83.悪役令嬢の遠い目
テンプレな“真実の愛”のイジメ疑惑追求から始まった、エリザベスと周囲のお話—
エリザベスの幸せと、その周囲を描きたいと思い書いている連載版です。
ルイスとの新生活としては、これで22歩目。
引き続き、ゆるふわ設定。R15は保険です。矛盾はお見逃しください。
「……そうですね」
「………むずかしいなあ」
「…………そうでしょう」
やっと帰って来れた、エヴルー公爵領新邸—
私とルイスとアーサーは、私の執務室で会議中だ。
議題は、エヴルー公爵領の教育問題である。
旧伯爵領は、目星が付きそうだ。
読み書き計算ができれば、いいことがあると、作業所などを通して、浸透しつつある。
学校もそう抵抗は受けないだろう。
問題は、公爵領の新領地である、元帝室直轄領だった。
思わず遠い目になりそうなほど、討議していた。
帝都周辺をぐるりと取り囲むようにある、広大な帝室直轄領は豊かな農業を営み、帝都の台所を支えている、と言われている。
その一部を拝領したのが、エヴルー公爵家だ。
この元直轄領の領民は、とにかくプライドが高い。
『我々は皇帝陛下のご命令を受けて、この地を耕している』という強い自負がある。
建国当時、騎士爵の代わりに土地を与えられ、帰農した人々がご先祖なのだ。
つまり、直轄地の領民は、帝室の“元家臣”の末裔だ。
だが数百年が経過し、読み書き計算を不便なく操れる人々は激減した。
各地区ごとだと、代表者と数人くらいだ。
原因は、帰農前の習慣通り、それぞれの家の家庭教育に頼った結果だった。
“元家臣”の初代達は、自分達が子どもに教える家庭教育で、充分だと考えた。
だが、何世代もの間、労働の波に飲み込まれた結果、家庭教育は廃れてしまった。
現在は、地域に点在する教会で、希望者に、自分の名前と聖句の書取りを教えるくらいだ。
学校を建てる以前に、教育の必要性を、プライドの高い彼らに、どうやって分かってもらうか。
冒頭の様に、三人で何日か頭を搾った結果—
公爵領の各地区の代表者が集まった会合の席上にいらっしゃるのは、私達の学校教育の趣意に賛同してくださった、天使の聖女修道院の院長様だった。
多くの女性と子ども達を神の教えに従い、助け育んできた院長様は、信者達の尊敬を広く深く集めている。
その方からのお言葉なら、耳を傾けてくれるのではないか、という結論だった。
「この度、エヴルー公爵領の各地に、学校を建てる計画を、エヴルー“両公爵”様がお考えくださいました。
しかし、そんなものは不要だ。と思う方もいらっしゃるでしょう。
正直に手を挙げてみてください。
私も、“両公爵”様も、決して不快には思いません」
すると、当たり前の様に、もしくはおずおずと、元直轄領地の代表者達の手が上がる。
ほぼ全員だ。
それを、旧伯爵領の人間は、驚いたように見ていた。
「お答えいただいた方々、ありがとうございます。
手を下ろしてください。
では、もう一つお聞きしましょう。
仮に、あなたの地域に流行病が起こり、あなた達親御さん達が亡くなった時、お子さんに、何を残して差し上げられるのですか?
麦ですか?土地ですか?お金ですか?
読み書き計算もできない子どもに、それが使いこなせると思いますか?
騙されて全てを失い、神の恩寵があれば、孤児院にたどり着けるでしょう」
「そ。そんな時のために、公爵様がいらっしゃるんでしょうが」
「そうだ」「そうだ」
反発の声には、ルイスが低い声で、ゆっくりと応じる。
「もちろん俺とエリザベスは、領民達のために、必死に動くだろう。ただ非常時に一軒一軒訪ねてはいけない。
だが、文字も書けない子は、『どこどこの家を、集落を助けてください』という手紙も出せない。
口で言うために、わざわざこの屋敷まで歩いて来なければいけないだろう。
腹が空いて、病が流行る中、命がけの旅になるだろう」
ルイスの重々しい言葉が響いたしばらく後、穏和な面持ちの院長様が再び話しはじめる。
「不安な思いにさせて、申し訳なく思います。
ただ私たちの子ども、孤児院で育った子どもには、なるべく多くの教育を授けるようにしています。
それがあの子達の生きていく力となるからです。
読み書き計算がしっかりできる上に、新聞も読めるようになり、商会員の見習いで雇われた子もいます。
正確な計算で、親方に気に入られ、職人に弟子入りした子もいます。
農家で働くのにも、読み書き計算は武器になります。
自然という大いなるものと戦う武器です」
「武器だと?」「なんだそりゃ?」
不遜 な囁き声が響く中、院長様は続ける。
「私がある方からお聞きした実話です。
ある地域の農産物品評会の入賞の常連で、収穫量も多い農家の、『作業記録』を見せてもらったそうです。
毎日毎日、何年も、天気や、どの作物にどんな手入れをしたか、収穫はどれだけか、などを詳しく書いてある。
『どうして始めたのか。どんな役に立ってるのか』と聞いたところ、こう答えたそうです。
『親の代から始めて、病気の兆候や、害虫の大量発生、大水が出る雨の降り方、他にも色々、記録を付けてれば、過去に起こったことが役立つ時が多い。
種を蒔く時期、植え替える時、その他にも、色々と工夫をして、その結果を記録する。
過去の記録を見て、対策を立てやすいおかげで、作物の質も良く、収穫も先代より少しずつ増えて安定してる』と。
こうも言ったそうですよ。
『作物のほとんどが、1年に1回の真剣勝負。
知恵を結集して、大いなる自然と戦い、また恵みを得ています』と。
あなた方も、大いなる自然と真剣勝負をなさってるのではないですか?
毎年毎年の積み重ねを、文字ではっきり記録して、自分に、そして子や孫に、親戚に、友人達に活かし、皆で立ち向かおうとは思いませんか?」
院長様のお言葉に、室内はしんと静まり返る。
「……1年に1回の真剣勝負、か。
俺達の戦闘記録と一緒だな。
じっくり検討し、次に戦う時は、犠牲は最小限に、最大の勝利を求める。
お前達も先祖にならって、そういう取り組み方をしてはどうなんだ?」
ルイスの言葉が、彼らのプライドを刺激する。
ここで、私は落ち着いてゆっくり明るめに話しかける。
「皆さん。エヴルーの農産物は、帝都の台所をしっかり支えています。ありがとうございます。
でも、可能性はもっと広がってます。
帝国一美味しい農産物だと知れ渡れば、世界中から買い付けに来ます。
そして何よりも、大いなる自然が、厳しい鞭を振るった時の備えが、今よりもできます。
ただ、一歩一歩です。
あなた達の地区の子供たちが記す言葉で、知恵で、それが出来る未来がきっと来るでしょう。
私とルイスは、そんなエヴルーを作って行きたくて、学校を作ろうとしています。
皆さん。学校を作るのに、賛成の方はご起立ください」
元伯爵領の代表者達は、さっと立ち上がる。
しばらく置いて、元直轄領の代表者の一人が立ち上がると、一人、また一人、と、途中からは次々と続き、結局全員が立ち上がった。
「ありがとうございます。
具体的な計画は、また相談しながら、決めていきましょう。
私とルイスは、もっと強くて豊かなエヴルーを目指してます。どうかよろしくお願いしますね」
私が拍手を始めると、ルイスと院長様が続き、全員に広がり、そして、笑顔となった。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
「まあ。そんなことがあったの」
ソファーにゆったりと座った皇妃陛下は、まだ少しやつれていらっしゃるがお美しい。
新たに調合したハーブティーの試飲の後、エヴルーでの出来事を尋ねられ、感想を洩らされる。
「私も帝国の母と言われる身でしょう。
教育問題に関心はあるし、報告も受けてるわ。
帝都や大きな町は、まだ識字率も高いのよ。
問題は農村地帯なのよね。
教育大臣も苦労をしているから、このことを話してもいいかしら」
「恐れ入りますが、まだまだ、計画段階です。
もう少し芽が出てからにしていただけると、ありがたく存じます」
やっと種をまく了承を得て、アーサーが話を詰めているところだ。
急かしたくない。もう少し見守っていてほしい。
「わかったわ。
でも、『作物のほとんどが、1年に1回の真剣勝負。知恵を結集して、大いなる自然と戦い、また恵みを得ています』とは、素晴らしいわ。
いったい、どこのどなたが、視察で聞いてきたものやら……」
悪戯っぽい眼差しも魅力的だ。
だいたいの見当はついているようだった。
「……王妃教育の一環で、視察に参りました。
見せていただいた記録で、棚は埋まっており、我が家の家宝です、と誇らしくされていました。
実際、農学の研究者も、過去の記録を目的にお見えになると話していました」
「王国は素晴らしいこと。帝国も王国の良いところは、見習わないとね。
マルガレーテの嫁ぎ先の第一候補も王国ですもの」
「皇妃陛下。まだまだ先のお話でございます」
「そうね。今は出来る限り、愛情を注いであげたいと思ってるわ」
私がエヴルーに行っている間、七人の乳母兼教育係の、マルガレーテ第一皇女殿下へのお目通りは済んでいた。
誰かを泣いて拒否する、といったことはなかった。ほっと一安心だ。
乳児の発達段階上の教育方針もお話し、ご了承を得て、退出しようとした時、侍女長が皇妃陛下の耳元で囁く。
うわ。思いっきり既視感がある。
皇妃陛下は眉をしかめられるということは、招かざるお客ということで、大体において、私にもそうだ。
「……また、先触れなしにいらしたの?
お話することは、何もないわ。帰っていただいて?」
「それがご機嫌伺いなさりたいと……」
今、ここまで推してくるのは、皇妃陛下の兄、序列第二位の公爵家当主様だろう。
「では、私はこれにて退出を」
とお辞儀をしようとしたところに、公爵閣下が現れる。
「おお、我が甥の妻であるエヴルー卿。
あなたも皇妃陛下の元へいらしていたのか」
うわ。いきなりの身内あつかいに、鳥肌が立ちました。
それにエヴルー卿って。
序列一位の私は、あなたにそんな呼び方を許していません。すっごく失礼なんですけど。
「恐れ入ります。エヴルー“両公爵”の一人、ルイス公爵は、あなた様の甥ではありますが、一度もお身内からダンスも誘われたことがない身の上。
今の仰せには、戸惑うばかりでございましょう」
「それでも甥は、甥でしょう」
「さようでございますわね。
皇城儀礼で定められた序列の如く、事実は事実。
あなたは我が夫ルイスの母方の伯父。
これも、伯父は伯父、なのでございましょう?」
公爵閣下の顔が思いっきり引きつる。
だったら、最初っから喧嘩を売らなきゃいいのに。
「皇妃陛下。本日の出仕はこれにて、退出させていただいて、よろしいでしょうか?」
「ええ、ご苦労でした。エリー閣下」
わなわなと震えていた公爵が、皇妃陛下のお別れの挨拶をぶった斬る。
本当に失礼な人って似てる。
「待たれよ!いったい、あなたに、私の可愛い姪の乳母や教育係の資格があるというのか?
“我が帝国”の“両公爵”であるというのに、我が“帝国”きっての最高学府、帝立学園の卒業生でもないあなたが?
それに聞いたところによると、王国の王立学園も卒業されてないとか。
その一週間前に、王立学園に出席されないまま、卒業式にも出られていないというではありませんか」
あ〜。皇妃陛下のお疲れの様子が、本当にわかっていないようだ。興奮して、まくしたてている。
私はせめて穏やかな声で、貴族的に微笑み、はっきりと説明する。
「公爵閣下。まず訂正させていただきます。
私は王立学園の卒業式の半年前に、卒業資格を取得しております。
王妃陛下のご命令で、当時の婚約相手との結婚式の準備のためでございました。
ご不審なら、王国大使館を通して、王立学園にお問合せください」
「ぐぬぬっ、だが帝国では学歴は」
「持っております」
『ぐぬぬっ』って本当にいう人がいるんだわ。
初めてかもしれない。
「持っているとは、面妖な。いったいどこの」
「帝立学園でございます」
「はああ?あなたは留学もなにもしてないでは」
「先日、皇妃陛下のご推薦を受け、特別な短期留学をさせていただき、無事に帝立学園淑女科の卒業資格を得ております。
留学時は王立学園での単位取得も認可される学科もあり、それ以外の学科も全て試験を合格しています。
婚約は相手側の有責で解消しましたが、王国の王妃教育で、帝国の歴史・地理・文化・音楽・語学なども学んでおりましたの。
そのためか、無事に卒業いたしました。
ぜひとも、帝立学園にご確認くださいませ」
「はぁあああ?!そんなことがあって」
ここで皇妃陛下が、こめかみをもみながら割って入る。
「私が推薦し、私が報告を受け、学園に確認しました。
素晴らしい成績で、ぜひ講師に、とお誘いを受けたそうです。
我が愛するマルガレーテの教育係にふさわしゅうございましょう?
公爵閣下。そろそろ、ご退出願えませんか。
あなたの大声で、頭が痛いのです。
エリー閣下のハーブティーで、やっと和らいでいたというのに。
どうか、お早く願います」
「そ、そんなもの、効いてないと同然、役立たずではないか」
本当に同じようなこと言う人っているんだなあ。
第二皇子母のご側室そっくりだ。
皇妃陛下も、今、苦笑した。思い出したのかしら。
「ご存じかしら?頭痛にも、重い頭痛と軽い頭痛がございますの。
エリー閣下のハーブティーは、医学の専門家である侍医のお墨付き。
役立たずではございません。
ああ、せっかくエリー閣下のハーブティーで軽くなっていたのに、また重くなってきたわ。
あなたの訪問で台無しです。
本当に不快ですこと。
しばらく、ご訪問はお控えください。
近衛役。近衛役はおらぬか。
我が兄、公爵閣下を向こう1ヶ月、我が居室に通さぬように。今すぐお帰りいただきなさい」
「はっ、皇妃陛下!」
「ちょっと待ってくれ。我が妹よ、私は〜」
近衛役の騎士達に引きずられていく姿を、皇妃陛下と私は遠い目で見ていた。
ご清覧、ありがとうございました。
エリザベスと周囲の今後を書き続けたい、と思った拙作です。
誤字報告、感謝です。参考にさせていただきます。
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