不惑になっても独り身ですが、年下男子の魔法の笑顔に癒されています。
小さくて安い借家が立ち並ぶ、夕方の裏通り。
私が仕事から帰ってくると、家の前で妹が近所の子ども達と遊んでいた。
きゃあきゃあと騒ぐ妹のティーファとその友人たち。そしてそれを見守りながら一緒に遊んでくれている、ダレルの姿。
この辺りは、誰もが助け合いをしながら生きている。
私も周りに助けてもらわなければ、十歳の妹を置いて仕事に行くことは叶わなかっただろう。
「あ、お姉ちゃん、おかえりー!!」
ティーファが私の姿を見て駆け寄ってきた。
「ただいま、ティーファ」
ティーファは私を見上げて嬉しそうにふふっと笑顔を向けてくれた。
こんな顔を見せられると、疲れも吹っ飛んじゃうわね。ああ、かわいい。
「おかえり、ウェンディ」
「ただいま。ダレル、今日もありがとうね」
そういうと、ダレルもにっこりと笑ってくれて、私も微笑み返した。
この笑顔を見ると幸福感? のようなものが溢れてくるのよね。ティーファもすぐ笑顔になるし、私はダレルの笑顔を密かに『魔法の笑顔』って呼んでる。
それにしても、ダレルも大きくなったわねぇ。今は十八歳で、士官学校も卒業だものね。
彼にはよくティーファの面倒を見てもらって、本当にお世話になった。
私のお母さんは、ティーファを産んだあと、予後が悪くて亡くなっている。私が二十歳の時だ。
だから私がティーファの母親代わりとなって育てて、お父さんは必死になって働いてくれた。そして無理がたたって過労で倒れて、今は寝たきりになってしまったけれど。
ダレルは小さな頃からしっかりした男の子で、ティーファの面倒を買って出てくれ、遊ばせてくれた。どれだけ助かったことか、感謝しても仕切れない。
でも、それもおしまいね。ティーファも随分と大きくなって他に友達もできたようだし、ダレルはこの春から騎士団に入団する。帰りは私と同じくらいの時間になるに違いないもの。
「ダレル、今まで本当にありがとうね。あなたがいてくれて助かったわ」
私がそうお礼を言うと、隣で聞いていたティーファが不意に泣きそうな顔になってしまった。
「え! ダレルお兄ちゃん、もう私たちと一緒に遊べないの!?」
うーん、ティーファはダレルが大好きだもんね。そうなるわよね。
「いや、俺は来るつもりでいるけど……一体なに、ウェンディ」
「いえ、これからはダレルも忙しくなると思って……ティーファももう大きくなったし、無理しないで大丈夫って意味なのよ」
私の言い方が悪かったと思って言い直すと、二人は息ピッタリに空気を吐き出した。
「良かったー、ダレルお兄ちゃんと会えなくなるのかと思っちゃった!」
「ははっ、俺もだよ、ティーファ!」
「ダレルお兄ちゃん、ずっとそばにいてね!」
「わかってるよ」
ティーファとダレルはとっても仲良しだ。十歳と十八歳で少し年は離れているけど、もしかしたら二人は将来結婚しちゃうかもしれないわね。
そんな想像をしたら、ふふっと笑えてしまった。
「ウェンディ、嬉しそうだね。なんかあった?」
「ふふ、そうね。ヒミツよ」
私がそう言って見せると、なぜかダレルがむっと口を尖らせる。
「なに、彼氏でもできた?」
ダレルのあり得ない問いに、私はプッと吹き出した。
「あはは、ないない! 私はもう三十よ! 誰も見向きもしないわ!」
「そんなことないよ。ウェンディはキレイだから」
あら、お世辞でも嬉しいわ。そんなことが言える年になったのねぇ。
「はいはい、ありがと」
「誰かいい人いないのか?」
「いないし、いたとしても今はいいの。私はティーファとお父さんのことで手いっぱいだもの」
「そっか」
心配してくれたのかしら?
それにしても、なんだか嬉しそうだけど。
「俺、騎士団に入っても、ここに遊びに来ていい?」
「もちろんだよー! ね、お姉ちゃん!!」
飛び跳ねて喜ぶティーファを見て、だめだなんて言えるわけがない。
ダレルもティーファが好きなんだから、来るななんていうのは酷よね。
「そうね、ダレルがかまわないなら来てくれる? ティーファが喜ぶわ」
「ウェンディは?」
「え、私? そうね、夕飯のおかずを一品持ってきてくれるなら、大歓迎よ」
私がそう言うと、なぜかダレルは大真面目な顔で頷いていた。
それから、十年が経った。
ダレルは仕事が定時にあがった日は、必ず一品のおかずを持って我が家に現れた。
仕事帰りに惣菜屋さんで買ってくるのが日課になっている。
あの十年前の言葉は、冗談だったんだけどなぁ。でも助かるのは本当だから、頂いている。
ダレルは結構出世をしているようで余裕があるらしく、ここ二、三年はおかずが三品に増えてるのよね。
お父さんは、一年前にとうとう亡くなってしまった。最初は悲しくて辛かったけれど、ティーファとダレルのお陰で立ち直れた。
ティーファには、随分とお父さんの介護を手伝ってもらっていて、「ありがとう」と抱き締めると、ティーファも私を抱きしめて「ありがとう」と言ってくれた。
良い人がいるなら結婚しなさいと、私は何度もティーファに言い続けてきたけど、ティーファが頷くことはなかった。『お姉ちゃん一人じゃ、お父さんを看るのは大変だから』って。
でもお父さんが亡くなった後に言った時は、初めて素直に頷いてくれた。『お父さんがいなくなった生活に慣れた頃に、結婚するね』って。
それもきっと、私のことを考えてくれてのことだ。
いきなり父親も妹もいなくなると、この家に残される私のことが心配だからだろう。
ティーファの結婚したい相手は、きっとダレル。だからティーファが結婚して出て行ったら、必然的に彼も来なくなる。
私はいずれ、この家に一人になる。
そう考えると、胸が苦しくなって涙がこぼれそうになった。
私はもう、四十歳だ。
ティーファは二十歳。もう子どもではなくなった。お父さんももういない。
今まで二人のためにと頑張ってきたけど、もう頑張らなくてもいい。嬉しいのか悲しいのかわからない。
これからは孤独に生きなきゃいけない事実が、ただ苦しい。
「泣いていても仕方ないわね……」
私はぐしっと涙を拭って夕飯を作り始めた。
お父さんが亡くなってから、ティーファも働いている。そろそろダレルと二人揃ってこの家に戻ってくるはずだ。
「「ただいまー!」」
二人分の声が家に響いた。ダレルもすっかりこの家の住人のように振る舞っている。
「おかえり、ティーファ、ダレル」
私は二人を迎えて、料理をお皿に盛り付ける。いつものように買ってきてくれたお惣菜を、ダレルも出してくれた。
三人での夕食。
いつまで続くのかな。できれば少しでも長くこの三人で夕食を囲みたい……
「お姉ちゃん、私、結婚することに決めたから!」
そう思ったのも束の間、ティーファの言葉に私は笑って見せた。
そうよね、ティーファは可愛いもの。二十歳まで独身だったことの方がおかしいのよ。
「そう、おめでとう。よかったわね」
私は、ティーファと横に並んで食べているダレルを交互にみやってそう言った。
どうしよう、うまく笑えているかどうかわからない。
二人が仲良かったのはわかってる。いつかこうなる日がくることも、知ってた。
私の、ばか……。
妹の好きな人に、好意を持っていただなんて。
妹を好きな人に、恋してしまっていただなんて。
だって、仕方ないでしょう?
毎日毎日、『ただいま』ってお惣菜を出しながら微笑んでくれる。
いつもいつも、体は大丈夫かって気にかけてくれる。
たったそれだけでも、私は嬉かったんだから。
私を気にかけてくれる男の人なんて、ダレルしかいなかったんだから。
「やだ、お姉ちゃん泣いてるの?! なんで?!」
「あら、やだ……ティーファが立派に育ってくれて、嬉しくてつい……」
「もう、大袈裟だよ! 次はお姉ちゃんの番だからね。私、お姉ちゃんには幸せになってほしいんだから」
ティーファの気持ちに胸がぎゅっとなる。でも私には相手なんかいないし、お見合いをしたとしても私をもらってくれる人がいるとは思えない。
「私はいいのよ、ティーファ。私は、二人が仲良く暮らしてくれたなら、それでいいの」
「お姉ちゃん……」
「ティーファのこと、よろしくね、ダレル」
私が最高の演技で微笑んでみせると、ダレルのフォークの動きが空中で止まった。
「え……俺?」
ポカンとしているダレル。何を間抜けな声をあげているのかしら。
こういうとき、男はピシッと決めて欲しいものだというのに、ティーファが可哀想だわ。
けれどティーファの方もなぜかポカンと口を開けている。
「どうしたの? 二人とも」
「お姉ちゃん、どうしてダレルお兄ちゃんに私のことを頼むの?」
「どうしてって……あなたの夫となる人にあなたのことを頼むのは、当然じゃない!」
「ッゴホ!」
ダレルがいきなり咽せて、慌てて水を流し込んでいる。
「ちょっとダレル、大丈夫?!」
「あはっ、やだーーお姉ちゃん! 私の恋人、ダレルだと思ってたの?!」
「違うの?!」
私が驚いてティーファを見ると、お腹を抱えて笑い始めた。
「ダレルお兄ちゃんのわけないじゃーん! だってお兄ちゃんは、昔からおねえ……いでっ」
「余計なことを言うな」
ダレルがティーファの頭を優しく叩いて、ティーファはクスクス笑いながらダレルを突っついてる。
誰がどう見ても、イチャイチャしている恋人同士よね?
「私の彼氏はね、ダレルお兄ちゃんの後輩の騎士なの。中々正騎士になれなくて、ずっと見習いだったんだけどさ。この間、ようやく正騎士なれてね、プロポーズしてくれたんだ」
えへへと嬉しそうに笑ってるティーファ。
本当に? 本当に相手はダレルじゃないの?
「そうなの……全然知らなかったわ。おめでとう」
「ごめんね、彼が正騎士になるまでは言うなって言うから」
「そんなの、構わなかったのに」
「だよねー。お姉ちゃんはそんなこと気にしないって言ったんだけどさ、なんかちっぽけだけどプライドはあったみたい。今度、彼を連れてくるね!」
「え、ええ……」
そうして後日連れてきてくれた彼は、優しそうな二十歳の青年だった。
二人はすぐに結婚して、ティーファはこの家を出て行った。
「ただいま」
この家に響くのは、一人分の声。
って、ティーファは結婚していなくなったのに、どうしてダレルは当然のようにここに来ているのかしら。
「ウェンディ、仕事お疲れ様。今日はウェンディの好きなやつ買ってきた」
そう言っていつものように微笑みながら、お惣菜を出してくれるダレル。
でも、本当はこんなところに来たくなんかないはず。だってここにはもう、ダレルの愛するかわいいティーファは、いないんだもの。
私に気を遣ってくれているのかしら。嬉しいけれど、このままじゃダレルがかわいそうよね……。
「ねぇダレル。もううちに来る必要なんてないのよ?」
「……え?」
本当は、来てほしい。
ティーファがいなくなっても、こうして二人で食事をとりたい。
でも、それは私のただのわがまま。
ダレルはまだ二十八歳。これからいくらでも、かわいい女の子たちと知り合って新しい恋ができる年齢だわ。
だから私がダレルの邪魔なんかしちゃ、ダメ。
「今まで本当にありがとう、ダレル。数えきれないくらいたくさん助けてもらって、本当に感謝してるわ」
「ウェンディ?」
「お父さんはもういない。ティーファも大きくなって手を離れて、結婚までした。もうダレルに助けてもらわなくても、私は大丈夫」
すごく強がりを言ってる私。でも、一生私と一緒に食事してほしい、なんて言えるわけないもの。
ダレルにはダレルの人生がある。今までこの家に縛りつけてしまっていたようなもの。優しいダレルは、突き放すようなことができなかっただけ。なら、私の方から言ってあげないと。
「ダレルもそろそろ彼女を作ってね。あなたなら、きっといい人がいるから」
ティーファはもう結婚してしまって、ダレルの望みは叶わないだろうけど……でも男前で優しいダレルなら、きっとすぐにいい子が見つかるはず。
「ウェンディ、俺の好きな人は……」
「無理よ、諦めて」
私がピシャリと言い切ると、ダレルはグッと言葉を飲み込んでいる。
ダレルがティーファを諦められないのはわかるわ。だって、今まで関わってきた年数が違うもの。
後輩にティーファを取られて悔しいのもわかる。けれどもう、ティーファは結婚してしまったのだし、諦めてもらうしかないじゃない。
「ごめんなさいね。今はつらいでしょうけど、きっといい人があなたの伴侶になってくれるわ。だからもう、この家には来ないほうがいいの」
傷ついたようなダレルの顔。
でも仕方ないでしょう? この家は、ティーファとの思い出がいっぱいあるのだから、ここに来ていたらいつまで経ってもティーファのことを忘れられなくなるわ。
「俺が来るのは、迷惑?」
「迷惑とかじゃなくてね、あなたのためなのよ」
「俺のため? どこが? 俺は、ここに来たい。ウェンディのいるこの家に」
……ん? 私?
「俺はずっと待ってた。ウェンディが『父親を見送るまでは』『ティーファが一人立ちするまでは』って言うから。今、ようやくって時になって……俺なんか、用無しなのか?」
ガシッとダレルに手を掴まれる。
え、どういうこと??
「そんな、用無しなんて思ってないわよ! ただこれ以上うちに通うことのメリットが、ダレルにはないでしょう? ティーファはもう結婚してここにはいないんだし」
「ティーファと俺は、恋人同士なんかじゃないって誤解は解いたはずだよな?」
「恋人同士じゃなくなって、ダレルはずっとティーファのことが好きだったんでしょう?」
「は?」
「え?」
時が止まったように私を見るダレル。
それからはぁっと息を吐き出して、困ったように笑ってる。
そんな顔を見ると胸が高鳴っちゃうのよね。顔、赤くなってないかしら。十代の娘じゃないっていうのに、情けない。
「なぁウェンディ、俺の気持ち、ちゃんと伝えてさせてよ」
なんだか、ダレルの瞳がキラキラして見えちゃうわ。なのに、ものすごい男の人の大人の色気。
あんなに小さかったダレルにこんなにドキドキさせられるなんて。十八年前の私が知ったら、どう思うかしら。
「気持ち、って……?」
「俺の初恋は、十歳のとき。近所のお姉さんが、二歳の妹に道の真ん中で大泣きされているのを見たんだ。なんとか泣き止まそうと奮闘していた」
それって……私とティーファのことよね。そのころから、ティーファのことが好きだったの? 二歳のティーファを? そんなに運命を感じていたのね。うらやましい……。
「それから何度もその二人を見かけた。怒ったり、泣いたり、疲れた顔をしているのを見ると、手を差し伸べたくなった。俺が声をかけると、笑ってくれて嬉しかった」
そうね、確かにダレルがティーファに話しかけると、すぐに笑ってくれたわ。
ダレルの笑顔は、あの頃から魔法のようだった。ティーファだけじゃなく、あなたの笑顔で私も笑顔になれたのよ。
「俺は、その初恋を実らせるためにずっとそばにいた」
ええ、ずっとティーファのそばにいてくれたものね。
「なにを言っても俺は相手にされなかったけど」
まぁティーファったら、近くにこんな良い男がいたのに、彼氏に夢中だったのね。
「だから俺は、ウェンディの気がかりがなくなるまで待ち続けたんだ」
私の気がかり? なんの関係が……。
ダレルの瞳が真っ直ぐに私を貫いてくる。
それだけで、少女みたいに胸が鳴ってしまう。
だけど、苦しい。ダレルが好きな人は今でもティーファで、私なんかに興味はないってわかってるから。
「ウェンディ、俺と結婚してほしい。こうして毎日ウェンディと一緒に食事をしたい」
そう、そんなに結婚したかったのね……って、え?!
「私と?! ティーファじゃなくって?!」
「なにを聞いてたんだよ。どう聞いても、ウェンディのことだろ」
「ウソ?!」
「本当。俺の初恋の相手は、近所のお姉さん。つまり、ウェンディだよ」
「えええっ」
ちょっと、びっくりしすぎて目が霞んできちゃったわ!
ダレルが私のことを……? そんな昔から?
「ウェンディ!」
ふらりとした私の背中を、ぐっと抱えてくれる。
私よりもとっくに背が高くなっていて、力もあって……大人の男の人になっているダレル。
そんなダレルに好かれてるいただなんて。どうしよう……嬉しい。
「大丈夫か?」
「ぜ、全然気づかなかったわ」
「……ま、そんなウェンディだから、他の男のアプローチにも気づかずに今まで独身なんだろうけどな」
「アプローチ? 私に? いつ、誰が??」
「ウェンディは知らなくていい」
むっと頬を膨らませているダレル。やだ、こういうところは昔と変わらずかわいいんだから。
「ウェンディは俺のこと、どう思ってる? 俺の気持ちは迷惑でしかないのか?」
ダレルの真剣な言葉。ダレルはこんな嘘はつかない。冗談なんかで言ってるんじゃないって、私にはわかる。
「ダレル……ずっと言えなかったけど、私もあなたのことが好きだったの。でもティーファがダレルのことを好きだと思ってたし、ダレルもティーファのことを好きだと思ってたから……」
「ティーファのことは好きだけど、妹のように思ってるだけだよ。俺が好きなのは、ずっと変わらずウェンディだけだ」
ダレルの瞳が優しく細められる。
こんなことがあっていいの? 好きな人にずっと好かれてただなんて、夢みたいな話。だけど……。
「私、もう四十よ……いいの? ダレルなら、もっと若くて素敵な人が……」
「それ以上言ったら怒るよ。俺はウェンディがいいんだ。ウェンディだから、ここまで待てたんだ」
「ダレル……」
「わかった?」
その言葉に、私はこくんと頷いた。ダレルの溢れんばかりの気持ちが、私の心の奥にまで流れ込んできたから。ダレルの気持ちが、よくわかったから。
「これからも、ずっと一緒に食事をしような」
私を幸せにしてくれる、ダレルの魔法のような笑顔。
安心感と愛おしさに包まれて、私はダレルの腕の中に飛び込んでいた。
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