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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
14/37

豹変

 空は、雲一つない青空だった。


 春の暖かさの中で、植物達はその身を、太陽に向かって我先にと伸ばしていく。


 所々剥がれた石畳の道の両側には、草が生い茂っている。


 “暁の獅子”の魔術師ルシアの転移魔法によって、街道の分岐点にまで一気に跳躍した、暁の獅子とイェルグの一行。


 そこから更に、彼ら曰く最短経路だという、棘の森を目指して進んでいる最中だった。


 傾き始め、オレンジ色を帯び始めた日の光。


 山の方から吹き下ろす冷気を含んだ風が、まだ緑の薄い草の葉をさらさらと揺らす。


 鼻歌混じりに歩を進めているイェルグとは対照的に、暁の獅子の面々は誰一人、喋りすらしない。


 一種異様な空気の中、重い沈黙に耐えかねたのか、フォズが口を開く。


「なあ、イェルグ。何であんたは、“渡り鳥”なんかになったんだ?」


 瞬間、フォズにリヒターから鋭い視線が向けられる。


 余計な事は言うな。そう物語っている視線を。


 またぶっ飛ばされてぇのか。カスは黙ってろ。


 続けて目が合ったゲレルの瞳は、そのように言いたげな威圧感を放っていた。


「その、“渡り鳥”って呼ばれ方は好きじゃないんだが……そうだな」


 顎に手を当て、少し思案する様子のイェルグ。


「やっぱり、旅が好きだから、だろうな。見たことの無い景色とか、初めて食べる料理とか。そういうものも含めて、旅って楽しいだろう?」


 屈託の無い表情に、フォズは思わず俯いて視線を外してしまう。


「だから今回も、急だったとは言え楽しみなんだよ。初めての場所って、何だかワクワクするじゃないか」


 フォズは、俯かせた顔に苦々しい表情を浮かべた。小さな罪悪感が針のように、彼の心をちくちくと苛む。


(コイツは……)


 フォズの奥歯に、自然と力が入る。


 遠くから、鳥の群れが飛び立った音がした。


(俺達が失くしちまったものを持っている……)


 握った拳。手の平に、爪が食い込む。


 誰かが蹴飛ばした、砕けた街道の石畳の一部が足元を転がり、草むらの中へと消えていった。


(何で、アイツは気付いてないんだよ。失くしたことにすら気付いてないのか? 俺らだって、昔はもっと違ってたはずなのに……)


 前を歩く硬い靴音。


 フォズは、変わってしまった幼馴染──リヒターの背中を見る。


 数歩踏み出せば、隣に立てる距離。しかしそれは、彼にとっては果てしなく遠かった。


 いつの間に、これ程までに距離が出来てしまったのだろうか。


(……今回の件が終わったら、一度、アイツを問い質してみよう。本当に、ずっとこんなことを続けていくつもりなのかって)


 夕日の色を纏い始めた青空が、フォズにはやけに寒々しく感じられた。




 その場所に着いたのは、既に夜も更けた頃だった。


 棘の森の奥、一本の大木を中心に、円形に広がっている開けた草地。


「今日は、ここで野宿するんだよな?」


 背嚢を下ろしながらイェルグは言う。


 誰からも返事は無い。


 満天の星。


 木々が微かにざわめく音。


 何処からか聞こえてくる梟の声。


 地面に置かれたランタンの中で、蝋燭の火が揺らめいている。


「……いや」


 おもむろに、リヒターが口を開いた。


「野宿とか、そんなモンは必要ねぇ。お前には、死んでもらう」


 その言葉の意味を理解出来なかったのか、イェルグは背嚢から取り出した小鍋を持ったまま立ち尽くす。


「冗談…………だよな? 何だよ、そんな怖い顔して……」


 気付けば、イェルグの周りを暁の獅子の面々が取り囲んでいた。


 万が一の反撃に備えてだろう、踏み込めば武器が届く程度の間合いを空けながら。


 ジリジリと。


 蟻が進むよりも遅い速さで、少しずつ距離を詰めていく。


 悪い冗談などではなく、本気で、殺すつもりなのだ。


「……あぁ……」


 イェルグは思わず項垂れた。


 持っていた小鍋が手から離れ、派手な音を立てながら地面に転がる。


「折角だ。最期に言い残したことがあるなら聞いてやるよ」


 リヒターが一歩、イェルグの方へと歩み出る。


 イェルグの気配が妙に薄くなっているのには気が付いているが、大した問題ではないと判断したらしい。


 Bランク程度ならば、どんな行動を取られようが対応出来るという、過信と慢心に溢れた行動。


「まあ、明日の夜には忘れてるかも知れねぇが」


 勝利を確信して疑わない、強者が弱者をいたぶる時のような嗜虐の笑みを浮かべながら。


「……お前達は」


「あン?」


 リヒターの耳に届いたのは、イェルグの声でありながらイェルグのものではないような、抑揚の無い小さな低い声。


 俯いたイェルグの顔を覗き込むリヒター。


「こうやって殺してきたんだな。他の冒険者を」


 イェルグの瞳には、何も“無かった”。


 感情も情動も理性も本能も無い、ただぽっかりと穴が開いているだけの底無しの虚無。


 刹那、リヒターの本能が頭の中で警報を激しく鳴り響かせる。


──コイツは、とんでもなくヤバい!!


「おいッッ! お前ら──」


 リヒターが指示を飛ばすよりも先に動いたのは、イェルグの方だった。


 リヒターの耳に何かが割れるような音が届くと同時に、イェルグの動く気配がした。


 キィィィィィィィン!!


 耳鳴りにも似た甲高い金属音と共に、イェルグを中心にした一帯が強烈な閃光に包まれる。


 無機質な、真っ白い光の洪水。まるで、森を包み込む夜の一部すら焼き尽くしてしまうかのように。


 すっかり闇に目が慣れていた暁の獅子の面々にとって、それは完全に不意打ちだった。


「ぐあっ! 目が……っ!」


 グローの悲鳴。慌てて目を閉じても、焼き付いた光で視界が白い。


「くうぅっ……この、音っ……」


 ヒカリは思わず耳を押さえる。如何に気配に聡いとは言え、視覚と聴覚を封じられれば、それも十全に発揮することは出来ない。


 数分か、数十秒か。


 閃光が収まり、彼らの眩んだ目が再び闇に慣れた時には、そこには誰も居なかった。


 背嚢もランタンも姿を消した中で、地面に転がっている小鍋だけが、イェルグが居た痕跡を物語っている。


 先程までは無かったはずの、割れて黒く変色した石が落ちている。


 魔封石。


 どうやら閃光の魔法が封じられていたらしい。


「くそッッッ!!!」


 両膝を地面に突きながら、リヒターは拳を草地に叩き付けた。


 叩き付けた拳が微かに震えている。


「あのクソ野郎、何か知ってやがる。俺達が今まで何をしたか、知ってやがった」


 瞬間、起こるざわめき。


「おい、ルシア!」


「分かってるわよ」


 僅かに冷静さを取り戻したリヒターが、ルシアに視線を送る。


 ルシアは腰に提げた革袋から宝石を五個取り出すと、上に向けて放り投げた。


「“星辰の光芒は安寧を(もたら)せし壁となりて我らを護らん”……」


 力ある言葉が紡ぎ出された瞬間、魔力による鈍い輝きを纏った宝石が次々と爆ぜていく。


 と同時に、巨大な透明な壁が、星の輝きを反射しながら森の周囲を覆っていくのが見えた。


 結界の魔法。音も物理現象も通さない透明な障壁を張る魔法。


 森の周囲を囲むほどに大規模なものを発動させることが出来るのは、ルシアの魔術師としての力量が卓越している証である。


「これで、日が昇るまでは大丈夫よ。私達なら……それだけあれば余裕よね?」


 場違いに嫣然たる様子で、ルシアは面々を見渡す。


「……ああ。予定は狂っちまったが、やることは普段と変わらねぇ。絶対に、“アレ”を生きて返すんじゃねえぞ」


 血走った目にギラギラとした光を宿しながら、リヒターは声の調子を落としながら言う。


「殺せ。最初に殺った奴が総取りだ」


 暁の獅子のルールを念押ししながら、リヒターは静かに凄む。


 ルシアは嗜虐心を隠すことなく、美しくも残忍な笑みを浮かべていた。


 ヒカリは鋭い殺気を放ちながら、腰に下げた長刀に手を置いている。


 ゲレルは舌打ちしながらも、下卑た笑みを浮かべ頷いた。


 グローは金勘定を想像しながら、少しだけやる気無さげに、リヒターに目を合わせる。


 フォズだけは、目を合わせることも、頷くことも出来なかった。


(もう、止められねえのかよ)


 口に出せない呟きが、誰の耳にも届くことなく夜の空気に溶けていった。




 暁の獅子の遣り取りを、イェルグ──グレイは大木の枝の上から見下ろしていた。


 ランタンには鉄製の外窓が下ろされている。光が漏れていない以上、音を立てない限り見つかることは無い。


──仕事の、時間だ。


 今の彼に、最早イェルグの人格の痕跡を見つけることは出来ない。


 枝に留まりながら、“イェルグ”を探しに森に入っていく暁の獅子の面々を観察するグレイ。


──リヒターとルシア、ゲレルとグロー、そしてヒカリとフォズはそれぞれ別行動、か。


 幹に立て掛けた背嚢からコートを取り出すと、静かに袖を通す。


──やはり、これが一番落ち着く。


 そしてグレイは再び、音も無く地面に降り立つ


──始めるとするか。“契約通りの仕事”を。


 いやに肌寒い風が、森の木々を撫でていく。


 風に揺らされた枝葉が、ザワザワと音を立てた。暁の獅子の“音”を喰らうかのように。

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