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小話 4 100回記念SS ③感謝と愛情

テンプレな“真実の愛”のイジメ疑惑追求から始まった、エリザベスと周囲のお話—


※一部甘めです。

※妊娠、出産など、デリケートな描写があります。不得意な方は、閲覧には充分にご注意ください。



 ※※※※※ 『100回記念SS』の掲載について※※※※※


ご覧いただいてる皆さまへ


 ご愛読いただき、誠にありがとうございます。

 皆さまのおかげで、100回を越え、連載を続けさせていただいています。


 こちらは『100回記念SS』の3作品目で、本編の番外編です。

 『エリザベスがお腹にいる時から産まれた時の公爵(お父様)のお話』についてですが、内容については、作者にお任せとなっています。

少し長めですが、お楽しみください。


これからもよろしくお願いいたします。

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


引き続き、ゆるふわ設定。R15は保険です。矛盾はお見逃しください。



 小さな命が、私たちの元に来てくれた時、私はちっとも気づいていなかった。



1月△日

 クレーオス先生の診察が終わるまで、私は応接間で、時間を持て余していた。


 付き添っていたアンジェラの部屋から、「ラッセル公。落ち着いて診察ができませぬ」と、先生に追い出されてしまったのだ。


 しかし、心はアンジェラの元だ。


 アンジェラは元々健康そのもので、“天使効果”のトラブルで心身を弱らせたが、エヴルー伯爵領に移った後も、かなり取り戻した。

 ここラッセル公爵王都邸(タウンハウス)で過ごすようになり、滅多に風邪も引かなかった。

 ハーブティーを始めとした、生活の工夫のためだろう。


 しかし、年が明けて月半ばを過ぎたあたりから、眠気が非常に強く、だるくて身体が重く感じ、ベッドから起きるのも辛くなってしまった。


 食欲もなく、ハーブティーよりも、果実水の方がさっぱりして飲みやすいと言う。


 どうしたのだろう、何か見落としていたか、と年末年始からの記憶を辿っていると、ノック音が響いた。



「はい、どうぞ」


 私はソファーに座り、貴族的微笑みを浮かべ、クレーオス先生を迎える。


「お待たせしましたの、ラッセル公」


「いえ、それほどでも。

先生こそお忙しいところ、ありがとうございます」


 執事がハーブティーを入れて供してくれる。

 ひと口味わってから、先生はにっこり微笑んだ。



「おめでたじゃよ、ラッセル公」

「え?」



 頭の中が一瞬、真っ白になる。とはこのことか。

 アンジェラに会った時の天啓よりも、こう、頭を木槌(きづち)か何かで殴られた気分だ。


「ふむふむ。“氷の宰相”も、家庭では普通の男であったか。

アンジェラ夫人は懐妊されておる。

産み月は9月。だいたい半ばくらいかのお。

おめでとう、ラッセル公」


「……アンジェラが、子どもを……」


 私は事実を理解し、噛み締めた瞬間、頭が切り替わった。


「診断していただき、誠にありがとうございます。

クレーオス先生。妻が懐妊した夫の心構えを教えていただけますでしょうか。

アンジェラには、命を(はぐく)む重い役目があります。なるべく負担をかけたくないのです」


「ほうほう。よくできた旦那じゃのう。

祝いだ、酒だ、と、妻を差し置いて、浮かれてはしゃがぬは上々じゃで。

そうよのお……」


 そこからクレーオス先生は、妊婦についての講座を簡易にしてくださり、一度きちんとした本を読むように勧められた。


(わし)が届けてしんぜようほどに。

ただ、懐妊は百人百様。非常に個人差がある。

本はあくまでも参考に、アンジェラ夫人をよく理解し支えてあげることじゃ」


 クレーオス先生はありがたい助言を残していかれた。

 

 私はアンジェラの部屋を訪れると、ベッドから小さく手を振り、優しく微笑んでくれる。

 やはり、かなりだるそうだ。

 ベッドの脇の椅子に座ると、手をそっと握る。


「アンジェラ、ありがとう。私との子どもを宿してくれて、本当に嬉しい。

知っての通り、私は鈍い時も、考えすぎる時もある。

してほしいこと、してほしくないことは、遠慮せず、どんどん言ってほしい」


「……ありがとう、レーオ。ごめんなさい。今はとにかく眠たくて、だるくて……。

こうして、手を握って、くれてる、だけで、も、うれ、し……」


 アンジェラは私の手を握ったまま、眠りに落ちていく。

 悪阻(つわり)の一種、眠り悪阻(つわり)と言うらしい。

 食の好みも変わる。ハーブティーも懐妊中は飲めなくなるものが増えると言われた。

 注意事項はマーサに伝えてあるそうだ。


 少しやつれて、それでも美しいアンジェラの顔を眺めていると、マーサが声を掛けてきた。


「旦那様。しばらくお眠りかと存じます。

クレーオス先生から、水分だけはきちんと摂るように言われております。果実水がお好みなので、果物もお出ししてみます」


「マーサ。果物は最高級品を用意するよう、言っておいてくれ。

私にはそれくらいしかできない……」


「旦那様には、旦那様のお仕事がございます。

奥様ならお務めを果たしてほしい、とお思いでございましょう」


 確かに、私がここにいてもできることは何もない。

 

「マーサ。アンジェラを頼む。執務室にいる。

何かあったら、すぐに知らせるように」

「かしこまりました」


 私はアンジェラの額に唇を落とすと、離れがたい気持ちごと、椅子から身体を引っこ抜いた。




3月◉日

 アンジェラの悪阻(つわり)も治まりつつある。

 腹部も少しふっくらしてきた。

 私もアンジェラもよくなでて、話しかけている。

 

 悪阻(つわり)の間は、果実水以外、食べられるものがなかなか見つからず、体重が落ちた。

 一時危険になったが、偶然、私の夜食のカツレツサンドに興味を示し、冷めた揚げ物、特に野菜を揚げたものが食べられると判明した時は、ラッセル家一同、安堵した。

 調べ尽くしていたマーサなどは、嬉し泣きをしていたほどだ。


 特ににんじんを細く切って揚げたものを好み、ポリポリかじっている姿は愛らしく、『私のうさぎさん』とからかうと、にっこり微笑み、私の口に突っ込んできた。


 にんじんがあまり得意でない私への反撃だ。


 アンジェラが無邪気に悪戯できるほど回復したのが嬉しくて、思わず涙ぐみ食べていると、「そんなに嫌いだった?」と心配してきた。

 本当に清らかで愛らしい。


 やせ細っていた時、「私はダメなお母さまね」と自分を責めていた姿も思い出し、よく乗り切ってくれた、と感動もひとしおだ。


 「じゃあ、お()びにレーオの好きなホワイトアスパラガスをどうぞ」と差し出してくれた。

 懐妊しても私の妻は優しくて可愛い。

 二人で食べられることが、今は何より幸せだ。

 

 お腹の子どもに呼びかける時の名前も決めた。

 私とアンジェラを、存在だけで癒してくれるので、『癒し』を意味する古典語から『サナ』と呼ぶことにする。


 「サナ、いい名前ね」

 「サナ、無事に育つんだよ」


 私達はまだ見ぬ我が子に二人で呼びかけた。




4月◇日


「ただいま」


 仕事から帰ってきた私を出迎えたアンジェラの瞳が輝いていた。

 何かあったな、と思い問いかける前に、教えてくれる。


「おかえりなさい、レーオ。

今日ね。サナちゃんが動いたの。お腹の中で動いてくれたのよ」


 クレーオス先生から、胎動については、「そろそろじゃよ。びっくりせんようにの」と言われていた。


「レーオ。お腹の中でぽこぽこって動いたの。

ちょっと不思議な感じだったわ」


 驚きよりもご機嫌な表情だ。


「アンジェラ、それはすごい。

おめでとう、サナ。よく動いてくれたね。

お父さまは嬉しいよ」


 腹部をそっとなでながら、呼びかける。

 クレーオス先生に、「胎児はお腹にいる時も耳が聞こえているらしい」と知らされてから、特にだ。


 アンジェラは、朝起きてからしばらく続く目眩(めまい)も、今は治っているようで、エスコートをして、部屋へ連れていく。



「早速、『サナちゃん日記』に書いたのよ。

『ママは今日、サナちゃんが初めてお腹の中で動いたのが伝わってきて、とてもびっくりしたけれど、とっても嬉しかったです』って。

あなたも書く?」


「え?あ〜、つ、次にするよ」



 私はつい、尻込みしてしまう。


 『サナちゃん日記』とは、懐妊中の出来事を、子どもに伝えるように書く形式の日誌だ。


 心身の変化に気づきやすくなり、懐妊中の母親の心の安定につながる。

 また子どもが成長した後日、親の愛を知るものになる、『三つの意義があるのじゃ』とクレーオス先生から勧められた。


 この『サナちゃん日記』だけでなく、悪阻(つわり)が終わり、元気を取り戻したアンジェラは、今までになく積極的になった。

 実に、『母は強し』だ。


 仕事の関係もあり、クレーオス先生の「もう落ち着いたじゃろう」というタイミングで、アンジェラの懐妊を公表した。

 アンジェラはそのお祝いの品やお祝い状の対応も、侍女長やマーサと相談しながら行っていた。


 もちろん、“天使効果”の“心酔者”達へは、全て代筆対応で、『お祝いの品はご遠慮しますとご案内しましたので』と、私から未開封で送り返した。

 何が仕掛けられているか、わかったものではないためだ。


 そして、活発になったアンジェラは変装し、顔をヴェールなどで隠した上で、なんと王立図書館まで足を運び、妊娠・出産・子育ての本を借りて、よく読んでいる。


 その中に、「幼いころは、“赤ちゃん言葉”を優先した方が言語の発達は早い。行儀よりも優先すべきほどだ」という権威ある研究機関の論文があったのだ。


 これを元に、「レーオは自分のことを『パパ』って呼ぶことからがんばろうね」という、努力目標を設定されてしまった。


 当然、『サナちゃん日記』にも、『パパ』と書かなければならず、私には難易度が高いのだ。



「レーオ?慣れよ、慣れ。ね、お願い。

サナちゃんもパパに書いてて欲しいでちゅよね〜」


 私を見上げておねだりした後、お腹をなでながら、サナと共にさらにねだってくる。

 赤ちゃん言葉も、アンジェラが(しゃべ)ると、無邪気で本当に可愛い。


 一方、『自分が?』と考えると、やはり困難だ。

 しかし、他でもないアンジェラの頼みだ。

 まだ文章の方がマシだ、と思いペンを取る。


 『ママからサナちゃんが動いた、と聞いて、パパも驚きました。とても嬉しいよ。元気に育ってほしい』と記す。


 初めて、『パパ』という一人称を使った。

 使ってしまった。

 新しい扉を開いた気分だ。


「うん。まだ固いけど、そこがレーオらしいわ。

ね、パパ?」


 アンジェラに、『パパ』と呼びかけられ、その可愛さに思わず抱きしめる。


 赤ちゃん言葉はわからないが、お腹の子がアンジェラそっくりなら、私はメロメロになってしまう自信だけはあった。




6月□日


 アンジェラの腹部もかなり大きくなり、足元が見づらくなってきた。

 このごろは息切れもしているため、エスコートする時も、動きをゆっくりとするよう気をつける。


 特に階段は、私のいない時に限り、特別に許可して、子持ちの妻帯者の護衛騎士にエスコートを命じた。

 もちろん、万一、足をすべらせた時の対応も含めてだ。


 私の気持ちより、アンジェラと我が子の安全を取る。


 マーサにケアしてもらっているが、腹部が大きくなるに伴い、足も腰も背中も辛いらしい。

 私も一緒に眠る時は、優しくマッサージするようにした。

 少しでも気持ちよく眠ってくれたら、と思う。


 サナはとても元気で、お腹をよく蹴るようになってきた。

 あんまり元気すぎるので、クレーオス先生に相談したところ、「懐妊は百人百様。赤子も百人百様。もし胃腸が蹴られて、吐き気などを催した時は、これを飲みなされ」と処方してくれた。


 『アンジェラの胃腸を蹴るのか?』と思ったが、懐妊についての本にも記載があるし、外側を蹴るなら、内側も蹴るだろう。


 だが、アンジェラを苦しませたくないのだ。

 出産という非常に苦しむ状況を引き起こした自分が、こう思うのも矛盾している。


 一方、アンジェラは、こんな辛さの中でも、ことあるごとに『サナちゃん』と呼びかけて幸せそうだ。

 サナがお腹の中で、“しゃっくり”をした時は、「可愛い。本当に“しゃっくり”しているのね」と感動していた。


 私もようやく口に出せて、『パパ』と言えるようになった。

 陰ながらの努力が身を結んだのだ。


 夕食を共にできた後は、部屋のソファーに座り、アンジェラが図書館で気に入り、購入した絵本を、二人で読み聞かせる。

 読み終えた後、「ママとパパの声が聞こえた?お話、どうだった?」と問いかけていた。


 だが、少し声が暗い。

 このごろは一緒に眠っている時も、うなされていることもある。


「アンジェラ?心配なことがあったら、なんでも相談してほしい。アンジェラの悩みは、私の悩みでもあるんだ」


「レーオ……」


 私を見つめた後、深呼吸し、話し始める。


「バカな考えだとはわかっているの。

お母さまだって、おばあさまだって違う。

親戚にもいない。

でも、でも、もしこの子が私みたいに、“天使効果”を持って生まれてきたら、どうしようって……」


 当然の恐れで悩みだ。

 どうしてもっと早く気づかなかった、と自分が情けない。しかし、冷静な自分もいた。


「アンジェラ。クレーオス先生の言葉を覚えているかい?」

「…………」


 アンジェラは小さく震えながら、こくんと(うなず)く。


「“天使効果”は遺伝ではなく、偶然だ。

“天使効果”を持つ家系は確認されていない。

私は、この通り、事実だと思うよ。

そんな家系、聞いたこともない。“天使効果”のことも知らないくらいだったんだ」


「レーオ、でも、もしも……」


「もしもの時は、一緒に、大切に育てよう。

アンジェラの父上と母上が、アンジェラを育てたように。

いや、私はそれ以上に、大切に、上手に育てる自信があるね」


「レーオ……」


「アンジェラには申し訳ない言い方だが、いろいろ“対策”して、“練習”できているだろう?」


 私の言葉に、アンジェラは目をぱちぱちさせた後、にっこり微笑む。


「そうね。確かにレーオの言う通りだわ」


「だから、きっと大丈夫だよ。

『サナちゃんも、気にしなくていいでちゅからね。

パパとママはサナちゃんがだいちゅきで、会えるのをずっと待ってまちゅよ』

ふ〜、やっぱり恥ずかしいな」


「……照れてるレーオ、私は大好きよ」


「私はどんなアンジェラも愛してるよ」


 アンジェラの頬がぽおっと薔薇(ばら)色に染まっていく。

 私はその頬に優しく手を当て、熱を吸い取る。

 体温が高くなっている今、気持ちいいとよくやっていた。


「ありがとう、レーオ。一緒に仲良く育てましょうね」


「ああ。親子三人、仲良く暮らそう」


 私は大きなお腹を支えるため、あちこち痛むアンジェラの背中を優しく撫で始めた。




8月◯日


 帝国の天使の聖女修道院より、急ぎの使いが来たのは、8月の終わりだった。


 シスターである、マーサの母親が(やまい)に倒れたとの知らせだった。

 一命は取り止めたが、半身が動かしにくくなっているのだという。

 現在は、シスター達が交代で看病している、とのことだった。



「マーサ。一刻も早く帝国に戻りなさい。これは命令です」


 アンジェラは毅然として命令する。

 タンド公爵令嬢であり、ラッセル公爵夫人の顔だった。

 マーサは一瞬、絶望的な表情を浮かべるが、理性的に感情を抑える。


「アンジェラ様……」


「マーサの気持ちは痛いほどわかります。

私だって、マーサと離れたくはないわ。

でも、ここでマーサをお母様の元に送らなかったら、私は一生後悔すると思うの。

私の気持ちを押し付けて、ごめんなさいね」


 一転、アンジェラはマーサの気持ちに寄り添い、私も言葉を添える


「マーサ。古代帝国の(ことわざ)でも、『孝行のしたい時分(じぶん)に親はなし』とも言っている。

私もそうだ。我が子を授かって特に思う。

お母上を心ゆくまで看病し、元気になられたら、また戻ってくればいい。

アンジェラはずっと待っているよ。

もちろん、私も、このラッセル家の人間、全員だ」


「旦那様……」


「お願い、マーサ。マーサは辛い時もずっと私の側にいてくれたわ。今はお辛いお母様の側にいてあげて」


 アンジェラとマーサは静かに見つめ合う。


 エヴルーで出会い、王国に来て、ずっと離れたことのない二人には、身を引き裂かれる思いだろう。


 特に今はアンジェラは出産間近で、マーサがいなくなる不安は、とても大きいに違いない。

 それでも理性的に主人らしく振る舞っていた。


「……かしこまりました。アンジェラ様、旦那様」


「ありがとう、マーサ。帝国まで、エヴルーまで、気をつけて帰るのよ」


「はい、アンジェラ様」


「荷物をまとめる時間もあるだろう。

エヴルーまでの馬車を用意する。明日、朝一番で出発するといい」


「はい、旦那様。お心遣い、感謝します」


 マーサは私達の前から下がっていった。

 私はアンジェラを抱きしめる。


「大丈夫だよ、アンジェラ。マーサの母上はきっとよくなるだろう」


「えぇ、そうよね。きっと、そうだわ。

とても良い方なの。

娘のマーサを、私を信じて預けてくださったの……」


「病状が落ち着かれたのが、不幸中の幸いだ。

きっと少しずつ良くなられるだろう。

アンジェラも休むと良い。疲れただろう」


「ありがとう、レーオ」


 私はアンジェラが眠りに就くまで見守る。


 侍女長は早速、アンジェラ担当の侍女を部屋に寄越していた。

 私は執事長を訪ね、マーサの給料に、見舞金を足すように指示する。

 腕の良い医師に診せながら、数年は暮らせる金額だった。


 執務室にいると、マーサが訪ねてきた。

 『手当金を受け取らない』という話かと思いきや、分厚い冊子を出してきた。


「これはアンジェラ様のお世話帳でございます。

後任の専属侍女にお渡しいただけますでしょうか」


「わかった。預かろう。

だが、アンジェラは、『私の専属侍女はマーサだけだから』と、後任を立てないと思う。

その時は侍女長に預けて、侍女全員に共有してもらう。

それでもいいね?」


「旦那様……」


 アンジェラの前では、気丈に振る舞っていたのだろう。

 涙を零しつつも、ハンカチを当てて、耐えようとするのは、さすがアンジェラの専属侍女だ。


「安心して、親孝行してくると良い。

困った時は、手紙をよこしなさい。

アンジェラのためだ。どうとでもしてみせよう」


「ありがとうございます、旦那様。では、失礼します」


 マーサは分厚い手紙をアンジェラに残すと、翌朝早くに、エヴルーを目指し去っていった。




9月◎日


 陣痛が始まってから、半日以上が経過した。


 潮の満ち引きのように、苦しむ声が聞こえてきていたが、今はずっと続いている。


 両手を組み、神に祈る。


 どうか、どうか、アンジェラも我が子も無事でありますように。


 何百回、何千回、祈っただろうか。


 子どもの泣き声が聞こえてきた。


 産室とした部屋の前に駆けつけ、待ち構えていると、クレーオス先生の助手が現れ、小声で(ささや)く。


「女の子のご誕生です。おめでとうございます。

奥様の後産の処置もまだですので、呼びに行くまでお待ちいただけますか?」


「アンジェラには、妻には、会えませんか?」


「医療行為中です。ご遠慮ください。

お子様は処置がすみ次第、待機室にお連れします。

では」


 私の前で扉が閉まる。

 クレーオス先生がついてる。大丈夫だ。

 それに確かに出産の後は、さまざまな処置があると、くださった本にも書いてあった。

 信じて待とう。


 そう心に決めて、待機室に戻る。

 まもなく、白いレースのおくるみに包まれた赤ん坊を、侍女が抱いてきた。


「旦那様。お嬢様でございます」


 本当に小さくて、可愛くて、天使のようだ。

 頬にそっと触れたが、柔らか過ぎて、壊してしまいそうだ。

 小さな指に触れると、ぎゅっと握ってくれた。

 愛おしさが込み上げ、(あふ)れてくる。

 子育て経験のある侍女は、抱き方を教えてくれ、私は生命の重さを胸に(いだ)く。


「初めまして、サナ。やっと会えたね。パパだよ」


 本当に何もかも小さなアンジェラだ。

 目鼻立ちはそっくりだった。

 ただ、髪と瞳の色は、私譲りの金と緑だ。

 私とアンジェラ、二人の子どもだ、と実感する。


「旦那様。そろそろ、お嬢様もお休みに……」


「ああ、そうだな。サナが可愛すぎて、つい夢中になってしまった。

アンジェラはまだだろうか」


「処置が終わりましたら、お呼びする、とのことでした」



 そこから1時間後—

 産室に呼ばれた私は、部屋の隅で、医術着を赤く染めたクレーオス先生と相対していた。



「アンジェラ殿は無事じゃよ。

出血もやっと止まった。出血量が普通よりもかなり多く、疲労困憊されておる。

ただ(わし)も今夜はついておる。安心なされ」


「先生、まだ会えませんか?」


「長くは無理じゃ。数分なら許可する」


「ありがとうございます」


 私はベッドに横たわる、白い顔のアンジェラの側に座る。


「レーオ……」


「アンジェラ、お疲れ様。よくがんばったね。

本当に無事でよかった。

サナを産んでくれて、ありがとう。

愛してるよ、アンジェラ」


 私はアンジェラの手を握り、(いた)わりと感謝と愛情が、深く深く伝わるように祈る。


「あの子に会ってくれた?」


「ああ。アンジェラそっくりで、本当に可愛かったよ」


「瞳と髪は、あなた色なの。とっても綺麗だった」


「名前はアンジェラが選んでほしい。こんな苦しみを乗り越えて産んでくれたんだ」


 子どもの名前は、男女どちらとも用意していた。

 あれだけ苦しんで、命懸けで産んでくれたアンジェラに決めて欲しかった。


「……そうね。エリザベスにしましょう。

幸せな方だったんでしょう?」


「ああ。ラッセル公爵家の中興の祖と言われてる。

夫とも仲睦まじく、子どももたくさんいて、領地も発展させてたんだ」


「そう。やっぱりエリザベスね。

エリー。エリーって呼んであげたい」


「これからいくらでも呼べるよ。今はおやすみ」


「あなた。お願いがあるの。子守歌を歌ってくれる?

とてもよく眠れそう」


 恥ずかしいが、今はアンジェラのために何でもしたかった。


「わかったよ。愛してる。アンジェラ……」


 私は小声で、アンジェラに教えてもらった子守歌を静かに唄う。

 三番まで歌ったくらいで、寝息が聞こえてきた。

 手をゆっくり外し、布団をかけ直す。



「エリザベス、エリザベス・ラッセル。

とてもいい名だ。

ありがとう、アンジェラ。愛してるよ」



 私は微笑みを浮かべて眠るアンジェラのほつれた銀髪を整えながら、感謝と愛情を捧げた。


ご清覧、ありがとうございました。

エリザベスと周囲の今後を書き続けたい、と思った拙作の番外編です。


『100回記念SS』の3作品目としてとして、書かせていただきました。

お楽しみいただけたなら、幸いです。

ご応募いただいた方も、読んでくださった方も、本当にありがとうございました。


誤字報告、感謝です。参考にさせていただきます。

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悪役令嬢エリザベスの幸せ
― 新着の感想 ―
[良い点] 100回記念SSの①からお話が続いていて、エリザベスのご両親の連鎖を読んでいるような気持ちになりました。 幸せ溢れるご両親のお話をありがとうございます。 [一言] お話のリクエストをさせて…
[一言] 毎日お話の続きを楽しみにしながら読ませていただいています 今回のお話を読んで自分が息子たちを授かったときのことを思い出し、懐かしさと今は立派に成長してくれた息子たちに感謝の気持ちでいっぱいに…
[良い点]  ご返信&ご更新くださりいつも有り難く♢  またep.111ぞろ目が理由もなく嬉しいです〜 [気になる点]  お母様がお父様に教えたという子守唄。  モーツァルト(フリース)の子守唄がポン…
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