表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

あるパーティの最期

 あてもなく走り続ける。


 真っ暗な森の中を、ただひたすらに。


 どちらに行けばいいのか、どの方角に進めばいいのか、何処に逃げたらいいのか。


 そんなことなんて、分からない。


 でも、立ち止まったら終わりだ。


 ううん、分かってる。分かってるのに、気を抜けばすぐ、弱気の虫が顔を出す。


 「んあっ……!」


 躓いた。張り出した木の根。


 足音が、物音が近くなった。そんな気がした。


 痛む膝。土に塗れた靴。


 泣きたくなる気持ちを抑えながら、立ち上がる。


 後ろを見る。


 暗くてよく見えないが、とりあえずは誰もいないみたいだ。


 ふらつきながら、再び走り出す。


 ……どうして、こんな事になってしまったんだろう。


 考えても、いくら考えても、答えなんて出ない。




 私達──私達のパーティ“翠の鷹(みどりのたか)”は、最近Bランクに昇格した、自分で言うのもなんだけど、新進気鋭の冒険者だ。


 メンバーは魔術師である私と、戦士のヴィクトル、僧侶のエレナ、そしてリーダーである剣士のアレク。


 私達は全員幼馴染みで、小さな頃からの夢──大きくなったら四人でパーティを組んで冒険する──を叶えるために努力してきた。


 夢を叶えた今も、もっと広い世界を見るために、更に努力を重ねてきた。


 そのはず、だったのに。




 知らず知らず、涙が零れてしまう。


 悔しい。本当に悔しい。


 こんなことで、私達の夢が終わってたまるものか。


 息が上がっているけど。


 心臓が飛び出てしまいそうなくらいに、大きな音を立てているけど。


 それでも、私は夜の森の中を走り続ける。


 生きたい。生き延びたいよ。


 声に出せない声を噛み殺しながら。


 短剣のような形の葉が、私の腕を裂いても。


 鞭のような蔓が、私の頬を叩いても。


 何かよくわからない生き物が這い登ってきても。


 私は足を止める訳にはいかなかった。


 何分?


 何十分?


 何時間?


 時間の感覚なんて、もう無い。


 どれだけ走った?


 距離なんて、分からない。


 どうして、ここから出られないの?


 自分自身さえ、信用できなくなりそうになる。


 何処かから聞こえてくる梟の声。


 怖い。怖いよ。


 気が付けばいつも仲間が居た。仲間が居るのが当たり前だった。


 悲しいときも、嬉しいときも、心配なときも、恐怖で身が竦みそうになるときも。


 仲間がいたから、乗り越えられた。


 みんな、無事でいて……。


 逃げるときにはぐれてしまった他の仲間のことを思いながら、私はただ、走り続ける。




 不意に、生ぬるい風が吹いたような、そんな気がした。


 思わず後ろを振り返る。


 闇。


 青くて、緑色で、湿り気を帯びた闇。


 静かで、木の葉の揺れる音もしない。


 何もいない。


 何も見えない。


 だからこそ、“何かがいた”ような気がした。


 悲鳴を上げたくなる衝動を必死で堪えながら、私は思い切り駆け出した。


 前も、後ろも見ずに。


 どんな風に進んだかなんて、覚えていない。


 気が付けば、一本の巨木を中心に、木々に囲まれた開けた場所に出ていた。


 ここは、私達が野営をしていた場所だ。


 正確には、私達と、もう一つのパーティが。


 雲の隙間から漏れた月明かりが、僅かに周囲を照らす。


 ……倒れている、人影が見えた。


 嫌な予感がした。


 心の中で否定しても否定しても、拭い切れない真っ黒な靄。


 呼吸を整えながら、ゆっくりと近付いていく。


 見覚えのある脛当て。


 見覚えしかない鎧は強い力で破壊され、左肩から左胸にかけてがひしゃげている。


 ヴィクトル、だった。


 目は虚ろに開かれて、口からは大量の血を流している。


 日焼けした顔には霜が降りていて、唇が紫色に変色している。


 氷雪系の魔法を、使われたんだ。


 私は思わず唇を噛む。


 料理が上手で、干し肉のスープがとても美味しかったこと。


 お酒に弱くて、酒場に行ってはアレクに背負われて帰って来てたこと。


 普段は寡黙な彼が、エレナに結婚を申し込んだんだと、照れたように微笑んでいたこと。


 二人で近々指輪を買いに行くんだと、幸せそうに微笑んでいたこと。


 どうして、彼が死ななければならなかったの。


「……ううぅ…………」


 悔しさのあまり、奥歯を噛み締める。


 そして、エレナがいないことに気付く。


 せめて無事でいてほしい。


 そんなささやかな願いは、すぐに打ち砕かれた。


 少し離れた草地の上で横たわる影。


 エレナだった。


 ローブはビリビリに破り捨てられて、彼女は裸にされていた。


 何をされたかは分かる。でも、分かりたくない。頭が、心が、理解を拒否している。


 顔は大きく腫れ上がって、首には赤黒い指の跡が残っている。


「あああ…………!」


 足から、力が抜ける。立っていられない。


 ひどい。ひどすぎるよ、こんなの。


 一緒にお茶をしたことも、一緒に服を選んだことも、時々、恋バナをしたことも。


 お勧めの香水とかアクセサリーとかも教えてもらったよね。


 今度また一緒に、服を見に行こうって話してたのに。


 そんな何気ないことも、もう二度と叶わない。


 夢。悪い夢だったらいいのに。


 それならば、目が覚めたら全てが無かったことになるのに。


 でも、これは、現実なんだ。


「うう……アレク……」


 縋れるのはもう、アレクしかいなかった。


 四つん這いになりながら、必死で周囲を見回す。


 彼が“いない”ことを、祈りながら。


 でも。


「あっ、ああっ……!」


 見つけてしまった。地面に横たわるアレクの姿を。


 ゆっくりと近付く。


 ゆっくりとしか、近付けなかった。


 太腿に、何本も矢が刺さっている。


 脇腹が抉れて、内臓がはみ出している。


 右腕の、肘から先が無かった。


「いっ、いや、いや…………!」


 そこから先は、声が出なかった。


 喉の奥で、息が詰まる。


 空気の塊が口を塞いで、息を吸うことだって出来ない。


 私の中で、何かが壊れたような音がした。


 小さい頃からの絆が、大切な仲間が、たった一晩で無くなってしまうなんて。


 ヴィクトルもエレナもアレクも、みんなみんな……。


「……ぁ……アリ……ア…………」


 風が吹けばかき消されてしまうような声。薄く開かれた唇から発せられたのは、確かにアレクの声だった。


「お……まえ…………だけ、で……も、に…………げ……」


 嫌だ。アレクを置いて逃げるなんて出来ないよ。


 ヴィクトルもエレナも死んじゃった今、私にはもうアレクしかいないの。だから……


「……ごめ……な……、……おれ……、の……せい…………」


 それきり、アレクは何も喋らなかった。


 小さい頃から一緒で。


 しょっちゅう喧嘩もしたけど、すぐに仲直りして。


 昔、森の中で遊んでて野犬に囲まれたとき、助けてくれたこともあったよね。


 アレクのお父さんが亡くなったときは、私が一晩中、泣いてる彼の傍にいてあげたっけ。


 誰かを守るために剣術を習い始めて、私はアレクの近くにいたかったから、魔術を習い始めて。


 いつでも一番近くにいたのに、一番素直になれなかった相手。


「ああ………………!」


 全身から力が抜けていく。声が出ない。


「やっ、いやあ、アレク、アレク……っ」


 全部、無くなってしまった。


 私の、大切なものが、全部。


「いやだ、やだ、やだよ、そんなの、げほっ! がほっ! ううっ、ううぅ……」


 泣くことしか出来なかった。


 泣いても何も変わらないのは、分かってる。理解してる。身に染みてる。


 私はなんて弱いんだろう。


 仲間がいなければ、何も出来ない。


 遠くから、草を踏む音がした。


 逃げなきゃいけないのに。


 アレクに、お前だけでも逃げろって言われたのに。


 もう、立ち上がれない。もう……歩けないよ。


 体が重い。


 話し声が聞こえてくる。


 聞きたくない。


 “あの人達”が同じ人間だなんて、思いたくない。信じたくない。


 この世で一番怖いのは、魔法しか通じない魔物じゃない。


 病気を媒介する化けネズミでもない。


 人間、なんだ。他人を、自分達より弱い者を、平気で踏み(にじ)るような。


 囲まれた。


 もう、逃げられない。


 この世界には神様なんていない。


 この世界には奇跡なんてない。


 この世界には、都合の良い展開なんて存在しない。


 希望もない。あるのは、絶望だけだ。


「あ……」


 私が最期に見たのは、振り下ろされる戦鎚だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ