ご機嫌な伯爵令嬢
今日の私くしはそわそわしていますのよ。
遂に待ちに待ったこの日が訪れましたわ。
私くしは、マリアンジュ・フェリル・ベルメゾン。
ベルメゾン家の長女で御座いますわ。
来年で成人になりますの。
ウフフ・・・
鏡に映る私くし、なんだか嬉しそうです。
いつもは髪結いさんのアイレクスが、髪を整えにきますのよ。
決まって朝の9時頃に。
でも今日は髪は整える必要は御座ませんわ。
だって、念願のあのお店、美容院『アンジェリ』の予約日ですもの。
キャー!嬉しいー!
遂に来ましたわ!
この二ヶ月はとても長く感じましたわ。
指折り数える日々。
早くこの日がこないかと、何度も神様にお祈りしましたわ。
まるで恋焦がれる少女の様。
ウフフ・・・
私くし達貴族にはお抱えの髪結いさんがいますの。
私の髪結いさんはアイレクス。
少々変わったお人ですの。
眼鏡の似合うキリッとされたお人ですのよ、でも・・・罵倒すると喜びますの。
あの女!間違いなく変態ですわ!
付き合ってられませんの!
ほんとは頭の周るお人ですのに・・・残念に外なりませんわ。
でも最近は少々彼女も変わってきた様子。
思い至るのはフェリアッテの失脚。
アイレクスはフェリアッテの忠実なる下僕でしたのよ。
それがフェリアッテの失脚から手の平を返したかの如く、活き活きとしておりますの。
それまでは暗い一面の方が多かったのに。
どういうことでしょうか?
その理由を問いただした処、美容院『アンジェリ』を知りましたの。
それに御父様からも『アンジェリ』の事は聞いていましたわ。
御父様はどうやら美容院『アンジェリ』のジョニー店長のお陰で、長年に渡るフェリアッテの呪縛から解放されたとのこと。
ジョニー店長・・・何者?
遂に会えますのね。
嬉しくってよ。
前々からフェリアッテは何処か可笑しいと感じてましてよ。
あのお方はとても恐ろしかった。
いつかこの伯爵家に害を成すのでないかと冷や冷やしておりましたの。
それに御母上や弟に対して余りに挑戦的な態度。
許しがたい態度でしたわ。
キー!
でもそれも過去の話。
今ではフェリアッテの束縛から解かれた御父様は、貴族のお手本の様な振舞を行う様になりましたの。
それにあの髪形ですわ。
キャー!カッコいいですの!
御父様イケメンー!
ツーブロックという髪形らしいのですが、御父様のお顔にとてもお似合いですの。
これまでの芋くさいオカッパ頭など陳腐に感じますわ。
私くしもフェリアッテの所為で髪形に口を出せませんでしたの。
御父様の髪結いは、あのフェリアッテが行っておりましたのよ。
絶対に手抜きですわ。
あんなもん。
美的センスの欠片も有りませんの。
フン!
アイレスクと御父様、それにギャバンから『アンジェリ』のお話を聞く事はとても楽しかったですわ。
ギャバンも髪形が変わって、ダンディーが増し増しになっていましたわね。
私にとっては美容院『アンジェリ』は夢の様なお店。
だって貴族の嗜みとして美しくある事、そしてお淑やかである事は必然。
そうあらなければならないと、これまで教育を受けて参りましたの。
私くしも心からそうあろうと努めておりますわ。
こう言っては何ですが、私くしは可愛いを自負しておりますの。
こうやって鏡に映る私くしを見て、可愛いと思いますのよ。
周りの皆からもそう評判ですの。
でもね・・・分かって貰えるかしら?
日によっては髪型が上手く纏まらず。
何とも言えない日もありましてよ。
逆に今日は髪形が纏まって、嬉しい一日を過ごせる日もございますの。
髪形は私くしの様な淑女にはとても大切な物ですの。
お分かり頂けるかしら?
アイレクス曰く、この国でのカット技術の最高峰はジョニー店長らしいわ。
アイレクスはジョニー店長の事となると饒舌になりますのよ。
あれは恋する乙女の眼ね。
間違い無いわね。
ウフフ・・・
それにあのシャンプーとリンスですわ。
これまでのパサついた髪がしっとり艶髪に変わりましたの。
常識を超えていますわ。
もう手放せませんの!
私くしが一番興味があるのはパーマですの。
聞く処によりますと、あのお店のパーマは3ヶ月以上続くみたいですのよ。
どういうことでしょうか?
パーマは私くしもよくしますのよ。
でも・・・準備から何やら大変ですの。
説明しますわね。
前日の夜の就寝前に、竹筒を何本も用意しますの。
その竹筒に髪に巻いて、紐で結んでおきましてよ。
そして翌日に起きたら、それを解く。
纏まらない時は嘘でしょ?と頭を抱えたくなりますの。
満足出来た事は、一度としてありませんでしてよ。
それに熟睡など出来ませんの。
あとは肩コリと首のコリが・・・
もう私くしの肩は鉄板ですわ鉄板!
ここはしっかりとした縦巻パーマを御所望しますわ。
貴族としてはこれ以外考えられませんでしてよ。
でも・・・お父様が言うには、ジョニー店長はお顔や雰囲気を見て、最も似合う髪形にしてくださるのだとか・・・
悩み処ですわね。
任せるべきか、否か・・・
ここは直接お会いしてからにしましょうか。
あと、給仕されるお飲み物も大層美味しいのですとか。
特にオレンジジュースなる飲み物が美味ですと伺ってましてよ。
淑女の嗜みとしてはお紅茶を御所望すべきでしょうが・・・甘いお飲み物らしいですの。
甘い飲み物って・・・飲まずには居られなくてよ!
はあ、少々期待し過ぎかしら?
どうやら馬車の準備が整ったようですの。
行って参りますわね。
素敵な庭先。
摩訶不思議な造りのお店。
ガラス張りのお店なんて・・・なんて豪華なの!
中の様子を拝見できるだなんて。
ああ、もう心を掴まれそうですの。
これが馬車を降りて美容院『アンジェリ』を見た第一印象ですわ。
ギャバンから聞いていた通りですわ。
この国には他に存在しないお店。
観た者を魅了する魅惑のお店。
美容院、その言葉の響きすらも馨しい。
店内に入ると、
「「「いらしゃいませー!」」」
元気な掛け声に迎えられましたわ。
皆んさんお元気ですこと。
ウフフ・・・気持ちよくってよ。
あれ?どうしてアイレクスが?
何をやっているのかしら?
遠巻きに男性をまじまじと見つめていますの。
・・・明らかに男性は嫌がっていますの。
おそらくあの御方がジョニー店長でしょう。
アイレクス・・・残念な人。
あれがアイレクスの愛情表現なのかしら?
これは・・・絶対に成就しないでしょう。
明らかにジョニー店長が嫌がっておりますわよ。
お気づきにならないのかしら?
鈍感なアイレクスですこと。
年の頃は私くしと同じぐらいの少女に、カット台に誘導されましたの。
私くしと同世代の方も働いていらっしゃるのね。
それなりに可愛らしい子ですの。
私くし程ではないけれど・・・
席に座ると首にタオルを掛けられましたの。
そしてカットクロスに包まれましたの。
アイレクスの言う通りですわ。
タオルも上等品、このカットクロスは・・・触れたことがない肌触りですの。
それになんて大きな鏡。
ああ、私くしは今日も可愛い。
これがもっと可愛くなるのですね。
期待大!
それにしてもジョニー店長の佇まい。
雰囲気は優しい大人の男性。
それなりにイケメンね。
御父様程ではないけれど・・・
どうやら聞くと、ジョニー店長は東方の出であるとか。
顔立ちが何となく薄く感じますの。
清潔感をとても感じますわ。
アイレクスが惚れるのも分かりますの。
そこいらの女性達陣であればイチコロでしょうね。
「少々お待ちください」
先程の赤髪の少女に声を掛けられましたの。
宜しくてよ。
私くしは横目でジョニー店長を拝見致しましたの。
ああ・・・これが美容師・・・
髪をカットするハサミの音色が、まるで協奏曲を奏でているよう。
それに一点を見つめている様で全体を見渡す視線。
凄いわ!
あのギャバンが褒めるだけありますわ。
ジョニー店長・・・ただ者ではありませんわね。
お客さんを見送ってジョニー店長がこちらにやってきましたわ。
期待で胸が高まりますの。
心の臓が警笛を鳴らしておりましてよ。
「いらっしゃいませ、マリアンジュちゃん。伯爵から聞いていますよ」
まあ、ちゃんですって。
そう呼ばれるなんて・・・初めてかしら。
擽ったいわ。
貴族の御令嬢に対してあるまじき態度。
でも御父上から聞いているとなるとギリギリセーフね。
悪く無いわ。
いや、いい!
心の詰め方が絶妙ね。
これが美容師・・・憧れますわね。
「今日はどうしますか?」
「お任せでお願いします」
あら?考えるよりも先に言の葉が散ってしまいましたわ。
ウフフ・・・
「了解・・・」
そう言うと真剣な眼差しで私くしの髪に集中するジョニー店長。
なんて凛々しいの。
髪に触れて、感触を確かめていますわね。
如何かしら?
「ジョニー店長、マリアンジュ様は私が担当しております」
アイレクスが横から割り込んで来ましたわ。
要らない事を・・・
「へえー、そうですか・・・」
髪に集中して生返事のジョニー店長。
凄い集中力ですわね。
「そうですね、緩めのパーマにしましょうか、後、前髪を作ってみませんか?」
「前髪を作るですの?」
なんの事でしょうか?
「ええ、そうです」
「はあ・・・」
よく分かりませんの、でもお任せすると言ったからにはお任せしますの。
貴族に二言はありませんの!
「お任せですの!」
あら!思いのほか大きな声が出てしまいましたの。
これは失礼。
ここから先は夢のような時間を過ごしましたの。
パーマをかけて貰い。
シャンプーをして貰いましたの。
待ち時間には念願のオレンジジュースを頂戴しましたの。
芳醇な味が口いっぱいに広がって、幸せな味でしたわ。
でも赤髪の少女に言わせると、それを超えるイチゴミルクなる飲み物がある様です。
次はそれにしましょうか。
あら?また来る気満々ですわね、私くし。
ああ・・・心が躍りますわ!
そしてジョニー店長のハサミが入る。
なっ!嘘でしょ?
そんなに前髪を切っても宜しいので?
余りに斬新。
どうなりますの?
ああ、いいかも・・・
待ちに待ったオゾンシャンプー。
え!赤髪の少女が行うのですの?
そんな・・・
はあ・・・ごめんなさい。
気持ちいいです。
ここは天国かしら・・・
もう何も考えられない・・・
それに眠気が・・・
優しく肩を叩かれて起きてしまいましたわ。
これはいけない、貴族ともあろう者が見ず知らずのお方に寝顔をお見せしてしまうなんて。
・・・私くしは悪くありませんわ!
シャンプーが気持ち良すぎますの!
私くしの所為ではありませんことよ!
ブローというらしいのですけど、髪を乾かして貰いましたわ。
これも気持ちがよかった。
そして・・・マッサージ・・・
私の鉄板が・・・こんにゃくになっている・・・
はあ・・・昇天しそう・・・
再びのカット。
もう私くしの髪形の全貌は見えておりますの。
可愛い!
いえ、ゴリゴリ可愛いい!!!
余念無く、仕上げを行うジョニー店長。
これが美容師。
納得致しましたわ。
期待を裏切らない職人の所業。
天晴で御座いますわ。
これが最後とジョニー店長が開き鏡で後ろ髪を見せてくれましたの。
文句などあろう筈が御座いませんことよ!
「アイレクス!帰りますわよ!」
どうしてと表情が揺れるアイレクス。
其れをみてホッとするジョニー店長。
ご迷惑をお掛け致しました。
それとなく注意しておきますわね。
後はお任せください。
「次回のご予約は如何なさいますか?」
赤髪の少女から尋ねられましたわ。
勿論予約させて頂きますわよ。
「是非に」
「一番早くて2か月後になりますが宜しいですか?」
ああ、また2カ月も待たなければいけないなんて・・・
でも、これからの2ヶ月間は、まだかまだかとワクワク出来るということですわね。
「お願いしますわ、処であなたのお名前は?」
「私はシルビア・レイズと申します。シルビアとお呼び下さい」
「分かりましたわ、シルビア。シャンプー、とても気持ちよかったですわよ」
「ありがとうございます!」
シルビアの笑顔が眩しかったですの。
さて、帰るとしましょうか。
早く御父様とお母様にお見せしなくては!
最大級に可愛くなった私くしを!
乙女心全開のマリアンジュの偏見である為、全てが五割り増しである事をお見知りおき下さい。