128.悪役令嬢の喧嘩
テンプレな“真実の愛”のイジメ疑惑追求から始まった、エリザベスと周囲のお話—
※妊娠に関する描写があります。閲覧にはご注意ください。
エリザベスの幸せと、その周囲を描きたいと思い書いている連載版です。
ルイスと小さな小さな家族との生活としては5歩目。
引き続き、ゆるふわ設定。R15は保険です。矛盾はお見逃しください。
「ルイス。アーサーから、“第一級案件”が届きました」
「“第一級案件”が?」
私は帰邸したルイスと、執務室の中央に設置された大きなテーブルを挟み、立って向かいあう。
普段の“ルー様”呼びでなく、エヴルー“両公爵”として、対等にルイスと呼びかける。
これは、エヴルー公爵家で産業部門を統括する私の役目だ。
エヴルー公爵領の主産業である、小麦の生育について、他地域だが重大な情報を得たため、“第一級案件”に該当する、とのアーサーの判断だった。
マーサに服装の問題点を指摘されたので、今はエヴルー騎士団の夏服を着用し、髪は緩めだが久しぶりに結い上げている。
問題を一つに絞りたかったし、“緊急性”“重要性”が視覚化されやすい。
動きやすくシワにもなりにくいので、とても助かる。もちろん革のベルトなど締め付けるものは布の帯に替え緩めに結び、首元の第一ボタンは外していた。
この上で、“第一級案件”の内容をルイスに説明する。
二人の前には帝国の地図があった。
主に作付けされている農産物別に分けた小麦版だ。
「現在はこの近辺で、“異変”が確認されてるそうよ」
私は地図上で、南部の国境近くを指し示す。
ルイスは小さく頷く。
この地域はもうすでに収穫の時期を迎えているが、『穂の実入りが極端に少なく、その前から株が立ち枯れ始めていた』という情報だった。
原因は分かっていない。
『花が咲くまでは順調で、変化はその後だった』との報告だ。
ルイスを前に、小麦の作付け地を辿っていく。
「小麦は帝国の主食だから、生産地が多いわ。
地図で見ると、連なっているでしょう?
次から次へと伝播、広がっていったら、エヴルーまで、さほど時間はかからないでしょうね」
「なるほど……。この地図はいったい、いつ作ったんだ?」
「伯爵領の時から備えてる資料よ。レクチャーで見せてなかった?」
「初めてだ」
「そう。普段は他地域の品質と収穫量とかを比較して、エヴルー産の価格を選定することでしか使わないものなの。
それで口頭説明で終わったんだと思う」
「了解した。その“情報”の正確性は?」
「アーサーが小麦の買取業者から聞き込んだの。
長年取引がある信用のおける相手よ。
それと、エヴルーの“影”が裏を取ってきたわ」
「……どこから?」
「皇城よ。把握してないはずないもの。
タンド公爵家に使いを出したら、伯父様はここのところ、お帰りが遅いんですって。
もしお会いできれば、今夜にでも行くつもりよ」
「エリー!?お腹に子どもがいるんだぞ?」
「決して無理はしないわ。
アンナ様のノックス侯爵家で調製してくださった馬車があるし、それもゆっくりの速度で進めるわ。ルイスも乗り心地は知ってるでしょう?
何よりルイスが付いてきてくれるもの。これ以上、安心できることってないわ」
「……エリー?俺は同意したって言ってないぞ」
「市井の、帝都民のほとんど、市民階級の女性達は、悪阻の期間も働いてるのよ。
クレーオス先生に伺ったら、無理をしなければ許可を出すそうです。
あの馬車の乗り心地は、先生もご存じでしょう?」
「ふう……。了解。
それまで休んで、水分と食べ物をも摂って、出発前に先生の診察を受けること」
「ありがとう、ルイス。
それで休む場所なんだけど、しばらく執務室を居室にしたいの。
私専用の休憩室にベッドを入れて仮眠室にして対処すれば、休みながらできるわ」
「…………」
ルイスの表情が途端に厳しくなる。眉間に深い皺が刻まれる。
私の執務室は、『“滅私奉公”癖抑制チーム』により、仮眠室は応接ソファーセットのみの休憩室とされた。
仮眠室があれば仕事漬けになる可能性を強く指摘されたためだ。
王国時代の“前科”があるので、受け入れざるを得なかった。
『眠るなら同じフロアにある居室できちんと眠りなさい』ということだ。
だが、今はそうも言っていられない。
情報をかき集め推移を見守らないと、いざという時、エヴルーの小麦を守るため、初動が取れなくなる。
もしもこの異変が病気によるもので、エヴルーにまで広がれば危機的状況だ。
ルイスは、お腹の子と母体である私の心配で、絶対に許しそうにない雰囲気だ。
その気持ちも痛いほど伝わってくる。
だが、私はエヴルー“両公爵”の一人なのだ。
後継者となる子どもも、領地と領民も守らなければならない。
「ルイス。絶対に無理はしないわ。私はこの“第一級案件”専従です。
主席補佐官、そう決めたわよね?」
私は黙々と作業を続けている補佐官達を前に問いかける。
「はいッ!仰る通りです!」
主席補佐官が直ちに答えた以外、作業に集中し続けている。
仕事に関しては、私が決裁以外ほぼできず、業務量が多くなっているところに、この“第一級案件”だ。
一分一秒が惜しいのだろう。巻き込んでごめんなさい。
「専従とはいえ、執務室で過ごすって。エリーのことだ。
無茶や無理するのは火を見るより明らかだ」
私の性格と行動をよく知っているルイスの言葉は耳が痛い。
だが私も分かっている。それでストッパーを付けたのだ。
「クレーオス先生に相談したの。条件付きで許可が下りたわ」
私の言葉にルイスは激昂する。背筋がピリピリするほどの怒りだ。
「クレーオス先生が!?
エリーの侍医で、『“滅私奉公”癖抑制チーム』の顧問でいらっしゃるのに、何をお考えなんだ!?
ちょっと話してくる!!」
裏切り者は許さない、といった雰囲気で、踵を返し、ドアに向かうルイスの背中に私は呼びかける。
「ルイス、待って!条件付きなのよ!条件を聞いて!お願いします!」
ドアノブに手をかけたところで、ルイスが振り返る。青い双眸に苛立ちが見える。
気迫が執務室中に満ちて、息が苦しいほどだ。それでも譲れないものは私にもある。
「……それで、条件は?」
「『マーサの指示に従うこと』よ。
マーサに看護人としての大切な職務を教えていらしたわ」
ここで私の背後に控えていたマーサが、初めて言葉を発する。
「……ルイス様。私もクレーオス先生も、最初は反対いたしました」
「だったらなぜ!」
「エリー様、いえ、エリザベス様が仰ったのです。
絶対条件でお子様のお命を守る。睡眠時間も確保する。水分も食べ物も摂る。
何より、この状況で居室のベッドに押し込められても、気になってお眠りになれない。
今の状況では、いつでも把握できる執務室が、一番眠れる場所になるだろう、と。
そして、『私が万一のめり込んでしまった時のために』と、お目付役兼看護人で私をご指名されました。
ルイス様は誰よりもエリザベス様をご心配で、思い遣ってくださっています。
ただ“籠城戦”の件もあり、エリザベス様の側にずっとはいられません。
その名代と思い、私の命をかけて努めさせていただきます」
ルイスがマーサの言葉に息を飲んだ。
「命をかけて」なんて、マーサに言わせたくなかったが、マーサが心臓に右手を当て騎士礼を取り、ルイスをまっすぐ見つめる。
ルイスはしばし迷っている風だったが、大きく深呼吸すると、私に視線を移す。
「……俺からも条件がある。毎朝、毎晩、情報共有すること。
考えたくもないが、エリーが倒れてしまった時に、引き継ぐのは“両公爵”の一人である自分だ。俺の決裁印も必要だ。
現況で他に聞くことは?アーサーに出した指示をまとめた書類は?。
立ちっぱなしで辛かったろう。座って話を聞こう」
部屋に満ちていた気迫が減衰していく。
私は緊張が溶けていく感覚を味わいながら、応接ソファーに座る。
すると、ルイスは私の隣りに座った。
「エリー。さっきは大声を出してすまなかった。恐くなかったか?」
「ん?恐いというか、ルイスの敵になった人に同情してたわ。私とこの子を守ろうとしてのことでしょう?
頼り甲斐があるな、って思ってた」
「俺の奥さんは肝が据わってる。お母さんになったからかな。
ごめんな、大声出して。びっくりしただろう?」
ルイスが私のお腹を服の上から、愛おしそうに撫でて呼びかける。
「そういえば、赤ちゃんがお腹にいる間の名前、ルー様が決めるって言ってまだだったわ」
「ああ、迷ってたんだが、胡桃の古代帝国語、ユグランスから取って、“ユグラン”はどうだろう?
『主神の果実』だ。丈夫に育って、無事に生まれてくれそうだろう?」
「“ユグラン”、“ユグラン”……。素敵な名前だと思うわ。
“ユグラン”、お父様が素敵な名前を付けてくださったわ。
“ユグラン”」
「“ユグラン”、これから大変だろうけど、お母様とお父様と三人でがんばろう」
私とルイスが交互にお腹を優しく撫でて、ユグランに話しかけていると、書類をまとめて用意してくれたマーサが声をかけてくる。
「エリー様、お時間でございます。
書類の説明をなさる前に、水分をお取りください。お腹は空いてはいらっしゃいませんか?」
「オレンジピールティーをお願い。それとクラッカーとすもも味のキャンディを少し」
すもも味のキャンディは料理長の新作で、食べた後に舐めるとさっぱりするので気に入っていた。
「かしこまりました。ルイス様はいかがされますか?」
「俺は水でいい。エリーの前でなるべく匂いがするものは取りたくないんだ」
ルイスの言葉に補佐官達が反応するのが分かる。好みのものが飲めず、能率を落としたくない。
私が気になる時は、マスクをすればいいだけだ。
「マーサ。ルー様用のハーブティーをお願い。
ルー様。お好みのものを飲んでる時のほっとした表情が好きなの。
お仕事されて帰ってきたのに、色々驚かせてしまったでしょう」
「エリー……。なんて、優しいんだ……。本当にすまなかった。大声を出して……」
ルイスが私の肩を抱き、耳許でそっと囁く。
多少は補佐官を気にしてくれてるようで助かる。
居室なら抱きしめられてただろう。
「ルー様。今回はおあいこにしましょう。私にも悪いところはあったもの。
ほら、夫婦喧嘩は試合方式。騎士の妻の心得でもあったでしょう。明日も笑顔でお見送りするわ」
拳と拳、剣と剣を交わす試合でなくてよかった。
私が全敗確定だ。
そして、『どんな時でも笑顔で見送り、見送られること』は、騎士団経験のあるタンド公爵である伯父様の妻、伯母様から教わった、騎士の妻の心得だった。
『騎士は危険な職務であり、最後に笑顔で見送れば、愛する人も自分の笑顔を胸にしまってくれる。
後悔しないよう、その覚悟で見送ること』
ルイスにも伝えていた。とても大切なことだと思ったからだ。
「ああ、そうだった。明日もエリーの笑顔で見送ってもらえる。すっごく元気が出るんだ」
「私もよ。ルー様の『行ってくる』って、とってもかっこいいんだもの」
「え?それ、初めて聞いたよ」
「そうだったかしら。ちょっぴり恥ずかしくて言えなかったのかも」
マーサが空気になって用意してくれた、飲み物と食べ物を味わいながら、普段の会話の幸せをしみじみ噛み締めた後、気持ちを切り替え、アーサーに送った指示を説明した。
〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜〜〜*〜〜〜
タンド公爵邸——
伯父様は夜遅くにも関わらず、訪問を許してくれた。
目的の予想が付いていたためだろう。
約束通り、出発前にクレーオス先生の診察を受け、『問題はないが、決して無理はせぬこと。ルイス様に従うこと』と指示された。
エヴルー公爵家の紋章がない馬車でゆるゆると進み、伯母様が出迎え抱きしめてくださる。
「エリー、くれぐれも気をつけるのよ。神の恩寵が貴女と共にありますように」
「夜分にありがとうございます、伯母様」
「あの人は今は香水や整髪料を使ってないから、安心して。この頃はエヴルー産のヘアクリームを愛用しているのよ。うふっ」
「まあ、二重にありがたいことですわ」
執務室で待ってくれていた伯父様からは、ローズマリーとベルガモットの香りがした。
スッとする香りで嬉しい。
今は甘い香りや味が苦手だ。
執務室の皆も、「甘い、甘すぎる」とか「紅茶が甘く感じるんだが……」とか言ってたから良かった。
マーサに、塩味系の差し入れをするように頼んでおいた。
「伯父様、いえ、タンド公爵閣下。夜分の訪問、受け入れてくださり感謝します」
「エヴルー“両公爵”閣下、いや、やめようか。
エリー、楽にして座りなさい。ルイス様もどうぞ」
お辞儀をする私に、すぐにソファーを勧めてくれた。
伯父様の補佐官がオレンジピールティーと紅茶を入れ部屋を出ていく。人払いを命じてくれたようだった。
「エリー。ここに来られる体調なんだね?」
「はい、クレーオス先生の許可は得てきました。
とは言っても時間がないので、単刀直入に申し上げます。
南部の小麦に異常があると耳にしました。
皇城でも把握されていると存じます。
南部から北進しているか否か教えていただきたいのです」
「……それは、エヴルーを守るためかね」
「はい。エヴルーだけでなく、帝都周辺の穀倉地帯を守るため、帝国民を小麦の高騰と飢餓から守るためです。
収穫量が例年の3、4割に激減した上に、取れた麦の品質も悪い地域もあるというのは、皇城で確認されてますか?」
「……事実だ。南に行くほど酷い。
南部の帝室直轄地は、今季は大打撃だろう……」
二十数年前の紛争被害で、南部では絶家になった貴族家が多数あった。
帝室に爵位と領地を返納せざるを得ない家が続出し、ほとんどが直轄地となった。
マーサの実家もその内の一つだ。
領民も激減したが、時間をかけて移住者を募り、10年ほど前からは収穫量も安定し始めた。
帝室は叙爵した新興の貴族家に、徐々に領地として与えてきたというタイミングでの事態だった。
「どういう病気なんですか?開花までは順調だったが、収穫前に徐々に立ち枯れ始め、穂の実入りが少ないと聞きました」
「その通りだ。だが新しい病気かは、原因は不明だ。
農学者を現地に派遣し調査しているが、徐々に北進している……」
「北進……」「してるのか……」
私とルイスに緊張が走る。予想はしていたが、実際に事実を知らされると、愕然としてしまう。
「危険だが、『消石灰』を街道に巻き、これから開花を迎える地域には、畑に入る前には必ず作業靴で踏みしめるよう、通達は出した。
在庫があれば、『タンド液』の散布を命じている」
『消石灰』は元々、人間の伝染病を防ぐとされ、各地域に備蓄が命じられ、直轄地も当然備えている。それを用いたのだろう。
『タンド液』とは、元々はタンド公爵領で偶然発見された葡萄を病害から予防する農薬だが、他作物にも転用でき広く使用されていた。
「エヴルーにも、同じ通達を出しました。
伯父様。南部より南方の連合国ではどうか、ご存知ですか?」
連合国は帝国の紛争相手国だ。
10家の貴族家が集まった連合政府を形成し、代表を定め形式的には合議制で統治している。
ただ近年はこの代表家がモランド伯爵家、副代表はダートン伯爵家にほぼ固定され、世襲のようになっていた。
私が尋ねた理由は、帝国との紛争の原因の多くが、病害や自然災害で食糧不足に陥り、略奪目的で帝国へ侵入した過去を繰り返しているためだ。
「潜入させている“影”からは、連合国内でも被害が出ており、備蓄を徐々に放出しているそうだ」
「タンド公。連合国政府の動きは?帝国へ侵入する準備を始めているのか?」
ここでルイスが小麦から軍事へ舵を切る。
「今はまだ見られませんが、時間の問題でしょう。
小麦だけでなく、他の作物も収穫量が減ってるとの報告です。帝国南部も同様です……」
「え?他の作物も?」
「ああ、そうだ。南部でも軽度だが、果物や野菜でも実が小さかったり、落ちているらしい」
「他の作物も…………」
私はそれを聞いて、ふと思い出したことがあった。
先月『チーズの価格予測』について報告されていた書類だった。
チーズの買取人が、「南部では急に暑くなり乳牛の乳量が減り、チーズの生産量もガクンと落ちた。成熟して出荷するころには、市場価格が多少値上がりしているかもしれない」と話していた、と。
麦、他の作物、乳牛、人間——
「伯父様、ルイス……。
麦にも、夏バテ、夏痩せって、ありえますか……?」
私の突拍子もない問いかけに、二人は『何を急に言い出したんだ?』という表情で、こちらを向いた。
ご清覧、ありがとうございました。
エリザベスと周囲の今後を書き続けたい、と思った拙作です。
※扱われている麦や作物の病害については架空のものです。
誤字報告、感謝です。参考にさせていただきます。
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