1もう会わないって言ったじゃん
映画が好きです。
媒体にこだわりはありません。レンタル、配信サービス、映画館、どれでも楽しめます。画質や音質にうるさくもありません。
落ち込んだときには映画を観ます。気分が乗っているときにも映画を観ます。気に入った映画なら何度も観ます。
だから必然的に、映画館に足を運ぶ理由がなくなります。映画館というものは、田舎の住人は遠出しなければならない場所で、時間に制約がある場所で、基本的に最新作しか上映しない場所で、そして高い。数か月待てば高くても500円くらいで好きなときに好きな場所で何度でも観られるし、中身は絶対に変わらないものを、わざわざ1900円払って映画館で観なければならない理由はそう多くはありません。
去年の夏、『ファーザー』という映画を観に行きました。オリヴィア・コールマンが好きなので、彼女の演技は絶対に映画館の巨大スクリーンで観たいと思って、公開日を今か今かと待ちわびて、ようやく観に行くことができました。
まぁとにかく、素晴らしい映画でした。これは映画館で観て正解だったと思えるくらいの傑作でした。
ただ一つ、残念なことがありました。
未見の方もいらっしゃると思うのでネタバレは避けますが、この映画は何というか、緊張感がしんしんと降り積もるような映画で、最後の方はもう、私は緊張感でいっぱいになっていました。
で、映画の最後の最後。なぜか劇場のどこかから音がする。テレビ番組とか、Youtubeを彷彿とさせるような音です。映画内の演出ではありません。どうやら誰かがスマホで動画を見ているようなのです。
音は数分間にわたって流れ続けました。戸惑っていても映画は待ってくれません。だけど私は映画の内容に対しての衝撃よりも、映画館で音を流して動画を見るという行動に対する衝撃に打ちのめされていました。
もちろん、スマホから流れる音ごときで映画の音がかき消されることはないし、字幕だったので内容が理解できないこともなかったんですが、何というか、ひったくりに遭ったような、そんな気分になりました。ここがこの映画の集大成、というタイミングで、「え、なぜ今ここで、そんなことをする必要が?」という戸惑いを感じている間に、映画が終わってしまったんです。
大げさだと思われるかもしれませんが、私は一生に一度しか体験できない感動を台無しにされたような気がして、泣きながら映画館を出ました。また観ればいいじゃん、という意見もあるかもしれませんが(観ましたが)、初見の感動は初見でしか味わえません。特に、この『ファーザー』という映画はそうです。鑑賞なさった方は理解してくださるはずです。してくださらないかもしれませんけども。
友人知人たちはオリヴィア・コールマンどころかアンソニー・ホプキンスが誰かも知らないし、彼が二度目のアカデミー賞主演男優賞に輝いたことを説明するにはまず、アカデミー賞とはどういうものなのかというところから説明しなければならないくらいなので、この悲しみを誰とも共有できませんでした。まぁとにかく、私はこの損失を何かで埋め合わせなければと思って、その日、シュークリームを買って帰りました(おいしかった)。
あらためて考えてみれば、映画館でのこういう体験は珍しくありません。さすがにスマホで動画を見る人には初めて遭遇しましたが、上映中にスマホを見たり、後ろの座席の人が椅子をがんがん蹴ってきたり、というのはよくあることのように思います。
これはもう防ぎようのないことです。だいぶ前に日本に上陸したヒアリのようなものです。彼らにも言い分はあるでしょう。ポップコーンを食べる音やトイレに立つ人は邪魔じゃないの、とか。
ただ私は、その行動が良いことか悪いことかというのはどうでもよくて、その行動によって映画体験が損なわれたことに怒っているんです。
映画に感動している最中に、目の端にスマホの明かりが爛々と光り始めたときに、「あー、あの人はこの映画、つまらないと思ったんだな」と感じた瞬間、夢中になっている自分の方がおかしいのではと思えてきたりして、ちょっと白けてしまったり。
修行が足りないのかもしれませんが、別に何が何でも映画館で映画を観たいわけじゃないし。他人は変えられないから自分が変わるしかないとはよく聞く言葉。誰にも邪魔されたくなければ、テレビやスマホやタブレットで、ヘッドホンでもつけて、周囲をシャットダウンして映画を観ればいい。もし、映画館の大スクリーンと迫力の音響か、誰にも邪魔されずにこの映画を初見の状態で観られることか、どちらかを選べと言われたら私は誰にも邪魔されない方を選びます。
だから、『ファーザー』を観た後に思ったわけです。映画館に行く意味ってあるの?と。