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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
16/37

処理②

 枝が揺れる音。


 葉が擦れる音。


 小虫の羽音。


 梟の声。


 ヒカリは感覚を研ぎ澄ませながら、自身とは異なる気配を探る。


 あの男、“イェルグ”の気配を。


──迂闊でした。もっと早くに気付くべきでしたね、これは。


 思い返せば、あの男は妙に存在感が薄かったように感じられた。


 それに、街道を歩いていたにも関わらず、石畳を踏む音も小さかったように思われる。


──やはり私はまだまだ未熟。父上の域には程遠い。


 真一文字に結んだ口を更に固く結びながら、ヒカリは険しい表情を浮かべた。


──私が剣の道を極め、父上と肩を並べられる強さになるためにも。


 彼女の父は、東方の大陸では名の知られた剣士だった。そして彼女の兄もまた、名の知られた剣士だった。


 そのような環境であるが故に、ヒカリ自身が剣の道を志したのは極めて自然なことだ。


 剣術においては苛烈であるが、普段は無口で優しい父と、やや過保護な兄。


 親子三人での暮らしは慎ましいものでありながら、幸せなものだった。


 ……彼女の父が、何者かに殺されるまでは。


──あの男の持つ“星銀製の武器”は、必ず手に入れねばなりません。


 復讐を訴えるヒカリと、“剣は誰かを守るためのもの”という信念を譲らない兄。


 兄妹それぞれの主張は歩み寄りを見せることなく平行線を辿り、そして、決裂した。


──そうすれば、父上の域に、父上の仇を討つに足る強さに、一歩近付くはず。


 以降、ヒカリは強さを求め、己を研鑽するために、戦いの中に身を置くこととなったのだ。


 “魔物を斬り伏せる”という剣術修行の正道から、“人間を斬る”という邪道へと変質しながら。


 かさり。


 乾いた音が、不意にヒカリの耳に届く。


 刹那、鞘に収められていた長刀が抜き放たれ、青黒い闇を走る。


 瞬き程度の時間。


 三日月を写し取ったかのような銀色の軌跡が空間を裂き、音の主は両断された。


 蛾。それも、流線形の胴体を持つスズメガだ。


──「お前は時々、異常なくらい神経質だな。もう少しゆとりを持った方が良い。じゃないと……大事なことを見逃すぞ」


 脳裏に思い起こされる兄の言葉。


 ヒカリは小さく頭を振り、その言葉と声の感触を追い出そうとする。


──あんな腰抜けの言葉など、私には必要ありません。力があるにも関わらず、それを目的のために使おうとしない腰抜けの言葉など……。


 心の中に生じた微かな波紋を打ち消すように、深く細く息を吐く。


 そして、再び闇に包まれている森の中に目を遣ったとき、ヒカリはそれを捉えた。


 気配。


 虫や鳥や小動物などではない、人の形をした気配。


 ヒカリは足を止める。


 静寂。


 自分自身の呼吸音すら邪魔に思える、張り詰めた空気。


 汗が一筋、頬を滴り落ちる。


 気配の主も足を止めた。


 ヒカリの左手が、鞘を掴む。


 沈黙。


 足元を、一匹の鼠が駆けていく。


 ヒカリは目を閉じ、気配を探る。


 隙を窺っているのだろうか。


 動かず、留まったままの“それ”。


 柄に添えられたヒカリの右手。


 何かが飛び立った音。


 不意に、枝が揺れる。


 それを合図にしたかの如く、気配がヒカリに迫る。


──見えましたよ!


 瞬間、ヒカリは身を翻し、迫ってきた気配を避ける。


 と同時に、擦れ違いざまに長刀を一閃させた。


 仕留めた。彼女には、その確信があった。


「……さて、これで星銀は私のもの、ですね」


 普段は冷静な態度を崩さないヒカリが珍しく、喜色を禁じ得ない様子を顔に滲ませている。


 荷物の中からいそいそとランタンを取り出し、火を点ける。


 静寂と沈黙を燃やし尽くすような、オレンジ色の明かり。


 相手の持ち物を検分するため、仕留めた気配の主に近付いた瞬間、ヒカリの表情が凍り付いた。


「なっ、グロー……? 何故……!?」


 ランタンの光に照らし出されたのは、仲間であるグローの姿。


 ヒカリの斬撃を受け、既に絶命している。


 煙草の臭いが染み付いたローブではなく、“イェルグ”が着ていたものを身に纏いながら。


「わ、私が、この私が間違えるなんて……っ!」


 まるで局地的な嵐のような動揺。


 鞘を握り心を落ち着かせようとしても。


 柄に触れ呼吸を整えようとしても。


 一度訪れてしまった動揺は、簡単に拭い去ることは出来ない。


 それは“仲間を斬ってしまったから”ではない。


 “斬るべき相手を間違えたから”だ。


──「もう少しゆとりを持った方が良い。じゃないと……大事なことを見逃すぞ」


 再び思い出されてしまう兄の言葉。


 斬った相手はグローだった。


 斬った相手は“イェルグではなかった”。


 それは、つまり。


「………………」


 音も無くヒカリの背後に降り立った影。


 彼女が振り返るよりも先に。


 彼女の長刀が閃くよりも先に、後頭部にダガーの冷たい刃が触れる。


「っ、あ…………!」


 それが、東方の女剣士ヒカリの、最期の言葉だった。


 少し離れた場所から、梟に捕らえられた鼠が激しく抵抗する声が聞こえる。


 暫時。


 森には再び静寂が落ちた。




 フォズは、途方に暮れていた。


 元々、“冒険者狩り”には消極的だったのだが、今の彼には、それを実行する意思など存在しなかった。


 とはいえ、協力する“フリ”だけでも見せなければ、彼はパーティ内で完全に孤立する。


 その先に待っているのは、仲間からの不信。そして、制裁という名の死だ。


「…………はぁ」


 あまりにも重いため息が、夜の森に響く。


 左手に持った魔力灯が発する光が、微かに震える。


──何で、こんな風になっちまったんだろう。


 自問自答。


 思い返してみれば、一緒にダンジョンに潜ったパーティが、仕掛けられていた罠で全滅したことが最初だったように感じる。


 誰かが言った。


「ギルドにリング届けるついでに、こいつらの装備剥がして売っちまおうぜ。他の冒険者連中だってやってるだろ? 手間賃代わりだよ、手間賃代わり」


 闇市場で故買屋に売り捌く役目は、フォズに押し付けられた。


 そして、全滅したパーティから回収した諸々が、予想外に高く売れてしまった。


 それからだ。行き倒れた冒険者や、ダンジョン内で死亡した冒険者を見つけては、装備を剥がして故買屋で売り捌くことが、日常の一部になったのは。


 だが、常に探し歩いていたところで死体、それも冒険者のものなど簡単に見つかるはずがない。


 ならば、死体を作り出せば良い。


 “暁の獅子”の標的が魔物から人間へと変わるのに、時間は掛からなかった。


──もう、戻れねえんだろうな。あの頃には。


 フォズの脳裏に浮かぶのは、依頼を達成した後の充実感に満ちた顔で酒を酌み交わす、仲間達の姿。


 自然と足が止まり、思わず俯く。


 握った拳に力が入り、革手袋越しに爪が食い込む。


「…………何でだよ、何で」


 問い掛けの言葉が口を衝いて出るが、答えてくれる者は居ない。


 本当は、フォズ自身も気付いていた。


 盗賊という、裏と表の間に位置する職業であるがために、踏み止まれているということを。


 そして、仲間達を止めるには、自分は無力過ぎたということを。


 今更パーティを抜けようとしたところで、他の者はそれを許さないだろう。


 彼もまた、戻ることは出来ないのだ。


 ガサガサッ!


 思案の隙間を突いて、近くの藪を掻き分ける音がした。


 一瞬飛び上がりそうになりながらも、フォズは使い古した短剣を構える。


 まだ“変わってしまう前”の面々から誕生日に贈られた、硬銀製の短剣を。


 音の主もこちらの気配を窺っているのだろう、ややあって、姿を現したのは。


「リ、リヒターかよ……びっくりするじゃねえか……」


 パーティのリーダーであり幼馴染みでもある見知った人物に、フォズは胸を撫で下ろす。


 だが、見知ったはずのその顔に、見たことのない影が落ちているのを、彼は見逃さなかった。


 荒い息。鋭すぎる目付き。じっとりと汗で濡れた髪。


 そして、突き刺さるような殺気。


「おいフォズ」


 リヒターがフォズを呼んだ声は、ドス黒い憎悪に満ちていた。


「あの野郎を、見なかったか?」


 あの野郎。恐らくはイェルグのことだろう。そう理解し、フォズは頭を左右に振る。


「そうか……」


 剣を構えたリヒターの右手が震えているのが、フォズの目に留まった。


 そして、ここで初めて、フォズはあることに気付く。


「……なあ、ルシアは?」


 ルシア。リヒターの恋人の魔術師。彼の記憶が確かならば、一緒に行動していたはずだ。


「殺られちまったんだよ……あのクソ野郎に!!」


 声を荒らげながら、リヒターはフォズを睨みつける。


 行き場のない怒りをぶつける相手を探すように。


「……そんな、嘘、だろ?」


 声が小さく揺らいでいるのが、フォズ自身分かった。


 手練れのはずの仲間が殺られてしまったことも、殺ったのがイェルグであることも。


 彼には俄に信じられなかったのだ。


「絶対殺してやる。絶対仇を取ってやる。あの野郎に、ルシアを殺した報いを受けさせてやる……」


 ぶつぶつと繰り返すリヒター。完全に、怒りで冷静さを失っている。


 他の仲間が居ない二人きりの状況だが、まともに話し合いが出来るような状態ではない。


 しかし、“今”を逃せば二度と機会は訪れないかもしれない。そう考えたフォズは、少し思案した後、口を開いた。


「なあ、リヒター。もう、止めようぜ。こんなことは」


 こんなこと。“冒険者狩り”。


「……おい」


 幼馴染みからの返事は、明確な怒気を含んだものだった。


「弱ェ癖に俺に指図するんじゃねぇ!! アレか? 殺されてぇのか? お前が死んだところで代わりになるようなヤツは幾らでも居るんだよ! 分かってんのかクソが!!」


 リヒターはフォズの胸ぐらを掴む。


「次に減らず口叩いてみろ。ぶっ殺してやる」


 叩き付けるような言葉。そしてフォズは理解した。


 断絶。


 ここに居るのは“幼馴染み”のリヒターではない。“暁の獅子のリーダー”であるリヒターなのだ、と。


──もう、昔みたいにはなれないんだな、俺とお前は。


 思わず口に出そうになるのを、必死で胸の中に留める。


 掴まれた胸ぐらを離され、フォズは俯きながら立ち尽くす。


 心の奥から際限無く湧き出る悲しみの感情を抑えるために。


 だが、そんな状態すらも、“彼”には無関係だった。


 ヒュンッ!


 何かが空を切る音。


 ルシアを死に追い遣った聞き覚えのある音に、リヒターは即座に反応し振り返る。


 一拍遅れてフォズも振り向く。


 僅かな差。


 フォズが反応するよりも先に、“それ”が彼の足に巻き付いた。


 闇色の鱗に覆われた蛇のような、鞭の先端が。


「うあッ!?」


 凄まじい力で引っ張られ、フォズは踏ん張ることすら出来ずに引き摺られていく。


 反射的にリヒターに手を伸ばそうとするも、助けを求める声は出せなかった。


 無駄だと、理解していたからだ。


 驚愕と恐怖が綯い交ぜになった表情のリヒターを瞳に映しながら、フォズは闇の中へと引き込まれていった。


 リヒターは、見ていることしか出来なかった。


「違う、違うんだ! 助けてくれ!」


 闇の中から聞こえてくるフォズの声。


 命乞い。 


「なあ! 俺は、違うんだ! 俺は──」


 それはまるで、猛禽類に捕らえられた小動物のような。


「ッッッ! ぅ、あ……」


 ずっ、という音と、小さな悲鳴。


 それきり、声も音もしなくなった。


 嫌な鼓動が、リヒターの体の中に響いていた。



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