91.悪役令嬢の主治医
テンプレな“真実の愛”のイジメ疑惑追求から始まった、エリザベスと周囲のお話—
エリザベスの幸せと、その周囲を描きたいと思い書いている連載版です。
ルイスとの新生活としては、これで29歩目。
引き続き、ゆるふわ設定。R15は保険です。矛盾はお見逃しください。
「姫君〜。おはやいのう。もう朝ごはんを召し上がられたか?」
クレーオス先生も朝食を食べ終え、サロンで新聞を読んでいた。
ちょうどいい。マーサに人払いを頼み、昨日からの経緯を話す。
「ふむふむ。で、姫君は儂に何をお求めかの?」
「何点かお聞きしたい事があるのです。
ラゲリーが私に声をかけたのは、“天使効果”の可能性はありますか?」
クレーオス先生は首を傾げた後、私に確認する。
「ふむ。そのラゲリーとやらは、姫君から見て、こう、うっとりとした、夢見るような感じで申し込んできたかの?
もしくはこう、切羽詰まって押しまくるような感じとか」
私は昨晩の様子を思い出し答える。
「いえ、そのどちらでもありません。何かキザったらしい、カッコつけみたいな、嫌な感じでしたわ。
今も『私を試していた。品がないなあ』って思いますもの」
「では、ヤツの“天使効果”の影響は、とっくの昔に無くなっとるじゃろう。
学園時代もイジメ始めたころには、すでに『よくもこの俺に恥をかかせたな』という、八つ当たりの恨みに変わっていたと思われる。
“天使効果”では、恋しくてたまらず、追いかけまわし、追いすがって困らせるような事はあっても、イジメはあまり聞かんのう」
「大の男の人にされたら、そっちも充分恐いんですけど。
では今もお母さまを恨んでいる可能性が?」
「それはあるじゃろうな。何せ“追放処分”を受けた原因じゃ。逆恨みされとる可能性は高い。
無駄にプライドが高いようだしの。
『あの女のせいで、俺の20年が奪われた』なんぞ思っていても不思議ではない。
おまけに自分の求婚は断ったくせに、王国の宰相夫人の座についている。
『男は恐い』みたいな態度はやはり嘘だった。
とまあ、アンジェラ殿が亡くなったとはいえ、こんな風に思っとる可能性はある。
おまけにそっくりの姫君が、第三皇子と結ばれて、“両公爵”じゃ。
皆様が言うように、充分気をつけなされ」
「ふう。どうしてそんな風に思い込むんでしょう。
“天使効果”が切れてるのに……」
「そんな風に逆恨みする人間じゃから、“天使効果”がなくなるんじゃよ」
クレーオス先生の言葉に、一瞬、理解が追いつかなかった。
「え?」
「姫君。気分が悪くなったりしたら、すぐに言うんじゃよ」
「はい、先生」
こんな時でも私を労ってくださる先生が大好きで、尊敬している。
「元々、“天使効果”には、ばらつきがある。
“心酔”するほどの者から、全く効かない者までさまざまじゃ。
効いても、姫君の父上や、姫君自身のように抑制できる者も中にはおる。
これは分かるかの?」
「はい、わかります」
「“心酔者”もパターンが分かれるんじゃよ。
第一は、王国にいた者のように、アンジェラ殿に避けられても、自分の都合のいい条件をつけて、たとえば、お加減が悪いから、自分がまだふさわしくないから、捧げ物がお気に召さなかったのだろう、などと、“心酔し続ける”者じゃ」
「ああ、なるほど……」
とてもよく分かる。というか実例を聞かされ、ゾッとしたのだ。忘れられない。
「第二は、半ば解ける者じゃの。
姫君の父上、ラッセル公爵閣下はこれじゃろう。
きっかけは“天使効果”じゃったが、後日、“克服”なさって、一人の女性として愛された。
違うかの?」
「いえ、仰る通りです」
「第三は、比較的早く解ける者じゃ。
ただし、興味をなくして、側から消えてくれればいいが、だいたい、変な執着に変わっとる。
“天使効果”から覚めた後、効いてる間に失ったものを、“奪われた”と思い違いをするんじゃ。
そのラゲリーとやらは、モテモテの自分が振られたメンツ、父親に『聞いてたのと全く別だぞ。どういうことだ』とか言われた信頼の失墜。
そういうものを、アンジェラ殿に“騙されて、奪われた”と思うんじゃよ。
その逆恨みに囚われている内に、執着へと変わっておる。
儂が研究した中でも、比較的多いパターンじゃ。
第二の“克服”と似ているが、全く違う。
“克服”はあくまでも内的要因で、つまりその人間自身の力で起こす。
執着は外的要因がほとんどじゃ。
『恥をかかされた』が一番多い。
ラゲリーなどは、その最たるものじゃろう」
クレーオス先生の言葉には、冷静な分析に裏打ちされた説得力があった。
「“克服”は内的要因……。なんとなく、いえ、わかります。
私も『自分、しっかりしなさい』って必死で思ってる内に、だんだん楽になっていったんです。
今は引っ張られかけても修正できます」
「ほうほう。そうじゃろう?
また、かかりにくい者は、何かを一心に求めており、他にあまり興味を持たなかったり、訓練や修練などで精神的制御が優れている場合が多いの。
逆にかかりやすい者は、現状に何か不満を持っている場合がほとんどじゃった。
まあ、人は大なり小なり、そういう者が多数派じゃがの」
私は説明を聞いていて、思ったことを口にする。
お母さまの主治医だ、と聞いた後にも考えたことだった。
「クレーオス先生。先生はどうしてこんなに“天使効果”について、ご存知なんですか?
先ほども、研究と仰ってました。
お母さま一人では、事例が少ないと思うのですが……」
私の質問を、先生は物悲しそうな表情で受け止める。
「そうじゃな。話し時かもしれぬ。少し長い話になるがのう」
何かを思う眼差しをされた後、おもむろに話し始めた。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
「儂は帝国に、医術の勉強のため何回か来ておると、話したことは覚えておるかの?」
「はい、覚えています」
「医術は帝国の方が進んでいる面もある。それを吸収するためじゃった。
あのころは医術のためなら、何でもできる。
そういう気持ちじゃった。
まだまだ若造じゃった…」
先生は何か悔いていらっしゃる雰囲気だった。
それでも話し続ける。
「そんな時じゃ。
ある兄妹と知り合った。
兄は医師、妹さんは“天使効果”の持ち主だったのじゃ」
「?!?!」
クレーオス先生は驚いた私を見つめた後、小さく頷き話を進める。
「儂とその兄は、とある医術学校の研究科で出会ったんじゃが、すっかり意気投合しての。
それでも、最初は、妹さんの“天使効果”は信じておらんかった。
儂には全く効かなかったからじゃ。
だが、観察しておると、話が本当じゃとすぐに分かった。
儂が知り合った時、妹さんには顔に大きな傷痕があったんじゃよ。
こんな風にの」
「?!?!」
クレーオス先生は、顎から左耳手前にかけて、指を滑らせる。
私は声もない。
「普段はその傷痕を、スカーフやショールを巻いて隠しておった。
まあ、かなりの美形じゃったが、その傷痕にも関わらず、惚れて追いかける者が度々出る。
申し訳ないが、少し考えにくいじゃろ?」
「……は、はい」
冷静に考えれば、仰る通りだ。
「その傷も、“天使効果”で揉めたモンじゃった。
“心酔者”の婚約者に恨まれて、やられたんじゃ。
兄妹はとある貴族家の出身での。
妹さんはもう“天使効果”によるトラブルに疲れ果てておって、表沙汰は避けて、刺した相手は修道院に入り、賠償金を受け取った。
元々医術を学んでおった兄は、この妹さんの“不思議”を何とか医術で解決したいと、親戚に当主の座を譲り、帝都に出てきておったんじゃ」
「そうだったのですか……」
充分あり得る話だ。
お母さまの負傷箇所を、顔に変えただけだ。
「妹さんも最初は修道院への入会を希望してたんじゃ。
第一希望は、当時、戒律の厳しさで知られておった、帝都からもほど近い、天使の聖女修道院じゃよ」
確かにあの修道院の記録には、“天使効果”の持ち主の方々を受け入れてきた過去があった。
その中のお一人だったのか、と思う。
「……それで、院長様とお知り合いだったのですか?」
「ああ。さようじゃ。
当時、あの方はまだシスターで、入会希望の受付担当だった。
儂は興味本位の付き添いじゃった。
あそこは本来、そう簡単に入会できる修道院ではないんじゃ。神に仕える覚悟を何度となく問われ、試される。
妹さんはあそこに通うだけでも、心が安らかになる、と話しておった。
出会ったシスターの方々に、“天使効果”が現れなかったためじゃよ。
入会希望者の信心と覚悟を試す“見習い”制度もあり、妹さんはそれを希望しておった」
お母さまと一緒だ。他に救いを求めた方々もそうだったんだろう。
「どうしてすぐに“見習い”で入らなかったんですか?」
「その兄が引き留めたんじゃ。どうしても治してやりたい。何とか世俗の世界で、幸せになってほしい。
あの修道院は、当時、肉親でもそう簡単に面会は許しておらんかった。
あの修道院に入るということは、生き別れを意味するほどじゃった。
まあ、兄の気持ちも、同じ医術を志す者として、儂は何となく分かった。
今まで治せなかった病気を治すということは、医術者として、一つの理想、夢でもあるからの」
「そ、それは、純粋に患者を治療するとは違うような……」
私は戸惑いを覚え、つい理想論を口にしてしまったが、言った後、すぐに後悔した。
「姫君。今ある医術の進歩も、もちろん苦しんでいる患者を何とかしてやりたい、という気持ちが多くを占めるじゃろうが、その陰で、『功績になる』と思うことも、儂は否定はせん。
あくまでも、患者第一を忘れぬ限りにおいては、という条件付きじゃがな。
他の世界でも、地位も名誉も関係なく突き進む者もいれば、バランスよく手に入れとる者もいるじゃろ?そういうことじゃよ」
先生の仰る通りだ。
確かに芸術の分野などでも、生前は全く認められず、死後評価される者もいれば、生前から評価され、名誉と地位とそれにふさわしい生活を得ている者もいる。
目の前のクレーオス先生も、“見かけ”は後者だ。
『丈夫すぎる陛下に儂は不要じゃ』と侍医になる話を何度も断り、王都で診療所を続けてらした、とお父さまから聞いた。
最後には陛下自らお忍びで足を運び、侍医になっても、診療は日を決めて行い、充分な研究費用を出す、という条件で受け入れたらしい。
現在、診療所はお弟子さん達が受け継いでいる。
先生は静かに呼吸を整えた後、また話し始める。
「話がそれたの。しかし、その兄の研究も行き詰まっておった。
容貌が傷ついても、“天使効果”は変わらない。
では、声は、匂いは、と色々試したが、結果は出ない。
一つだけ、顔も姿も布で覆い、目もかなり厚めのヴェールで、声も聞かせず、というのが、まま結果が出たが、それでは日常生活ができんじゃろ?」
「そうですね……。ん?」
私は引っかかった。これってもしかして……。
「気がつかれたか?
アンジェラ殿のことを、ラッセル閣下から相談された時、話したんじゃよ。
“天使効果”に無反応な者を使用人に選び、極力、人に会わせない方針じゃったのは、こういうことじゃ」
「そういうことだったんですか……」
「まあ、これも本人が望んだ場合のみじゃ。下手な監禁と変わらぬからの。
儂の診察に、アンジェラ殿が『人に会うのが怖い。恐ろしい』と何度も答えられたので、許可したんじゃよ。お試し期間もあったしの。
その妹さんに、そこまでの生活を送らせる余裕は、その兄にはなかった。
妹さんも細々と刺繍や縫い物をして、生計を支えていたんじゃ。
注文主は気のいい女将での。妹さんにもよくしておった。今から思えば、軽度の“天使効果”だったかもしれん。
兄の研究は行き詰まったかに見えた。
その時、儂が言ってしもうたんじゃ。
『妹さんを治せぬのなら、相手側、今言うところの“心酔者”を治せばいいのではないか?』とな。
新たな視点に立った儂らは夢中になった。
後からどれほど後悔したかわからぬが、その時は発想の大転換に思えたのじゃ。
謝礼を出して、実験に協力してもらう。
妹さんへの行動は、強烈な暗示の症状と似ておった。
この暗示を解く方法を研究すればいい。
しかし儂の制限時間が訪れての。
王国に帰らねばならなくなった。
再会を誓い王国に戻った後も、儂は密かに研究を続けておった」
先生の言葉に、つい疑問を投げかける。
「え?でも、“天使効果”の方がいないと、それを解く方法を研究できないのでは?」
「……そこが儂の罪深いところじゃて。
診療所にはいろんな人間が来る。
悩みを抱え、こんな自分を変えたい、と言う者もな。
たとえば、酒が好きすぎて、飲みすぎてしまい、酔うと周囲に暴言や暴力を繰り返す。
酔いが醒めれば、それこそ後悔の嵐じゃ。
こういう話は聞いたことがないかの?」
「いえ、あります。賭け事がどうしても止められず、破綻した貴族家もありました」
「そう。そんな感じの人間に、本人や周囲が納得し了承した上で、“治療”したんじゃよ。
試行錯誤の上、“暗示”をかける薬と方法、そして“解く”薬と方法も確立した。
もちろん可能性は高いが、絶対ではない。
儂は再び帝国を目指した。
これなら治せるかもしれない。意気揚々としてな。
だが、遅かったんじゃ……」
先生の肩が落ちる。わずかに震えているようだった。
「え?どういう、ことで、しょうか?」
嫌な予感がしたが、ここまで聞かせていただいたのだ。
最後まで聞かなければ、失礼だ。
「…………儂が訪ねた時、兄妹はすでに亡くなっておった」
「………………」
想像した以上のことで、言葉が上手く出てこない。
再び刃傷沙汰が起こり、兄が妹を庇ったのか、とも思うが、先生は静かに続ける。
「帝都に血縁者もおらんかった二人の遺体は、遺言か、哀れに思ったのか、天使の聖女修道院に埋葬されておった。
強盗にあって、二人とも殺された、と大家に説明を受けた。
金品も、研究成果も全て、洗いざらい強奪されておった。
例の実験協力者が犯人かは不明じゃ。
元々、こういう得体の知れない実験に協力するのは、金に困った者だろう?
そういう者かもしれんし、また別かもしれん」
「別かもしれない……」
別、とはどういう意味だ、とつい繰り返した私の目を見て、先生は強く頷いた。
「姫君。儂らは、互いの研究の相談のため、手紙のやり取りをしておったが、この研究の危険性は十分承知しておった。
“暗示”の内容が、犯罪行為だと恐ろしいことになる」
「はい、仰る通りです」
「それで暗号を決めておったのよ。大切なところは、暗号が解けないと分からん。
研究ノートなども全て、核心部分はそうしておった。
悪用防止でな」
「それは賢明かと思います」
「ところが、恐ろしいものが長い年月を経て儂の前に現れた。
アルトゥール殿下の『手引書』じゃよ」
先生の淡々と語る内容に、私は耳を疑った。
「…………まさか」
「………儂のものとは異なり、その兄の研究に非常に似ておった。
金に困った者は闇の世界にも近くなる。
おそらく何かのきっかけで、そういう“何か”に知られたんじゃろう。
そして、周り回って皇太子殿下の手に渡り、あの“おばか”の手にも回った。
儂が姫君を苦しめたも同然じゃ。
誠に罪深い……。すまないことをした……」
先生の身体が、一回り小さくなったように見えた。そのまま私に頭を下げ続ける。
「クレーオス先生。私はハーブの研究を通して、薬が毒になることも、毒が薬になることも知っています。
たとえば、月のものの悩みを和らげる効能のハーブの多くが、懐妊中は禁忌となります。
実際、先生の研究と治療で、生活が救われた方もいらっしゃいます。違いますか?」
「…………姫君の言う通りじゃの」
先生は長い沈黙の後、ポツリと呟いた。
「でしたら、胸を張ってくださいませ。
悪いのはそのご兄妹を殺め、研究成果を奪い去り悪用した者達です。
先生は悪い事など、何一つ行っていません。
そんな事を言い出したら、帝都中の鍛冶屋は店じまいです。刃物は調理にもさまざまなことに役立ちます。しかし、人を殺める事もございます。
善悪は使う人でございます」
先生は私の顔をじっと見つめる。
「……姫君は見かけはアンジェラ殿そっくりじゃが、気性はラッセル閣下そっくりじゃな。
同じ事を言われたわ。
侍医を断る時に話したんじゃ。
無論、ここまでではない。ぼかしてな。同じ事を言いおったわ。
『バカと鋏は使いよう。使う人間の善悪なのです。ご安心ください。私は心得ております』とな。
『儂はバカか?』と問うたら、『医術バカでございましょう』と。
あの時は笑いに笑った。久しぶりにな」
その時のことを思い出したのか、クレーオス先生の口角が少し上がる。
「お父さまったら……。申し訳ありません」
「なに。儂の話は少しは役に立ったかの?」
「はい、とても。あの、『手引書』の件は……」
「あれは申し訳ないが、ラッセル閣下に一任した。
必要と判断すれば、伝えておるじゃろうで。
儂は、使われる“切れないはさみ”で、医術バカ故な」
「そう仰るなら、私は領地運営バカですわ」
「ふぉっふぉっふぉっ……。違いない。
儂の話はここまでじゃ」
「本当に貴重なお話をありがとうございました」
「どういたしまして、じゃよ」
話し終えたクレーオス先生の瞳はいつも通りで、伺ったお話は、まるでお茶を飲む間のひと時の夢にも感じられた。
ご清覧、ありがとうございました。
エリザベスと周囲の今後を書き続けたい、と思った拙作です。
※ 作中に出てくる医術研究は、全て空想上のものです。現実とは異なります。無粋ですが、念のため記しておきます(^^;;
誤字報告、感謝です。参考にさせていただきます。
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