5話・君を守りたい
「うるさい! この馬鹿せーる!!」
急に幼少時の人格がぶり返したみたいに、綾羽ちゃんが叫んだ。
この年で子供じみた振る舞いをやられるのも、これはこれでまたいい。
「ち、違うの。これは、その、現実に過去が浸食してきたというか、古い怒りと新しい怒りの融合というか、あの、だから……」
慌てて弁明したいのだろうが、自分自身に動揺してうまい答えができないらしい。
綾羽ちゃんは頬を紅潮させて両手をパタパタと顔の前で振るばかりだ。
(つい思い出に誘発されて大声を出してしまって、私としたことが、いやそれより、か、可愛いって、そんなのきっと聞き間違いよね。そうよ、そうに違いない。怒鳴られて喜ぶ人がいるはずない。でもそういえば、世の中には女性に罵られることを『ご褒美』と受け取る男性もいるって弓小路さんが楽しそうに教えてくれたことが、だけど、せーる君はむしろ逆のタイプだろうし、ならやっぱり聞き間違い? 何だかもうわかんないよぉ)
(これこれ、この情緒不安定な愛らしさが綾羽ちゃんの良さなんだよね。なにを考えてるのかまではわからないけど、混乱してるのはわかるよ。頭の沸騰が落ち着くまで待ってあげるね)
「もしかして……そんなにからかわれたのが頭に来たの? もっとこう、ひんやりとした皮肉で返してくると思ったんだけどね」
「だ、黙りなさい。嫌味な男がピーマンより嫌いなだけです」
「ピーマン苦手なんだ」
うぐっ、という呻きが、彼女の結ばれた唇の端から漏れた。
「そんな下らない事よりとにかく…!」
余計な隙を与えてしまったことに苛立ったのか、綾羽ちゃんが声を荒げ、強引に話を切り上げようとする。
「なぜ、この洋館にいたんですか? 目的は? 先に釘を刺しておきますが、私の父様からの依頼とか言う冗談は聞き飽きたから丁重にお断りさせていただきますね」
もう一回くらい言いたかったけど見抜かれたか。残念。
なら素直に答えるとしよう。
「心配だったから」
「は?」
「二人も護衛がいたら大丈夫かと思ったんだけど、つい心配になってさ。こっそり忍び込んで様子を見てたんだ。でも、まさか護衛どころか、足手まといにしかならなかったとはね。とんだハリボテだったよ、あの二人は」
「待って、話が見えない。なぜあなたが私の心配をするんですか。十年近くも姿を見せなかったのに、こんな唐突に……」
「そうだね。疑問に思うのも無理はないか。十年ぶりだもんね。それまで再会することもなく過ごしていたわけだから、唐突だと思うのも頷けるよ」
とまどう彼女。
僕は肩をすくめてみせてから話を続けた。
「実はちょっと前にさ、君のことを偶然見かけてね。それからずっと、陰からこっそり見守っていたんだ。できるだけバレないように」
「いえ、私が聞いているのは行動ではなく理由です。なぜ私を、ま、守るって、その、意図がどうしても分かりません」
意図はまあ、あれだよね。
久しぶりに再会した女の子。
その性格が、傍目に見てもわかるくらい、無理やりキンキンに冷えきっていた。
そういうのも悪くないけど、今後を鑑みるとモンスター抹殺しか能のない暴力装置になる可能性が高い。
昔の屈託ない笑顔や、歯に衣着せぬお喋りとかを、大きくなった今の姿で見たい。
なので適切な男をあてがい、君の心の氷壁を優しさのハンマーで割らせて、さらけ出された素顔を思う存分眺めて、僕はご満悦。
君はありのままの自分を取り戻して、グッドエンド。
──とは絶対に言えない。
大失態をやらかしたマヌケ二名の代わりに僕がそのハンマーを持って『どっから壊したら正解なのかわかんねえ』と迷ってる今となっては、なおさらだ。
もはや女の子を口説くというより、厄介な物件を前にした解体屋である。
なので、過去のほほえましい出来事という爆弾で一気に押し切る。
「君を再び見たあの夜、全てを思い出したんだ。天宮の霊地に迷い込んだ僕が、君と出会い過ごした、あの忘れられない楽しかった一時を」
そこで言葉を切って、彼女の返事を待つ。様子見だ。
可愛い反応来い。
しかし、返ってくるのは、沈黙のみ。
まだ沈黙。
「………………………………そう、なの」
ようやく聞こえてきたのは、液体窒素を絞り出したような声。
聞くだけで凍り付いても不思議ではない、恐ろしく底冷えのする声。
女性と付き合ったことのない僕でも、猛烈に嫌な予感がする、そんな声。
なんで? なぜ?
地雷踏んだ?
そんなはずがない。
幼少の出会いを語ってキレられるわけがない。
「忘れられない『楽しかった』一時、ね。ええそうね。あなたは、楽しんでいましたね。身の程知らずの私をオモチャにして本当に楽しかったでしょうね」
あっ。
「自信のわりに実力が見合ってない、弱くて、大したことない私がヘマをやらかして、敵に後れをとったらかわいそう…………だからとっても強い僕が守ってあげなきゃ、ということなんでしょう? そのお心遣い、実ににくいですね。ええ、実に憎々しい」
あっあっ。
綾羽ちゃんの口元から、石と石を強引にこすり合わせたような耳障りな音が、僕の耳に届いた。
これまずい。自爆した。
首を左右に振って本気で否定するが、綾羽ちゃんはろくに見てもくれない。
それどころか『うるせえこれが私の返答だ』とばかりに、右手に持つ霊刀を前後左右にブンブンと音を立てて乱暴に振りだした。
どうしよう。
やらかした。
この状況の結果いかんでは、僕たちの関係がこじれにこじれて、ハンマー使う機会どころか所有権すら永遠になくなるかもしれない。
希望はないのか。