切り開き、木の根や石を取り除き、土地を(なら)し、土を耕して畑にしていく。既に畑にした土地の手入れも、忘れてはならない。


 森で鹿や猪、熊を狩り、食料とすることもあった。リヒターの父は腕の良い狩人でもあった。


 リヒターも子供であったものの、大人達に混じって野良仕事に携わっていた。


 彼の戦士としての腕力や体力の土台は、ここで築かれたと言っても過言ではない。


 幼いながらよく働いていたリヒターは、周囲の大人から大層可愛がられていた。


 毎日のように野良仕事に精を出し、父親と共に狩りをし、雨の日には集落の別の大人から読み書きを教えてもらう。


 ささやかな収穫に感謝し、家族と食卓を囲む。


 それが当時のリヒターの日常であり、小さな幸せでもあった。


 それが一変したのは、彼が十五歳の時だ。


 彼の母親が、病で倒れた。


 街から医者を呼び診て貰ったものの、治療するにはかなりの金が必要だった。


 当然ながら高額な治療費を払えるはずもなく、その後しばらくして、リヒターの母親は亡くなった。


 葬儀を終えた三日後、リヒターが父親と壮絶な言い争いをしていたのを、近所の住人が目撃している。


 次の日、リヒターの姿は集落から消えていた。彼の幼馴染みであるフォズの姿と共に。


 後にAランクにまで上り詰めるパーティ、“暁の獅子”が結成されたのは、それから数カ月後のことである。




 リヒターが気付いたとき、彼は一瞬状況が把握出来なかった。


──ああ、そうか、俺……。


 追手から逃れ、朝までやり過ごすために洞窟に身を潜めたことを、今更ながら思い出す。


 極度の緊張と疲労感から、気絶するように意識を失っていたらしい。


 入口の方に目を向けるが、何も様子は変わっていないように感じられた。


 それはつまり、仲間の死も、森の中での悪夢のような出来事も、夢ではなく現実に起こったことであるという証左でもあった。


──クソッ。必ずあの野郎をぶっ殺して仇を取ってやる。金はあるんだ、街に戻ったら腕が立つ連中を雇って……


 剣を拾って構え直したところで、リヒターは異変に気付く。


 洞窟の中に充満している異臭。


「げほっ! がほっ! な、何だ……?」


 起き抜けの詰まった鼻のせいで、今の今まで気付くことが出来なかった。


 鼻から息を吸い込めば、刺激臭が鼻腔の中で針を突き立てながら転げ回る。


 口から空気を吸い込めば、舌や口腔の粘膜に熱を持った痛みを齎す。


 それでも我慢して飲み込めば、空気が肺と喉を灼く。


「げほっ! ごほっ、ごほっ! がはっ!」


 咳と共に吐き出された、血の混じった唾。


「あっ、がっ、何、だよ、毒……?」


 肺が痛い。


 喉が痛い。


 目が痛い。


 口の中がヒリヒリして、喉が渇く。


 鼻の奥が痛過ぎて、血が出そうだ。


──ああ、そういえば……。


 リヒターは思い出していた。彼がかつて暮らしていた集落での出来事を。


 食料保存庫として使っていた穴蔵に鼠が巣食ったとき、中で毒草を燃やして燻すことで駆除していたことを。


──お、俺は、ネズミなんかじゃねぇぞ。


 視界がぐるぐると回転を始める。


 上半身を支えていられない。


 手に力が入らない。


 剣が滑り落ちる。


 どさりと音がした。


 上半身が、地面に倒れ伏した音。


──ああ、クソ。力が、入らねぇ。


 激しく咳き込めば、口の中に血のにおいと土の味が広がる。


 立ち上がれない。


「まだ、だ。俺は……死にたくねぇ……」


 咳が止まらない。


 右手の先で土を掴む。


 ゆっくりと、蛞蝓(なめくじ)が這うよりも遅い速度で、体を右手の先に引き寄せていく。


「う、……ぅ、あぁ」


 喉が痛い。


 頭が痛い。


 次は左腕を伸ばし、左手の先端を土に食い込ませる。


──何で……、何でこんなことになっちまったんだ。


 体を左手の先に引き寄せていけば、何かに当たったのか、鈍い金属音がした。


 金属片。剣か、盾か、鎧か、そのどれかの一部分だったもの。


──何で俺は、金が……欲しかったんだ……?


 棄てられていた(つか)だけになった剣が、リヒターの右足に当たる。


 金にならない、売れないと、彼らが棄てたもの。


 “暁の獅子”が、冒険者狩りに手を染めていた証。


──ああ、そうだ。俺は、悔しかったんだ……。


 数日前に新調した彼の胸鎧は、土と泥に塗れ、輝きを完全に失っていた。


──金があれば、お袋を助けられたのに。金があれば、妹に好きなものを買ってやれるのに。


 視界が涙で滲む。


 鼻の奥から、熱い何かが滴り落ちる。


 血。


──金が無かったから、俺は、何も出来なかった。それが、悔しくて。悔しかったから、俺は……。


 喉が、焼けるように痛い。


 息をすることすら、辛い。


──何で、俺は、間違えたんだ。


 仲間は居ない。


 幼馴染みも、もう居ない。


 森の中のあの集落に戻ることも、彼にはもう出来ないだろう。


──もう一度、やり直せたら、今度は、絶対に、間違えねぇのに。


 頭の芯が激しく痛い。


 吐き気が止まらない。


 肺が熱を持って、脈打つように痛む。


「…………ぁ……」


 地面を這いながら、ようやく入り口近くまで到達したリヒター。


 リヒターの目に映ったのは、微動だにせず彼を見下ろしている人影。


 グレイだった。


「……た、のむ…………たす……助けて、くれ……」


 懇願するように顔を上げ、リヒターは懐から取り出した革袋を差し出す。


──もう一度、妹に会いてぇんだ、それで……。


 場違いに澄んだ金属音が、革袋の中から響いた。


 極々僅かに、憐れみの感情がこもる視線。


 グレイは何もしなかった。


 もう、何もする必要が無かった。


「ッ!! がっ、がはっ、ごほっ、ごぼッ、ごぶっ、ぐッ、がッ、っは……」


 一際激しく咳き込み、胃液と共に血を吐いたかと思えば、リヒターはそのまま動かなくなった。


 革袋からこぼれ落ちた金貨が一枚、地面を転がりグレイの爪先に当たる。


 グレイはそれを拾い上げると、リヒターの左手に握らせた。


 “暁の獅子”の、最期だった。




 遺体を一つずつ、洞窟の中に運び込む。


 可能な限り、証拠も痕跡も残さないようにしなくてはならない。


 “無かったことにする”。


 これが、彼の役目なのだから。


 最後の遺体を運び終えたとき、グレイはコートのポケットから護符を取り出した。


 浄霊の護符。スケルトンなどの不死系の魔物を浄化するときや、浮かばれない霊魂を成仏させるときに用いられる、“浄霊”の奇蹟が込められた護符である。


 遺体の数と同じ枚数の護符を扇状に広げると、彼はそれに息を吹き掛けた。


 ボシュッ……


 白い光を吐き出しながら、静かに、しかし弱まることなく燃え上がる護符。


 証拠や痕跡を残さない。それは死者の声すらも遺さないということ。


 狩る者も、狩られた者も、皆等しく。


 護符は灰すら残さずゆっくりと燃え尽き、引き換えに“暁の獅子”の面々の魂を天へと導いた。


 感傷に浸る間も無く、グレイは背嚢から、油紙に包まれた長方形の物体を取り出す。


 側面に長い紐が取り付けられている物体。


 紐を延ばしながら外へ出ると、彼は紐に火を点けた。


 小さく音を立てながら、火は、僅かに油を染み込ませてある麻紐の道を辿っていく。


 そして、本体へと到達した瞬間。


 ボフッッッ!!


 くぐもった音を上げながら爆発し、洞窟を崩落させた。


 罪も後悔も、全てを呑み込みながら。


 周囲に漂う土煙と、僅かに黴臭い土のにおい。


 気が付けば、空は少しだけ明るくなり始めていた。


 長い夜が、終わろうとしていた。


 生温い風が、グレイの薄墨色のコートを揺らす。


──仕事は、終わった。


 彼は歩き出していた。


 振り返ることすらせずに。



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