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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
15/37

処理①

「……本当に、面倒ね」


 ため息混じりにルシアが呟く。


 露出した脚、豪奢なローブ。それらに触れようとした草が見えない刃に刈り取られては、彼女の足元に積もっていく。


 まるで、ぬかるんだ地面に敷かれた絨毯のように。


 どうやら風刃の魔法を展開しているらしい。


「悪ィな。お前に余計な手間を掛けさせちまった」


 出力を下げた魔力灯片手に短剣で草を薙ぎながら、リヒターは済まなそうにルシアを見る。


「まあ、でも」


 ほんの僅か、ルシアは意地の悪さを含んだ笑みを浮かべる。


 光を放つ虫が一匹、彼女の足元で風刃に巻き込まれ、四散した。


「少し安心したわ。貴方でも失敗することがあるんだ、って」


「おいおい、皮肉かよ……」


 やや不満そうなリヒターの声。それを聞いて、ルシアはくすりと笑う。


「褒めてるのよ。鈍いわね」


 多少の短所ならば愛しく見えてしまうという、恋愛によくある症状に罹っているらしい。


「そりゃ、どうも」


 歯切れの悪いリヒター。こんな時にどのような態度を取れば良いのか分かりかねるのは、全ての男の共通項のようだ。


「……気ィ抜くのは構わねぇが、あんまり油断するなよ。“アレ”は相当ヤバいヤツだ。それこそ、今まで戦ってきたどんな魔物よりもな」


 リヒターは気を張り詰めた様子で喉を鳴らす。しかしその緊張感は、ルシアには全く伝わっていない。


「あんな何処の誰とも知れないような冴えない見た目の男が、マンティコアやキマイラ、ワイバーンより上だって言うの? 馬鹿な事を言わないで。流石にそれは過大評価し過ぎよ」


 呆れた様子のルシア。リヒターとは明確な温度差がある。


「あんなのがワイバーンより上だって言うなら、リヒター、貴方はドラゴン級よ? 負ける訳が無いじゃない。それに」


 ルシアは妖しく微笑む。


「貴方が望むなら、この森全部と一緒にあの男を焼き払ってあげる。それで済む話でしょう?」


「お前……っ」


 流石のリヒターの顔にも、苦々しいものが浮かぶ。


「……冗談よ、冗談。冗談に決まっているでしょう? すぐに本気にしちゃう所も可愛いんだから、貴方は」


 くすくすと声を上げて笑うルシア。


 かつてリヒターは、ゲレルに連れられ娼館を訪れたことがあった。


 娼館で行う事は、基本的には一つだけである。連れて来られたとは言え、勿論リヒターも例外ではない。


 それなりに“良い思い”をしたのだが、問題はその後だった。


 彼が娼館に行って一夜を過ごした事を知ったルシアが、魔法で娼館に火を付けようとしたのだ。


 必死の弁解と謝罪により一応は事なきを得たのだが、その事件を知っているが故に、リヒターはルシアの発言がとても冗談とは思えなかった。


「ま、まあ、とにかく。森を焼いたら証拠が残っちまうからな。そういうのは、頼むから勘弁してくれ」


 ルシアとリヒターの付き合いはそれなりに長いのだが、それでも時々、彼自身思わず耳を疑うような言動が彼女の口から発せられることがある。


 魔術の名門の家系に生まれ、幼い頃から英才教育を受けて育ってきたとは、ルシア自身からリヒターが聞いた話である。


 魔術の英才教育に注力する余り、一般的な常識を教えて貰えていなかったのではないか。リヒターはそう考えていた。


「それにしても……見つからないわね」


 仕留め損ねた相手を探しに森に入ること、既に数十分。ルシアは不満げに口を尖らせる。


「お前の障壁があるから、この森からは絶対に出られやしねぇよ。虱潰しに探しゃあ必ず……」


 そう言いかけて、リヒターは足を止めた。


「……おい。今、何か音がしなかったか?」


 魔力灯を掲げながら、周囲の木々を見上げるリヒター。


 森の中は無風にも関わらず、木の枝が揺れている──ような気がする。


 短剣は既に仕舞われ、彼の右手には硬銀の長剣が構えられていた。


「私は聞いてないわよ。気のせいじゃない?」


 言いながら、ルシアがリヒターに向き直った時だった。


 二人の間に、“何か”が勢い良く飛んできた。


「ッッッ!!」


 “何か”はリヒターが持っている魔力灯に命中し、彼の手から弾き飛ばす。


 ガシャァン!!


 盛大な音を立てた後、“何か”と魔力灯はぬかるんだ地面にめり込むように落ちた。


 魔力灯に嵌め込まれたガラスにはヒビが入り、封入されていた魔力と灯りの魔法がヒビから漏れ出ていく。


「もう、一体何なのよ……」


 心底うんざりした様子を隠そうともせず、ルシアは自身の魔力で灯りの魔法──魔術としては初歩中の初歩のもの──を発動させる。


「あ、おい、待て!」


 リヒターの制止すら聞かずに。


 闇の中で光を灯す行為は、時に危険を伴うのだ。相手に自分の位置を知らせるという危険を。


 それを彼女は知らなかった。


「何これ。ただの鍋じゃない。…………え、鍋……?」


 照らされた空間の中、ルシアは魔力灯の横で地面にめり込んでいる“それ”を拾い上げた。


 野宿で使うような、小さな鍋。


 どこかで見たことがあるような。


「ねえリヒター、これ……」


 振り返ったルシアの視界にあったのは、眼前に迫る黒い何か。


 ヒュンッ!


 シュパンッ!!


 空を切る音と、空気の弾ける音。


 “黒い何か”の先端がルシアの目を灼いた。


「ああっ、ああッ、ああああッ!!」


 絶叫。


「目が、目があっ、痛いっ、痛いぃぃっ!」


 あまりの激痛に声が裏返り、その場に立ち尽くすルシア。


 彼女自身が両手で目を押さえるよりも先に。


 リヒターがルシアの元に駆け寄るよりも先に。


 再び闇から這い出て来た“黒い何か”が、彼女の首に巻き付いた。


 冷たい殺意を帯びた、毒蛇のように。


「はっ、あぐっ!?」


 視界を奪われたルシアに判ること。それは、自分の首に、何かが二重三重に巻き付いているということ。


 引き剥がそうと反射的に爪を立てるが、固く引き締められた編み目には傷を付けることすら出来ない。


「あっ、かァッ!!」


 彼女に判るのは、首に巻き付いた“何か”が、自分を上に引っ張り上げたということ。


 ルシアの靴の爪先が、地面から急激に離れていく。


「かっ、はっ……、ァ、リヒ…………」


 その言葉だけを残し、引っ張り上げられたルシアは、木々の枝葉の隙間に張り巡らされた闇の中へと消えた。


「な、何が、一体、何がどうなってやがるんだよ……」


 あまりに突然の出来事に、呆然と立ち尽くすリヒター。


 空気は変わらず森の中特有の冷気と湿気を帯びていて、留まったまま動こうともしていない。


 彼の耳に届くのは、何かが抵抗しているかの如く枝を揺らす音のみ。


 しかし、それすらも直ぐに聞こえなくなった。


 耳に染み付くような静寂。


 剣を握っている手に、自然と汗が滲む。


「……おい、ルシア!」


 緊張の汗が首筋を流れ落ちる。


 見上げながら呼び掛けるものの、当然ながら返事は無い。


 代わりに聞こえてきたのは、何かがカサカサと葉を揺らす音と、澄んだ金属音。


 更に枝葉を揺らす音から僅かに間を置いて、音の主がリヒターの前に落ちてきた。


 淡く輝く宝石が嵌め込まれた真新しい指輪と、踵の高い赤い靴の片側。


 どちらも、リヒターがルシアに贈ったものだった。


「嘘、だろ」


 つい十数分前まで何気ない言葉を交わしていた恋人が、恐らくは。


「アイツだ。あの野郎が、殺ったんだ。ルシアを、俺の、大事なヤツを」


 感情を整理するように、ぽつりぽつりと言葉を吐き出していく。


 困惑、悲しみ、怒り。


「……あの野郎、絶対に、殺ってやる」


 憤怒に満たされた瞳を、リヒターは森の中に向ける。


 まるで、自分の中に僅かに芽生えた恐怖を塗り潰すように。


「見つけ出して、八つ裂きにしてやる」


 奥歯が砕けるかと思う程に歯を噛み締めながら、彼は憎しみにその身を震わせた。


 闇を、睨み付けながら。




「ザコが無駄な抵抗しやがって。大人しく殺られろよな……」


 ぶつぶつと文句を垂れ流しながらも、ゲレルは森の中を進む。


 想定外の手間に、腹を据えかねている様子だ。


「あんまり文句言ってんじゃねぇぞ? この後、街に戻ったら、お楽しみが待ってるんだろうが」


 煙草を(くゆ)らせながら、グローは下品な笑みを浮かべつつ後に続く。


 酒とヤニの臭いが染み付いた、聖職者の証である純白のローブ。最早、何度洗濯したとしても完全に臭いを落とすことは出来ないだろう。


 翳したランタンの灯りが、前を行くゲレルの影を揺らめかせる。


「それな。一応確認するが、本当なんだろうな?」


 ゲレルは声だけをグローに向ける。


「本当に決まってんだろ。お前にぶっ飛ばされたくはねぇからな」


 宝箱の解錠を失敗し、ゲレルに殴り飛ばされたフォズを思い出しながら、グローは苦笑した。


──確かあの時は、回復術一回じゃ治し切れなくて、三回くらい掛けたんだっけな。流石に俺まであんなボコボコにされるのは真っ平だ。


 彼の薄茶色の瞳が、そう物語っている。


「悪いヤツだな、テメェは」


 くくっ、と笑い声を漏らしながら、右手に持った戦鎚で小低木を薙ぎ倒していく。


「お互い様だろうが。聖職者なんてモンは、善人から辞めていっちまう。残るのはクズと下衆と悪党だけなんだよ」


 煙を吐きながら、グローは、まだ火の点いている吸い殻を地面に投げ捨てた。


 火が湿った土に着地し、小さく音を立てる。


「じゃあ……テメェは悪党だな。“冒険者狩り(こんなこと)”に手ェ染めちまってるんだからよぉ」


 悪辣な笑みを浮かべながら、ゲレルは振り返る。


 彼の氷色の瞳には、憐れみとも親近感ともつかぬ感情が見て取れる。


 共犯関係。それが最も近いだろうか。


「はいはい言ってろ言ってろ。こっちは金が要るんだよ。兎にも角にもカネ、カネ、カネだ」


 グローは金が欲しかった。


 大量に金を積めば、才能が無くとも教会内での地位を上げることが出来る。教会が定めている内部規則の一つだ。


 聖職者としての才覚に恵まれている訳ではない彼が神官、そして行く行くは司祭になるためには、それしか道は無い。


 彼の能力を見限った両親、彼を見下し(さげす)んだ者達を見返し、報いを受けさせるためには。


「俺が悪党ならお前は大悪党だな。この強欲魔神が」


 グローは冷ややかなものが混じった視線を返すが、ゲレルに堪えた様子は無い。


「ああ、そうさ。俺は大悪党で強欲魔神だよ。何か文句あるか?」


 心底愉しげに笑いを漏らすゲレル。


 恵まれた体格と怪力。重戦士になるべくしてなったとも言えるが、その巨躯に比例するように、彼の内側には莫大な欲望が渦巻いている。


 食欲、物欲、性欲。いくら満たしても満たされないそれらを慰めるためには、冒険者という稼業は彼にとってうってつけだった。


 それが結果的に、彼を一般的な倫理観に反する方向へと歩ませていたとしても。


「……で、だ。テメェが言ってた女はいつ紹介できる? こっちを滾らせたまま十日間放置、なんてことはねぇだろうな?」


 ゲレルは再び正面を向き、戦鎚を振るいながら言う。


 小低木の枝が周囲に飛び散り、無慈悲な力に乱暴に引き千切られた草が辺りを舞った。


「まあ、四、五日って所だな。それまでどっかで女引っ掛けて我慢してろ」


 グローが少し白けた様子で返す。


 飛び散った枝が彼の顔を掠め、ほんの僅か、表情を強張らせる。


「チッ、仕方ねぇ。その辺の街角に立ってる女で気ィ紛らわせておいてやる。五日以上は待てねぇからな?」


 威圧的な強い口調で念を押すゲレル。


「そういやお前、出禁食らいまくってるんだってな。やり過ぎなんだよ、目覚めたての十代のガキじゃあるまいし」


 意趣返しだと言わんばかりに、くくくと笑いを漏らすグロー。


「テメェ、誰から聞きやがったその話。さてはあの役立たずだな。またぶっ飛ばして……」


 言いかけて、ゲレルは左の頬を押さえた。


「ってぇ……何か刺しやがった。ハチか?」


「蜂がこんな夜中に飛んでるかよ。草か木の棘が当たったんだろ、どうせ」


 冷淡な反応だが、何かを思い付いたように、グローは言葉を続ける。


「アレだったら回復術行っとくか? 銀貨四枚な」


「バカなこと言うな。んなモン、唾でも付けときゃ治るだろ」


──このクソみてぇにがめつい守銭奴な所が無けりゃ、もっと気が合うんだろうがよ。


 内心浮かんだ言葉を、ゲレルは飲み込んだ。


「にしても見つからねぇな、あの野郎。もしかして、もう狩られちまったか?」


 進行方向にあるものを薙ぎ倒しながら、ゲレルは痕跡を探している。


 しかし、足跡はおろか草が踏み倒された跡すら見つけることが出来ない。


「それか、方角的にハズレを引いちまったかもな。俺ら二人共、博打運は下の下だからな」


 賭博場で二人揃って、身ぐるみを剥がされる寸前まで負けたことがあったらしい。


「んな昔のことをほじくり返してんじゃねぇよ。だったら引き返して…………」


 来た道を戻ろうと振り返った瞬間、ゲレルの巨躯が一瞬ふらつき、ぐらりと傾いた。


 そしてそのまま、崩れるように俯せに倒れる。


「おい、どうしやがった!?」


 グローはゲレルの顔をランタンで照らし出す。


 左を向いているゲレルの顔。その頬は、針のように小さな赤い点を中心に、青黒く変色していた。


「……ぁ、……ぁぁ、……っ、……ぁ」


 虚ろに小さく声を上げながら、痙攣しているかの如く小さく体を震わせ続けている。


「チッ! 毒かよ!」


 舌打ちしながらランタンを地面に置くと、グローは両手を組み、祈りの言葉を紡ぎ出す。


「“我らが神よ。悪しき意思持つ混沌に侵されし弱き者を──”」


 “解毒”。


 しかし、神の奇蹟を求める祈りの言葉は、途中で断たれた。


 何かが、小さく闇を裂く音によって。


「あッ……!?」


 祈りを捧げる形に組まれた右手の甲。そこに走った小さな痛み。


 心臓が脈打つ度に視界がぐにゃりと歪み、激しい脱力感が全身を襲う。


 耐えられず尻をつき、上半身も地面へと沈んでいく。


 グローの耳にゲレルのか細い喘ぎが届き、更に小さくなっていき、そして聞こえなくなった。


──何が、起こってるんだ?


 回転し、油絵の具を無造作に塗り付けたように滲んでいく視界。


 辛うじて認識出来たのは、木の影から現れた、黒っぽいコートを纏った“イェルグ”の姿だった。


 右手に持った細長い筒状のものを、腰に提げた地図の巻き芯の中に収納しながら、グローの方に近付いてくる。


──吹き矢、かよ。クソが。


 吹き矢。主に狩猟に用いられ、息を吹き込むことで矢を射出する武器の一種である。


 矢自体の殺傷能力は無きに等しいが、多くの場合、その矢には毒が塗られている。


──ああクソ。体が動かねぇ。


 体だけではない。最早、意識を保つだけで精一杯だろう。


 “イェルグ”は地面に置かれたランタンを持ち上げると、微かな音を立てながら燃えている蝋燭を、音も無く吹き消した。


 冷たい風が流れた、気がした。


 視界が闇に覆われていくのと同時に、グローの意識は闇に沈んでいった。


 再び、静寂に包まれた森の中。


 草の青いにおいと、焦げた蝋燭のにおい。


 そして、遠くで一羽、梟が鳴いた。









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