163.悪役令嬢の恩返し
テンプレな“真実の愛”のイジメ疑惑追求から始まった、エリザベスと周囲のお話—
エリザベスの幸せと、その周囲を描きたいと思い書いている連載版です。
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流血などの残酷な描写があります。閲覧には充分にご注意ください。
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ルイスと小さな小さな家族との生活としては、39歩目。
引き続き、ゆるふわ設定。R15は保険です。矛盾はお見逃しください。
「え?!お祖父様が大けがをなさったですって?!」
感謝祭から1週間後——
たった今報せを受けたのは、母方の祖父、先代タンド公爵、お母さまのお父様のことだ。
現在は領地運営に専念し、当主である息子、伯父様を支えていた。
伯父様が皇帝陛下の側近として、ずっと帝都で働けるのもお祖父様の存在が大きい。
もちろん当主として密に連絡を取り合い、領地の把握はきちんとなさっている。
「大けがってどうして……」
ウォルフ騎士団長の帰還が間近に迫り、帝国騎士団に出勤するルイスと共に、帝都に戻っていた私に、タンド公爵邸から報せがあった。
元々、お祖父様とお祖母様はまもなく帝都にいらっしゃるご予定だった。
第三等ミネルヴァ勲章に選ばれたためである。
タンド公爵領は、小麦畑などに適さない山間部も多い。
その土地に長年に渡り、独自の農業政策や殖産興業などを実施し、領民の生活向上のための堅実な努力と実績が認められての授与だった。
果物やワインの名産地となり、木工細工が盛んになったのもお祖父様が礎を築かれたのだ。
私は届けられた手紙に急いで目を走らせる。
『熊の被害を視察中に熊に襲われた』とのことだった。
“命に別状はない”が、傷が酷いらしい。
鍛えられていたが、穏和な風貌のお祖父様のお顔がまぶたの裏に浮かぶ。
熊は爪だけで木登りできる。あの重さを爪で支えられるのだ。
その鋭く硬い爪を、すさまじい破壊力を持つ膂力で振るわれれば、人間の柔らかい身体などは無惨に引き裂かれてしまう。牙もそうだ。
王国での視察中、山際の村などでは熊に襲われ生き残った被害者と会ったこともある。
顔面や頭部が爪や牙でえぐられ、傷痕として残り痛々しく、耳を削がれた人もいた。
お祖父様がアーマーなどの防具を身につけていらっしゃったことを祈る。
そして爪による傷から膿むことも多い。
結局、負った傷が原因で四肢を切断という場合もあった。
そう、『命に別状はない』とは、腕や足、目や耳などを失っていても、生命維持に支障がなければ、使われる表現だ。
傷が膿んだりせず、せめてこのまま、“命に別状はなく”回復して欲しかった。
私は急ぎ、クレーオス先生に執務室に来ていただき、事情を話す。
先生は冷静で、落ち着いた声で話される。
「まずは負傷の詳細を確認することじゃな。
姫君に心配をかけまいとして、こう書かれていらっしゃるのじゃろうて」
「そうですわよね。伯母様にお伺いをして、可能ならお聞きしてみます」
私はすぐに伯母様へ手紙を出す。
「姫君。思い詰めぬことじゃよ。儂を呼んだのは、傷痕の治療、形成外科の及ぶところでじゃろう?
儂が今からタンド公爵領に行っても、急性期、負傷後の2-3日間の治療には到底間に合わぬゆえな」
よく耳にする整形外科は、背骨や骨盤、四肢の骨格や筋肉、神経などを主な治療対象とする。
一方、形成外科は、体に生じた変形、すなわち傷痕などを機能的かつ形態的に治療する。
お祖父様の傷痕の引きつりなどで運動能力に支障がある場合や、容貌に損傷がある場合についての依頼だった。
「仰る通りです。もし酷い引きつれなどになっていらっしゃった場合は、再手術をお願いしたいのです」
「わかり申した。どれくらいお役に立てるか、わからんがの」
「お祖父様はご自分の傷痕を気にされる方ではないでしょうが、念のため、必要な時には顔料のお願いをするかもしれません」
シミやそばかすを隠す“素肌クリーム”は、肌の明るさなどで数タイプあるが、クレーオス先生が医療用に手掛けている“復元クリーム”は、患者に合わせ個別に配合され、その補正力は全く異なる。
「それも承った。しかし少々先走り過ぎですぞ、姫君。
いかがされたかの?」
「先生、実は……」
私は視察で熊に傷つけられた人達に会い、その時、熊の能力の凄まじさを知った経緯を説明する。
「なるほど……。姫君のお気持ちもわかりましたわい。では共に参りましょうかの?」
「ありがとうございます!
必要そうなら、伯母様からクレーオス先生について、お祖父様がたにお知らせいただくようにお話しします」
ちょうどお返事が来て、訪問を許される。
まもなく帰ってくるだろうルイスには書き置きを残し、私はクレーオス先生とマーサと共にタンド邸へ向かった。
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伯母様は珍しく、顔色が悪かった。
私の毒殺未遂の時と同じくらいか、もっとだ。
当たり前だ。家族が死にかけたのだ。それも心構えもない不意打ちだ。
情がないように聞こえるかもしれないが、戦地へ赴いたり、長期間、病に伏せていて、という場合、辛くはあるが覚悟も徐々にできる。
それでも襲われる喪失感と悲しみは、決して変わるものでない。お母さまの時がそうだった。
しかし、その心構えもない不意打ちの事故や急病は、別の辛さが加わる。
病院などの慰問で話は伺い、実際の社交などで見聞きもしてきた。
サロンで人払いし、伯母様は知っている事情を話す。
「今年は熊の被害の報告が例年より多かったの。
なんでも山の木の実が不作で、秋に入ってもいつもの年より温かくて、熊がなかなか冬眠せずに、畑や葡萄畑を荒らすって。
お義父様が対策に奔走されている、とあの人からは聞いていたの」
「そうだったんですね……」
山の木の実というのはおそらくドングリだ。
ドングリは山の動物達の主食とも言えるものだが、定期的に豊作と不作を繰り返す生態が、王国では研究で明らかになっている。
不作の時に人里へ現れるため、忌避剤を染み込ませた材木でできた柵や、箱罠やくくり罠、トラバサミなどを設置していた。
「葡萄、それも貴腐ワインを作るために残しておいた葡萄がかなり被害を受けて、それを防ごうとした領民にも負傷者が出て、視察を兼ねた巡回に行ってた時だったそうよ。
いきなり出くわしたんですって。それまで昼に出たことはなかったそうなの。
それで、先頭で案内していた葡萄農家の男性が襲われて、咄嗟に助けようとしたお義父様も……」
人間の食べ物のおいしさを味わった熊は、たびたび現れるようになる。そして人間を恐れなくなる。
元々熊は臆病と言われ、熊よけの鈴などで教えれば自分から立ち去るものなのに、悪い意味で人馴れしてしまった個体だったのだろう。
貴腐ワインは高価で、農家にとっても、ワイン産業にとっても痛手だ。それで被害を訴えられ、不安や不満を抑えるためにも、お祖父様が出向かれたのだろう。
「伯母様、お祖父様の負傷箇所と状態を教えていただけますか?私ならお気遣いなく。お聞きして倒れたりはいたしません」
「……エリーらしいわ。
怪我は頭から額に掛けてと、腕、肩、胸だそうよ」
かなり広範囲だ。お祖父様のことだ。
その農家の男性を庇ったためと思えた。
熊も出会い頭でいきなり現れた人間を排除しようと、敵意をあらわに本気で攻撃したのだろう。
けがの状態が気になった私は、さらに確認してしまう。
「伯母様。気持ちが悪くなったら、すぐに教えてください。腕の怪我というのは、欠損ですか?」
「けっそん?」
言葉の意味がわからなかったらしい。私もつい用語を使ってしまっていた。
クレーオス先生がゆっくり説明してくださる。
「公爵夫人。腕の一部を失われていないかという意味でござる。
つまり、指を失う。または手首から、肘から先など、といったことでございますな」
伯母様が一瞬、口許を手で覆う。それでも気丈に教えてくださった。
「そ、それはないかと思います。二の腕に深手を負ったとのみで……」
「貴婦人にとんだことをお聞かせして申し訳ござらぬ」
「いえ、私こそ取り乱してしまい、申し訳ありません」
「伯母様、辛いことをお聞きして申し訳ありませんでした。
ただ私の前で無理はなさらないでください。
こういうことには、普通の貴族女性よりも慣れています。
病院や救貧院でそういう方々とお話ししたことも数知れません。身重でも大丈夫です」
「エリー……」
今まで気を張っていたのだろう。
涙ぐまれた伯母様の隣りに座り、そっと抱きしめ、背中を優しくなでる。
今まで伯母様が私に何度となくしてきてくださったことだ。今度は伯母様に寄り添う番だ。
「いきなりのことで驚かれたでしょう。無理もございませんわ。報せが来てから休まれましたか?」
「……いえ、あの人に連絡したり、色々とあったから。エリーに報せるかは迷ったのだけど、勲章のこともあったし」
「では、少し休まれましょう。ハーブティーをご用意しますわ」
「ありがとう、エリー」
リラックスと眠気を誘うハーブティーを入れ、伯母様を居室へ連れて行く。かなりお疲れのようだった。
クレーオス先生が診察されたが、精神的疲労とのことだ。念のため付いてくださるようお願いすると快く引き受けてくださった。
そこに伯父様が帰邸される。
執務室で事情を話すと、どっかとソファーに座り込まれた。
「エリー、大変な時にすまない。クレーオス先生にもよろしく伝えてほしい」
「とんでもないことですわ、伯父様。
差し出がましいかもしれませんが、領地にはどなたか参られますの?」
領地運営の要であったお祖父様が倒れられたのだ。その分の手当てをしない訳にはいかないだろう。
「デュランをやることにした。私は抜けられん。
親不孝だとは思う。嫁にもすまぬことだが……」
デュランとはこのタンド公爵家の長男で、ピエールの兄、私の従兄弟だ。
現在は皇城で、伯父様の補佐官をしていた。
「仕方ありませんわ。お祖父様もわかってくださいます。デュランはいつ出発に?」
「まもなく出発する予定だ。今、仕事の引き継ぎをやらせている。報せが来てすぐに命じた。
副団長にもだ。帝都にいた騎士団の内、差し障りのない人数を連れて行く」
タンド公爵家騎士団は、南部の治安維持に約半数を残した帝国騎士団への支援の回り持ち当番を、最初に割り当てられていた。
「伯父様、帝都騎士団への支援はエヴルー騎士団から出している員数を増やします。
その分、お連れください。ルー様もお許しくださいます」
私は騎士団の顧問でもある。そして、この帝国に“大移動”して以降、タンド公爵家に多大な恩がある。
今返さなくていつ返すのだ。
秘書官にルイスが帰邸していたなら、来るように伝言を頼む。
「……エリー、感謝する」
「当然のことですわ、伯父様。
それよりも山間部がある他の領地も確認したほうがよろしいかと存じます。ドングリの不作がタンド公爵領だけとは思えません」
「わかった。通達を出しておこう。
しかし、“熱射障害”のあとは、熊害とは。
なんて1年だ……」
「お気持ちはわかりますが、熊害もある程度は対策はあります。
ただ熊は賢い動物です。
ご存知かもしれませんが、学習能力も非常に高く、嗅覚は鋭く、攻撃能力は言うに及ばずです。
対策をしなければ、まず人に勝ち目はありません。
王国でしていたことをお話ししますので、対策の一助になさってくださいませ。
帝国には帝国の自然と、その土地ならではの事情がございます。そこに合わせていただければ、と」
私は熊に対する振る舞い方、忌避剤や犬の飼育、巡回時に持つ、キラキラ光る金属製で振り回せるもの、罠の種類などを説明し、秘書官に書き取ってもらう。
話し終わったところに、ルイスがやってきた。
「公爵、まずはお見舞い申し上げる。
エリーの祖父は俺にとっても大切な家族だ」
「ルイス様、かたじけなく存じます」
「エリー、他の公爵家とも話し合う。公爵も参加してくれるとありがたい。
ドーリス公爵家も長男に参加させよう。
侯爵への降爵は決まっているが、公にはなっていない。騎士団もまだ解散してはいない。
あそこは質が落ちるが、次の当主が言い聞かせ、皇城に混ぜ込めば、悪さもできまい。少しは使えるだろう。
それに勤務内容次第で再就職先の斡旋もすると言えば、真剣に勤めるだろう」
そこまで考えてくれるのは本当にありがたい。
さすが私の旦那様は頼りになる。
秘書官が書き取った王国での対策にも目を通してもらう。
その間、伯父様には胃痛に効くハーブティーを入れて差し上げた。
「エリー、この『熊は殺し尽くさない』とあるがなぜだ?
こんな危険な生物はいないほうがよいのでは?」
この疑問はもっともだ。伯父様にも説明した。
「王国で実際に狩り尽くした地域では、翌年以降、今度は鹿の食害が多く発生してしまったのです。
熊は山の王者。鹿も食べ物の一つです、
それが全くいなくなると……」
「なるほど。今度は鹿が増えて害をなす、か。
なかなかうまくいかないものだな。
騎士団を派遣して、戦斧部隊で狩り尽くしてしまえばいいと思ったんだが……」
「山の、彼らの領域にいてくれれば、それはそれで有効なのです。問題は人里に降りてきた時です。
伯父様。人里に誘引しないための振る舞いも、徹底させてくださいませね」
狩人を除き、森や山の奥に深入りしすぎない。弁当などはカラも含めてすべて持ち帰る。
熊に人間の存在を知らせるよう、鈴をつける、出会った時に刺激しない逃げ方などだ。
「わかった。協力感謝する」
「伯父様へのご恩返しの一つです。
そうだわ。便箋をお借りしてもよろしいでしょうか。デュラン様にお手紙を預けたいんです」
「ああ、大丈夫だ」
私は急ぎ、ペンを走らせる。
お祖父様もだが、お祖母様も心配だった。
お年を召したがゆえのお心弱りがあっただけに、ショックが酷く寝込んだりなさってないかと気になった。
手紙を伯父様に託すと、クレーオス先生への礼を再度伝えられる。
「先日も大公国の侍医長に対応していただいたのに、またご負担をおかけするとは」
南部戦争の潜入工作で用いた、“限定的天使効果”のある先代大公妃殿下の“直筆の手紙”との引き換えに、暗示にかけられた者の治療方法を教えると約束していた。
その教授役がクレーオス先生で、大公国からきた侍医長に伝え、実習もしていた。
「クレーオス先生も力を入れていらっしゃる分野です。ご負担やご迷惑など考えてもいらっしゃらないでしょう」
クレーオス先生は、亡くなられた親友とその妹さんの件から、傷痕治療に取り組んでこられていた。
「エリー。ここからは騎士団の員数調整だ。
まずはルイス様と行う。エリーはもう帰って休んだほうがいい」
伯父様の言葉に私は小さく頷く。
「伯父様、そうさせていただきます。
そういえば、お義姉様がたはいかがお過ごしですの?
ご心配でしょうに……」
伯父様が急にバツの悪そうな顔をなさる。小首を傾げた私に、ルイスが小声で告げた。
「黙っててごめん、エリー。お二人とも懐妊中なんだ」
「……あら、まあ、そうでしたの」
だいたいの事情は見当がついた。
私に余計なことを知らせたくないとルイスは判断した。 また私と同じく安定期に入ってから、公にしたかったのだろう。
ただこれで、『側室を』などと図々しい申し入れはなくなるだろう。
「それで、お義姉様がたは何か月でいらっしゃいますの?」
「デュランの妻が5か月、ピエールの妻が3か月か。だな?」
伯父様が秘書官に確認している。正しかったようで頷かれていた。
「わかりました。今日はこのまま帰りますわ。
お義姉様がたによろしくお伝えください」
「ああ、伝えておく」
「では、失礼します」
伯母様は眠っており、大丈夫だろう、とのことで、クレーオス先生とマーサと共に帝都邸へ向かう。
馬車に揺られながら、『禍福、災難と幸福は紡がれる糸のようだ』という古代帝国から伝わることわざを思い出していた。
ご清覧、ありがとうございました。
エリザベスと周囲の今後を書き続けたい、と思った拙作です。
誤字報告、感謝です。参考にさせていただきます。
★、ブックマーク、いいね、感想などでの応援、ありがとうございます(*´人`*)
●熊の立てこもり事件が起こっている時に不謹慎かと考えましたが、元々の構成に従い投稿させていただきました。
ご不快に思われた方は申し訳ありませんでしたm(_ _)m
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