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4どうして忘れさせてくれないの?

舞台のスタッフだったことがあるんです。それで、とあるパフォーマンス集団の公演を手伝っていたとき、公演前にスタッフに向けて、本番と全く同じパフォーマンスをプレゼントします、という何とも粋なサプライズがあったんです。彼らは言いました。写真もビデオも自由に撮って構わないが、出来れば自分たちのパフォーマンスはレンズを通さず、自分の目で見てほしい。人間の目で見るものは、絶対にカメラのレンズでは再現することが出来ない。だからこの瞬間をその目に焼き付けてほしいと。


ここまで言われて「いや、我は何が何でもスマホ越しに観る」となるほど強い意志も無かったので普通に肉眼で観て普通に感動したんです私は。


人間の目で見るものを技術で再現することはできない、という話を、私はこの舞台とは全く縁のない、何か舞台芸術の研究をしている教授的な人にも言われたことがあるんですよ。舞台芸術の基本的な考え方なんですかね。


まぁそれがそうだとして、だとしたら、映画って何なのか。何でわざわざレンズ越しに表現しようとするのか?映画とは、私の持論では、舞台芸術が枝分かれしたものです。両者の違いって結局、レンズを通して表現しているか否かだと思うんですが、なぜ映画はレンズを通して表現しようと思ったのか。


映画ってどんどん現実に近づいていってますね。サイレントからトーキーへ、白黒からカラーへ、3D、IMAX、4DX、VR。

アニメ映画も、もうほぼほぼ実写やん、というところまでいってますやん。『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』観に行ったんですけどね。度肝抜かされましたよ。もう実写よ。


あたかもその場にいるかのような、というのが目指すべきところだとして、なぜそれが映画でなければならないのか?


かつて映画が白黒からカラーへと移行した時代、少なからず批判があったそうです。現実とは違う、白黒という表現だから映画を通して非日常を感じられたのに、カラーにしてしまったら現実と変わらない。特別感が無くなってしまうと。


ここが映画というものの分岐点かなと個人的に思います。現実に近づくか、非現実を極めるか、ここで人類は前者を選んだわけですよね。でも人間の目で見るものは技術で表現できない。じゃあ映画のアイデンティティって何なのか?現実の再現ではない。それは肉眼で見るものに敵わない。なのになぜ映画は現実に近づこうとしているのか。


私はこのエッセイの冒頭で、映画館に行く意味を見いだせない理由をこう書きました。


映画というものは、田舎の住人は遠出しなければならない場所で、時間に制約がある場所で、基本的に最新作しか上映しない場所で、そして高い。数か月待てば高くても500円くらいで好きなときに好きな場所で何度でも観られるし、中身は絶対に変わらないものを、わざわざ1900円払って映画館で観なければならない理由はそう多くはありません、と。


もしかして、これこそが映画館で映画を観るべき理由ではないかという可能性が見えてきたんですがいかがですか。


要するに、現実を表現しようと思ったときに、それを何度も何度も、大勢に向けて同じエネルギーでもって、提供できますか?映画館なら、それができます、ってことです。


前の投稿で舞台演劇の座席の不平等さについて書きました。劇場の最前席と二階、三階席から見る景色は違いすぎるけど、映画館なら一階席の最前列でも二階席の最後列でも舞台ほどの差は生まれません。昔は最前列は首が痛くなるなんて話もありましたが、最近の映画館は座席もいい感じのやつだし、絶対見えるし聞こえるし。受け取るエネルギーの差、つまり座席によって居眠りしてしまうほど疲れたりするなんて違いは、映画館では生まれない、多分(適当)。


値段だって1900円払わなければなりませんが、1900円以上は払わなくていいんですよ。プレミアムシートやらIMAXやらを選択するといくらか高くなりますが、妥協して安い席のチケットを買わなければならないことと、特別感を求めて高いチケットを買うことは違うじゃないですか。最低価格で標準レベルの席を確保できることが保証されている、それが映画館。


こだわりの投影技術、こだわりの音響、こだわりのシート、老若男女、外国人だろうが前科持ちだろうが宇宙人だろうが1900円で必ず同じ体験を得られるんです。ストリーミングだとこうはいかない。まず同じ条件を備えた機器を揃えられるか否かで差が出てきてしまいます。


さらに時間の制約は時間の自由でもあり、上映時間中は絶対に映画を鑑賞できると約束されています。美術館で絵を観ていたらせっかちな友人に早く先に行こうと促されるかもしれませんが、映画が始まって十分足らずでもう出ようと促すせっかちな友人はそういないでしょう。いたら付き合いを考え直したほうがいいです。


映画館で映画を観る。これほどまでに平等な芸術体験が他にあるでしょうか。同じ時間、同じ場所で、同じ金額で同じクオリティーの映写機を使い同じ画質と同じ音響で同じ内容の映画を観る。


金額はサービスデーによって変わるでしょうが違いなんてあってないようなものです。映画館ってやたらと色んなサービスデーを設定しているので割引の恩恵に預かれない属性の人は地球人ならいないんじゃないでしょうか。


では、平等であることの価値とは?

どっかの金持ちが金に物を言わせ映画館顔負けの設備を備えたホームシアターを作ったとして、それに勝る映画館の価値とは、一体何なのでしょうか。

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