6でも、やっぱり愛してる
質的研究と量的研究をご存知ですか。自分から切り出しておいてなんですが私はそんなに詳しくないです。めちゃくちゃ適当に説明すると、質的研究とは研究対象そのものを徹底的に研究し分析する。そして量的研究は実験を行い仮説を数字で表せるようにするための研究です。
例えば、なぜか突然時計が読めなくなるという病気が流行ったとして(そんな病気は多分ありません)、時計が読めないうちの一人を徹底的に質問攻めにしたりして調べ上げることが質的研究で、その結果に基づいてなぜ時計が読めなくなったのか仮説を立て、その仮説を立証するため、同じ症状を抱える人を大勢集め実験を行うことが、量的研究です。
量的研究である実験では、影響を与えていると思われる要因を変化させ、その結果、実験の参加者にどのような変化が起こるかを観察、測定します。例えば、体温が時計を読めるかどうかに影響を与えているかどうか調べようと思ったら、体温を意図的に変化させ、それによって時計が読めるようになるかならないかを調べます。
研究者が操作する要因(上記の例で言うと体温)を独立変数と呼び、研究者が観察、測定する実験参加者の変化(時計が読めるか否か)を従属変数と呼びます。
勘のいい方ならもうお分かりでしょう(私はこの『勘のいい方ならもうお分かりでしょう』という前置きをされて、分かった試しがありません。なのでこの前置きをされるとちょっとイラッとします。どうですか、イラッとしましたか)。
前回私は、芸術は自分を知るためのものと仮定しました。
芸術作品を鑑賞することで人の心がどう変化するかを知りたい場合、芸術作品は独立変数、芸術作品による影響を従属変数ととらえることができます。
映画であれば、映画作品そのものが独立変数であり、鑑賞者の受ける影響が従属変数です。
この場合、知りたいのは映画作品から受けた影響です。映画を見ているときの気温、湿度、映画作品に対する各々のモチベーションや知識の差によって生まれる心の変化は、映画の影響ではないので余計なものです。この余計なものを、剰余変数と言います。
勘のいい方ならもうお分かりでしょう(しつこい)。
映画館とは、剰余変数による影響が限りなく少ない施設ではないでしょうか。
考えてみたんですよ。映画館以上に剰余変数のコントロールが行き届いた、芸術鑑賞の場とは果たして存在するのかどうか。
もちろん映画館によって設備は違うし、ポップコーンを食べたり途中で席を立ったりという変化はあるでしょうが、例えばバレエとか、オーケストラとかを観ながらポップコーンは絶対に食べられませんが、でもこれらは毎公演毎公演同じものは提供できないでしょう。演者自体が異なる場合もあります。独立変数自体が違うんです。比較にもなりません(バレエやオーケストラを非難しているわけではありません。あくまで鑑賞条件を一定にしたい場合はどうか、という話です)。
美術作品を観る場合でも、映画館ほど均一に鑑賞者の視界に届けられるかどうか。数に限りがあるし、展示方法にはある程度の美術館の個性が現れるので、どうしても同じ条件で鑑賞することは難しいのでは。
映画館は量的研究に向いた施設だと言えます。そして映画とは、前回散々言いましたが、限られた知識人に向けられたものではなく大衆に向けられた大衆芸術。量的研究にもってこいだね。だから映画は、量的研究に向いた映画館という施設で観てこそ輝く✧*。
つまり私がこれまでの投稿でグダグダ述べていた芸術の必要性、解釈の方法の違い、環境の平等さの重要性などを踏まえて考えると、映画館って最高じゃん、てことになるんです。唯一無二じゃん、て。
さらに私は気づきました。ここまで理屈をこねてまで映画館に行く意味を探そうとしている私は、これらの理由がなくてもまた映画館に行くでしょう。
ええ、ここまでつき合わせておいてよくそんなことが言えるな、とお思いでしょうとも。
どうですか時間を無駄にした気分は。映画館に行っていた方がもっと有意義な時間を過ごせたかもしれませんね。
以上、考察終わり。
おまけ
やっと解放されると思ったそこのあなた。おまけがあるんだぜ。
映画館の必要性を考えているときに、映画館でしかできないことは何だろうかとずっと考えていたんです。映画館でなければ観られない映画とは何だろうかと。
例えば映画祭とかで限定上映される映画とかは、確かに映画館でしか観られないレアな作品もあるんですが、そういうのは都会人の戯れみたいなもので、田舎者ははなから期待できない貴族の遊びなんですよ。
未体験ゾーンの映画たちとか、イタリア映画祭とか。それを観るためには片道の交通費のほうがチケットより高いみたいな。面白いかどうかも分からないマイナー映画のために遠出するのはめんどくさいし。未体験ゾーンの映画たちはストリーミングもあるし。遊びに行くついでとかならまだしもわざわざ映画のために新幹線乗りませんよって。
どうしよう、私は映画館の存在意義を証明できないかもしれない、と思いながら近所の映画館に『14歳の栞』という映画を観に行ったんです。映画館でしかできないことってなんだろう、思いつかない、困った困ったと思いながら、帰りの電車の中で、「これやん」と気づいたんです。『14歳の栞』じゃん、と。
この『14歳の栞』という映画は実在する中学生二年生たちの、三学期に密着したドキュメンタリー映画です。実在する人物に密着しているので、彼らの今後の人生に悪影響がないよう、出演者が18歳になるまで映画を公開しない、DVD/Blu-rayの販売や、ストリーミングサービスでの配信を行わないなどの配慮をしています。またSNS等に誹謗中傷を投稿することを控えてほしいという内容のプリントが、入場者に配られます。
これはまさに映画館の利点を活かしまくった作品だな、と思ったんです。例えばこの作品がテレビで放送されていたら、いくらテロップで注意を促してもスマホで一部分だけ撮影してネットにアップすることは容易いです。が、映画館は家ほど気軽に映像を盗めませんし、泥棒すな、電源を切れと映画を観る前に散々言われるわけですし。しかもわざわざ誹謗中傷のために金払って映画館まで足を運ばんでしょと。自宅で鑑賞するのとは気軽さが違いますから。
映画館の不自由さを逆手に取った素晴らしい作品じゃないか!と思ったんですけど今公式サイト見たら映画館じゃなくても上映可能だそうです。今までの時間何だったの?さんざん盛り上がって語っておいて恥ずかしいですね。だから友だちいないのかな。でもまぁ素晴らしい作品だったことに変わりありませんから。よしとしましょう。
最後までお付き合い下さりありがとうございました(_ _)




