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冒険者ギルドの掃除人  作者: 沼平 甫
冒険者狩り
11/37

報告

 午後十時。


 夜と言えど、まだ店を開けている酒場が多い時間帯。


 私室に戻ったスマルトを迎えたのは。


「………………」


 窓枠に背を預けながら腰掛けている、グレイの姿だった。


 薄墨色のコートに黒の上下という普段通りの格好。それはまるで烏のようだが、スマルトには梟のようにも見えた。


 グレイは窓の外に顔を向けながら、眼下の小さな裏路地を見つめている。


 屋根や(ひさし)越しにぼんやりと浮かぶ魔力灯の明かり。行き交う人々の影が、夜の空気の中へと溶ける。


「今回は随分と早いな。首尾は?」


 スマルトはグレイに問うが、彼は視線をスマルトに向けただけだった。


「……お前の方こそ、今日は随分と早いな。暇でも出来たのか?」


「馬鹿を言うな。仕事なんていつでも山盛りだ。たまには職員を早く帰らせてやらないとなって、ただそれだけの話さ」


 皮肉が少しだけ混じったグレイの言葉に、スマルトはため息混じりで返す。


 職員の労働時間管理も雇用主たるギルドマスターの務めではあるのだが、何分(なにぶん)仕事が多過ぎる。


 本来ならばギルド本部に職員の増員を申請すべきところなのだが、そう上手くはいかないのが世の常である。


 忙しさにかまけて掃除も禄に出来ていない、スマルトの私室。


 窓枠から床へと、薄墨色の梟が音も無く降り立ち、ふわりと、微かに埃が舞う。


「……これを」


 無表情な中に真剣みの色を(たた)えたグレイが、スマルトの方に歩み寄る。


 彼がスマルトに手渡したのは、片手の平には余る程度の大きさの革袋だった。


「確認するぞ?」


 グレイの反応を待たず、スマルトは革袋を綴じていた麻紐を解く。


──翡翠のメダリオンが二つ、ガラス製の小瓶に入った緑の破片、艶のある黒い布の断片、蝸牛(かたつむり)に似た薄青色の貝殻。


「…………“翠の鷹”、か」


 見覚えのある徽章。革袋を綴じていた麻紐をつまんでいるスマルトの指先に、刹那、力が入る。


 彼は一瞬、悲痛な表情を浮かべるが、それは部屋に落ちる闇に直ぐ様掻き消された。


「小瓶に入っているのはメダリオンの欠片だ。黒い布は“翠の鷹”の魔術師が着ていたローブらしい。どちらも棘の森で見つけてきたものだ」


 淡々とした、事務的な口調のグレイ。


「メダリオンの欠片はともかく、ローブなんて幾らでもあるだろう? 特定の根拠は?」


「ヴィオレッタの鑑定だ。あの娘が生地を卸したローブ工房で、購入履歴も確認出来た。装備の購入補助制度の申請書類が提出されているはずだ。ローブの購入証明書と共にな」


 スマルトは革袋の中身に、再び視線を向ける。


 残るは、蝸牛の殻に似た薄青色の貝殻。


「音喰い貝、か」


 音喰い貝。その名の通り、他の生物が立てる音を主食とし、周辺一帯を音の無い状態にしてしまうという特殊な貝類の一種である。


 音を喰らうという性質から、呪文による魔術の発動を行う者にとっては天敵に等しい存在だ。


 また、音喰い貝の貝殻には、貝殻に向かって吹き込まれた音を一定期間保持するという特殊な性質がある。


 その性質を利用し、魔術を介さない簡易的な録音装置としても利用されているのだ。


 スマルトは音喰い貝の貝殻を、黙って左耳に押し当てる。


──翡翠製のメダリオン。売り主は誰だ


──“暁の獅子”の、盗賊の、フォズだ……頼む、助けて、助けてくれ


──“暁の獅子”とお前の関係は


──……たまに物を売りに来る。ただ、それだけなんだよ、信じてくれ。本当に、本当にそれだけなんだ……頼む、信じてくれ……


 聞こえてきたのは、グレイの声と、闇市場の故買屋ジェロンの声。


「確定、だな」


 最悪だ、と言わんばかりの表情で、スマルトは吐き捨てるように言う。


「……しかしまあ、お前が調査したとはいえ、随分と証拠を残し過ぎている気もするが」


「二度、三度と味を占めるにつれ、妙な自信を持ってしまったのだろう。そんな連中は、隠蔽が巧妙になるか雑になるかのどちらかだ。奴等は後者だった、ただそれだけの話だ」


 スマルトは眼鏡の位置を整える。


「成程な。で、“処理”はどうする?」


 一際鋭くなった眼鏡の奥の眼光が、グレイを射抜く。


「連中の行動を利用させて貰う。そして、頼みたい事がある」


「……疑似餌、だな?」


 グレイは黙って頷く。


「出来れば山越えの必然性がある急ぎの依頼、且つ報酬受け取りは依頼書の持参者で頼む」


 グレイの言葉を聞き、スマルトは机に向かい、白紙の依頼書に筆を走らせる。


──しかし、まあ。


 スマルトは手を動かしながら、ちらりと視線だけを遣る。


 直立しながら目を閉じ、何やら考え事をしているようなグレイの姿。


 室内の闇に浮かぶ彼の姿は、灰色の髪とやや白い肌も相まって、幽霊と間違えられても何らおかしくはない。


──一度死んだも同然の男、か。


 幽霊という言葉が頭に浮かんだ瞬間、その考えが脳裏を(よぎ)る。


 スマルトは彼との出会いを思い出しかけたが、それはグレイの言葉によって阻まれた。


「……もしかすると、奴らも疑似餌を使っているのかも知れない」


「もしそれが事実だとしたら、最悪の中の最低じゃねぇか」


 駆け出しならばともかく、ある程度以上の経験を積んだCランクやBランク以上ともなれば、流石に慎重さというものは身に付くはずである。


 そんな彼らの警戒心を解こうとするならば、信頼出来る機関の旗印を使うのが最も有効だろう。


 例えば、冒険者ギルドで発行されたもの、など。


 そしてそれは、組織の内部に悪質な癒着者が存在することの証拠でもある。


「まあ良い。その件に関してはこちらで調査しておく。で、餌はこんな感じでどうだ?」


 まだインクの乾かない依頼書を、グレイに手渡すスマルト。


 文面を精査しているのか、鼠色の瞳が微かに揺れている。


「……十分だ。後は判だけだな」


「すまん、忘れてた」


 グレイから再び依頼書を受け取ると、右下にギルド支部の判を押す。


 くすんだ濃青色のインクで写し取られた狼を模した紋章。それが、スマルトがギルドマスターを務めているこの支部の紋章だ。


「ほらよ。それと、こいつも忘れるな」


 吸い取り紙を押し当てた依頼書と共に、指輪をグレイに押し付ける。


 複雑な模様が刻まれた銀製の指輪。Bランク冒険者の証である。


「ああ。今度戻って来る時は……“処理”が終わった後だ」


 言いながらグレイは背を向け、窓の方へと歩いていく。


「分かっているさ。くれぐれも、死ぬなよ?」


 彼の背中に投げ掛けたスマルトの言葉。窓枠に足を掛けていたグレイの動きが、止まる。


「…………一度死んだ者を、二度殺すことは出来ない。だから俺は、死なん。何があろうとな」


 言葉だけを残し、グレイは窓から夜の闇の中へと飛び去った。


 部屋に残されたのは、スマルトと、“翠の鷹”がこの世に存在していた証。


 かさり。


 小瓶の中の翡翠の破片が、小さく音を立てた。


「一度死んだ者を、二度殺すことは出来ない、か……」


 存外に重いその言葉を、スマルトは繰り返す。


「本当にそう思ってるのか、お前は」


 呟いた彼の言葉は、室内の青い闇の中に埋もれて消えていく。


 答えを待つことすら出来ぬまま。



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