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スカンジナヴィアの醜聞

 ポームズの女性の好みは不明だけれど、もしやと思った出来事がある。あれは一八八八年のことだった。私は往診からの帰り道、久しぶりにベーカー街の彼の部屋を訪れた。


「いいところに来たねワトソソ君!これから依頼人が来るんだよ」

 やがて部屋に大変立派な身なりの男が現れた。

「スカンジナヴィア国王様、お待ちしておりました」

「うむ、ところでこの件は大事ゆえ、貴君と二人だけで話す方が好ましいのだが?」

 私は立って出てゆこうとした。

「この人は思慮と信義を備えた紳士です」

「それでは、まず二年間は絶対に秘密を守ると誓約してもらいたい。いまのところはヨーロッパの歴史を動かすほどの問題といっても過言ではないのだ」

「お約束いたします」

「今回の件だが、余は今から五年前アイリーン・アドラーという女と知り合った。君も知っているであろう?」

「ワトソソ君、索引を調べてくれないかい?」

 索引をくると彼女の経歴はすぐに見つかった。

「どれ、見せてくれ。———歌手であり、役者としても活躍している、目下ロンドン在住。そうしますと陛下、この女と煩わしい関係をお持ちになりまして、問題を起こしそうな手紙か何かお与えになりましたか?」

「二人で撮った写真を遣わしてしまった」

「••••••やってしまわれましたね陛下。いささかご軽率だったと存じます」

「当時はまだ皇太子で、若気の至りだったのだ」

「それは何としてもとりもどしなさらなければ」

「手は尽くしたがだめだった。人を雇って家中を探させたり、路上で本人を調べさせても出てこなかった」

「お写真はキャビネ型でございますか?」

「そうだ」

「して彼女はそのお写真で何をしようというのですか?」

「余はこの度結婚することになった。先方はボヘミアの王女、あの王室は家憲に厳しく、余の行状に一点のくもりでもあればこの話もそれまでとなるであろう。

 そこであの女は先方へあの写真を送ると脅迫いたしおる。余が他の女と結婚すると知れば、どんなことをしてもうちこわさずにおかぬ、あの女ならやりかねんのだ。婚約が正式に発表される今度の月曜日に送り届けるといいおる」

「ではまだ三日間の余裕がございます。陛下には、当分ロンドンにご滞在でございましょうね?」

「そのつもりでおる。ランガムホテルへ訪ねて来られるがよい」

 それから当座の費用をもらってアイリーンの住所を聞いて、参考に彼女の写真を預かり陛下とわかれた。

「なるほどこれなら男が生命も投げだしかねない美しさだ。ワトソソ君、明日三時に来てこの問題を話し合おう」


 翌日ベーカー街を訪れると、ポームズはまだ帰っていなかった。四時頃に、ドアが開いて馬丁風の男が入って来たが、よく見るとポームズだった。

「今朝からどんなことがあったかよもや分かるまいね。僕は朝八時に失業した馬丁という設定で家を出た。アイリーンの家はすぐわかったが、近くに営業中の厩舎があったから仕事を手伝ってきた。お礼に彼女のことをすっかり聞き出してきた。女と生まれてこの世に二人とはない美人だと、連中は口をそろえて言っている。

 訪ねてくる者としては男客が一人あるだけ、それも毎日らしい。ゴドフリー・ノートンという弁護士でイナー・テンプルに住んでいる。この二人はどういう関係なのだろう?弁護士と依頼人という関係なら写真はおそらくこの男に保管を託してあるだろう。愛情関係ならまずその心配はない。どっちだろうと悩んでいるところに思いがけないことがおきた。色々あって二人は結婚式をあげたんだが、その際僕は証人にさせられたよ」

「そいつは意外なことになったものだ」

「ここで今後の作戦だが、まず問題は写真はどこにあるかだ。女性というものはとかく自分だけで隠しだてをしたがる。自分の手元へ保管していてこそ安心もする。それに二、三日中に彼女はそれを使うつもりなのだ。だから見つからなかったがやはり家にあると考えてよいと思う。そこで僕は火事を起こして彼女自身の手によって在処を教えてもらおうかと思ったが、ここはもう一つの方法でいこうと思う」


 私たちはランガムホテルを訪れた。ポームズは陛下と打ち合わせを行い、それから陛下のお供で我々はノートンを訪ね、事情を説明した。

「すると陛下、この度は私にアイリーンから手を引けというお話でしょうか?」

「いやそうではない。これから一緒に来てもらいたい」

 今度は全員でアイリーンの家を訪れ、居間で一堂に会した。

「アイリーン、陛下とお付き合いをしていたというのは本当かい?」

「そんな事実はありません」

「アイリーンよ、二人でとったあの写真のことだが」

「そんな写真はございません」

 彼女はあくまで証拠がないことに知らぬ存ぜずで通すつもりだ。

「君は聡明な女だ。よく聞いてほしい。余はあの写真をとりもどしに来たのではないのだ。この場で破り捨ててほしい」

「••••••」

 これに彼女は動揺したようだった。

「そしてそれをもって過去のことは清算し、お互いに新しい道へ再出発しようではないか。君たちが相思相愛であるならば、余に未練が無いならば、それができるであろう」

 居間に長い沈黙が流れた。彼女は唇をきゅっと結んでいたが、やがて決心した。右手のベルのひものすぐ上の羽目板を動かし、その奥から写真をとり出した。そして私たちの前でビリビリに引き裂いた。

「君ならわかってくれると信じていたよ」


「あの女はあのまま知らぬ存ぜずでも通せたのだ。だが彼女はそれをしなかった」

 ポームズは今回の件の記念に彼女の写真を陛下から授かった。彼が事件の記念品を保管することはしばしばあったが、女の写真を保管するというのは私の知る限り記憶に無い。彼は記念だと言っていたが、本当に記念のつもりなのか、あるいは他の感情があるのかは本人にしかわからない。


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