南木アヤネ2
一時間前
弁護士事務所から出た女が繁華街を歩いていた
近く検察からの呼び出しがあり
取り調べを受ける前の相談に来ていたのだ
弁護士は不起訴になる可能性が高いと言うが
彼女の心は晴れなかった
罰してくれたらいい
それで逃れられるなら
罪状は暴行罪、傷害罪、保護責任者遺棄等罪
老いた母の介護に苛立ち、娘に虐待を繰り返したのだ
発作的に頬を打ち
ぬいぐるみを目の前で引きちぎり
学校に乗り込んで同級生と教師の前で罵倒したこともあった
わかってる
娘に罪はない
悪いのは私だ
ただ、私が母から受け続けた虐待に比べたら些細なものだった
認知症の母がオムツを汚し、パッドを交換するたびに
幼い自分が受けた悍ましい行為が頭をよぎる
殺したい
老いた母の無垢な笑顔を見るたびに
いますぐ地獄へ叩き込みたい衝動に駆られる
だがもう遅い
私の母は既に自分が誰だかわからず
償いもせず生きて涅槃に辿り着いたのだ
この憤りをどうすればいい
なぜ私がコイツの面倒をみなくてはいけない
虐待は日増しにエスカレートして
気付いた夫は娘を連れ実家に帰った
残されたのは老いた母と私
片方が死ぬまで終わらない介護
監獄のほうがよっぽどマシなのでは?
娘に詫びたい
母を殺したい
当所も無く繁華街をふらふらと歩く女の横を
幸せそうな家族がすれ違う
女は確信した
ここは、地獄だ
罪状は、私が人間に生まれてしまったことだ
女の前に白い羽が舞い落ちてきた
興味もなかったが反射的に見上げると
娘が赤子となって舞い降りてきた
そんな馬鹿な!
信じる? 信じない?
言い換えよう
辛い現実を信じる?
優しい嘘を信じる?
女は赤子を抱きしめた
泣きながら
泣きながら
ごめんなさい
ごめんなさい
胸に抱いた娘は、そっと笑顔で囁いた
「 ママがこの世で救われないなら
ママがこの世を救えばいいの 」
娘の体が光り輝く
彼女にしか見えないはずの赤子が顕在化する
轟く讃美歌
体が浮き始める女
救おう
手始めにあの幸せそうな家族から救おう
突然起こった信じがたい出来事に集まった群衆の中から
一組の家族が光を浴び
蒸発した
焦げた匂いが繁華街に満ちる
より高く空に上がり
より輝く母と娘
次々と焼ける人、看板、車、店、照明、天井、窓、ビル
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、女は慈愛に満ちて微笑んだ
「愛せよ、そして汝の欲することを為せ」
女が、赤子が、そして何処からか聞こえる声が
三位一体となってこの街の中心で叫ぶ
このまま世界を導いていこう